シュンっと軽い音を立ててドアが開くのと同時に
「入るよっブライト艦長!」
と、弾む息そのままで、許可も求めずに艦長室へと走り込んできた彼を…「一応」上官として
「そう慌てるなアムロ大尉…それと此処は最高上官の部屋なのだからな…いきなりの入室はないだろう?」
と今更のように注意する。
「ああ、それは悪かったよ……で?アレ、来てるんだろう?」
ブライトの座るディスクに回り込み、座る彼のすぐ側に立って専用パソコンの画面を覗き込んだ。そんなアムロの様子に軽く溜息を付いて、モニター画面を指差す。
「ああ…レグノ社からの新発売の子供用玩具についてのアンケートを取る会員専用メール……これだな?」
「そう…ちょっと借りるね」
キーボードの上を流れる様にアムロの指が滑って行く。ピピピ…と軽快なリズムを刻んでいるその音は、アムロの心情をそのまま表しているようにブライトには聞こえた。
「選りに選って…秘密の恋文に俺宛のメールアドレスを使うとはなあ」
「悪いとは思っているよ?でもブライト大佐宛のモノが一番チェックが甘いからさ…まあ念には念を入れてってね…そんなに簡単に引っ掛かるような処理はしてないけど……うんっ開いた」
目的の場所まで達した画面をじっと見つめているアムロの頬に幾分朱が増した気がする。熱い愛のメッセージでも付け加えてあったのだろうか?
「……いつになる?」
「…アンマン市に来月3日……予定通りだよ」
「そうか…解った…月行きシャトルのチケットを手配しなくてはな」
「うん…ありがとう…本当に迷惑をかけるね…ブライト」
自分が亡命した後にこの友人に多大な迷惑がかかってしまうのではないか…というのが今一番の心配事だった。しかし当の本人は
「何も気にするな。伊達に大佐まで上り詰めてはいない。こう見えても今の俺にはかなりの権限も与えられているのだからな」
と軽く応えてくれる。その気遣いは今のアムロには確かに有り難かった。
「取り敢えず正式に決起の日が決まったところで…今夜は二人で祝杯を挙げるか」
彼は心からの笑顔と共にアムロを見つめ、アムロもまたそれに笑顔で応えた。

 

ラー・カイラムの士官用ラウンジ内にあるバーには、艦長とMS隊隊長が2人だけで居る時は絶対に誰も入ってこない。下士官の間にいつの間にか出来ていた暗黙のルールらしい。妙な特別扱いにいつもは少々不満を感じていたルールも、今夜は素直に歓迎している2人であった。
「取り敢えず20代ギリギリでついに結婚するお前に乾杯!…だな」
「…何だよそれ…嫌味?」
アムロはわざとらしく頬を膨らませてグラスを合わせる。チンと心地良い音が響いた。一口煽ってから、手元のグラスの中をじっと見つめる。
「……凄い無責任な卑怯者…だよな…俺…」
ブライトにとって予想通りの言葉をアムロは呟いた。
「今の仕事も責任も…何もかも捨てて『男』に走るなんてさ…とんだ色ボケの最低野郎だよ…」
「そこまで自分を責める事ではないぞ…アムロ」
ブライトの持つグラスの中の氷がカラン…と響く。
「人の価値判断は個人それぞれなのだろうが…俺はお前のその勇気に敬意を表する」
「そうかな?…ブライトの方が余程勇気があると思うよ、俺は」
「…俺が、か?愚痴を散々言いながらも結局は『連邦軍』という檻から抜け出す事も出来ない情け無い男だぞ?」
「家族や部下の為に『留まる事』が凄い勇気だと思うんだよ…俺は結局逃げ出しちゃうしさ」
「俺とお前では立場がまるで違うさ…俺は士官学校から軍人になる道を選んでいるんだ…連邦軍軍人で居る事は俺の単なる意地みたいなもんだ。だがお前は違う。成り行き上仕方なく軍人になったんだ…だから逃げ出す事が出来る立派な勇者様さ」
その言葉にアムロは微かに笑った。
「今夜は随分と甘いよなあ…ブライト艦長は」
「まあ俺も鬼じゃない。最後くらいは褒めて送りだそうかと…な」
二人は互いの顔を見つめて笑い合い、グラスを同時に煽った。

