暗号解読(サイモン・シン 新潮社)★★★

 傑作「フェルマーの最終定理」の著者サイモン・シンの科学ノンフィクション第二弾。本書も前著に引き続いての力作である。
全体は8章構成で、第一章と第二章では初期の暗号史が、歴史上の興味深いエピソードをまじえながら語られる。古典的な暗号であるにもかかわらず未だに解読されていない「ビール暗号」の話がおもしろい。第三章は暗号機の誕生について、そして第四章では暗号解読史の白眉、ドイツの暗号「エニグマ」解読の物語が語られる。エニグマ暗号について、その原理及び解読手法をこれほど正確にかつわかりやすく書いた本を他にしらない。第五章では、言語にまつわる暗号に関する話題が語られる。第二次大戦で使用されたナヴァホ暗号はこれまで全く知らなかった話題。続く古代文字解読の物語のうち、ロゼッタストーンの話は良くしられているが、もう一方の線文字Bについては解読の原理をこれほどキチンと説明してくれている一般書ははじめてではないだろうか。第六章、第七章は公開鍵暗号の開発とインターネット社会における暗号の占める重要性。この辺は暗号自体に興味がい人でもインターネット社会におけるセキュリティに関心がある人は十分興味がひかれるはず。そして第八章は最先端の量子暗号について。全8章にわたり暗号の歴史をたどりながら、知的好奇心を十二分に刺激される本である。

ウィルス、伝染るんです(中村正三郎 廣済堂出版)★★★

 中村正三郎のセキュリティ啓蒙本。常時接続が急速に普及しつつある一方で、多くのユーザーには驚くほどセキュリティ意識が欠如している(また、メーカーやISP事業者も常時接続の危険な側面には敢えて言及しようとしない)現状に警鐘をならす本。全編、著者一流の軽妙かつ辛口の語り口で記述されており読み物としてもおもしろい。
 著者の主張の中心は極めてシンプルである。ネット社会も一般社会と同じく危険な側面があるのであり、現実社会ではさまざまな自己防衛(家には鍵をかける、危険な場所には近寄らない等)を行うのと同様、ネットに乗り出す際もある程度は自己責任においてセキュリティに配慮すべきというもの。
 著者はセキュリティホール満載の製品を平然と市場に流すMS等の大企業を容赦なく批判する一方で、個々のユーザーに対しても「ネットにおいて無知は罪」として自己責任の重要性を指摘する。技術的な内容も初心者や文系人間にも理解できる平明な形で説明してくれているので、いたずらに不安に陥ることなく危険性の実態を把握することができる。非常に時宜を得た出版であり、インターネット初心者、特に常時接続利用者は何をおいても読むべき本である。
 なお、著者のサイト(必見)に本書のサポートページも設けられている。

ハリー・ポッターとアズカバンの囚人(J・K・ローリング 静山社)★★★

夏休みが終わり、ホグワーツに戻ったハリーを待っていたのは、脱獄不可能の牢獄アズカバンから脱走した凶悪な魔法使いシリウス・ブラックが、ハリーの命を狙っているらしいとの噂。学校にはアズカバンの獄吏であるディメンター達がシリウスを捕まえるために来ているが、なぜか彼らはハリーのエネルギーをも吸収してしまう。果たしてハリーの運命やいかに.....。
 おなじみハリー・ポッターシリーズの第三弾。このシリーズは巻を追う毎にどんどんおもしろくなる。子供向け小説としてはかなり大部であるが、友情、興奮、勝負、スリルとサスペンス、ヴァラエティに富んだ魔法などがぎっちり詰め込まれ飽きさせない。一巻、二巻の内容も伏線にしつつ意外な結末にまとめ上げていく物語展開は大人が読んでも読み応え十分。このような作品を現在進行形で読める今の子供が羨ましい。
 第4巻は本書よりさらにヴォリュームアップしているらしいが翻訳が今から楽しみである。

