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お釈迦様と十八羅漢

正覚寺の十八羅漢

羅漢様は普通「十六羅漢」様ですが、正覚寺の羅漢様に付いては、二比丘の大迦葉比丘(マハーカーシャバ)

と屠鉢歎比丘(クンドーパドンヤ)を加えて十八羅漢様と成っています。「羅漢」とは、価値ある、

尊敬するにふさわしい人、供養を受けるにふさわしい人を意味しています。十八の羅漢様は、

お釈迦様の弟子達で、私達と同じ煩悩を持って悩み苦しむ人達でありましたが、縁あって

お釈迦様の教えに接し、出家して弟子と成り、その教えのままに精神修行して、

ついには悩み苦しみから解脱した方達であります。

下の画像をクリック すると拡大写真が見れます。
第1番羅漢 第2番羅漢 第3番羅漢 第4番羅漢 第5番羅漢 第6番羅漢 第7番羅漢 第8番羅漢 第9番羅漢
第10番羅漢 第11番羅漢 第12番羅漢 第13番羅漢 第14番羅漢 第15番羅漢 第16番羅漢 第17番羅漢 第18番羅漢

昔から、五百羅漢や、十六羅漢様の中に、

故人の夫、妻子、両親、親類縁者や友人の顔に

似ているものを見つけ「故人との対面」をして、その羅漢さんを

ご供養すると、生前中してあげられなかった事の償いができると伝えられます。

ぜひ皆様もご来寺いただき、亡き故人の面影を偲びながらご参拝ください。毎日、お釈迦様と

十八羅漢様は、大智の山から皆様のご参拝を心待ちに致しております。

 

正覚寺十八羅漢は 町田市小山の

臨済宗建長寺派宝泉寺(鬼頭誠陵住職)什物の

十六羅漢掛軸(町田市重要文化財指定) が原型と成っております。

その寺の住職鬼頭師は俳句寺現住職、正法師の修行時代の友人で、

正覚寺十八羅漢計画にご賛同し、自らも第七番迦理迦尊者の羅漢様を建立頂きました。

又、この宝泉寺十六羅漢図の画家は、江戸時代後期活躍した、 宝泉寺菩提家、島崎旦良という人で、

津久井郡青山、臨済宗光明寺の県指定重要文化財、「久隅守景筆 十六羅漢絵図」

を摸写したものと言われている物です。

 

正覚寺十八羅漢様建立は四年と言う短期間で、有志者のご賛同を頂き建立成就が成りました。

ここでの御寄贈者の名前は省略させて頂きますが、当寺檀信徒はもちろん、

偶然正覚寺と縁のあった方々のご協力があったからこそ成就できました。

ここに有難く感謝申し上げます。

 

 

正覚寺のお釈迦様

正覚寺のお釈迦様は、

平成八年(1996)六月吉日建立されました。

建立者は相模湖町阿津にお住まいの檀徒矢部九一氏です。

矢部氏はご自分の長男陽一さんを中学生の十一歳の時、不慮の事故でなくし、

その悲しみから立ち直った後、その菩提供養にと身の丈三メートルのお釈迦様を建立下さいました。

このお釈迦様は、茨城県真壁市の石工やさんに直接出向き注文された石仏で、

お顔も満徳円満のお姿です。当寺では昭和六十二年から裏山に

「正覚寺十八羅漢」の建立を計画し、その建立有志者を

募っておりましたが、お蔭様にて、

平成四年それらの十八羅漢の建立が成就しました。

しかし、その中心となるべき、本師であります「お釈迦様」

の建立については未定でありました。お釈迦様建立予定地は、

大智山裏山の中腹地で、建立には難しく、又、長年かかるものと思っておりましたが

矢部氏の願心一つにてその四年後成就と成りました。お釈迦様の右脇には、 ご長男陽一さんの事を書いた、

お姉さんの恵子さんが書いた作文詩が記念供養に石に刻まれています。

 

子に会える一心で行く陸奥の旅恐れの山に蝉も轟く  九一

      

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        弟 (思いで)           四年  矢部恵子  

わたしが学校からかえると、

弟は走ってきてわたしにとびつく、

ぎゅっと首をだきしめる。いつまでもはなさない。

「陽ちゃんはなして。」というと、ちょっとゆるめて、ほいくえんであそんだことや、

テレビで見たことを話しはじめる。聞くのがいやになってきかないでいると、

おかあさんにいいつける、おかあさんが「恵子が好きだから話すんだよ」

という。わたしも弟が大すきだ。

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