田宮模型の仕事 (田宮俊作 文春文庫)★★★

 日本が世界に誇る模型メーカー、田宮模型の前社長による会社興隆一代記。戦後、木製模型からスタートして、苦労を重ねながらいかにして世界有数の模型メーカーに発展してきたかを語るビジネス成功譚である。模型が心底から好きな人達が、ビジネスという土俵の上に立ちつつも、単なる儲け主義に走らず、多くの顧客に支持される良い模型を作るためにとことんまで工夫を重ね努力する姿勢が全編に溢れており読んでいて気持ちが良い。特殊な分野ではあるが、戦後日本の発展を支えた「ものづくり」の最良の姿の一端をみることができる。オビにあるように読んでいて元気がでる本である。お奨め。

陰陽師〜鳳凰の巻 (夢枕獏 文藝春秋)★★

 魑魅魍魎渦巻く平安の都に、陰陽師安部晴明と盟友源博雅が活躍する人気シリーズの第五作。岡野玲子の漫画ともあいまって、昨今の陰陽道ブームの火付役となった作品。
 独特の雰囲気とリズム感は相変わらずで、安定したおもしろさがある。岡野玲子の漫画も出色の出来ではあるが、やはり原作の持つ独特の雰囲気は捨てがたい。(原作では行間におちるものが、漫画ではクリアにあらわれすぎるきらいがある)
 本作に限らず、夢枕獏作品は敵役の造形が魅力的なのが特徴だが、本作の道魔法師も晴明のライバルらしく味わい深いキャラクターでなかなかよい。

舞踏会へ向かう三人の農夫 (リチャード・パワーズ みすず書房)★★

 米国現代文学の旗手、リチャード・パワーズの85年のデビュー作。
 物語は、「私」がシカゴからボストンに向かう途中のデトロイトの美術館で、一枚の古い写真を目にするところからはじまる。著名な写真家アウグスト・ザンダーによる"田舎道に立つ正装した三人の若い男"を撮影したこの一枚の写真を基に、デトロイト美術館で写真を見た「私」、ボストンの情報通信産業の業界誌の編集者であるメイズ、そして写真に撮られた20世紀前半に生きる三人の男、という時代設定、登場人物、文体が大きく異なる3つの物語が並行的に進み、驚嘆すべき力業で最後には一つの物語に収斂させていく。20世紀を戦争と技術発展と異文化の交錯の世紀として、読み解く物語である。
 訳者に人(柴田元幸)を得ての待望の翻訳。米国現代文学らしく縦横無尽の機知に富む文章だが、訳者の註釈の助けを借りて、そのおもしろさを味わうことができる。

ななつのこ (加納朋子 創元推理文庫)★★★

 著者のデビュー作にして鮎川哲也賞受賞作。
 物語は、主人公である短大生・入江駒子が、童話集「ななつのこ」の著者である佐伯綾乃に宛てて、身の回りの不思議な出来事を綴るファンレターを出し、綾乃がその謎を解き明かすという形式で進行する。駒子が読む童話集「ななつのこ」自体も、少年"はやて"が出会う不思議な事件とそれを解き明かす女性"あやめさん"の交流を描く形式の短編集という仕立てであり、物語全体が二重構造のミステリとなっている。
  身近な謎と優しさを感じさせる解決は読んでいて心地よい。全体は七つの短編からなるが、最終エピソードでそれらをきれいにつなぎ合わせるストーリー作りもうまい。
 日常のささやかな謎を解くという意味では、(本書が出された当時から指摘されていたように)北村薫との類似性があるが、読後の印象はかなり異なる。よくいえばより静謐感があり、悪く言えばおとなしすぎる感じ。主人公の描き方の差異によるものだろう。 

魔法飛行 (加納朋子 創元推理文庫)★★★

 デビュー作「ななつのこ」に続く第二作。入江駒子をはじめ主要な登場人物は同じ。前作は作品全体が二重構造という凝った構成であったが、本作は、駒子自身が日常の不思議な出来事を小説的作品として※※(前作の最後で明らかになった佐伯綾乃の実物)に宛てて書き、※※がその感想として謎を解いていくという形式。
 前作の二重構造に代わり、本作では各短編の間に、差出人不明の駒子宛の手紙を挿入さするという構造となっている。この手紙(全体で3通ある)が駒子の行動・心理などを的確に把握する内容となっており、なぜ手紙の書き手がそのようなことを知りうるのか非常に不思議な感じを読者に与える。何かメタ世界からの手紙といった趣があり、作品全体のミステリ感を強める効果がある。この手紙についても最終章で見事に合理的な説明が付けられるとともに、4つの短編がひとつにまとめられる。ストーリーの作り方は前作にも増してうまい。
 全体として、ハートウォーミングな語り口も前作に引き続く特徴。読後感がよいのが一番である。作品の中では表題作にもなっている「魔法飛行」が特によい。