上と外(1−6)(恩田陸 幻冬舎文庫)★★

 "グリーンマイル方式"で2ヶ月に1冊の割合で刊行された作品。当初5冊の予定であったが、結局話がまとめきれず6冊になってしまったらしい。
 主人公の楢崎練は中学二年生。父母が離婚したため、母(千鶴子)や妹(千華子)とは別居している。別れた家族が年に一度夏休みに一緒に過ごすため、練、千華子、千鶴子の3人は考古学者である父(賢)が働く中央アメリカの遺跡と密林と軍事政権の国、G国へやってくるのだが、ここで一家は軍事クーデータに巻き込まれてしまい、練と千賀子は密林の中に取り残されることになる。二人の過酷なサバイバルの戦いが始まる...。
 物語は、これでもかこれでもかといわんばかりに連続して試練に巻き込まれる練、千華子の兄妹の闘いを中心に、必死の思いで子供達を救出しようとする両親、そして遠く離れた日本から何とか支援をしようとする祖父をはじめとする家族(このお祖父ちゃんがなかなかいいキャラ)の懸命の取り組みが交互に描写されながら展開される。
 ともかく、ジェットコースター的ハラハラ場面連続の展開。途中でやや風呂敷を広げすぎた感があり、読後全体を改めて見直すとまとめかたに結構粗っぽさもめだつのだが、読んでいる最中にはそんなことは全く気にならない位の緊迫感を味わうことができる。私は6冊まとめて読んだのだが、刊行時にリアルタイムで読んでいた人達はさぞかし次巻が出るのが待ち遠しかったことと思う。

R.P.G.(宮部みゆき 集英社文庫)★★

 女子大生の絞殺事件と中年男性の刺殺事件が相次いで起こる。両事件には関連があると思われるが捜査の進展ははかばかしくない。一方、被害者の男性はネット上で疑似家族を作っていたことがわかり、事件打開のために疑似家族メンバーを集めてある試みがなされる....。
 宮部みゆきの文庫書き下ろし本。ネット社会の一断面をうまく舞台装置に据えながら、現代社会における家族の一つのありようを描いている。本書は解説にもあるように戯曲を強く意識して書かれた作品。戯曲そのものではないので、台詞のみにより構成されているというわけではないが、それでも地の文の書き込みは通常の宮部作品よりかなりそぎ落としてあり、結果として戯曲テイストの濃い作品になっている。うまく脚色すればこのまま十分舞台劇に仕立てることができるだろう。
 いまさらいうまでもないが、語り口はあいかわらずうまく物語にどんどん引き込まれていく。特に、本作ではプロットが戯曲仕立てのミステリにぴったしの構成。テーマの重さの割にはこじんまりとまとめた感もあり、一種、習作的な印象も受けないではないが、戯曲的な作品に初チャレンジとは思えないほどスマートにまとまった作品になっている。本当に引き出しの多い作家である。
 なお、本書では「模倣犯」の武上刑事、「クロスファイア」の石津刑事の顔合わせがあるが、一種の読者サービスであり、両作品を予め読んでいなくても全く差し支えない。

取り扱い注意(佐藤正午 角川文庫)★★

 元地方公務員で現在缶詰会社に勤める主人公英雄と英雄の人生の節目節目で現れる遊び人の叔父の酔助、さらにこの二人を取り巻く女性達を巡り奇妙なドラマが展開される。主人公英雄をはじめとする登場人物のしゃれた台詞回しとライトな感覚がどこか村上春樹的な印象を受ける。「ロリータ」へのオマージュ的な要素も含んでいるが、淫靡な色彩は払拭されており、不健康な状態が健康的なタッチで描かれている。独特の雰囲気でどうにも説明するのが難しい作品であり、ともかく読んでみてくださいとしかいいようがない。話題になった「ジャンプ」よりは本作品の方が私の好みにはあっている。
 なお、英雄がやたら英語の言い回しを口にするのであるが、日本人である英雄に英語をしゃべらせるための設定として"スクラブル"(日本では今一つマイナーだが、世界的には超メジャーな英単語を使うボードゲーム)を小道具として導入したのが技あり。非常に物語の雰囲気によくあっている。自分でも一度試したくなる。

プリズンホテル2 秋(浅田次郎 集英社文庫)★★

 「プリズンホテル1 夏」の続編。今回は、警察の慰安旅行とヤクザの壮行会がかち合い、これに往年の大歌手、落ち目のアイドル歌手、指名手配犯などが絡んでのドタバタ劇。前作に比べてより泣かせにかかっているが、こういう大衆演劇風の泣かせはOK。本編の登場人物の内で、一人あげるとするとお清の娘ミカであろう。けなげでよい。ちょっとロリ入ってしまいそうになる。 

