Shadows Of The Past, Victim Of The Future


 何ら武器を持たぬ女子供をも傲慢に殺戮していくあなたには、決して理解 できぬものを、自分は守っている。
「―――― それを守るだけの力量が無くば、強者に蹂躙されるだけだ」
 明らかな嘲笑を浮かべながら、ルカが言う。
 決して自らに服従しようとしないカミューの潔さは、ルカにとっては逆に 満足いくものであったらしい。更に乱暴に蹂躙される。
 この屈辱から自分の精神を救うのは、青い軍服を身に纏う真摯な青年の姿 を脳裏に浮かべることだけだった。
 絶対に、自ら死を選びはしない。彼の姿を再び視界に映し出し、その体温 を感じ、声を聞くまでは、絶対に死ぬものか。どれ程の屈辱を味わおうとも、 絶対に生きてマチルダに帰ってやる。
「―――― くっ・・・!」
 激しく突き上げられて、苦痛に思わず美しい唇から呻き声が漏れる。その 事実を忌む様に、自由を与えられた手を自らの口に持っていくと、カミューは 強く自分の指を噛んだ。形の良い眉を寄せて、歯を強く噛み締める。その指 から血が滴り落ち、白いシーツに赤い染みを作った。
 激しい苦痛の中、カミューは絶頂を極めることなど無論無く、またルカ自身 快感を与える気は露程も無かったらしい。ルカが達したことにより、ようやく 解放された時、カミューはとうとう何ら快感を感じないままだった。
 荒い呼吸を繰り返して、カミューは白いシーツに体を無防備に投げ出して いた。乱暴に押し入られた痛みが、鈍痛となって自分を苛む。それでも、 誇りを手放してはいない自分が居た。
 ルカは体を起こすと、自らの手に落ちた獲物を見下ろし、口元だけで嗤った。
「―――― なかなか具合が良いぞ、お前。もうしばらく楽しませて貰うとしようか」
 体を投げ出しているカミューに覆い被さって唇を重ねる。その感触を意識の どこかで捉えながら、カミューはマイクロトフの声を思い出していた。


 その晩の内に、カミューに王宮の一室が与えられ、逃亡を阻止する為にと片 方の足首に鎖がかけられた。一通り生活する為に必要なものは部屋に全て揃え られ、その場所から出ることは決して許されなかった。
 毎晩ルカはその部屋を訪れ、そしてカミューを抱いて帰っていく。これでは 愛人も同様ではないか、と自虐的な思惟が沸き起こる。
 帰りたい。マチルダへ、お前の元へ。


 ハイランド王国の皇女ジル・ブライトは、母親譲りの美貌に優しい気性を 併せ持つ少女だった。表立っては決して口にする者は居ないが、穏健派の中に は彼女が女王に即位して、ハイランドを継ぐことを望む者さえ居る程である。
 彼女はただ一人の兄である、ルカ・ブライトの凶行に、常に心を痛めていた。 村を丸々一つ虐殺し、挙句に火を放つのは、明らかに常軌を逸した行為であり、 兄の取る行動そのものが、繊細で優しい彼女の心をいたく傷付けていた。
 誰もがルカの暴虐を免れ得ない中、ジルはたった一人その中から除外される 人間だった。十歳以上離れた兄であるルカは、妹に手を上げるどころか、怒鳴 り付けたことさえ無い。ジルを生んで数年後に母親が亡くなったことも影響 しているのか、ジルに接する時のルカは、傍目から見ても良き兄以外の何物 でもなかった。
 花が好きなジルの為に、戦場で虐殺を繰り返した帰路に花を摘んでくること もあった。馬に乗りたいと駄々をこねた自分を一緒に乗せてくれた時に感じた、 絶対的な安心感。自分を抱き上げてくれる、強い腕。兄はいつでも自分の我侭 を聞き入れてくれた。
 ジルにとってルカは、優しくて強い、大好きな兄だった。兄の後をいつでも 追い続けていた子供の頃。
「―――― ルカ兄さま・・・」
 今から戦場に赴く時でさえ、ジルがそう呼びさえすれば、兄は必ず足を止め て振り返り、彼女が駆け寄るのを待っていた。


 兄が自分以外の人間にかくも残酷であることを知ったのは、いつ頃だったろう。
 命乞いをする民間人を虐殺し、幼い子供でさえも平然と首を斬る、と知った のはいつだったのか。
 止めて欲しい、と幾ら嘆願しても、ルカは聞き入れなかった。
「ジル、この世には支配する人間と、支配される人間が居るのだ。俺は支配 する人間だからな。弱者の生殺与奪の権利を俺が握って何が悪い?」
「でもお兄さま、弱い人間も生きたいものですわ。わたくしだって、何の力も 持っておりません。私も殺されねばならないのですか?」
「―――― お前は俺が守る。心配することはない」
「どうして私にして下さる様に、他の方に優しくして頂けないのですか?」
「そんな必要は無い。この話はこれで終わりだ、ジル」
「―――― お兄さま・・・!」
 何と自分は無力であるのか。無辜の民が実の兄によって蹂躙され、虐殺されて いるというのに、それを止めることも出来ない。
 兄は自分にのみ、心を許しているというのに。


