「官から民へ」−法人改革を考える−


 小泉内閣は平成14年3月29日「民間非営利活動を社会・経済システムの中で積極的に位置付けるとともに、公益法人(民法第34条の規定により設立された法人)について指摘される諸問題に適切に対処する観点から、公益法人制度について、関連制度(NPO、中間法人、公益信託、税制等)を含め抜本的かつ体系的な見直しを行う」とする閣議決定を行った。これが実現すれば、小泉総理が唱える「官から民へ」の改革に該当するだろう。
 縦割り行政で許認可された行政委託型公益法人が、国民の役に立たない公益と称する事業でお茶を濁し、多額の補助金を受け取って天下り高級官僚の高額退職金の原資に当ててきたことは周知の事実である。巨額の公的資金を無駄遣いする公益法人(特殊法人を含む)の抜本的改革なくして、日本経済の再生はない。

 内閣の行革推進事務局は非営利法人(公益法人、中間法人、NPO法人)を一本化する改革案をまとめたが、与党3党の介入で抜本的と謳った改革も骨が抜かれ、既存の制度を「ちょこっと」いじるだけで終りそうなのが残念だ。
道路公団など特殊法人の民営化に取り組む猪瀬氏らは、天下り公益法人の所得隠しを指摘し、課税強化を主張している。一方NPO側は「出発点が異なる公益法人とNPO法人を一緒にして、原則課税にされては困る」と反対の烽火をあげた。
公益法人側でも公益法人協会が原則非課税の「NPO法人を含めた新公益法人」を準則主義で設立するよう提案している。

 非営利法人への課税、非課税を論ずる前に、そもそも政府が法人に対して課税権を持つ根拠と、既存の公益法人の存在意義を問うべきではなかろうか?

 憲法では国民の納税義務は定めているが、法人の納税義務は定めていない。明治初期の日本では土地への課税が歳入の7〜9割を占め、法人税は無かった。米国でも20世紀初期まで歳入は主として消費税、関税、土地売却、相続税からなり、所得税、法人税が急増したのは財政が膨張を始めた1940年以降である。政府の失政を補うための課税強化は許すべきではなく、米国では最近、法人税での配当二重課税廃止論が高まっている。(註)

 個人と法人の所得税制は統合し、二重課税は廃止すべきだろう。新しい企業の育成、海外からの投資促進のためにも法人への所得課税は撤廃し、配当課税は個人所得課税に合算すべきだが、経済のボーダレス化の進展で所得の捕捉は困難になり、所得への課税は不公平となり勝ちだ。所得税は軽減し、脱税が難しい消費税、利用税(例:土地、道路利用への課税=資産課税、自動車関連諸税)を個人、法人を問わず広く、公平に課税することが望ましい。
日本では、政府が「法人擬人説」を唱える御用学者と結託し、税金は取りやすいところから取る不合理税制がまかり通っている。税金が取れないとき、政府は平気で借金をし、その借金の累積額は700兆円を超えてしまった。
公務員は失業の心配がなく、高額の退職金を受け取った上に、退職後も手厚い共済年金で生活が保障されている。公務員の生活維持に必要な年間資金約40兆円は税金で調達されてきたが、昨今は税収不足のためすべて借金に依存しており、後の世代の民間人が公務員の残した巨額の借金の返済義務を負うことになる。年金も含めた世代間不公平と官民格差は「正義」に反する。一日も早く、この不公平は解消しなければならない。

 平成15年度の政府予算では、税収が42兆円しかないのに、歳出は82兆円を予定しており、収支を合わせるためには40兆円の経費節減が必要である。
巨額の借金を回避するためには政府、自治体の事業を大幅に削減しなければならないが、議員を減らし、公務員の業務を外注すれば、問題が解決するというものでもない。スト権と雇用保険の無い公務員を失業させることが出来ないからである。
仕事が無くなる人の受け皿として期待されるのが「非営利セクター」である。

 「非営利セクター」には政党を筆頭に、地方公共団体(自治体)、公社、特殊法人、独立行政法人、国立大学、公益法人、中間法人、NPO法人、社会福祉法人、学校法人、医療法人、(協同組合)、宗教法人など、国家行政組織法に定めのないすべての非営利組織が含まれるが、公的事業を実施する法人を、すべて準則主義で設立出来るように一本化し、縦割り行政による束縛から多くの法人を開放出来れば、抜本的かつ体系的見直しに相応しい改革になるだろう。許認可と予算を与かる中央省庁の大半は不要となり、規制改革がサービスの多様化、地域経済の活性化と雇用拡大に寄与し、財政の再建にも役立つ。法人改革と併せ、税制も簡素化し、一本化すべきだ。