いちばん初めにあった海 (加納朋子 角川文庫)★★

 表題作の「いちばん初めにあった海」と「化石の樹」の中編2つで構成されている。
 「いちばん・・・」は、傷ついた主人公の再生の物語。主人公、堀井千波は、住んでいるアパートの居住者がたてる無神経な騒音に悩まされ引っ越しを検討しているが、引っ越しの準備中「いちばん初めにあった海」という本とその中にある自分宛の手紙が入った封筒をみつける。差出人の名は"YUKI"。しかし、その本にも差出人にも全く記憶はない。これを契機として、千波は、自分の過去を探す作業にとりかかる。
千波の置かれている状況や様々な問題は、その原因とともに徐々に明らかになる。具体的な叙述は避け、千波の心理の動きと抽象的な状況説明で物語を進めていく著者の語り口は「ななつのこ」「魔法飛行」とは異なった手法であるが、物語の進め方自体はやはりうまい。物語の帰趨は途中段階でほぼ想像がつくが、全体として非常に繊細に構築された物語である。
 物語自体は非常に良くできていると思うが、繊細さが強く出ている分、再生の物語としてはひ弱で脆く感じる。このような強靱さの感じられない閉じた人間関係の中における調和的な再生物語は全面的に支持しかねる部分がある。
 「化石の樹」は、「いちばん・・・」とは独立した作品だが、明示されていないものの「いちばん・・・」の登場人物の一人の過去を描いた作品であることは明らか。老木からみつかった一冊のノートをふとした経緯から手にした青年。そのノートには一人の女性の人生に重大な関わりを持つ物語がかかれていた。その物語とは......というもの。
 「いちばん・・」が心理小説風であったのに対し、こちらの方が通常のミステリに近い仕立て。やや非現実的な要素はあるものの「いちばん・・・」に比して、力強い構成になっている。作品の完成度は「いちばん・・・」の方が高いと思うが、好みとしては「化石の樹」をとりたい。
 なお、全く関係はないのだが、「化石の樹」を読んで、萩尾望都の初期(1971年)作品「かわいそうなママ」を思い出した。

ガラスの麒麟 (加納朋子 講談社文庫)★★

 短編をいくつか連ね、それを最後でひとつにまとめあげるという加納朋子お得意の手法の作品。
 本作では、冒頭一人の少女が殺され、全編を通じてこの殺された少女をめぐる物語が展開されていく。構成は緻密でよくねられている。相変わらず非常にうまい。殺された少女をめぐる物語という点がややこれまでの作品に比べて作品の心地よさを減殺している面は否定できないが、作者の新しい境地を目指した一つの挑戦として理解できる。作品のキーとなるトリックの中にはやや非現実的なものもあるが、それらもたいした傷ではないと思う。
 私が、最も問題であると思うのは、「いちばん初めにあった海」から少し気になり出したところなのだが、主要な登場人物から非常に脆弱な印象を受ける点。例えば、探偵役となる高校の養護教諭、神野菜生子。魅力的な女性で一見精神的にも強いようだが、作中にでてくる「死にたがりやの生きたがりや」という言葉に示されるように繊細でひ弱い。本作は、傷ついた過去を持つ神野菜生子の再生の物語でもあるのだが(この点は、「いちばん初めにあった海」と通底する)、傷つきやすく、実際に過去に傷ついた人達が、いくつかの事件とそれに伴う交流を通じて再生してゆくというのは、心温まる話ではある。しかし、何か閉じた世界の中での癒やし合いのような感じがして、今一つカタルシスがない。「いちばん・・・」も、本作も読後感がスッキリしないのはそのためと思う。
 著者はデビュー当時、北村薫とよく比較されたが、作品を重ねるにつれ、両者は全く異なる作品であることがよくわかる。一言で言えば、加納朋子の作品には、明日に向かって力強く踏み出していこうという強靱さが感じられない。この著者の一つの特徴であると同時に壁でもあると思う。

短歌という爆弾 (穂村弘 小学館)★★

 短歌界で話題を呼んだ気鋭の歌人穂村弘の短歌「入門書」。全体は、
  ・【導火線】最高の爆弾づくりをめざして
  ・【製造法】「想い」を形にするためのレッスン
  ・【設置法】短歌をいつ・どこで爆発させるか
  ・【構造図】衝撃と感動はどこからやってくるのか
  ・ 終 章 世界を覆す呪文を求めて
で構成されている。【製造法】【設置法】の章は、いっぷう変わった形ではあるが一応入門書的仕立てにはなっている。ただ、本書を通読すると一般的な意味における入門書的要素はそれほど高くない。むしろ、なぜ「短歌」を選んだのか、短歌をどのように見ているのかという著者の短歌に対峙する個人的姿勢が強く打ち出され、そのことにより短歌という表現形式の魅力を強く訴えかけるものになっている。特に【構造図】の章は、著者自らが「<実存的な読み>の可能性を探るもの」と述べるように、著者の個性が色濃く出た本格的な短歌評論となっている。入門者よりむしろ相当の経験を有する歌人が読むにふさわしいのではないだろうか。私は、短歌には全く門外漢だが、それでも「共感と驚異」「入力と出力」という概念装置を用いて展開される著者の読みは説得性を持って伝わってくる。
 なお、短歌に興味のある方は、同時期に出た著者の共著である「短歌はプロに訊け!」も併せてどうぞ。

少年 (ロナルド・ダール ハヤカワ文庫)?