新・トンデモ超常現象56の真相(皆神竜太郎、志水一夫、加門一正 太田出版)★★

 と学会の「とんでも超常現象99の真相」(宝島社)の続編的作品。"と学会著"ではないが、著者達はと学会が母体となっている反疑似科学団体「超常ウォッチャーズ」の関係者。
 取り上げられている話題は「青森県のキリストの墓」「エリア51の宇宙人」といったおなじみのヨタ話から、「風水」「バイオリズム」といった人口に膾炙しているもの、さらには「宜保愛子の霊視」、「岐阜公営住宅のポルターガイスト」などのマスコミネタまで56項目。世間一般に喧伝されている内容が、いかに事実と異なるかを文献調査、実態調査を踏まえて明らかにしていく。この手の話題の好きな人は読んで損はないだろう。
 新しく加わった加門正一氏が担当したパート、特に歴史ネタ(四谷怪談、江戸時代の宇宙人など)がこれまでのと学会テイストとは若干異なり、学術的トーンでこれはこれで興味深い。また、「岐阜公営住宅のポルターガイスト」騒動に絡んでのマスコミ批判は、関係者には読んでもらいたいもの。

赦されざる罪(フェイ・ケラーマン 創元推理文庫)★★

 "リナandデッカーシリーズ"の第6作。リナとデッカーの間に女の子が産まれる。そのリナの入院した病院の新生児室から一人の赤ん坊と担当の看護婦の姿が消えるという事件が起きる。第一発見者は隣室で産まれたばかりの妹をみていたデッカーの娘。他人事とは思えないデッカーは捜査に乗り出すのだが...。
 新生児誘拐事件をメインストーリー、デッカー家を巡る喜びと苦難という家族物語をサブストーリーとして全体の物語が展開していくのだが、どうもこのシリーズは巻を追うごとに家族ドラマ色が濃くなっていく。それ自体は悪くないのだが、犯罪ドラマ要素の取扱が前作といい本作といいやや粗っぽくなっているような気がするのが問題。結果として、作品全体がバランスを欠いているような印象を受ける。ついでにいうとデッカーが、やたらくちやかましいガミガミオヤジ化しつつあるのも気になる。
 というわけで、前作(堕ちた予言者)も本作も、単体としてはよくかけていると思うのだが本シリーズには期待が高いのでどこか不満が残る。本作は第四作あたりと比較して★をつけようかとも思ったのだが、ちょっと辛すぎると考え直して★★。

密告(真保裕一 講談社文庫)★

 元射撃の五輪候補だった警察官萱野の上司矢木沢が、業者と不明朗な交際をしていると密告され、過去に一度ある事件で矢木沢を密告したことのある萱野に今度も疑いがかけられる。過去と決別できないまま日々を送る萱野だが、人生の再生をかけて汚名を濯ぐため真の密告犯を追求しようとする。しかし、その前にはさまざまな妨害が.....。
 うまい作品である。プロットも人物造形もしっかりしており、最後まで一気に読ませる。ということで普通であれば十分★★なのだが、以下の点が気になるので、アベレージの高い真保裕一ということで敢えて厳しく★。
 まず、どうにも主人公の萱野に感情移入できないのが難。うじうじ過去をひきずっているし、”お前、もう少し後先考えて行動しろ”といいたくなるような行動ばかりとるし、要するに私の嫌いな"大きな子供"のような性格。さらに、舞台のスケールが小さいことも影響していると思うのだが、作品自体が小さくまとまってしまった印象があり、あまり読後感がよろしくない。さらに誰が密告者なのかは本作品の重要なポイントなのだが、著者の他の作品と基本発想が似た点があるので、たぶん著者の作品を愛読している人間なら途中でおおよそ検討がつくのではないかと思われる点もちょっとマイナス。
 