 原則無税、補助金漬け官製法人の徹底的見直しが必要である。巨額の債務を負う政府に、「公益」を理由に補助金を出す余裕はない。公的事業は、税金ではなくボランタリー精神と民間資金で維持しなければならなくなったのだ。公務員の事業体への天下りは許容しなければならないが、補助金が無くなれば天下りの弊害は激減するだろう。言うまでもなく、ボンタリー精神が無い公務員には再教育が必要だ。既存の公有資産を有効活用する「公設民営」という選択肢もあるが、「非営利セクター」に1400兆円といわれる個人資産を呼び込むための税制改革が重要であり、収益の配当が無い法人に出資する動機付けが必要である。それが非営利法人への寄付行為に対する税制優遇措置だ。資産または所得への課税の一定割合を寄付というかたちで提供し、納税者自身が希望する公的事業に使えるようにするのである。

 米国ではこの寄付金総額が年間17兆円を超え、約110万の団体からなる「非営利セクター」の雇用は1000万人を超えると言われている。ハーバード大学、プリンストン大学、ロックフェラー財団、ニューヨーク交響楽団、メトロポリタン美術館やブルッキング研究所、全国黒人地位向上協会など多様な団体が民間の「非営利セクター」を構成し、政府に依存しない活動を続けているが、これらの団体を免税資格で区別する法律は内国歳入法だけである。ボランタリー精神で支えられるこの民間セクターの重要性は、米国でも十分に理解されていなかったが、近年、社会主義国家の崩壊、変質を見て、その存在意義が注目されるようになった。

 一方、収益の配当を目的とする株式会社、有限会社、合資会社などは「営利セクター」に分類される。付加価値の高い新規起業が求められるが、企業にとって重要なものは資本の大小より、有能な人材の有無である。最近1円の資本金でも期間限定で株式会社の設立を許すようになったが、これを恒久化し法人の設立は米国のように紙1枚の登記申請で出来るように条件を緩和すべきだろう。「営利セクター」の起業を殖やし、経済規模を拡大して収益の配分を増やして、国民の担税能力を高めなければならない。長期間に亙って収益を計上せず、無配を続ける無責任経営者は追放すべきだ。

 「非営利セクター」は学術研究、教育、医療、子育て、福祉、文化活動など、利潤追求が難しい事業を通して、人材と知識、福利厚生を「営利セクター」に供給し、「営利セクター」は収益を分配することにより、資金を「非営利セクター」に提供する役目を担う。「非営利セクター」は自立できない人を自立させる役目を担い、ボランタリー精神と相互扶助のシステムで維持される「共生」セクターと見ることも出来る。「営利セクター」は「自立」セクターであり、収益を上げられず、自立できない弱者は競争原理で淘汰される。

 「営利」と「非営利」、「自立」と「共生」の各セクターは、相互補完関係で結ばれることが肝要で、いずれか一方だけが肥大化した社会は健全とは言えない。わが国の「非営利セクター」は、GDP(国内総生産)の6割を超える巨額の公的資金を受け入れてきたが、バラマキ行政と官製ビジネスに汚染され、既得権の牙城を築いて肥大化している。巨額の資金が目に見えない巨大な寄生虫の存在を許し、正義感を麻痺させているが、正義を取り戻すことができるのは、税金に依存しないボランタリー精神だけだ。「非営利セクター」が「営利セクター」のインフラ・コストを高くし、「自立」セクターの事業を奪い、企業を弱体化させていることも問題だ。両者のバランスをとるために、「官から民へ」の改革が求められるのである。

 日本で特殊法人に任せている高速道路や地下鉄の建設を、中国の上海では民間会社に任せ、民間資本を積極的に活用して政府資金では100年かかる事業の短期完成を目指しているという。投資の回収には約25年を予定しているが、低金利に悩む民間資金にとっては、資金が確実に回収できる絶好の投資対象だ。

 「非営利セクター」への公的資金投入の削減と民間資金の受け入れは、資金の投資効率を高め、税負担を減らして消費需要の拡大に寄与し、「営利セクター」の規模拡大と日本経済の健全化、再生に役に立つだろう。法人改革の後に残される課題は、経営感覚に優れ、競争原理に耐えることができる自立した人材の育成である。

文京区 松井孝司(tmatsui@jca.apc.org)

生活者通信第96号(2003年9月発行)より転載


(註)米国では、大企業は「二重課税」されているが、小規模企業には株主個人の所得として課税するパス・スルー性が与えられ二重課税されていない。州法に定めるGPS(General Partnership)、LPS(Limited Partnership)、LLC(Limited Liability Company)など、いづれも事業組織に対する課税はパス・スルー方式を採用している。
わが国の税制では、「法人成り」という言葉に見られるように、中小個人企業の法人化は個人への課税を節減する手段として使われ、法人税を納めない中小企業も多く、不合理税制がまかり通っている。


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