 短編の名手、ロアルド・ダールの少年時代の自伝。可もなく不可もなし。ダールの作品を読んだことがないにもかかわらず、手を出したのが間違い。
 おそらく、ダールのファンならば、本書で描かれているような少年時代の体験が著作の中に反映されているのを見いだして楽しむといった読み方ができるのだろう。

放浪の天才数学者エルデシュ (ポール・ホフマン 草思社)★

 83歳で死ぬまで、定住地を持たず放浪を続けながら、500人近くの共著者と1500もの論文を生産した天才数学者ポール・エルディシュの評伝。生涯家庭を持たず、数学以外の社会生活については全く適応性が無い絵に描いたような奇人だが、その数学探求にかける純粋な情熱のゆえになみいる数学者の中でも一種特別な存在として認識されている。
 本書でも紹介されているが、エルディシュに関するエピソードとして、"エルディシュ数"というものがある。まず、エルディシュ本人は"エルディシュ数0"であり、エルディシュとの共著者は"エルディシュ数1"、エルディシュ数1を持つ者と共同論文を書くと"エルディシュ数2"、その者と共著者は"エルディシュ数3"、以下同様に増えていく。エルディシュが多くの共著者を持ったことに由来する一種の冗談のようなものであるが、エルディシュ数1を持つ数学者はどこかしら誇らしげであるところに、数学界においてエルディシュの占める一種独特の地位をみることができる。エルディシュ数については、「エルディシュナンバー・プロジェクト」に詳しい。なお、共同研究を重んじるエルディシュは、フェルマーの定理を解決したワイルズについて、その結果については高く評価したものの、研究内容を隠して他者と協力しなかった点については非常に批判的であったとのことである。
 本書で照会されているエルディシュの人物像は十分魅力的ではあるが、残念なことに、エルディシュについてのエピソードとそれ以外の数学に関する様々なエピソードが十分整理されないまま混在してでてくるので本書全体としては散漫な印象を受ける。もっとエルディシュに焦点を絞った方がよかったように思う。また、それに関連するのだが、エルディシュが取り組んでいた数学上の課題があまり説明されていないので、数学自体の魅力が十分に伝わってこない。専門的な数学の魅力を素人に伝えるのは難しいとは思うが、先般照会した「フェルマーの最終定理」では数学の魅力が十分に描かれていたことを思うと、本書にはくいたりなさが残る。

短歌はプロに訊け! (穂村弘、東直子、沢田康彦 本の雑誌社)★★★

 雑誌編集者の沢田康彦が主宰するアマチュアの短歌同人誌「猫又」に集まった様々な歌を気鋭の歌人、穂村弘、東直子の両名が沢田も交えた対談形式で論評していくという趣向の本。穂村と東の評価軸が相当ことなっている(二人がともに票を投じる歌は必ずしも多くない)ことにも示されているように、どのような歌がよい歌であるかは最終的には個々人の感覚に委ねられるものではあろう。しかし、やはりプロならではの緻密な読みや技法についての解説などは説得力がある。評を通じて、初見では気付かなかったその歌が持つ世界がどんどん広がっていく楽しみを味わうことができる。
 また、「猫又」は、非常に幅広い人達が同人として集まっており、なかには我々が名前を知っている有名人も結構まじっている。本書ではそのような人の歌も相当数触れられており、その人のイメージと詠まれた歌を照らし合わせて読む楽しさもある。
 例えば、漫画家の吉野朔美。吉野朔美の漫画の読者ならまさしく彼女の作品世界と通底するものを感じるはず(ちなみに吉野朔美の漫画はどれも一読の価値がある)(注:歌の後の( )内はお題)
  「愛こめてどうか不幸であるように君無き春の春無き君へ」 (嫉妬)
  「はずしたらばくはつするかなぱぱとまま「好きな方を選んでいいのよ」」 (選ぶ)
  「芽きゃべつも靄でしっとり緑色おやすみなさいいつも寂しい」 (芽きゃべつ)
 もう一人、現在私の一押しの女優本上まなみが鶯まなみという雅号で参加しているが、これがまた独特のスタイルの歌がならんでおり、彼女のキャラクターとよくあっている。本上まなみにますますはまりそうになる。
  「この雪は一緒に見てるっていうのかな 電話の向こうで君がつぶやく」 (電話) 
  「道ばたのネコをかまうその背中ににゃあにゃあうそ鳴きしたけどだめだ」 (嫉妬)
  「めきゃべつは口がかたいふりをして超音波で交信するのだ」 (芽きゃべつ)
 あと、五輪選考で話題の千葉すずも同人の一人。次の一首が秀逸。
  「ヤクルトの古田のメガネすごくヘン もっといいのを買えばいいのに」 (眼鏡)

 なお、沢田保彦が「猫又」を始めたきっかけが小林恭二の「短歌パラダイス」(岩波新書)であることが冒頭にかかれている。この本は、プロの歌人達が題詠を行い相互に論評する形式で書かれている(穂村弘や俵万智もメンバー)が、これも滅法おもしろい。未読の方はあわせて読むことをお奨めしたい。

ダーティホワイトボーイズ (スティーブン・ハンター 扶桑社ミステリー)★★★

 オクラホマ州 マカレスター刑務所の服役囚ラマー・パイは、所内の争いで黒人を殺害してしまい、報復を逃れるために従兄弟で知恵遅れのオーデルと軟弱な元美術教師のリチャードとともに脱獄する。物語は、殺人、強盗を繰り返しながら逃走する4人組(途中で女性が一人加わり4人となる)と、彼らを追う一方の主人公であるハイウェイ・パトロールの刑事バド・ピューティとの追跡劇として展開される。
 本書の魅力は、解説者も書いているように「悪の魅力」。凶悪犯罪に何ら禁忌を感じない性格的破綻舎でありながら、一方で「自分に正直」であり、知恵遅れの従兄弟に惜しみない愛情を注ぐラマー。このラマーの人物造形がとにかく際立っており、圧倒的な魅力をはなっている。また、追跡者であるバド・ピューティーの造形もいい。有能な警官として正義と真実を追求しつつ、私生活では相棒の妻と不倫状態にあり、罪の意識を感じつつ家族を欺き続ける"弱い"存在として描かれている。単純なタフガイではないところが物語に深みを与えている。文庫本700ページを息をもつがせず読ませる疾走感と迫力のある作品である。
 なお、本書は、伝説的スナイパー、ボブ・リー・スワガーを主人公とする三部作「極大射程」、「ブラックライト」、「狩りのとき」のサイド・ストーリーであり、順番としては「極大射程」の次に書かれたもの。本シリーズはいずれも★★★であるが、未読の方は、著作順通りに「極大」「ダーティ」「ブラック」「狩り」の順に読むことをお奨めする。