「実際…お前は凄い『勇者』だよアムロ…あのシャア・アズナブルを変え、そして戦争を止めたんだ…それは充分に誇りとして良い」
その言葉に弾かれる様に彼を見つめ直す。カウンター席で並んで座っている為、ブライトは正面を見つめたままであったが。
「…それは違うよ…ブライト」
アムロはやんわりと否定をし、グラスを揺らした。
「俺がシャアを変えたんじゃない…シャアは元々そういう事が出来る人なんだよ…少しだけ道を間違えていたんだ…それだけさ」
ブライトはゆっくりとアムロに向き直る。
「……つくづくなあ……お前……」
「?…何?」
キョトンとしたアムロのその表情に対しても、かなり呆れた様子でブライトは溜息混じりに呟いた。
「お前はホントーにっっ…シャアに惚れ過ぎだっっ!あの男のいったいドコがそこまでお前に惚れさせるというのやらっっ」
感情に少し怒りさえも混じってきたぞっっ…と自覚する。
「ううーん…だってシャアは優しい人だよ?『クワトロ大尉』と一緒に居たブライトも良く知っている事だろう?」
「そういう意味じゃなくてだなあっっ!」
「…惚気て良いって言うなら…いくらでも言うけど?」
アムロのその琥珀色の瞳の中には明らかな悪戯の色があり、ブライトは自分が完全に乗せられてしまった事にやっと気付いた。
「……ホントやるようになったな…お前も」
「いつまでも10代の子供と思っているブライトが悪いのさ…で、何でシャアに惚れたのか言っていいんだよね?」
嬉々とした感情に彩られているその口調にウンザリとした様子で降参する。
「ああ…もう何でもかんでも言ってくれよ…全部墓場まで持っていってやる」
「ありがとうっ…こうでもしないとちゃんと聞いてくれないだろうからね…共犯者のブライトにはちゃんと知っていて欲しい事だから…さ」
ふと顔を上げて見つめ直したアムロ表情は…決して戯けてなどいなかった。

「俺が惚れたトコロは…あの人の優しさと強さと弱さと脆さも全部含めてだけど…一番は誰よりも凄く素直に『アムロ・レイ』を求めてくれるトコ…かな?」
「……一番惚れた場所は『顔』じゃないのか…」
「…言いたい事はよーく解るけど…敢えてそれは言わないぞっ!」
キツい視線を送ってくるアムロにブライトはわざと戯けた仕草で手を拡げて見せた。
「…シャアはね…俺の全てが欲しい…んだってさ。俺のパイロットとしての能力も才能もライバルとしての立場もニュータイプ能力も…そしてこの身体も心も魂も全部…何もかもその存在全てを自分だけのモノにしたいって」
「お…おいっアムロ…それは…」
少し青ざめてきたブライトにアムロは微笑を向けて、グラスを一口煽った。
「…という強い感情が抱かれる度にもの凄い勢いで流れてくるんだよ…普通の人間だったらホント耐えられないだろうなあ」
「そ…そうか…」
「そしてやっかいな事にその激情を受ける度に…俺も同じ事を思ってしまうんだ…『シャアが欲しい』って…俺も『シャア・アズナブル』を心から求めてしまう…彼の全てを自分の中に入れて溶け込ませたい…と考えるくらい」
カラン…とどちらのグラスからともつかない氷の音がした。
「シャアが自分の全てを求めてくれるというなら…ならば俺は…シャアに全部あげよう…と思ったよ。俺の全てをシャアにあげちゃって…そして俺はシャアの全てを貰うんだ…俺達のセックスはそういう契約を結んだ気分」
「…ふむ…究極の『愛』…か?」
「さあ…どうだろう?」
クスクスと悪戯っぽくアムロは笑う。
「確かに俺はシャアを『普通に』も愛している…よ。でもこの激情は愛とか…そういう言葉や形じゃなくて…何なんだろうね?上手い表現が思いつかないのだけどね…」
ふーむ…とブライトは顎に指を掛けて考えていたがふと思いついた様な動作をした。
「…そうか……シャアはアムロの中に還りたがっているんだな…そしてアムロはシャアの全てを自分の中に取り込みたいと…」
アムロはその言葉に大きめの瞳を更にパチクリとさせた。
「…シャアが俺の中に還ってどーするのさ?」
「そりゃ当然産み直して欲しいんだろう?お前に…」
ブライトは意を得たりっと得意げな表情で言い放つ。
「…それあまりにもキツい冗談……俺に子宮は無いんですけどぉ?」
「お前は『あの』シャア・アズナブルを変えて、おまけにプロポーズまでさせた人間だぞ?もうそれだけで既に奇跡の神業だっ…そのうち昔の聖人の母親みたいに右脇下から出産出来るかもしれんっっ」
「………あのねえ……ブライト……」
酔ってきた?と思いっきり眉間に皺を寄せて、アムロは「白い象の夢見たら要注意だぞっ」と陽気に笑う伝説の艦長を呆れ顔で見つめた……

