Shadows Of The Past, Victim Of The Future
翌日、平然としてジルが部屋を訪れた時、カミューは内心驚かずにはいられ
なかった。誰もが恐れる彼の命令も、妹には何ら効果が無いらしい。
「・・・皇子に叱られますよ」
「私のことは、絶対に叱りませんわ」
にっこりと微笑んでみせる。邪心の無いその笑顔を見ている内に、ためらい
つつも問うてみる。
「・・・非礼を承知でお伺いしたいのですが。昨日おっしゃっていたのは、
どういうことですか?」
話したものか否か、微かに躊躇する気配が垣間見える。やがて彼女は意を
決した様に話し始めた。
「男の方に、こう申し上がるのはどうかと思ったのですけれど、カミュー様
は似ていらっしゃるのです」
「・・・皇子の亡き友、などでしょうか?」
「いいえ。・・・ごめんなさいね、私達のお母さまに、ですわ」
さすがに二の句が告げなかった。女顔だと言われることは確かに有ったが、
女に似ている、と称されたことは無かったからである。
「勿論、男の方ですからお顔などは違います。ただ、その凛とされた雰囲気
と・・・瞳はそっくりですわ。たまにきつい目を為さった時は、本当に似て
いらっしゃるの」
懐かしそうに自分を見詰めるジルに対して、手酷い一言は言えない。成る程、
だから彼女は足繁くこの部屋に来たのだ。カミューを見詰める瞳に、相手を
大人の男と意識していない表情が浮かんでいるのには気付いていたが、こう
いう事情であったのか。
「・・・あの・・・ごめんなさい・・・私、小さい時にお母さまが亡くなって、
とても淋しくて・・・カミュー様を見ていると、とても懐かしい方にお会い
出来た様で、嬉しくて、でもカミュー様は男の方なのに、本当にごめんなさい」
「いいえ。私の様な者の顔が、たとえ一時でもお慰みを与えることが出来るの
でしたら、騎士としてこれに勝る光栄はございません、皇女様」
うやうやしくこうべを垂れてそう口にすると、花が咲く様にジルが笑った。
王の執務室に足を運んだルカは、アガレスの姿が見い出せぬことを不審に思
い、キバに問うた。
「―――― あの爺は何処へ行った?」
「・・・サラ様の墓参に行かれた、との事でございます」
「その資格も無いくせに、よくぞ毎度母に逢わせる顔が有るものだ。あの厚顔
振りは、有る意味で賞賛に値するな」
「ルカ様、アガレス様はサラ様のことを今でも変わらず愛しておいでです。
どうかあのことは・・・」
最後まで言い終えることは出来なかった。瞳に激しい炎を宿し、ルカが
それを一蹴したからである。沈黙を余儀なくされたキバに、むしろ静かな口調
で言う。
「あの時は世話になったな、キバ。腑抜けの父に代わってお前が来なければ、
俺は今頃こうして生きてはおらぬだろう」
「・・・ルカ様・・・」
「だからこそ、俺はあやつを赦すことは出来ぬ。お前が奴に忠誠を誓うの
なら、今の内に俺を殺せ。でなければ、いつか必ず俺が奴を殺す」
「―――― 私の望みは、お二人が和解されることでございます、殿下」
衷心からの言葉に、ルカは哄笑した。
「たとえ天が落ちたとしても、その様な日は来ぬ」
身を翻したルカに、慌てて声をかける。
「ルカ様。マチルダ騎士団から正式に捕虜交換の申し出が届いております。
そろそろお遊びをお止め頂きませぬと・・・」
猛々しい笑いを刻んで、皇子が言う。
「あれは俺の獲物だ。そう容易く返すと思うか?そうマチルダの腰抜け共に
言っておけ。返して欲しくば、実力で取り返しに来い、とな」
まさかその様に言う訳にもいかないので、キバは大きく溜息を吐き出しなが
ら、長身の後ろ姿を見送っていた。
子供の頃は、穏やかな気性の少年だった。母を愛し、父を愛する、呆れる程
に心優しい少年。
あんな事さえ無ければ、おそらく彼は優し過ぎる名君となったことだろう。
宵闇が城を包み始めた時刻のことだった。その日、昼間に姿を見せなかった
ジルは、小さな箱を手に現れた。
「ごめんなさい、今日は外に出掛けておりましたの」
「お気に為さらず、皇女様」
別に約束をしている訳でも無いのに、と苦笑しながらカミューは言う。彼女
のこんな気遣いは無論不快では無い。
「ご夕食は済みまして?」
「ええ、先程」
「では、宜しいですわね」
蝋燭を消すジルを、いぶかしげに見遣る。一つだけ燭台を残して、ジルは
カミューの横に座した。子供っぽく微笑すると、そっと箱を開ける。
箱の中から、ふんわりと光輝くものが溢れ出てきた。
「―――― 蛍・・・・?」
「綺麗でしょう?カミュー様のお心を慰め出来れば、と思ってお持ちしたのです」
部屋の中をふわふわと漂う蛍を、カミューは感嘆の眼差しで見上げた。
「見事なものですね。勿論、マチルダ騎士団領でも蛍は見れますが、これ
程に美しくはありません」
揺らめく光を、言葉も無く見上げる。美しい光。
「お母さまがとてもお好きだったのです、この光を」