無間地獄 (新堂冬樹 幻冬舎)★

 幼い頃の凄惨な体験により、金にしか信を置くことができない冷酷非常なヤクザ、桐生が主人公。暴力金融を仕切る桐生が債務者を追い込んでゆく物語が中核であるが、この追い込み描写が凄まじい。本書を読めば、どんなに金に困っても、筋の悪い街金なんかには絶対手をださないでおこうという気になることだけは受け合いである。
 人物描写は、(おそらく著者は意図してそうしているものと思うのだが)徹底して類型的であり、追い込まれる側の中心人物である敏腕キャッチセールスマンの玉城の描写などはほとんど戯画的になっているが、状況設定が異常なものであるだけに逆に妙なリアリティがある。
 私は基本的に後口の良い小説の方が好きなので、本書の持つ迫力は認めるものの趣味的には今ひとつ。ただ、現代社会に暮らす人間として、一作位こんな作品を読んでおいてもよいと思う。

ぼんくら (宮部みゆき 講談社)★★

 短編5編、中編1編、エピローグ1編から構成される時代劇ミステリ集。鉄瓶長屋という長屋を舞台に、殺し屋による殺人、差配人の交代、新興宗教騒ぎ、など様々な事件が起こり、長屋の店子が徐々に減っていく。これは偶然か、はたまた背後に何らかのからくりがあるのか。怠け者の同心、井筒平四郎と彼をとりまく多彩な人間が事件の解決に挑む、というもの。
 個々のキャラクター造形が弱い、ミステリーの核となる部分が弱い、時代劇仕立てにしているのに時代劇臭が薄いなどの難点はいろいろあるが、宮部作品にはそれらを補ってあまりあるストーリーテリングのうまさがある。本作も、一編一編は独立した短編を重ねつつ、それを中編で一つにまとめ上げる手腕はさすがである。
 多彩な登場人物もそれぞれ特徴のあるキャラクターで魅力的である。ただ、ちょっとした台詞回しでその人物の魅力を伝える技には優れているのだが、これが総合的なキャラ立ちにつながらないのが宮部作品に共通する弱点。本作品でも、全編を通して登場する井筒平四郎や佐吉より、ちらっとしか登場しない"みすず"や"おくめ"といった人物の魅力の方がよく伝わってくる感じがする。もっとも、このキャラ立ちの弱さが物語を過度に深刻にするのを弱め、宮部作品の特徴である読後感の心地よさを助けているともいえる。
 なお、エピローグ編は雑誌連載時になかったものを単行本刊行時に付け加えたものとのことであるが、これを付け加えた作者の意図はよくわかるものの、ミステリー的観点からは、エピローグ編をつけないという選択もあるように思う。

日本の司法文化 (佐々木知子 文春新書)★

 著者は元検事(現参議院議員)。外国との制度比較という観点から、一般には十分に理解されているといえない我が国の司法制度をわかりやすく解説している。我が国の制度が、起訴した以上100%の有罪をめざす世界に類をみないほど「精密司法」の国であり、したがって逮捕や起訴には極めて慎重なのに対し、英米が50%以上の有罪であればよしとするラフジャスティスの国であるという対比を基本に、司法制度をめぐる様々な話題を興味深く記している。
 類書がないので、本来非常に有意義な本のはずなのだが、残念ながら大きな欠陥がある。それは、批判精神の欠如。検事OBという著者の立場上、ある程度、現状制度(特に検察制度)に肯定的なのは理解できるにしても、あまりに現状肯定的にすぎる。著者の書きぶりをみる限り、現状の司法制度の制度的問題は、検事にあまりに広範な裁量権が委ねられておりチェック機能が十分でないこと位であり、後は「最近の若い者はなっていない」という世代論的繰り言があるだけ。「おいおい本当に他に問題はないのかよ」と突っ込みをいれたくなる。一般人的実感とは相当の落差がある。
 確かに、比較制度的には日本の司法制度は国際レベルでみて「良い」面が多々あるのかもしれないが、それで満足してしまうのであれば進歩はないし、制度比較を行う意義もない。司法制度を巡る議論は、他国と比べてましかどうかいうことではなく、現在の我が国の社会に照らしてよりよい司法制度とは何か、という観点から行われるべきであるという当たり前の視点が全く欠落している。
 折角よい着眼点の本なのに、読後感が、検事OBの内輪誉め本的な嫌みが強く残るものになってしまっているのは残念である。

