Alone 
Act.6


(…それはもう、何度も同じことを聞かされましたのよ。マイクロトフ様は本当に 御立派な方だ、あの方こそ騎士の中の騎士であられる、と何度も何度も…)


 女を送っていった家で、いかにも善良そうな顔をした初老の夫婦は、赤騎士 団長の礼装をしたカミューに仰天し、慌てた表情で娘を問い詰めた。
(お前、まさか何かしでかしたんじゃないだろうね!?)
(いえ、そうではありません。道に迷っておいででしたので、差し出がましい とは思いましたが、お送りさせて頂いたのです)
 人好きのする笑顔でそう告げたカミューに、老夫婦達は安堵の溜息を吐き出す。
 当初堅い表情を崩さなかった女も、カミューが穏やかな口調で話しかけてい く内に、ぽつりぽつりと語り出した。
(…この戦いが終わったら、結婚するつもりでした)
 膝の上で堅く手を握り締め、微かに震えている娘を見遣って、両親が困った 様に顔を見合わせる。
(ライラ、もういい加減におし。お前がそんな調子では、アレクセイだって 心配するよ)
(―――― …)
 はらはらと涙を零す彼女をしばし見詰めると、両親にしばらく二人きりにし ては貰えないか、と真摯な口調で頼み込む。男と二人きりにするということに、 娘の身の上を案じる表情が彼等の顔に垣間見えたが、他ならぬ赤騎士団長の こと、安心だと踏んだのだろう。彼等は温かい飲み物を注いだカップを二つ 部屋に置くと、もう一度娘を励ます様に肩を叩き、そのまま幾度も気遣わし げに振り返りながら、階下にと降りていった。
 堅い木で作られた椅子に座して、物静かに時折相槌を打つカミューに、彼女 は夢見る様な口調で、今はもう居ない婚約者について語り続けた。
(…お二人が城を出てしまわれた時、アレクセイはとてもショックを受けて おりました。けれども、必ず帰ってきて下さる、とも信じておりました)
(……)
(あの方々は、真の騎士であられるから、必ずやマチルダに御戻り下さる、と いつも…)
 戦わずして、ロックアックス城にハイランドの旗が翻った時、彼女は騎士団 を脱退することを彼に勧めたのだという。もはや誇り高きマチルダの騎士道は、 汚濁にまみれてしまったのだ。守るべきものは、もう何一つとして残ってはい ないだろう、と。
(…マイクロトフ様とカミュー様は、必ず帰ってこられる。このマチルダに)
 その時まで騎士団を守らなくては、とアレクセイは幾度と無く口にした。
(それなのに、何故あなたはマイクロトフさま達と戦うというの?そんなにも あの方を尊敬しているのだったら、何故城に攻め入ってくるあの方たちと同じ 様に、ロックアックスを攻めないの?)
 涙さえ浮かべてそう詰め寄った彼女に、彼はゆっくりと首を振ってそれを 否定した。
(…この戦いが終わったら、結婚しよう、ライラ)