 常々そのことに悩んでいたジルは、マチルダ騎士団の捕虜がルカによって監禁 状態にある、と聞いた時、即座にその方を解放して差し上げなくては、と強 く決意した。自分付きの侍女に監禁されている場所を探らせ、兄が遠乗りに 出掛けてすぐにその部屋を訪れる。ルカに申し付けられた衛兵が扉の前で警護 していたが、ジルの命令には逆らえなかった。


 扉が開放され、てっきり皇子が入ってくるものと思っていたカミューは、扉 の前に少女が呆然と佇んでいるのを視界に映し出して、思わず言葉を失った。
 1週間前に囚われの身となって以来、破かれた軍服の代わりは与えられて おらず、片足には重々しい鎖が巻き付いていたので。
 とりあえずシーツを巻き付けている格好で良かった、と内心安堵する。
「―――― 皇女様の前で失礼致します。本来なら、礼を尽くすべきなのでしょ うが、この様な状態ですので、お許し下さい」
 その言葉に我に返ったジルは、慌てて後ろ手に扉を閉めると、ようやく言葉 を口にした。
「私・・・てっきり女の方がいらっしゃるのかと・・・でもまさか・・・男の 方だなんて・・・」
 何と反応したものか判断しかねて、カミューは苦笑しているより他無かった。 さて、この少女は自分の存在をどの様に聞いてきたのか?兄が気に入った捕虜 に一室を与えて監禁し、暴虐の限りを尽くしている、と聞いてきたのだろうか。
 少女は哀しげに目を伏せると、はっきりとした口調で宣言する。
「ご心配なさらないで下さいね。兄にあなたを逃がして下さる様、お願い しますわ。こんな酷いこと、どうしてお兄様は・・・」
「ジル様、でしたね。女性に御迷惑をおかけする訳にはいきません。私の ことはお気に為さらずとも結構ですよ」
「いいえ、そんな訳にはいきません。他に何か私にできることはございません でしょうか?」
 少女の真摯な眼差しは、懐かしい彼の瞳をふと連想させる。
「・・・では、お言葉に甘えて、何か服を頂けませんでしょうか。正直、風邪 を引きそうなのです」
 カミューの言葉に、ジルは耳朶まで赤く染めながら、小さく頷いた。
「は、はい。すぐお持ちします」
 小鳥を思わせる仕草で慌てて出ていった少女に、兄との相似は殆ど見受け られなかった。残酷な気性の兄、慈愛に満ちた妹。強いて言うなら髪の色程度 だろう、血の繋がりを感じさせるのは。それ以外に、彼等は何一つ似ては 居ない。
 やがて両手に一杯の洋服を抱えて現れたジルは、困った様に微笑しながら それを差し出した。
「サイズが合わないかもしれませんけれど、どうぞお召しになって」
「御迷惑をお掛けしましたね、姫様」
「いいえ。もう少しの辛抱ですから、頑張って下さいませね」
 やがて彼女が出ていった後、とりあえずシャツを着る。やや大きかったが、 何も身に付けていないよりはましだった。
 その夜、部屋を訪れたルカは、シャツを身に付けているカミューと、床に 置かれた他の衣類に一瞥をくれ、不機嫌そうに呟く。
「・・・ジルが来たのか」
「・・・良くお解りになりましたね」
「こんな真似をするのは、あいつしかおらぬ」
 ベットに尊大な態度で座り込みながら、天井を睨みつける。カミューはそれ を不思議な気持ちで見下ろしていた。これほどの殺戮者が、何故ただ一人妹 だけを許すのだろうか。王位継承権を持つ彼女を、女王にと擁立する動きも ある筈なのに。
「・・・あなたは、ジル様にだけはお優しいのですね」
「・・・当たり前だ。あれは、俺のただ一人の肉親だからな」
 父親は何故守る対象にならないのだろう。それは奇異に思える。
「―――― ジルに手を出してみろ。殺してくれ、と哀願したくなる程の目に 合わせてやるからな」
 明らかな狂気を目に宿して、だがそれは或る意味では確かに兄としての 愛情だった。
「肝に命じておきましょう。その前に、私を今この場で殺せば、その心配は 無用になりますよ」
 形の良い唇にやや皮肉な微笑を刻み付けて、カミューはそう言った。
 その言葉に、ルカは哄笑する。カミューの顎を持ち上げ、その瞳の奥を 覗き込んで唇を重ねる。
「・・・飽きるまでは、お前を手放さぬ。猛禽を籠に繋いで、その牙を手折る のは、なかなか愉しいものだからな」
「・・・猛禽は、あなたの方でしょう、皇子」
 自らの上にのしかかる体重を感じながら、カミューはそう答えた。