魂と肉体の半身…とかいう言い方もあるけれど…俺とシャアはどうなんだろう?俺の魂の半分はシャアじゃないと思う…多分……「彼女」だ。
そう思っている。本当なら一つで産まれるべき魂が分けられた…というのなら……
ではシャアとは…いったい何なのか…未だに良く解らない。
ブライトの言う、シャアが自分の中に「還りたい」という感情は少し合っているかもしれない。
…確かに抱かれている時にそう感じる時があった。
でも自分は男だし、シャアの母親にも…誰の母親にもなれないはずだ。
これから結婚して「妻」となるのは確かだが…シャアが「男の妻」の自分の存在をどうしたいのか…いったいどこまで何を求めているのかは…これから知ること…なのだろうか……

「まあ…取り敢えず夫婦になるんだ…深く考える必要はない」
先輩ブライトはあっさりと言ってのけた。
「夫婦ってモノは…あーだこーだの決まり事は必要ないのさ。愛とか運命とか…ややこしく決めようとすると大抵関係は壊れるものだ」
「…そういうものなのか?」
何故か自信ありげに大きく頷くブライトに…アムロは思わず背筋が伸びた。
「取り敢えず必要なモノは一つ…相手を『信じる事』だ…それは出来るだろう?アムロ」
「そりゃね…信じたから…あの人のトコロへ行くんだし…」
彼のその穏やかな笑顔を見て…伝説の艦長はやっと心の奥から安堵感を覚えた。
「でもまあ…お前の旦那になるヤツは、その『愛』とか『運命』とかにやったら拘りそうなイメージがあるなあ…適当に流して於けよ?」
それが無難だぞ、と念を押してくるブライトに「確かに」と苦笑してアムロは応えた。

二人でボトルを一本開けて、そろそろお開きにするか…という時に
「アムロ」
と声を掛けられ、ふと顔を上げると…ブライトの腕に肩を掴まれてそのまま引き寄せられた。
「…これからのお前の苦労を思うと…頑張れよ…なんて言葉を安易に掛けてはならん気がするが…」
「………」
「お前のその覚悟を…俺は心から応援する。喩えこの先どんな事があっても…お前の味方が此処に一人は居る事を絶対に忘れないでくれ…」
そっと髪を優しく撫でる感触に…我慢していた目元が熱く潤む。
「…うん……」
こんなに長い付き合いなのに、彼から受けるハグは…おそらく初めてだ。そのせいか妙に固い感じがするのが何となく可笑しい。そのまま自分も腕を彼の背中に廻して抱き付く。
「本当にありがとう…ブライト……俺…さ…シャアに出逢ってなかったら…」

----もしかしたら…貴方を好きになっていた…かもね……

その告白は声には乗せず…ただ敬愛と感謝の意を込めて、大切な友人の身体を温かく抱き締めた。そしてその彼は全てを解っているとでも言う様に…ただ優しく抱き返してくれたのだった。

 

そして翌日の12月22日……
シャア・アズナブル率いる新生ネオ・ジオンの軍隊がスウィート・ウォーターを占拠し、彼の総帥就任とネオ・ジオン建国を地球連邦政府に対して高らかに宣言をしたのである……

 

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