 ―――― 戦いが終焉を告げ、そして平和な時代が訪れたのなら。


 音もなく降りしきる雪が、窓の外の光景を仄かに白く染め始めていた。部屋 の奥に据えられた暖炉には、しばらくの間火が入った様子も無い。
 次第に冷えていく部屋の大気は、体の熱を奪っていく様だった。
 白い顔を伏せていた女が、ふと思い当たった様に、視線を端正な容貌の 青年に向ける。
(…カミューさま、と仰いましたわね?)
(…はい)
(カミューさまは、何故私を斬らなかったのですか?あの時、私を斬り捨てて しまいたいと望んでいらしたでしょう?)
 彼女の言葉に、カミューは静かな微笑を端正な口元に刻む。
(―――― 良く、お気付きになられましたね?)
(…それ程、鈍くはありませんわ。…もっとも、マイクロトフさま達は、それ どころではないご様子でしたけれど)
 苦笑を浮かべると、彼女は自分を斬り捨てようとした男を見遣る。端正に 整った顔に、何ら感情の波を浮かべることなく、カミューは極めて冷静な 口調で告げる。
(…確かに、あなたを斬ることは簡単でした。けれども、私はあなたを 斬ることは出来ませんでした)
(…私が女だから?力無き者を斬るのは騎士の恥だと?)
(―――― いいえ。私はマイクロトフほど潔癖な人間ではありません。私は、 相手が女子供であろうと、武器を持っていない人間であろうと、必要があれば 斬ることができます。…あなたを斬らなかったのは、それがマイクロトフの 矜持を酷く傷付けることになる、と知っていたからです)
 年若い女は、不思議そうな表情を浮かべた。無機質な微笑を浮かべ、カミュー は静かに続ける。
(…私があなたを斬り、そして彼が生き延びれば、マイクロトフはおそらく、 生涯それを傷として持つことになるでしょう。彼の信じる騎士道を貫けなかっ た後悔を、一生身の内に抱くことになります)
 驚いた様に目を見開いた彼女に、なおも静かな口調で続ける。
(…どんな生き様を晒すことになろうとも、生きてさえいればいい、という 類の人間ではないのです。…マイクロトフという男は。彼にとって、彼の 信じる騎士道を貫けずに生き長らえることは、命を落とす事とは比較になら ない程の、屈辱と苦痛を意味するのですよ)
 口調そのものは何処までも穏やかだったが、その内容は彼女の反論を封じ込 めるだけのものを擁していた。秀麗な美貌を持つこの青年は、その内部にひど く冷たい氷の刃を抱いていることを、彼女は感じ取っている。
(…カミューさまは、何故マイクロトフさまをそこまで…?)
(―――― 彼の様な男は、何処にも居ません。だからこそ私は、彼を失いたく はないのです。けれども、失うことを怖れて、それ故に彼が望まない生き方を 強いることは、私には絶対に出来ません。それは、私自身にも生涯消えない 後悔を齎すことになるからです)
 ゆっくりと、静かに端正なかんばせを上げると、カミューは何ら迷いの無い 瞳で、女を正面から見据えていた。
(…私は、ただ単に彼が生きてさえいい、とは思っておりません。彼が、自分 の選び取った道を誇り高く生きていけることを、望んでいるのです。そして 私も、そんな彼の力になりたいと望んできました)
 静かな声音と、表情で。彼は語り続ける。
(…彼はそういう男なのです。それ故に、マイクロトフは貴女の前に命を投げ 出そうとしたのです。…彼は、自分の選び取った道には何ら後悔を抱いてはお りません。ただ、その歩く道の故に、犠牲となった方々がおられる痛みを知っ ています。…償い、と称するには、やや語弊がありますが…)
 …やや長い沈黙の後で、女は堅い声音でカミューに問うた。
(…カミューさまは、本当にそれでも宜しかったのですか?)
 端正な顔に、穏やかな微笑を浮かべて、カミューは静かに告げる。
(―――― 先程申し上げましたね?…私は、彼が望んでいない人生を送ること には、絶対に堪えられないのです)
 その思惟は、常に自分の胸を深く浸し上げている。


「―――― カミュー…」
 心地良い響きを擁した、低い声に自分の名を呼ばれて、カミューはふと目を 開けた。漆黒の瞳が、自分を正面から見据えている。
「…大丈夫か?」
 気遣わしげな眼差しに、静かな微笑を浮かべて軽く首を振る。
「―――― ああ、大丈夫だ。…済まない」
 マイクロトフの腕が、カミューの身体を強く抱き締めた。あたたかなその 肌の感触を感じて、カミューは静かに目を伏せる。
 マイクロトフの肩越しに、寝室の窓がぼんやりと浮かび上がる。
 …お前に、生きていて欲しいと私は望んでいる。
 ―――― それでも、お前が望む通りの人生を送って欲しいという願いの方が、 遥かに強いのだ。
 お前が、望まぬ人生を送ることを強いられることになる方が、私にとっては 遥かに堪え難いことであるのだから。
 ―――― 降りしきる雪は、未だ止む気配を見せない。




To Be Cotinued…

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