クラッシュ (楡周平 宝島社文庫)★

 本書の値打ちは、インターネットを通じたウィルス頒布という形式のサイバーテロを取り上げた点。第一段として航空機のコンピュータシステムへのウィルス進入で大事件を起こし、この事件の関連インターネットサイトにウィルスを忍ばすことにより、サイトへのアクセスを通じてウイルスを世界中にばらまくという発想は本書が初めて公刊された1998年時点では評価されてしかるべきアイデア。ただ、現時点で読むと、インターネットを通じたウィルス頒布のためには、先般の I LOVE YOU メールなどにみられるようにメールを利用するのがより現実的であり、航空機システムの攻撃のような大事件を起こすという設定は逆に陳腐なモノにみえてくる。それでも航空機をはじめとした様々なコンピューターシステムの、ひいてはそれに依存する社会システムの脆弱性への対応は、今後ますます重要な課題になってくるものであり、この面における指摘は鋭い。
 小説としては相変わらず荒っぽい。話の広がりは大きいが、まとめ方がドタバタしているのは、以前の作品「クーデター」と同じ。「クーデター」で活躍した川瀬雅彦がでてくるが、何のために出てくるのかわからない程度の取扱い。もう少し、丁寧に書けば、倍くらい面白い作品になるのになと思う。

自由な新世紀・不自由なあなた (宮台真司 メディアファクトリー)★★★

 本書は雑誌「ダ・ヴィンチ」に97-99に連載された「宮台真司」の世紀末相談」を中心に同じ時期に各種雑誌に掲載された論考をまとめたもの。論壇では向かうところ敵なしの宮台真司だが、それを支えているのは正統的な社会学理論を身につけた上で、徹底的に物事を考え抜く強靱な思考力とこれまでの経験を踏まえた広義のフィールドワークである。本書でも、この点は遺憾なく発揮されている。
 全体が7章構成だが、内容は相互に独立しているのでどこから読んでもよい。第二章の「暴力と共同体−戦争をしたがっている子供たち−」は二年前の論考であるが、最近の少年犯罪についての「なぜ?」という問いへのストレートな回答にもなっている。第三章の「自由と秩序−自己決定理論と社会システム理論−」を読むと、非論理的な情緒的行動ではなく、理論に支えられた議論の重要性を感じるだろう。第五章「「情の論理」をうち破る「真の論理」を−「戦争妄想論」ダイジェスト版−」で提示される思想史を踏まえた二種類の尊厳についての考え方を押さえておくことは、国家論が議論されることが多い昨今、どのような立場をとるかは別として、この種の議論に参加する場合の強力なツールとなるだろう。
 ともかく、刺激的な本である。是非一読をお奨めする。
 なお、著者のサイトがここに開設されている。 

聖の青春 (大崎善夫 講談社)★★★

 希有の才能を持ち、幼少時からの難病と闘いながらA級に上り詰め、名人を目指す地位にようやく到達しながら、癌で29歳の若さで逝去した悲運の天才「村山聖」。一般には羽生の名声に隠れた感があるが、将棋に少しでも関心のある人であれば「村山」の名前は特別な響きを持つ。本書は、村山と間近で接していた将棋雑誌の編集者である著者が記す村山の伝記。
 村山の壮絶かつ濃密な人生と家族、師匠などそれを取り巻く人間模様がみごとに描かれている。理屈を抜きにして、読んでいて心が熱くなってくる本は久しぶりだ。

ローマ人への20の質問 (塩野七生 文春新書)★★

 著者によれば、古代ローマ人を理解するという観点から、(著者が執筆中の全15巻の大作)「ローマ人の物語」が表玄関からアプローチするものとすれば、本書は庭からアプローチするようなものということ。ローマは軍事的にはギリシャを征服したが、文化的にはギリシャに征服されたとは真実か?」「<パクス・ロマーナ>とは何か」など興味深い20の質問に著者が答える形で構成される。豊富な研究と著者独特の歴史に対する鋭い視点で、我々が常識と思っている古代ローマに関する知識が、実は俗説でしかないことを示してくれて目を開かせられる。
 また、本書で解説されるギリシャ、ローマの各種社会制度には改めて感心させられる。もっと古代ローマについて詳しく知りたくなってくる。つまり、大作「ローマ人の物語」の方を読みたくなってくるということであり(現在のところ全く未読)、これは著者の術中にはまっているということだろう。

フェルマーの最終定理 (サイモン・シン 新潮社)★★★

 フェルマーの最終定理とは、17世紀にフランスの数学者フェルマーにより提示された「3以上の自然数nに対して、 Xのn乗+Yのn乗=Zのn乗 を満たす自然数X、Y、Zは存在しない」という命題のことである。フェルマー自身は本の余白に「私はこの命題の真に驚くべき証明を持っているが、余白が狭すぎるためここに記すことができない」と書いたきり、証明を残さなかった。
 本書は、極めてシンプルな形式にもかかわらず3世紀以上の長きにわたり世界中の数学者の挑戦を退けてきたこの超難問が、1993年(最終的には95年)にアンドリューズ・ワイルズにより証明されるまでの歴史を、ピュタゴラスにはじまる数学の主要な歴史と重ね合わせながら興味深く描いている。
 おそらく、中高生の頃数学好きであった人間なら誰しもこの問題を一度は解こうと試み、早々と挫折した経験があることと思う(実は私もその一人)が、ワイルズは10歳のときにこの問題の魅力にとりつかれた後弛まぬ努力を続け30年後にこれを証明するのである。その営みは一種感動的である。
 また、ワイルズの証明は、谷山=志村予想という日本の数学者が提示した予想を証明することによりなされたものであることから、谷山、志村の紹介にも相当のスペースが割かれている。
 数学の本ではあるが、基本的に数式を使用していないので、数学の素養がなくても読み進めるのに困難はない。高度な内容を平易に語る著者の手腕は見事であり、一級の科学ドキュメントといえる。是非一読を薦めたい。