華胥の幽夢(かしょのゆめ)(小野不由美 講談社文庫)★★★

 十二国記の最新作にして初の短編集。
 使者として漣国へ赴く中で自己の役割をみつめなおす泰麒を描く「冬栄」、祥瓊を追放した芳の国のその後を描く「乗月」、陽子と楽俊の文通を描く「書簡」、理想の国家を作り上げようとしながら思いに反し失道の危機に陥る才の国を描く「華胥」、泰の国のロイヤルファミリーを描く「帰山」の5編からなる。「華胥」以外の4編は、これまでのシリーズの中で描かれてきた人物にまつわる周辺エピソードが描かれている。
 表題にもなっている「華胥」は、これまで取り上げられていない才国の物語であり、本編を中心に据えて長編が一つかけるのではないかとおもわれる位、重たいテーマを取り扱った作品。長編的要素を短編に仕立てているのでその分密度が濃いのだが、反面テーマがストレートに表れすぎやや教訓臭が強く出てしまったきらいはある。
 いずれにしても、十二国記ファンとしては十分楽しめる内容の一冊である。

プリズンホテル1 夏(浅田次郎 集英社文庫)★★

 やくざの大親分、木戸仲蔵がオーナーを務める任侠団体専用ホテル「奥湯本あじさいホテル」、別名「プリズンホテル」を舞台とした涙あり、笑いありの人情喜劇。浅田次郎、初期の名作「きんぴか」の系統の作品である。
 ホテルの従業員は、オーナーの右腕のやくざ、名門ホテルグループを体よくお払い箱になったは愚直なまでに誠実なホテルマン、凄腕だが頑固者の板長、食中毒を出して左遷されたフランス料理の天才シェフといった面々に加え、サービス員はやくざの若い衆とフィリピンからの出稼ぎ労働者。一方、ここに集う客はといえば、幼い頃母に捨てられたトラウマを抱えるオーナーの甥の偏屈な売れっ子小説家(強いていえば彼が主人公的役回り)、大手企業を定年退職したばかりの夫とその夫に離婚届けを突きつけるつもりの妻、一家心中を企てようとうしている家族というワケありの連中ばかり。さらには一家心中をしたホテルの前オーナー一家の幽霊まで登場する。
 多彩な登場人物それぞれに見せ場たっぷりのエピソードが用意され、それらが絡まり合いながらも、最後はすべてのエピソードが収まるべきところにおさまるのであるが、「鉄道員(ぽっぽや)」のようなあざとい泣かせではなく、一種大衆演劇風の破天荒な展開に仕立ててあるところが魅力であり、著者の芸。シリーズ全4作が順次文庫化される予定であり楽しみである。

書剣恩仇録(全4巻)(金庸 徳間文庫)★★

 香港・中国をはじめ東南アジアで絶大な人気を誇る金庸の武侠小説。舞台は清の最盛期、隆帝帝の御代。満州族支配に反発し漢民族の復権を目指す秘密結社紅花会の若き頭主と配下の好漢達が、乾隆帝の出生の秘密(解説によると、中国人なら誰でも知っている有名な伝承なのだそうだが私は知りませんでした)を巡り、活躍する物語。
 水滸伝(反権力)と封神演議(超能力[と紙一重の武術]合戦)を足して二で割ったところにジャッキー・チェンの映画要素をふりかけたような作品。物語の深みはないし、人物造形も薄っぺらなのだが、不思議にひきずられるものがあり、全4巻を一気に読んでしまう。別の例えをすると飽きそうで飽きないジャンクフードのような作品といったところか。本作は主人公である紅花会の頭主がやたら軟弱で、読んでいてフラストレーションがたまる面があるのだが、解説によると次作以降はこの点は「改善」されているようである。余裕ができれば別の作品も読んでみようかと思う。

ルー=ガルー(京極夏彦 徳間書店)★★

 14歳の少女4人が活躍する近未来少女武侠小説。一般読者から近未来の設定を募集したことでも話題になったもの。
 ネットコミュニケーションが極度に発達し、人と人とのリアルな接触が著しく希薄にになった近未来の超管理型社会が舞台。14−15歳の少年・少女を対象にした連続殺人事件が発生する。同級生が被害者となったことで事件に巻き込まれていく、ごく普通の少女牧野葉月、独立不羈の雰囲気を漂わせる神埜歩未(こうのあゆみ)、天才少女都築美緒、武道の達人麗猫(レイミャオ)の少女4人組と、女性心理カウンセラーと前世代の遺物的存在の中年刑事のコンビが各々独自に徐々に事件の真相に迫っていく。
 ストーリー自体は途中で展開の予想がつくものであり、しかも事件の真相たるや相当ぶっとんだ(馬鹿馬鹿しい)もの。ただ、本書の眼目は閉塞的な管理社会の中で様々な葛藤に向き合いながら生きていく少女達の姿を描くことにあり、近未来の青春小説として読むべきものだろう。4人の少女はそれぞれ魅力があるが、特に、歩未(あゆみ)君が凛々しくてよい。好みのタイプである。

