Shadows Of The Past, Victim Of The Future
唇を幾度となく重ねながら、マイクロトフが熱く猛るものをゆっくりと押し
付けてきた。カミューの体に、微かな緊張が小波の様に走り抜ける。
マイクロトフの指がカミューの指に絡み合う。温かい手の感触。
およそ情事のさなかとは思えぬ程に穏やかな表情で、マイクロトフはカミュー
を見下ろしていた。
深い愛情と労りに満ちた仕草で、マイクロトフがカミューの内部に入り込んで
くる。形の良い眉を僅かに寄せて、カミューはその微かな苦痛に耐えた。
「カミュー・・・辛いか?」
気遣わしげな声音と表情で、マイクロトフがカミューの顔を覗き込む。端正
な口元に強いて微笑を浮かべながら、ゆっくりと首を振る。
「・・・いや・・・大丈夫だ・・・」
マイクロトフの顔には、尚もカミューを案じる表情が浮かんでいた。絡めた
指に力を込めながら、己の欲望がカミューを傷付けてはいないか、見定めたい
と欲している。同性として内部に沈む情欲を理解し得るが故に、カミューは
こういった表情を見せるマイクロトフに対して、感嘆を禁じ得なかった。
決して傷付けぬ様に、共に同じ悦楽に浸れる様に。この真摯な青年が常に
そう考えているのが熱い肌越しに感じられ、それは同性に抱かれている、と
いう苦い思惟からいつでもカミューを解放する。
ゆっくりとマイクロトフが動き始めた。白い喉を仰け反らせて、カミューは
その感覚に耐える。唇に、喉に、耳に熱く口付けながら、カミューが確かに
自らの腕の中に存在することを確かめていく。
「・・・カミュー・・・」
情欲に熱く濡れた吐息と微かな衣擦れの音が、室内の静けさをひっそりと破る。
「―――― っ・・・!」
柔らかい髪を揺らして、カミューは一歳年下の青年から与えられるその感覚
を享受した。白皙のかんばせが紅潮し、端正な唇が途切れ途切れに小さな喘ぎ
を吐き出す。
白いシーツを掴む必要の無い腕が、マイクロトフの背中と首に回されていた。
汗ばんだ肌が熱く触れ合い、互いの熱を伝える。
次第に激しくなっていくその動きの中で、それぞれの理性が消え失せて
いき、快感を貪る様にして体を重ね合う。さながら二つに分かれてしまった
物体が、元のかたちに戻ろうとする様に。
互いに高みを極めて後、荒い呼吸を繰り返しながら薄い闇の中で汗ばんだ
体を密着させる。マイクロトフの腕は、カミューのしなやかな体を強く抱き
締めていた。まるで手を離したなら、そのまま何処かへと飛び去ってしまう、
優美な鳥を抱き締めるかの様に。
「―――― カミュー」
未だ整わぬ息の下から、マイクロトフがやや気遣わしげに問う。
「・・・済まない、早くお前を休ませたかったのだが・・・」
薄い闇の中でも尚鮮やかな笑顔を浮かべ、カミューは穏やかな口調で応じた。
「・・・やっと落ち着いたよ。ありがとう、マイクロトフ」
その言葉の擁する意味を痛い程に理解して、マイクロトフは胸の内が微かに
痛んだ。
鍛え上げられた鋼の様に厚い胸の中で、カミューは規則正しい呼吸と共に、
穏やかな眠りの淵へと沈んでいった。片手でその髪をゆっくりと梳き続ける。
大切なこの青年に風邪を引かせぬ為、眠りを妨げぬ様同時に気遣いながら、
そっと毛布を引き寄せる。
―――― 二度と目の前から消えて欲しくはなかった。もし再び自分の前か
らこの青年が消えてしまったなら、自分は一体どうなるだろう。
だが、彼等は互いに軍人であり、常に争いの気配が消え失せることの無い
この時代の中では、再び同じ事態が起きる可能性を完全に否定は出来なかった。
騎士たる地位を捨てる意思は無い。それはカミューとて同様だろう。今出来る
