非営利法人論


 「非営利法人」とは株主配当を主な目的としていない法人で、その代表例は政府が出資する特殊法人であり、自治体が出資する第3セクターも含まれる。
 故石井紘基衆議院議員は民法や商法に定めの無い特殊法人は幽霊法人(
PHP研究所刊「日本が自滅する日」122頁)とされ、その巨悪を追求されたが、幽霊法人の多くは独立行政法人に変身してゾンビのように生き残りそうだ。ゾンビは物を食べないので巨悪から解放される可能性はある。

 特殊法人が行っている事業内容は民間企業と変わりがなく、「非営利法人」の存在に法律上の不備があれば、法人を規定する民法などの基本法こそ真っ先に整備すべきなのに、事業法人ごとに特別の法律をつくるなどという馬鹿げたことを何故続けているのだろうか?
 縦割り行政による官製事業で利権を確保するためだろう。誰の目にも特殊法人の事業は、天下り官僚と族議員の利権の糧となっていることは明らかだ。公的事業に関わりの多い産業分野で特殊法人は子会社、孫会社をつくって利益を吸い上げ、高級官僚は天下りを繰り返し私服を肥やしている。政府の膨大な債務と巨額の財政赤字はその副産物だ。民業圧迫どころではない。中国だったら関係者は公金流用の罪で死刑になるところだ。

 公的関わりが少なく税金を支払う能力がある優良企業の製造拠点は次々に海外への移転を始めている。日本国内での失業を殖やし、優良企業からの税収を減らすことになるだろう。税金に依存する産業だけが国内に残っては天下り官僚も年貢の納め時だ。海外に移転できず国内に居残る企業、法人には大変身が求められる。

 現在、特殊法人として改革の対象になっている理化学研究所(理研)の歴史は興味深い事例である。理研は大正時代に米国に在住していた高峰譲吉氏の提案で設立されたもので、設立趣意書には「研究所の資金は有志家の寄付金ならびに発明権から得た収入によること」とされていた。欧米の著名大学、研究所の多くが寄付金で維持されていることを知っていたからである。

 理研設立のための募金は難航したが、具体化は渋沢栄一氏らの手で行われ政府出資、財界の寄付金、皇室の資金をもとに大正6年(1917年)に日本で初めての「民間研究所」として創設された。これこそ今日ではNon-Profit Organization(NPO)として知られる非営利法人である。高峰氏は理研の理事となり、死後5年間毎年1万円を寄付するよう遺言していた。

 NPOは進んで寄付を行うボランタリー精神溢れる人達で組織されるが、法人となったNPOが組織維持のために営利企業を設立して株主となり、配当を受け取ることは差し支えない。戦前、この民間研究所は財政難で倒れそうになったこともあったが、第3代所長の大河内正敏氏が経営を託されてから大発展を遂げ、理研コンツエルンと呼ばれる60社以上の企業集団を形成し、戦後日本に進駐したGHQから目の敵とされ、財閥解体の対象になるほど成果をあげた。

 ところが、戦後特殊法人になってからの理研はもっぱら税金に依存する存在となり、研究の波及効果は戦前の成果には到底及ばないのである。「官」の予算、監視下の事業では駄目で、成果を期待するためには「民営」とすべきことを見事に実証する事例だ。

 国民の貴重な血税をリスクのある事業に投入することは出来ない。理研は研究にリスクがあっても果敢に挑戦出来る本来のNPOに戻し、篤志家の寄付に依存する組織として再発足することこそ望ましいが、問題は日本では寄付金集めが難しいことである。

 戦後、大きな政府志向の税制が長く続いたためボランタリー精神のある篤志家は殆ど消滅し、日本を社会主義国家に変えてしまったのだ。公的非営利事業の税金依存を断ち、財政の健全化を図るためには、賛同する公的事業への寄付を進んで行う国民の意識改革が求められ、そのためには寄付行為に対する税制優遇措置と、「非営利法人」に関する税制の簡素化、一元化が不可欠である。米国では国立のスミソニアン博物館まで個人からの寄付を募っている。税収不足に悩む日本政府も米国に倣い、公的事業の運営維持はボランタリー精神で動く人に託すことを学ぶべきだ。

 理研の設立で見られたように募金が難しいとなれば事業資金の一部に公的資金の出資を求めることは止むを得ない選択肢かも知れない。但し、公的資金の出資額は極力少なくし、残りの資金は配当を求めない民間資金(寄付金)で埋め、経営は民間人に任せるべきだ。民間の資金、寄付金が集められないような事業は実施する必要がないのである。

 「民営」とすることの最大の利点は経営と人事の自由度にある。経営能力を欠く無責任な経営者は躊躇せず首にできる仕組みが重要だ。非営利事業は営利事業以上に事業の評価が困難で、経営が難しい。理研の発展は救世主大河内氏の存在を抜きにしては考えられない。自治体の第3セクターの失敗は、その多くが先見の明が無く、経営能力を欠く経営者に経営を託したからである。経営者を厳しく選別することによってのみ法人は業績を向上させることができるのであり、組織に有能な人材を呼び込めるか否かが事業発展の決め手になる。公的事業体の人材は公募し、その識見を問わねばならない。

 高峰氏が理研設立を提案された目的も「独創的工業の勃興」にあり、「発明の考案を公募」し「発明の素養のある有能の士を救済する」ことにあった。官僚を救済するのではなく、有能な人材と社会にとって有益な組織を育成、救済するためなら、事業資金の一部に税金と公的資金を投入しても文句をつける納税者は少ないだろう。旧理研のような「非営利法人」の誕生で独創的新産業を起こすことができれば、遊休資産の活用と国内雇用の拡大で日本経済の発展に大きく寄与することは間違いないからである。

文京区 松井孝司(tmatsui@jca.apc.org)


生活者通信第90号(2003年2月1日発行)より転載

● 「官から民へ」−法人改革を考える−

● 政府とは何か?

註)毎日新聞は2002年末、政府は公益法人、中間法人を「非営利法人」に再編し、2005年中に民法の整備完了を目指すと報じた。「公益」「中間」と称する定義の曖昧な法人は勿論のこと、宗教法人、NPO法人も含めた全ての「非営利法人」を対象に、準則主義に改めて縦割り行政の弊害を解消し、税制優遇の一元化、簡素化が出来れば大前進だ。