 なお、数学者というのは完全な証明を求める人種であることを描写するために本書で引用されている小話を紹介しておく。
  「天文学者と物理学者と数学者がスコットランドを旅行していたとき、列車の窓から原っぱに一頭の黒い羊がいるのがみえた。
    (天文学者):これはおもしろい。スコットランドの羊は黒いのだな。
    (物理学者):何をいっているんだ。スコットランドの羊の中には黒いものもいるということじゃないか。
    (数学者) :スコットランドには少なくとも一つの原っぱが存在し、その原っぱには少なくとも一頭の羊が含まれ、その羊の少なくとも一方の面は黒いということさ。」


詐欺師入門 (デヴィッド・W・モラー 光文社)★★

 本書は1940年に出版された本の復刻版。当時、現実に行われていたさまざまな詐欺の手口を分析、紹介しており、映画スティングのタネ本になったともいわれる(実際、スティングの設定は本書で紹介されている手口そっくりである)。著者は言語学者で、犯罪に関するスラング研究から発展して、このような本を書いたようである。
 60年前の復刻版なので、記述全体は古めかしい感じは否めず、いわば古き良き時代の犯罪記録といった趣がある。しかし、本書で紹介されている手口自体は、交通、通信、情報流通が当時とは比較にならないほど進展した現在では通用しないものではあるが、その人間心理を巧みにつく技術には感心させられる。結局、大規模な信用詐欺というのは、被害者自身の楽をして(ときとして不正な)利益を得ようという心理につけ込む犯罪に他ならないということがよくわかる。被害者をこのような心理に誘導する技術は、ある種の芸術といってよい。時代は移り、手法が異なっても、楽をして利得を得たいという誘惑につけこむこの種の詐欺はなくなることはないのだろうなという思いにさせられる。(例えば、現代の日本でも"M資金"などという与太話に騙される一流企業人が定期的に出てくることなどもその類だろう)

クジラは食べていい! (小松正之 宝島新書)★★★

 捕鯨に関しては、なぜこんな理不尽なことが国際機関でまかりとおるのか、というほどひどいことがIWC(国際捕鯨委員会)の場で展開されてきている。本書は、この理不尽な状況と永年最前線で闘ってきた水産庁の漁業交渉官による捕鯨問題の啓蒙書。
 捕鯨禁止問題に関しては、おそらく多くの日本人が何となくおかしいなと思いながら、鯨肉が日常生活から姿を消していることもあり、あまり関心を払っていないという状況ではないかと思うが、本書により一人でも多くの人に、捕鯨反対国がいかにひどい行動をとってきているか、実態を知ってもらいたいと思う。
 捕鯨産業は仮に将来再開されることがあっても、産業規模としてはさして大きなものにはなることはないだろう。おそらく、日本が捕鯨問題で自らの立場を貫くために払うコストの方が高くつくかもしれない。しかし、本件は単に損得の問題ではなく、国際社会において自らが正しいと信ずることを貫くことの重要性の問題である。本書を読んで、今後、何年かかろうとも日本は現在のスタンスを貫くべきであるとの感をより強くする。
 本書のなりたちの性格上、多少やむを得ない面はあるが、この種の議論をする場合は冷静な記述こそが、説得力を増すことにつながることを考えると、著者の筆がやや感情的に流れる部分があるのは残念。また、一部の環境団体に対し(当然のことではあるが)強い批判を投げかけているが、記述箇所によってはすべての環境団体を批判しているように受け取られかねない点も気をつけるべき。さらに、例えば、本書の文脈でグリンピースを批判するのはもっともであると思うが、グリンピース自体は(人によって評価に差があるものの)肯定的に評価すべき環境保護活動も行っていることから、団体自体を否定するような書き方ではなく、できるだけ捕鯨活動に関する活動に着目して批判を行った方が戦略上効果的であろう。
 なお、本書を含め、最近の我が国は、鯨が海洋資源(魚類)を大量に捕食している点に着目し、海洋資源のバランスという観点から捕鯨を正当化する論理をとっているが、この点については、「そもそも捕鯨が行われる以前、現在より鯨が多数生存していた時代に海洋資源バランスが崩れていたわけではないのであるから、鯨の捕食が海洋資源バランスを崩すとの論はおかしい」との批判についてキチンと反論する必要があるだろう。本書でもこの点について触れられてはいるが必ずしも十分な説明になっていないように思う。

 捕鯨問題に関心がある向きは、以下のサイトが参考になる。

 (捕鯨を支持する立場のサイト)
   ・(財)日本鯨類研究所:世界の鯨研究に大きく貢献
   ・日本捕鯨協会
   ・捕鯨ライブラリー:様々な論考を集めた個人サイト。役に立つ。

 (捕鯨に批判的な環境団体のサイト)
   ・GREEEN PEACE 本部のサイトにある捕鯨に関するページ
   ・グリンピース・ジャパンのサイトにある捕鯨問題に関する考え方
   ・WWF(世界自然保護基金)本部のサイトにある鯨関係ページ
   ・WWFジャパンのサイトにある捕鯨問題に関するページ(捕鯨自体に反対していないことに注意)    