のは、常にそれぞれの役割を果たすことだけだった。
―――― 彼らしくない発想ではあったが、マイクロトフはハイランドとの
間に戦火が勃発することを望んでいる自分に気付き、その思惟に我ながら
身震いする程のおぞましさを意識した。
―――― それでも。
ルカ・ブライトと剣を交えたかった。この手で、あの猛禽を斃してやりたい。
休戦協定を締結することに対して、市井の人間の間には「戦が終わる」と
歓迎するムードが大勢を占めていた。しかし、同時に協定に対して激しい不満
を持つ者もまた多かったのである。
皇都ルルノイエに都市同盟が侵攻し、そして王宮にまで侵入されたあの戦い
から、未だ20年と経てはいない。あの時に都市同盟の兵士に親兄弟を殺された
者、子供を失った者たちの記憶から憎しみが消え失せることは無論無く、それ
故に休戦に不満が募っていた。
殊にハイランド王国軍の間には、不満が激しかった。彼等が今望んでいる
のは休戦ではなく、完膚無きまでに都市同盟を打ち破ることなのである。
そして今、ハイランドにはそれを為し得る才能の所有者が居るではないか。
傲然と敵を打ち倒し、憎むべき都市同盟の兵士の屍を積み上げ、そしてその
上に佇むことの出来る力の所有者が。
「―――― ルカさまに軍の指揮権を!」
「―――― 我々は、あの方の指揮の下でこそ戦いたいのだ!」
窓の外で騒ぎ立てる一般兵士に一瞥をくれると、銀の髪をした青年は微かに
苦笑する。
「―――― 大分、鬱憤が溜まっている様だな」
陽光を弾いて赤く輝く髪を勢い良く揺らして、もう一人の青年が騒ぎ立てる。
「鬱憤!?俺だって溜まっているぜ!何だって今更休戦協定なんか結ぶんだ!
俺はまだまだ戦い足りないってのに!」
「・・・お前のは単なる戦争好きだろう、シード。少しは自分の立場を弁えろ。
もう一兵卒ではないんだぞ」
「うるせぇなあ、クルガン、お前と一緒にするなよ」
不満げに立ち上がりながら、そのまま髪を掻き回す年少の戦友を、苦笑と
共に眺める。
「・・・どちらにせよ、このままでは収まらんよ。この国も、そしてあの方もな」
窓の外では、兵士の歓声が一段と大きくなる。ルカが姿を見せたらしい。
兄の部屋を訪れたジルは、ルカが鎧を着用しているのを視界に映し出して、
思わず体を強張らせた。都市同盟との間に休戦協定が締結された事を、無論彼
女とて知っている。それなのに、何故兄は今から戦場に赴く様な格好をして
いるのだろう。
「・・・ルカ兄さま・・・・?」
ジルの言葉に、ルカが振り向く。その顔が返り血に濡れている様な錯覚を
覚えて、彼女は沈黙を余儀なくされた。強いて微笑しながら、兄は妹の傍に
歩みより、軽く彼女の頭を撫でた。
「・・・もう戦は終わったのでしょう?なのに、何故その様な格好をなさるの?」
「・・・演習だ。白狼軍の指揮権が俺に譲られたのは知っているだろう?しば
らく外で訓練をしてくる」
胸の内に、微かな不安が霧の様に立ち込めてくるのをジルは感じていた。
何故こんなに胸が騒ぐのだろう。兄が今度こそ決して手の届かぬ、遥かな場所
へ歩み去ってしまう様な予感がして、言葉が見付からない。
「・・・お兄さま」
「・・・何だ?」
「・・・必ずや、帰ってきて下さいませね。お待ちしておりますから」
軽く頷くと、ルカは身を翻す。
庭に下りていくと、彼の愛馬は既に鞍を付けられて主人を待っていた。
ルカの姿を認めて鼻を鳴らし、甘えた様に擦り寄ってくる。その鼻を撫でて
やりながら、傍らに控えていたキバに問う。
「―――― 準備はどうだ」
「全軍食料積み込みまで完了致しました。いつでも出発出来ます」
無言のまま体を躍らせ、馬に乗り込む。久々に主人を乗せて、念入りに手入