六番目の小夜子(恩田陸 新潮文庫)★★

 ある地方の高校に伝わる「サヨコ伝説」。三年毎に「サヨコ」が選ばれ、選ばれた者は文化祭で重要な役割を果たさねばならない。今年は六番目のサヨコの年。奇しくもそこに「沙世子」の名を持つ美しい転校生がやってくる。
 恩田陸のデビュー作。ホラーとファンタジーと学園ものが渾然一体となった独特の雰囲気がある小説。プロットには荒削りの部分はあるし、ホラー的な要素の処理の仕方にも疑問を感じないわけではないが、青春小説としてみるとき、読むものに「高校」とそこで過ごした「時間」についてノスタルジックな記憶を想起させる力がある。繊細さを感じさせる読後感の良い小説である。著者の他の作品を読んでみたくなる。
 なお、本書は明らかに吉田秋生の「吉祥天女」を意識した作品と思われる。また、ここで描かれる高校の雰囲気は、女子校と共学の違いはあるが、同じく吉田秋生の「桜の園」を彷彿とさせるものがある。(どちらも良いマンガ。もっとも「吉祥天女」はやや竜頭蛇尾の感がなきにしもあらず。「桜の園」はお勧めの秀作。)

デッド・リミット(ランキン・ディビス 文春文庫)★

 英国首相の兄である法務総裁が誘拐される。犯人の要求は法務総裁が殺人罪で訴追した環境過激派の女性研究者を無罪にし、真犯人をみつけだすこと。しかし、裁判は既に結審し陪審員の評決を待つ段階。しかも、状況は圧倒的に被告人に不利であり、すぐにも有罪評決が出てもおかしくない状況。閉ざされた陪審員室の中の議論はどうなるのか。評決までに、政府は誘拐犯をみつけ法務総裁を救出できるのか。また、誘拐犯が主張するように果たして被告人は無罪で、真犯人は他にいるのか...。
 陪審員小説と誘拐小説を絡ませるというアイデアが良い。静的な密室での評議シーンと動的な誘拐犯追跡シーンをスピーディーに場面転換しながら物語を進めることによりうまく読者を惹きつけている。
 ただ、残念ことに一方の中心となる誘拐犯追跡シーンがあまりよくない。せっかく陪審評決といういつ下されるかわからない"デッドリミット"を設定しながら、そのことによる緊迫感が伝わってこないのである。それに対して、陪審員室における攻防はおもしろい。陪審員12人それぞれの人物造形がうまく書き分けられており、最初は有罪が多数派であった陪審員達の意見が、陪審員の一人アレックスが疑問を呈していく中で徐々にかわっていく過程は良質の法廷小説といえる。ただ、当初有罪支持であった陪審員が法廷での証言等を思い出し疑問を持ち考えを変えていく場面について、どうもその疑問というのが非常に本質的であり、おいおいそんな重大なことはもっと早く気づけよなといいいたくなる点が難といえば難(いくつかの疑問は裁判官も説示してもよさそうなもの)。陪審場面だけを取り出せば★★でもよいが、せっかくのアイデアをうまく生かし切れていないという点でちょっと辛目の★。
 なお、本筋ではない読み方をすると、証拠に一部疑問があっても全体の雰囲気によっては有罪になりかねない陪審員制度の危うさを感じさせる小説でもある。