投球論 (川口和久 講談社現代新書)★★

 広島、巨人で計18年の投手生活をおくった川口による投手論。特に第一章の「投手とは何か」が興味深い。投手が10人いればおそらく10通りの投球論があるのであろうが、少なくとも、投手というのはどういうふうにものを考えて投球を組み立てるのか、また打者がどのように投手を意識するのか、といったことをこれほど具体的に説明した本は今までにないのではないか。また、第2章の「右の強打者・左の強打者」では、実際の打者との対決に即して、よく耳にする投手対打者の右・左の関係について実にわかりやすく説明されている。その他にも投手と捕手の関係、広島と巨人との違いなど興味深い内容が随所にみられる。  文体が語り口調で読みやすい(おそらく聞き書き方式)こともあり、すぐに読める小著であるが、プロ野球好きにはお奨めである。

「室内」40年 (山本夏彦 文藝春秋)★★

 山本夏彦が、自らの主宰するインテリア雑誌「室内」の創刊以来の歴史を、女性社員を相手に語る形式の本。出版当時、かなり話題になった。一応、社の歴史を著者が実践した編集論を中心に語る構成のはずなのではあるが、そこは一筋縄ではいかない著者のことであり、雑誌に登場した人物論から当時の風俗・世相に至るまで話は本筋を離れ縦横無尽に展開される。一面、貴重な戦後史にもなっている。著者は、姿を消しつつある古き良き時代の教養の体現者であり、読んでいると自らの無学を省みて調べものをしたくなってくる本である。
 対談相手の女性社員の絶妙の合いの手もこの本の魅力に貢献している。途中で聞き手が替わっているが、どちらの聞き手もいい味を出している。
 以前紹介した、本書と同じ形式がとられている「誰か戦前を知らないか」もお奨め。

 (ルイス・サッカー 講談社)★★

 98年度の全米図書賞をはじめ、数々の賞を獲得した児童向け作品。
 主人公は、ひいひいじいさんにかけられた呪いのために代々運が悪いイェルナッツ一族の4代目、スタンリー・イェルナッツ(Stanley Yelnats)。無実の罪を着せられ少年更正施設で来る日も来る日も荒地に穴を掘り続ける作業をさせられる。この穴を掘る作業には、施設の女所長の隠された目論見があったのだが...。やがて、スタンリーは施設で友達になったゼロを追って脱走。紆余曲折を経て、最終的には先祖以来の不運を覆し、勝利を得る物語。
 現在のスタンリーの話と、ひひじいさん、ひいじいさんの時代の話が並行的に物語られていく形式がとられているが、何よりも物語全体が非常に綺麗に構成されており、伏線の張り方もうまい。また、スタンリーや更正施設の仲間、それをとりまく人々、ひいじいさん、ひいひいじいさんの時代の人物像も生き生きと描かれている。一言でいって、洗練された完成度の高い物語である。児童文学だが、大人の鑑賞にも耐えるものとなっている。

エンディミオンの覚醒 (ダン・シモンズ 早川書房)★★★

 ハイペリオン4部作の完結編。これまでの長大な物語を通じて提示されてきたさまざまな謎が解明されていく。
 読み進むにつれ、「おー、そうだったのか」という箇所が随所にでてくる。なかには必ずしも附におちない部分もないではないが(とくにタイムパラドックスの処理はあまり厳密ではないと思う)、ともかくも有無をいわせない力強さがある。おそらくもう一度最初から読み返せば、見落としている伏線があちこちにはられているんだろうなという気がする(さすがに4冊で2段組2500頁となると簡単には読み返せないが)
 あえて注文をいえば、場面々々の描写は相変わらず細密で群を抜いて素晴らしいものの、これだけ長い物語だと(冗長とまではいわないが)描写の過剰性が気になってくる面がある。また、解決編という性格上、どうしても説明的な場面が多くなり、物語の流れが平板になる部分もある。
 改めて4部作を振り返ってみると、作品自体の出来としては前2作「ハイペリオン」「ハイペリオンの没落」と後2作「エンディミオン」「エンディミオンの覚醒」にやや差があるが、ともかく全体として大変な構想力といわざるを得ない。私はSFはそれほど量は読んでいないのであるが、おそらくSF史に残る名作の一つといって良いのではないか。 

ハンニバル(上・下) (トマス・ハリス 新潮文庫)★★★

 サイコミステリーの最高傑作「羊達の沈黙」の続編。
 前作から7年後。FBIの中堅捜査官になっているクラリス・スターリングが捜査活動上の責任を問われ窮地に陥ったところにレクター博士からの手紙が届くことから物語は始まる。物語自体はレクター博士への復讐に燃える大富豪の陰謀を中心に進むのだが、狙われるレクター博士も大車輪の活躍である。
 全体として「怪物」レクター博士の人物造形とこのような人格がいかに形成されてきたかということにも重点が置かれており、いわば「怪物」の人格分析の巻といった感がある。ただ、その分クラリスを含め他の登場人物の影が薄くなっている感があるのは否めない。作者の筆も自らの産み出したキャラクターに引きずられたというところか。
 本作品では「羊たちの沈黙」では、やや消化不良的なレクター博士とクラリスの関係にも決着がつけられているが、このような終わり方については様々な意見がありうるところだろう。心理小説という面からはおさまるべきところにおさまったと思うのだが、反面、クラリスの扱い方については正直って違和感もある。
 総じていえば、「羊達の沈黙」と同タイプの作品でさらに上回るものを期待するとあてがはずれるが(そもそも「羊達の沈黙」を上回る作品などそうそう書けるものではないのでこれは期待する方が間違い)、本作品自体が、一級のミステリー作品に仕上がっていることは間違いない。「羊たちの沈黙」を読んだ人間は本作品も読まずにはいられないだろう。
 本作品も映画化の予定があるとのことだが、訳者後書きをみると「羊たちの沈黙」でクラリスを演じたジョディ・フォスターは今回は断ったそうだ。私は彼女が好きなので残念ではあるが、本作品におけるクラリスの位置づけをみると断ったのは何となくわかる気がする。ただ、レクター博士役はアンソニー・ホプキンス以外は考えられないので是非出演してもらいたいものだ。 