れされた見事な毛並をした馬が、嬉しげに体を震わせる。
城を省みると、ジルが心配そうな表情を湛えて、窓から見下ろしているのが
見えた。悠然とした笑顔を彼女に向けると、前方へと視線を向ける。
「―――― 全軍進撃を開始しろ。目標は天山峠だ」
キバが不思議そうな表情を向ける。傲然とすら称し得る微笑を刻んで、ルカ
は言ちた。
「―――― まだあの場所には、ユニコーン隊が駐屯しているだろう」
意味を図りかねて、キバは沈黙したままである。ルカの命令が全軍へと伝達
され、ハイランド王国軍は緩やかに進軍を開始した。馬の嘶きが虚空に響き
渡り、砂塵が宙を舞う。
都市同盟に狂皇子と恐れられるルカは、ハイランド軍兵士の間では信仰とすら
称し得る程の、絶対的な信頼を寄せるべき対象だった。敵国の恐怖の対象は即
ち自国の英雄であり、戦場で傲然と敵兵を打ち倒していくその姿は、兵士達の
目にさながら神の如く映るのである。
ルカに軍の指揮権を譲る様アガレスに決断させたのは、一般兵士の圧倒的な
信頼も一因であったことは否めない。
「ルカさま、何故今更天山峠へなど向かわれるのです?」
己の馬を進めながら、キバが問う。猛禽を思わせる微笑を口元に刻み付けて、
ルカは前方へ広がる大地を睨み付けている。
「・・・都市同盟によってユニコーン隊が全滅させられたというのなら、あの
腰抜けといえども、開戦を辞さぬであろうな」
「―――― ルカさま・・・!?」
「都市同盟の虫ケラ共と、休戦協定など結ばせるものか。俺がこの手で奴らを
滅ぼしてやる。奴らの生きる大地でさえも、草一つ生えぬ土地にしてくれるわ」
それは長い戦いが始まることを意味していた。
自らの内部に、拭い難い空虚な空間が存在していることを感じて、ルカは
ふとそれをいぶかしむ。何故こんな感情を抱くのだろう。
何一つ失ったものなど無いのに。
度重なる屈辱にも決して曇ることのない、美しい翠の瞳。端正に整った、
美しい顔立ち。
自分を恐れることなく、ただ静かに見詰めていた、その意思の強さ。いか
なる凌辱にも、決して手折られることの無かった翼。
手に入れることが出来るなら、自分は何を惜しむだろうか。
こんな感情は知らない。意味が無い。自分には必要無いものだ。
―――― 手に入らぬものなら。
ならば、壊してしまおう。
失う前に、この手で壊してしまおう。
粉々に砕いて、二度と思い出せない様に、壊してしまおう。
欲しいものなど、最初から何一つ無かったのだと。
失うものなど何も無い。最初から、何一つこの手の中には無かったのだ。
・・・穏やかな春の陽光、咲き乱れる花々。鳥のさえずり。
呆れるほどにささやかな幸福に満ちていた日々。
「―――― 母さま・・・・」
振り向いた先には、誰も居ない城。瀟洒な造りの白い壁が崩れ落ち、色褪せて
破れたハイランドの旗が力無く風に揺れる。血に濡れて、朽ちた骸が転々と
転がる大地。
咲き乱れていた花が、赤い血に濡れ、そして踏み躙られて散る。青く澄んだ
空がいつの間にか黒雲に侵食され、湿気を含んだ冷たい風が頬を撫でていく。
もうこの場所には誰も居ない。自分が愛するもの、大切なものは全て失われて
しまった。
悲哀と絶望。蹂躙と強奪。
―――― 神が消えたこの世界で。
神が手を下さないのであれば、自分が裁こう。断罪し、欲望で穢れた大地を
清浄なものへと戻そう。
その先に在るものは、自らの破滅と亡国であることを、ルカは知っている。
いつか自分は大地に斃れ、そしてこの赤い血が最後に大地を清めるだろう。
母の元へと戻る、その時に。
DAS ENDE
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