将棋の子(大崎善生 講談社)★★★

 夭折の天才棋士、村山聖の生涯を描いた傑作「聖の青春」の著者の第二作。羽生、谷川、藤井ら脚光を浴びるスター棋士の影で、夢をかなえることなく将棋界を去っていた元天才達の苦闘を描く書。
 プロ棋士の養成機関「奨励会」では三段の棋士によるリーグ戦がが半年に一回開催され、その上位二名のみが四段に昇段し正式にプロ棋士になることができる。すなわち新たにプロ棋士になれるのは年間わずか四名。26歳までに四段になれなかった者は退会となりプロ棋士になる道は永久に閉ざされてしまう。奨励会員の多くは小中学生の頃からひたすらプロ棋士になることだけを目指しその他のことをすべて犠牲にしてきている。夢やぶれた者は二十代の半ばにしてはじめて社会の現実の中に投げ込まれることになる。ある者は借金に追われ行方不明になり、ある者は世界放浪の旅にでる。将棋に破れ、しかし、将棋を忘れられず、将棋を心の支えにして生きていく者達の営みを著者は胸に迫るような筆致で描き出していく。著者の彼らを見る眼差しの温かさが切ない話であるにもかかわらず読後感をどこか爽やかなものに仕上げている。
 10年にわたり将棋世界の編集長を努め、奨励会員を間近に見続けていた著者だからこそかけた秀作である。

スタイビング教授の超古代文明謎解き講座(ウィリアム・H・スタイビングJr 太田出版)★★

 ピラミッドの謎、アトランティス大陸、ムー大陸、ノアの箱船といったおなじみのトンデモ考古学説を著者が批判的に検討していく書。どのような奇説でも頭から否定するのではなく、豊富な文献・資料に基づき正統的な考古学的手法で丁寧に考察していく著者の姿勢は知的誠実さを感じさせるものであり、好感が持てる。「と学会」系の本のようにトンデモ度を楽しみましょうというコンセプトではないのでエンターティンメント性にはややかけるが、疑似科学的言説の批判者たらんと思う者は目を通しておく価値がある本である。

ソリトンの悪魔(上・下)(梅原克文 朝日ソノラマ文庫)★★

 建設中の巨大海洋都市「オーシャンテクノポリス」が突如海中に崩れ落ちる。近くで行われている海底油田採掘の責任者である倉瀬は、一人娘が潜水艇で海中観光に出かけ巻き添えをくい、さらに自分が指揮する海底油田採掘基地「うみがめ2000」でも部下の作業員が事故に遭うという困難な状況に追い込まれる。事故を引き起こしたモノは何か。近海を徘徊する自衛隊の潜水艦の特殊任務とは?
 エンタメ精神に満ちあふれた海洋SFアドベンチャー巨編(SFというと著者に怒られるのかもしれないが)。梅原克文を読むのははじめてだが、つぎからつぎへと息をもつかせぬ展開で上下巻を一気に読ませる力業に感心。「音」に着目したさまざまなSF的アイデアもいい。海中の世界が魅力的な様相でせまってくる。
 ただ、下巻の後半からラストにかけてかなりトンデモっぽくなってくるのが残念。さらに、最大の問題点は登場人物がどれも魅力的でないところ。登場人物を皆スーパーマンではない等身大の人間として描いたということかもしれないけど、誰か一人くらい読んでいて感情移入できるキャラクターを設定してほしいところ。本来、倉瀬がそういう役回りのはずなのだがなんだか平板なキャラ。倉瀬の元夫人となると間違ってもお近づきにはなりたくない類の人物。

ヒトゲノム(榊佳之 岩波新書)★

 ヒトゲノムについての簡便な概説書。教科書的な解説ではなく、著者自身もそのまっただ中にいたヒトゲノム解読に関わるhistoricalな動きを記述しているので読み物として興味深く読める。
   2000年6月にクリントンとブレアによりヒトゲノムの全塩基配列が解読されたとの宣言がなされたが、いったい塩基配列の読みとりとはどのように行われたのか、セレラ社と国際チームの塩基配列読みとり競争の実態はどうであったか(セレラ社の解読はスピード重視であるが精度は国際チームの方が上であった等)、塩基配列読みとりの過程で何がわかり今後何をしなければいけないのか、といったことが平易に記述されている。また、この分野での日本の立ち後れが指摘されるが、国際チームの中で日本も質的に高度の貢献をしてきたことも知ることができる。
 さらに、今後研究の第二フェイズとしてそれぞれの塩基の組み合わせが遺伝子としてどのように機能しているかを探る試みが重要であること、従来10万はあるといわれていた遺伝子が3万程度であり他の生物とそれほど大きな差がないことが明らかになってきたこと、そのわずかな差異の中に人とその他の種の違い、すなわち人を人たらしめているものが何であるのかということを示すてがかりがあるかもしれないということなど、今後の研究動向という点についても興味をひかされる。
 いずれにせよ、本書を読んでおけば新聞におけるヒトゲノム関連記事をフォローするのに必要十分な知識が得られるだろう。

