Alone 
Act.5


 あれはどれ程昔のことであっただろう。一夜、熱い肌を重ね合った後で、ふと 戯れに互いの死にざまについて語り合ったことがある。
 彼等は既に当時、年齢にそぐわぬ程飛躍的に高い地位に在った。
 命の終焉を迎えるとしたら、それは共に戦場だろう、という思惟は、軍人で あるが故に、極当然に自分たちの内部に沈んでいた。己より剣技の優れた者に 対峙した時、戦略を明らかに誤った時、決して抗しきれぬほどの戦力の違いが 歴然としている時。運命の女神は、残酷な程に公正な裁きを下し、その刃の下、 敗者となった自分は冷たい屍となって大地に横たわるだろう。
 彼等は既に、戦場においては多くの部下の命を預かる身の上であった。戦の さなか、指揮官である自分たちの命が失われることは、騎士団の一翼が崩れるこ とを意味する。彼等は自分達の責任というものを、深く理解していた。彼等は その剣技と気性が故に、多くの部下達から無上の信頼を寄せられている。 畏敬にすら似たその感情を受ける以上、同時に彼等に対する責任をも伴う。
 自分達が命を落とした刹那、指揮下にある騎士達は、指揮系統の乱れ故の混 乱を来たし、それ故に多くの人命が奪われることになるだろう。重責を担う身 の上である以上、その様な事態は避けなければならなかった。
 それは明日の戦いで起こることなのか、戦場へと最早馳せ参じる力を失うその 日まで決して自らを拒む出来事であるのか、神ならぬひとである自分たちには 決して解らぬことだった。
 それ故に、ひとたる自分たちに出来ることは、運命の冷たい刃を少しでも遠去 るためにと尽力するのみである。


 ―――― いつかは、どちらかが先に逝くことになる。


 彼等は最早大人であり、それを知っていた。互いの胸の内を苦い想いで浸す この「事実」を、それでも無理に忌諱したことは無い。確実に訪れるその時を、 子供の様に膝を抱えて怯えている訳にはいかないのだから。
 失いたくはないもの。失ってはならないもの。
 それでも、いつかはどちらかが残された側に深い悲哀を刻むことになるのだろう。
 目の前で失うことになろうとも、或いは自らの預かり知らぬ場所で命を天に 還すことになろうとも。
「…どんな時でも、俺はお前のことを考えて死ぬだろうな」
 穏やかな微笑を浮かべて、マイクロトフはそう言った。
「お前の居ない場所でも、お前が先に逝ったとしても、俺はお前のことを考え ながら死ぬだろう」
 …あの夜が何年前であるか、それはもう既に忘却の淵へと投じられてしまった 記憶に過ぎないのに、戯れに語った会話、そして互いの肌が燃える様に熱かっ たことや、人々が寝静まった静かな夜の大気の感覚は、鮮明に自分の内部にあった。
「―――― マイクロトフ、私は…」
 …ゆっくりと、静かに彼は口を開く。



 先程カミューの身体を暖めるために、マイクロトフが新たな木をくべた暖炉 が赤々と焔を上げており、部屋の大気は僅かながら晩秋の寒さを失いつつあった。
 強靭極まりない力を沈めたマイクロトフの腕が、カミューの身体を堅く抱き 締めている。広い肩口に顔を埋める様にして目を閉じたカミューも、みじろぎ 一つしないままだった。抱き締めたカミューの髪の香りを感じながら、マイク ロトフもまた深い沈黙の中にある。
 不意に、マイクロトフの手がカミューの白い頬にそっと触れた。顔を上げた カミューの瞳を、黒曜石の瞳が見詰める。しばしそうして互いの瞳の奥を見詰 めて後、マイクロトフはカミューに口付けた。
 マイクロトフの唇は、冷たかった。おそらく自分も同じ様に冷たく凍えてい るのだろう、とカミューは意識の何処かで思う。唇も、指も、そしてもっと 深い部分が冷たく凍えている。
 ゆっくりと、舌を絡め合う。触れ合った部分から、あたたかな感覚が拡がっ ていくようだった。それは情欲というよりはむしろ、自らの、そして相手の 深く冷たい部分をあたためようと欲しての行動であるかもしれない。晩秋から 一気に冬へと向かいつつある冷たい大気、同じ悲哀と痛み、そういった全ての ものが、二人の心を冷たく凍えさせている。
 それぞれの腕が、何よりも大切なものをかき抱く為に力を孕む。腕が、唇が 触れる度に、その部分がひとの感覚を取り戻していく。マイクロトフもカミュー も、感情を共有したと信じる女たちと肌を重ねた経験を有していたが、こうし て互いに触れる時、今まで感じたどんな感情とも異なるものが緩やかに胸の 内を浸し上げていく。
 時にそれは欠けた部分を補おうと欲する行為であり、甘い情欲を満たすため の灼け付く様な欲望であり、相手に慰撫を与えるために肌を重ねる行為であっ た。自然の摂理に反してまで、何故これ程迄に互いを欲するのか。何故、互い でなければならないのか。かつてそれは、微かな疑問の芽を身の内に育んで いたが、最早その疑問は微塵も存在し得ない。
 これが愛情であれ、友情であれ、必要にして不可欠な存在であることに変わ りはなかった。
 ―――― これは誰に対しても決して恥じ入る必要の無い、深い想いである。
 幾度目かに唇が離れた時、カミューは微かに荒くなった呼吸を繰り返しなが ら、深い感情を宿した瞳で、漆黒のそれを見上げていた。
 マイクロトフの存在は、さながら闇の中に灯るただ一つの灯りの様に、目を 奪われずにはいられないものだった。この男の心が自分の元にある、と知った 刹那の、あの甘い興奮は、今でも鮮明に己の内部に刻み付けられている。
 ゆっくりと、再び唇が重なり合う。カミューの腕が、静かにマイクロトフの 背を抱き締める。


