CODA

TOO LATE
You Let The Sun Goes Down
TOO LATE
You Changed Direction
Two Sides, To Every Story


「―――― 直接ルカ・ブライトを討ち取ること。それ以外には、我々が生き 残る術はありません」
 秀麗な容貌を持つ軍師は、淡々とした口調でそう言った。
 カミューは、自分の意識が否応無く波立つのを感じていた。あれから彼に逢う ことは無論無く、そして彼は完全に自分達の仇たる存在へと変貌を遂げている。
 戦えるだろうか。ひっそりと、自らの唇を噛み締める。彼と刃を交えること が、自分は出来るだろうか。
 ―――― 内部に刻まれた余りにも深いその傷故に、かくも残酷な気性にな らねば生きてはいけなかった、あの青年と。
「―――― シュウ殿」
 不意に、マイクロトフが軍師の前に進み出た。
「此度のルカ戦から、カミューを外して頂きたい。体調が本調子では無いの です。その分私が・・・」
「マイクロトフ!」
 我知らず声を荒げてしまったカミューを一瞥する。端正な容貌で人当たり の良いこの青年と、ハイランド皇子であったルカ・ブライトの間に起きた 出来事を、シュウは知っていた。無論本人達が語ったのではなく、仲間になり そうだと思った時点での情報収集で解ったことではあるが。
「・・・それぞれ個人の事情があるのは解るが、今はその様な時ではない。 この戦いに敗れるのは、我々が滅びることを意味している。その大事の前には 多少の無理は・・・」
「ね、でもカミューさん本当に顔色悪いよ。休んだ方が良いと私も思うなあ」
 助け船を出したのは、ナナミだった。丘上会議の時から、彼女はカミューに 対して好感を抱いている。それはどう考えても男としての意識では無かったが。 カミューの方でも、弟を常に案じる元気一杯のこの少女に対し、妹に接する様 な感覚を抱いていた。
 ナナミの視線が弟へと向けられ、この広間に集まった人間の中で最も年少の 指導者は、無邪気な程の表情で言う。
「カミューさん、無理しなくても大丈夫だよ。他にも人はいっぱい居るんだ し、休んでいたら?」
 無邪気な程にそう言ってのけた幼い指導者を、シュウは厳しい表情で見詰め ている。戦塵の中にあっても、決して失われることのないこの優しい気性が 故に、彼の下に多くの人間が集うのだ。そうと知って、だがある意味では この軍を預かる身の上であるシュウには、そう容易く肯定のみで済ませる訳 にはいかない事情がある。
 心配そうな表情を湛えた姉弟に微笑を向け、軽くかぶりを振る。
「・・・いえ。ご心配には及びません。我が剣にかけて、ルカ・ブライトの 首を必ずや落してみせます」
 それは、自分自身に課した決意の表明だった。
 尚もナナミは心配そうに自分の顔を覗き込んでおり、彼女を心配させぬ為だ けに微笑を向ける。
「―――― 私はフリック殿の隊に入ることになるでしょう。ナナミ殿も、くれ ぐれもお気を付けて」
 そう彼女に告げると、つられた様にナナミも微笑した。
「話がまとまったんだったら、行くぞ」
 ビクトールが大きく欠伸をしながら、そう言った。まるで遊びに行く様な 調子である。
「・・・お前、少しは緊張したらどうだ。負けたら終わりなんだぞ」
 常識人であるフリックの言葉に、ビクトールが悠然と笑う。
「先に悩んでいたって、何も始まらんよ。心配しなくたって負けやしないさ」


 闇の帳に包まれた森の中を速やかに移動しながら、カミューはいらただしげに 前を歩くマイクロトフに問いかけた。フリックら他のメンバーはやや先を歩いて おり、声が殆ど聞こえないと見て取っての行動だった。
「―――― おい、マイクロトフ!先刻の発言はどういうことだ」
 苛立つ意識に任せて、頬が紅潮していた。闇の中で顔が見えぬ気安さから、 カミューはさも不快気に髪をかきあげる。
 平時と何ら変わらぬ、むしろ穏やかな声音でマイクロトフが応える。
「・・・ただ単に、お前は本調子に見えなかったからだ」
「―――― 私は別に・・・!」
 不意にマイクロトフが振り向いた。硬質に引き締まった顔に、これから 戦いに赴くとは思えぬ、静かな微笑が浮かんでいる。
「お前は何も案じる必要はない」
「・・・マイクロトフ・・・?」
 穏やかな表情に似合わぬ、毅然とした口調が宣言する。
「―――― ルカ・ブライトは俺が斃す。この剣と誇りにかけて」
 名誉を欲するのではなく、戦いに勝利するためでもなく、ただお前の為だけに。
 この手で、お前を傷付けたあの男を葬り去ってみせる。