なんといふ空(最相葉月 中央公論社)★

 「絶対音感」「青いバラ」の著者の初のエッセイ集。繊細な品のよい文章でサラッと読みながしそうになりながら、ときに濃密な空間が紡ぎ出されているのに気づくといった味わいの作品。各編とも短いエッセイでありながら一種の物語性が強くでている文章となっている。そういえば、「絶対音感」や「青いバラ」にもノンフィクションでありながら、一種の物語性というのを読みとることができるなと本書を読んで改めて気づいた。映画「ココニイルコト」の原案となったエッセイも収録されている。
 なお、本書の装丁も著者のご贔屓の吉田篤弘・浩美御夫妻。

模倣犯(上・下)(宮部みゆき 小学館)★★★

 隅田川沿いの公園で女性の右腕が発見されたことを皮切りに発生する女性の連続誘拐殺人事件。犯人は被害者の家族をいたぶることを楽しむかのような行動を次々にとる。犯人の目的は何か。孫娘を殺された老人、第一発見者の少年は冷酷な犯罪にどのように対処していくのか....。
 宮部みゆきの新たな代表作の誕生である。上下巻1400ページを越す文字通りの大作。著者は、平凡な一般人が突如、犯罪の被害者に、あるいはその家族に、さらには犯人にな現代社会の不条理を徹底的に細部にこだわることにより描き出す。心に傷を持つ第一発見者の少年、被害者の祖父、犯人に間違われた青年とその妹、犯人を追う刑事、犯罪を追いかける女性ルポライター等々の主要登場人物はもとより、一回きり登場するだけの周辺人物にいたるまで、それぞれの立場からの実に綿密な描写が行われる。このような細部描写型の手法をとると得てして「木をみて森をみず」になりがちなのだが、そこはさすがに宮部みゆきであり、何ら破綻を生じさせず木も森もキチンと描きながら1400ページの作品に仕立てあげる力量には今更ながら感心させられる。是非一読をお勧めしたい。
 

青いバラ(最相葉月 角川文庫)★★

 前作の「絶対音感」にしろ今回の「青いバラ」にしろまず取り上げる題材が秀逸。こういう題材を探し出せるのもノンフィクションライターとしての才能のうちだろう。
 ミスター・ローズと称された世界的に著名なバラの育種家である鈴木省三氏との交流を織り交ぜながら、青いバラ=impossibleのイメージが形成されてきた文化史的過程、欧米及び日本のバラの品種改良の歴史、そして近時のバイオ技術を駆使した青いバラ創出への取り組みなど、青いバラをめぐる多角的な考察が積み重ねられていく。綿密な取材を感じさせる質の高い力作である。
 著者は、バラを愛する人々のいわば美を追究する情熱と営為に共感を示しながらも、伝統的育種改良手法による育種家達とバイオ技術による新種開発を目指す科学者達の意識の違いをも冷静に描いている。「青いバラができたとして、それを美しいと思いますか?」冒頭で鈴木が著者に対して投げかけたこの問いを、著者は最後に読者に対して改めて問いかけ直す。「美」をそして「科学」をどのように捉えるか各人各様の答えを考えさせる作品である。
 なお、現実に青いバラができるとしてもしばらく先のことになるようである。本書を読むと最先端のバイオ技術を用いても花の色一つ新しく作り出すことがそれほど簡単なものではないことがよくわかる。
 本書の装丁は「絶対音感」に引き続きクラフト・エヴィング商會の吉田篤弘・浩美御夫妻。作品の内容を何も知らなくても店頭で思わず手に取ってしまう趣味の良い装丁である。

T.R.Y.(井上尚登 角川文庫)★★

 第19回横溝正史賞受賞作。一癖ある詐欺師が、ふとした縁で知り合った中国の革命家を支援するために日本陸軍と財閥をペテンにかけようとするコン・ゲーム小説。日本の朝鮮併合当時の時代背景を踏まえ、歴史上の実在人物と虚構の登場人物を巧みに組み合わせて物語を形作っていく手腕はなかなかのもの。構成も非常にスマートで、展開の疾走感もあり、たとえていえば、映画のスティングを見たような読後感。
 難点をいえば、スマートさのうらはらかもしれないが、ちょっと軽すぎるという点。これは、登場人物、特に主人公の伊沢修の人物造形が甘いのが大きな原因だろう。さきほど「スティングをみたような」と書いたが、ちょっと辛口にいえば、良質のコン・ゲーム映画かドラマをうまくノベライゼーションしたような作品ともいえる。