 薄い闇の中で、白い体が大きく波打った。
「……!」
 内部から沸き起こる甘い悦楽に、声にならない叫びを上げる。
 寝室の大気は、冷たく冷えていた。熱く燃え上がる体はそれを感じることは なく、逆に肌を心地良く包み込む。唇を重ね合い、指を絡め合いながら互いの 肌に触れていく。
「…マイクロトフ…」
 端正な唇が、途切れ途切れに自分を抱き締めている男の名を呼び続けている。 柔らかな髪が、紅潮した額に微かに纏わりついていた。
 強いて言葉を交わさずとも、こうして肌を重ね合っている時、互いの心の 動きが手に取る様に解る。今彼等の胸を浸し上げているのは、痛みにも似た感情 の波だった。
 あえて言葉を交わさず、貪る様に唇を重ね合う。マイクロトフの背に腕を 回し、熱く燃えた肌を重ねる様にしてカミューは白い体を大きく波打たせる。
「―――― カミュー…」
 マイクロトフが、低い声で自分の名を呼ぶ。激しい情事のさなかでも、彼は 低く、だが深い情感を込めて常に自分の名を呼んだ。その声音は、カミューに とっては既に深く慣れ親しんだ響きを擁している。
 誰よりも、何よりも大切なただ一人の人間。
 地位も、名誉も、財産も、何一つ確かなものの無いこの世界で、ただ一つ だけ自分の意識を捉えて離さぬ、この真摯な青年。
 ゆっくりと、マイクロトフが入り込んでくる。小さな燭台のみが部屋の隅で 微かな灯りを灯す部屋の中で、カミューの白皙の肌が大きく震える。絡めた 指に力を込めて、マイクロトフはそっと唇を重ねた。
「―――― …!!」
 次第に激しく突き上げられ、白い体を大きく反らせてカミューはその感覚を 享受している。マイクロトフの唇がカミューのそれから耳へ、喉へと滑り 落ちていく。赤騎士団長の礼服に隠される部分に唇を落として、時折マイクロ トフは紅い印を残す。白く滑らかな肌に与えられる感覚に、カミューの体を 激しい程の感覚が走り抜けていく。
 繰り返し押し寄せる悦楽の波の中、それを耐えたカミューだったが、幾度目 かの昂ぶりに、耐え切れなくなった。刺激を与えられていたマイクロトフの 手中に、熱を放出する。
「―――― っ…!!」
 大きく仰け反った白い喉に、唇を這わせる。その感覚もまた、激しい悦楽を いや増していく。耐えきれぬ様に、マイクロトフの背を抱いたカミューの腕が 幾筋かの赤い跡を残す。
 熱い肌を重ね合わせる様にして、マイクロトフは体を密着させた。ゆっくり と、更に奥深い場所を突き上げる。高みを極めたばかりの体が、更に深い悦楽 に大きく波打った。
「…マイクロトフ…!」
 端正な唇から、甘い声が漏れる。
 カミューの内部は、熱くうねる様にしてマイクロトフの欲望を受け入れて いる。
 重ねられる唇は何処までも熱く、そして甘い。
「―――― あっ…!!」
 形の良い眉を寄せて、カミューはその悦楽の中から理性を保とうと欲してい た。それでも、堪えきれずに声が漏れる。濡れたその声音が、マイクロトフ を扇情した。
 更に激しく突き上げられて、カミューのからだに熱が走り抜ける。
「―――― っ!!」
 甘い悦楽の波に浚われて、カミューはそのままふと意識を手放した。



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