 朝が早いことで知られた、マチルダ騎士団青騎士団長の青年は、ハイランド と国境沿いで赤騎士団が小競り合いを起こして後、殆ど一睡もしていない らしかった。
 どちらが勝利するともなく撤退命令を下し、山の中であった為に十分な 退路が確保出来なかったのである。赤騎士団長たる青年は、自ら最後尾を 守る任に就き、部下の撤退を援護し続けた。王国軍は退くと見せかけて攻勢に 転じ、赤騎士団長は勇戦するも多勢に無勢であり、捕虜となって連れ去られた のだという。
 その報せを受けた直後、その誠実な人となりで部下に信頼される青騎士団長 は、無言のまま立ち上がった。
「マイクロトフ様!何を為さるおつもりです!?」
「知れたこと。カミューを助けに行く」
 その言葉を半ば予想していたのだろう、側近の一人が両手を広げて扉の前 に立ち塞がり、マイクロトフの行く手を遮った。
「邪魔立てするな!」
 珍しく部下に怒号を浴びせ掛けたマイクロトフに、側近を務める年長の男は、 はっきりとした口調と表情で彼を窘めた。
「ご自分の立場をお考え下さい、マイクロトフ様!一兵卒ならいざ知らず、 青騎士団の長ともあろうお方が、前後の見境もなく御自分の責務を放り出し、 ハイランドに単身で乗り込まれるおつもりか!カミュー様もさぞお嘆きにな りましょうぞ!」
 正鵠を射た発言であり、マイクロトフは一瞬叱られた子供の様な表情を 垣間見せた。叱った側の男は大仰に溜息を吐き出すと、静かな口調で続けた。
「カミュー様の地位から考えましても、殺されることはまずございません。 かくなる上は、ゴルドー様に捕虜交換の申し入れをお願いするのが、一番の 得策でございましょう」
「そう悠長に構えていられるか!?ハイランドにはあのルカ・ブライトが居る のだぞ!?」
 再び激昂したマイクロトフを静かに窘める。
「―――― マイクロトフ様」
 視線を伏せると、マイクロトフは軽くかぶりを振った。
「―――― 少し一人にしてくれ」
 部屋を静かに退出して後、マイクロトフを制止した側近に、別な男が話し かける。
「こんな時、止めて下さるのは他ならぬカミュー様ですからね。無論マイクロ トフ様のお気持ちも痛い程解りますが、御自分の立場をいうものを少しは考え て頂きたいものです」
「・・・そうだな。地位が上がるということは、自らの思いつきで行動しては ならぬ、という責任も伴うものだ。それを少しお解り頂かないと」
 これを機会に、一人で遠乗りに出掛けたり、視察に行く癖をお直し頂けれ ば、とも思う。カミュー様と二人で出掛けられる時もあるが、赤と青、二つの 騎士団長が揃って出掛けてしまうことは、決して喜ばしいことではないのだ。


 地位が上がることを望んでいた訳ではない。ただ、子供の頃からマチルダの 誇り高き騎士に憧れていて、その一員になりたいと思っていただけ。剣を 振るうのは好きであったし、自らを高めていきたいという望みでもあった。
 それは地位がいと高きものになっていくことに直結し、戦場で武勲を重ね、 気付いた時には青騎士団を率いる身の上となっていた。同じ日に騎士見習と なった、誰よりも大切な青年もまた赤騎士団を統べる地位に就いた。
 初めてその顔を見た時は、まだ少年の時分であったから、てっきり女の 子なのだと思った。うっかりそれを口にして、彼を怒らせてしまったのも、 今では懐かしい記憶である。もっとも、カミューの方では未だにそれを根 に持っているらしいが。
 マチルダでは、女子供が戦場に出ていくことは決してない。戦うのは常に 男であり、弱き者を守るのは騎士の誇りであった。その一員であることは 誇らしかったし、尊い精神を決して汚してはならぬ、という自覚も常に 自らの内に存在している。
 体格に今一つ恵まれなかったカミューは、力で勝つことに早々に見切りを 付け、剣を扱う技術を向上させることで、勝つ術を得た。何一つ無駄の無い、 流麗な戦い振りは、マイクロトフでさえ見惚れる程に華麗だった。
 その戦い振りと洗練された身のこなし、端正な容貌と穏やかな口調、徹底 して弱い者を庇う姿などからに、城下の女性達の間では憧れの的であるらしい。 武術大会などが挙行された折には、騎士団の誰よりも女性の声援が多い。
「弱い者を守るのは、騎士としても男としても当然のことだろう?」
 穏やかに微笑して、彼はいつでもそう言った。
「・・・必ず、助けに行くからな。だから、絶対に死ぬなよ」
 騎士の誇りを守らんと欲してはならない。決して。
 必ず俺が助けに行くから。たとえ、この地位を放り出すことになろうとも。
 逢いたい。
 今すぐお前に。この腕でお前を抱きしめたい。
 この世界でただ一人、愛するお前を。



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