日本外交官、韓国奮闘記(道上尚史 文春新書)★★

 韓国駐在経験のある現役のキャリア外交官による日韓のよりよき相互理解を目指すための手引き書的体験談
 日本と韓国の長所・短所をキチンと認識しながら、過去に対する反省と相手国に対する敬意を失うことなく、かつ自らが主張すべきはキチンと主張するという態度に貫かれており、読んでいて説得力がある。特に、相手方が不正確な事実認識に立っているときはそのことをキチンと指摘すべきという主張は至極当たり前のことであるが重要。著者がいうような正確な指摘を行うためには、我々自身がまずは自国と相手国の歴史・文化等について学ぶ必要があるのであり、この至極当たり前のことを実践するためには相応の努力が必要なのだということを改めて認識させられる。何かにつけてギクシャクしている最近の日韓関係の在り方を考えるとき一読の価値がある本である。
 著者は現役の外務官僚であるから、外交上の機微にわたる問題については日本政府の公式見解を擁護する立場であり、やや主張が固いのでないかと思われる点もあるがこれはやむを得ないだろう。最近、とみに評判の悪い外務官僚であるが、日本と任地国の相互理解のために外交官の果たす役割は大きい。著者と同様に世界中で奮闘している外交官が数多くいるのだということを祈りたい。

トライアル(真保裕一 文春文庫)★

 公営ギャンブルの選手を題材とした短編集。短編集としての前作「防壁」と同様、普段知る機会のない特殊な業界を舞台とした作者得意のパターンの作品群といえるかもしれない。取り上げられるのは、競輪(「逆風」)、競艇(「午後の引き波」)、オートレース(「最終確定」)、競馬(「流れ星の夢」)の四つの競技。ただのスポーツではなく、金銭が絡むが故に要求されるストイシズムとつきまとう不正の影、そこに家族との葛藤が組み合わされ緊張感のあるストーリーが組み立てられている。ただ、手慣れた感じがする反面、一種のパターンにはまった象を受ける点もあり少し気になる。四編の中では、作品としての完成度はともかく、「流れ星の夢」が読後感が良い。

銀河帝国の弘法も筆の誤り(田中啓文 ハヤカワ文庫)★

 表題作を含め5編の短編からなるSF短編集。表題からもあきらかなように、全編駄洒落のオンパレード。ここまで徹底的にアホに徹して書かれてあると見事というしかない。ただ、一見ハチャメチャだけれども、ストーリーの骨格というのはしっかりしており、各編の最後も脱力度200%の駄洒落でキチンと落とすという落語テイストの構成になっている。本自体も5人の作家が各編毎に作品を非難する解説を書くというサービス精神溢れる構成になっている。人に勧めてよいのか悪いのかよくわからない一冊だが、横田順爾や筒井康隆が好きな人はOKだろう。それにしても、「It's 嘔吐 magic」とか、「達磨が考える。達磨が思案する。ダルマシアン。・・・101匹わんちゃんか」こういうの私は好きです。

千里眼 ミドリの猿 (松岡圭祐 小学館文庫)★

 前作「千里眼」でさっそうと登場した岬美由紀が主人公。前作における活躍を評価されて内閣の首席精神衛生官(すごい職名だな^^;)となった岬が、世界を影であやつるマインドコントロール組織と対決するというもの。第一作の「催眠」で登場した嵯峨、倉石、入絵由香などもやや強引に絡ませながら物語は展開する。例によって荒っぽいのだが、荒唐無稽さと陰謀史観がほどよくまじりあって、ななかなか読ませる出来にはしあがっている。物語は本作では完結せず、岬がピンチに陥り、嵯峨・倉石が救助にむかうところでto be continuedになっているので続きが気になるところ。わざわざ単行本を買うほどでもないので、次回作「千里眼 運命の暗示」が文庫本になってから読もうと思うが、これから読む人は次回作が文庫本になるのを待って、本作とあわせて読んでもよいかもしれない。


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