 暗い闇の中、兵士が進軍する音だけが大気を震わせる。不意に、自らの親衛隊 たる兵士が叫び声を上げた。
「―――― ルカさま!」
 矢が放たれ、兵士達が地に崩れ落ちる。何事か、と顔を上げた視界に、幾人 かの同盟軍兵士が剣を構えて佇んでいた。
「ルカ・ブライト!お前の首を貰うぞ!!」
 青いマントを纏った青年が、愛する女の名を冠した剣を構えて悠然と佇んで いる。戦いを宣言するその言葉は、ルカの意識を捉えることは無かった。彼の 視線は、赤い軍服にしなやかな長身を包み込んだ、その青年にのみ向けられて いた。
 凛としたその姿も、端正に整った美しい面立ちも、記憶に深く沈んだその 姿と何ら変化が無い。瑞々しい樹木を思わせるしなやかな体躯。深く澄んだ 翠の瞳。
「―――― カミュー・・・?」
 相手が女子供であろうとも、傲慢に殺戮の刃を振るってきたルカの唇が、 そう呟いたことに気付いたのは、名を呼ばれた青年と彼の恋人だけだった。
 カミューは端正な唇を堅く噛み締める。数ヶ月に渡った情事の間、ルカは 一度も自分の名を呼ぶことは無かった。カミューはルカの欲望に奉仕する のみ、もしくは蹂躙されるだけの存在であり、名など必要なかったからだろう。
 それなのに、何故なのだろう。
 何故今彼は自分の名を呼ぶのか。互いのどちらかが命を落すことでなければ 終焉を迎えない、この戦いの中で。
 その呟きに、マイクロトフは極僅かに眉を上げた。乾いた響きの言葉に、 否応なくそれを発した男の心情に気付かざるを得ない。
 無言のまま1歩進み出ると、カミューを庇う様にしてダンスニーを構える。 表情はこの上も無く静かだったが、黒曜石の瞳に烈しい怒りの焔が渦巻いていた。
 ―――― この男なのか。この男の為に、彼はかくも毅然として自分の暴虐 にも決して屈しなかったのか。それを認識すると、ルカの内部を熾烈な怒りの 波動が駆け抜けた。何故この様な感情が自分の意識をかき乱すのか、ルカには 解らない。何故自分はあれ程までに、あの青年が欲しかったのか。自分の力に 屈服させたかったのか。


 ―――― 手に入らないものなら。


 ルカは己の剣を静かに鞘から抜き放つ。
「―――― 来るぞ!」
 フリックが短く叫び、彼等はそれぞれ武器を構える。俊敏極まりない仕草で ルカが斬りかかってきた。その相手は、ユーライアを隙の無い仕草で構えてい たカミューだった。まるで他の者を気に留めぬかの様なその行動に、カミュー が一撃で命を失ったか、と思わずフリックは胸の内で思ったほどの、それは 激しい一撃だった。
「―――― くっ・・・・」
 ルカが小さく不満げに呻く。重なり合うそれぞれの剣が、乾いた音を響かせる。
 マイクロトフがダンスニーを以って、その強靭な刃を防いでいた。目にも止 まらぬ程の、その早い攻撃を防ぎ遂せたマイクロトフの引き締まった顔に、 微かに猛々しい微笑が浮かぶ。
「・・・貴様如きに、カミューを傷付けさせはしない!」
 剣を交わらせ、極めて近しい位置からマイクロトフの顔を睨み付けたルカの 瞳に、狂気を含んだ憎悪と怒りの炎が揺らめく。
「図に乗るな、虫ケラの分際で!」
 ルカの刃はマイクロトフに向かって振り下ろされた。身を翻し、それから 逃れるとダンスニーを一閃させる。剣が激しい金属音を立てて交わる度に、 闇の中に火花が飛び散った。
「その程度の腕で、よくぞふざけた口を叩けるものだ」
 哄笑し、猛々しく剣を振るいながらルカが言う。
「貴様こそ、俺を斬れないままではないか!」
 激しい応酬に毒気を抜かれていたフリックが、ようやく我に返った。
「マイクロトフを援護するぞ!」
 フリックがオデッサを手に、素早く駆け出した。カミューもまたユーライア を強く握り締めて参戦すべく、駆け出す。
 絶対に、負ける訳にはいかない。マイクロトフを死なせはしない。絶対に。
 そのために、彼を討つ。彼には何人たりとも救いを与えることなど出来ない。 ただ、魂を天に返すことでしか、彼は救われない。母の元へと還すことでのみ、 ルカは救われるのだ。


 ―――― 私は彼に救いを与えることを欲しているのだろうか・・・?


 ・・・脚が重い。巧く歩けない。初めて戦場へと馳せ参じた時から、現在に 至るまで一度も感じた経験が無いものが、自分を苛んでいた。長年身に纏ってきた この甲冑が、これ程に重く感じたことは無い。
 間もなく訪れる確実な未来として、ルカは自分が死ぬことを悟っていた。 体のあちこちに鈍痛が走り、白い甲冑は自らが流した血に赤く染まっている。
「・・・くだらぬ・・・この世界も・・・」
 自らの心に在るのは、奇妙な安息だった。間もなく全てが終わる。思うが ままに生きた生が。もう穢れた大地を清める必要もない。母を汚した連中を 全て葬り去ることが出来なかったのはやや残念だったが、それすらも最早 自分の意識を捉えることは出来ない。
 蛍を殺さなかったのは、その光にある記憶が触発されたからだった。
 母と共に、その光を見詰めた記憶。白い優しい手と、穏やかな声の記憶。
 ―――― 常に毅然と自分を見据えた瞳。しなやかに白い肌。端正に整った、 美しい顔立ち。
 手に入れたかった。由すら定かでは無いまま、あの青年を、あの青年だけを。 妹を守るより他、何一つ欲しいものなど無いこの世界で、ただ一つだけ欲しい と思ったものだった。
 母が凌辱されている姿を見たあの日から、自分の内部を浸し続けてきた憎悪 が、最早微塵も存在し得ないのに気付く。
 悪くない気分だった。俺は俺の思うままに生き、そして死んでいく。所詮 行き付く先は地獄とやらだろう。それを恐れてはいない。自分は幾千人もの 命を奪い、そして復讐を果たした。ただ、あの得体の知れぬ青年に妹をくれて やることだけが小さな危惧となって身の内にあった。
 いざとなれば、あの男を殺してでも生き延びろ、と胸の内で思う。お前を 残して逝くことだけが、小さな棘となって自らの内部にある。これからは誰が お前を守るのだろう。



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