無邪気に笑うジルに、そんなに似ているのか、とふと思う。ここまで無邪気
だと、怒る気にもならない。基本的に「女の様だ」と言われるのは何より
も嫌いであったし、マイクロトフに対してただ一つだけある不満といえば、
初めて出逢った日に開口一番「マチルダでは女の子が戦う必要は無いんだよ!」
と言ったことだ。確かにあの頃の自分は子供であったから、少しはそう見えた
かもしれないが。
寝台に体を横たえて、淡い光の乱舞を見詰めていたカミューは、扉が開放
された音に半身を起こす。室外の光を受けて、床に長身の影を投げかけな
がら、ルカが無言のまま佇んでいる。
呼吸する様に揺らめく夢幻的な光の中、白い寝台に半身を起こしたカミュー
は、我知らず息を呑む程に美しかった。度重なる凌辱にも決して自らを投げ出
すことなく、凛として。正面から自分を見据える瞳には、一点の曇りも存在し
得なかった。端正な顔に、ルカを恐れる表情が浮かぶことは一度も無く、
そしてこれからもそうなのだろう。
毅然としたその態度が、逆にルカの情欲を煽っていることを、カミューは
気付いているのだろうか。屈服することの無い獲物を、猛禽である彼は飽く
ことなく貪ろうとするのだ。
シーツを欺かんばかりに白く透き通る体を、乱暴に押し倒しながら、ルカは
自らの内部に燃え上げる焔の存在を意識していた。紅蓮の焔。何もかも焼き尽
くす、貪欲なその緋色。最後には、この焔が自分自身をも焼き尽くすものであ
ることを、ルカは知っている。
「―――― お前は何故自ら命を絶とうとはせぬのだ?これ程の屈辱を受けて
いながら?」
耳元で、囁く様に征服者が言う。カミューは即答しなかった。ややあって、
静かな声が解答を紡ぐ。
「―――― あなたに抱かれる度に、私は恋人のことを思い出すのです。それ故に、
何としても生きて帰ろう、と思うのですよ。彼の腕の中に戻るためにね」
端正な口元に微笑を湛えて、カミューはルカを見上げている。揺らめく
光がその顔の上で踊る。強く、弱く、ふわふわと。
「・・・可愛げの無い奴だ。二度とそんな口を叩けぬ様にしてやろう」
誰一人として、自分にこんな口を叩く者は居ない。殆どの者は、逆鱗に触れ
ぬことだけを考えながら、媚びた笑顔を自分に向けるだけだ。キバやジルの
様に、衷心から自分を案じてくれる人間は片手に余る程しかおらず、ルカ
自身それを全く苦にしていなかった。
いかに屈辱の限りを尽くしても、決して自らに屈服しないカミューを見て
いるのは、残酷な喜びを自分に齎す。自分の足元にひれ伏し、哀願する姿を
見てみたい、という激しい欲望を。
貪る様に激しく唇を覆われる。舌が侵入し、口中を這う。さながら恋人同士の
口付けの様に。甘い感覚を齎すその行為に、カミューの意識が一瞬曇る。
手が静かに降りて、ゆっくりと衣服を脱がせていく。いつもの様な、乱暴な
仕草ではない。唇から喉へと滑り落ちる舌。耳朶を軽く噛まれて、カミューの
白い体が波打った。
「―――― 何の真似ですか・・・?」
「―――― 屈辱というしろものは、踏み躙るだけでは無い」
小さく笑ってルカが言う。再び重なる唇。抵抗を封じる腕。喉を滑り落ち、
白い肌に赤い印を残していきながら、ルカの唇が降りていく。こらえきれず、
呼吸が荒くなる。白いシーツを堅く握り締めている手が、大きくそれを引き
寄せる様にしてもどかしげに動かされる。
カミューは決してルカの背を抱かない。どれ程の苦痛の中でも、蹂躙する
者の背に手を回すことは無かった。それは或る意味で、最後の抵抗だった。
夜毎に、幾度となく蹂躙され、汚されても、決して屈服しない証。カミュー
のその心の動きに、無論ルカは気付いている。そうと知って、その最後の矜持
を残酷に踏み躙る為に、彼はカミューをこうして抱いている。
―――― さながら、恋人同士の情事の如く。その中に耽溺させるという
屈辱を与えるために。
ルカの唇が滑り落ちて、赤い刻印を残していく。舌が自分の肌を滑る度に、
カミューは小さく体を震わせる。声を出すまいと、必死に手繰り寄せたシーツ
を噛み締める。
その仕草に、ルカが薄く笑った。
「・・・声を出したらどうだ?」
征服する者故の、猛禽めいた微笑。返答を紡ぎ出す代わりに、カミューの
端正な唇が堅くシーツを噛み締めた。
嘲る様に嗤うと、ルカは手を伸ばして乱暴にシーツを引き剥がした。片手で
カミューの両手首を掴んで抵抗を封じる。
「―――― お前がその矜持を手放す様は、さぞ見物だろうな」
耳元に唇を寄せて、ルカが囁いた。
恋人への愛情が故に、カミューが決して自ら死を選ぶことが無いのであれば。
引き裂いてやりたい。烈しい程に清冽な、その愛情を。傷付けてやりたい。
彼にまみえることを恥じ入る程に。
呼吸する様にふわふわと、蛍の光が室内を静かに照らし出している。
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