電脳社会の日本語 (加藤弘一 文春新書)★★★

 複雑極まる文字コード問題について、歴史的経緯から最新の動向までを総合的に論じた概説書。著者は、自らのウェブサイト「ほら貝」の中の「文字コード問題を考える」というコーナーで従来からこの問題を論じてきており、これを基に関係者の取材と最新の資料を踏まえまとめられたのが本書。文字コード問題に関するはじめての本格的な概説書である。

 文字コード問題とは、(ものすごく乱暴にいえば)「各言語の個々の文字とコンピュータ上で扱う符号との対照表をどのように作るか」という問題。例えば、もし、私のパソコンは「東」という文字を0001と符号化する対照表を使用し、私の通信相手のパソコンは0001という符号と「西」を対応させる対照表を使用していたとすると、私は待ち合わせ場所を「新宿駅東口」と書いて送ったつもりなのに相手方のパソコンには「新宿駅西口」と表示されることになる。我々が日常的に使用する文字の範囲では、一定の規格がすでに成立しているので、このような極端なことは起こらないが、それでも複数の規格が併存してるためときとして文字化けが生じる原因になっている。

 本書の記述の中心は、漢字のコード化である。文字種類が極端に多く、一つの文字について歴史的に様々な書体があり、かつ日、中、韓の各国間でもばらつきがある漢字をどのようにコード化するか。これは、日本国内における現在のJISコードをどのように拡張していくかという問題であると同時に、世界中の文字を共通のコードで符合化しようとする国際的な取組の中で漢字をどのように位置づけるかという問題でもある。

 本書では、この他にも日本の漢字制限論を巡る動向が文字コードにどのように影響を与えてきたかといった歴史的事実の掘り起こしから、マスコミでも話題になっている「今昔文字鏡」、「e漢字」、「超漢字」といった漢字をめぐるプロジェクトの紹介・評価に至るまで幅広く触れられている。
 また、真の多言語環境の構築には、英語を中心とする西欧諸国の言語と漢字だけでなく、アラビア語やインド系の言語等に対する十分な認識が必要との指摘にもうなずかされるものがある。

 本書の記述はよく整理されているが、問題の性質上、内容がある程度煩瑣になる面がでてくるのはやむを得ない。何種もの文字コード規格が紹介されるので、最初のうちはメモをしながら読んだ方がよいかもしれない。ただ、多少細かい点をとばしても、とにかく全体を読み通すことにより得られる知見は大きいだろう。

 なお、冒頭に紹介した著者のウェブサイトには、本書のサポートページをはじめ、文字コード問題に関する興味深い内容が満載されている。リンク集も非常に充実している。是非訪問することをお奨めしたい。


裏モノの神様 (唐沢俊一 イースト・プレス)★★ (or ×)

 唐沢俊一がさまざまな「裏モノ」について蘊蓄を傾けながら論評していくコラム集。週間アスキーの連載をまとめたもの。私はこの種の本は大好きなので★★という評価だが、もともと興味のない人にとってはくだらない以外の何ものでもないと思う。(or ×)というのはそういう意味。
 この種の本は、題材に取り上げられた「裏モノ」自体のディープさもさることながら、それをどのように論評するかということが重要。プレゼンの仕方でおもしろくもつまらなくもなる。その点、唐沢俊一はこの種のものを料理させれば屈指の名人であり安心して読める。

倫理21 (柄谷行人 平凡社)★★

 柄谷行人がカントを徹底的に読み抜くことにより、実践としての「倫理」を提起する書。本書で述べられる著者のカント解釈の妥当性については私には判断する能力がないが、カントの解釈から導き出されるかどうかという点からは離れても、自由、責任、主体等について
など示唆に富む指摘に満ちている。
 柄谷行人は、徹底した思考に基づき構築された強靱な理論を通じて徐々に現実世界に影響を与えていくいわばマルクス型の人間という印象があったのだが、近時はより直接的に現実を変えるための行動・実践を提起するサルトル型に変わってきたような気がする。湾岸戦争時の「声明」あたりが転換点だろうか。個人的には、以前の傾向の方が好みには合っている。

笑うカイチュウ (藤田紘一郎 講談社文庫)★★

 寄生虫博士として有名な著者のデビューエッセイ集の文庫化。花粉症等のアレルギー症の増加は寄生虫の減少と相関関係があるとのユニークな仮説をはじめ、戦後衛生状況の改善とともに激減していた寄生虫症が、国際交流の増大、過度のグルメ指向、ペットブームなどにともない近時増加傾向にある話など寄生虫を巡る話題が興味深く綴られている。また、寄生虫症の増加傾向にもかかわらず、寄生虫研究者や大学の寄生虫講座が減少の一途をたどっていることに関する危機感なども述べられている。
 普段なじみのない(しかし、案外身近に存在している)寄生虫という存在を扱ったおもしろエッセイとしても十分楽しめるし、発展途上国に海外赴任する人やペットを飼っている人などにとっては実用の書にもなるだろう。

星と生き物たちの宇宙 (平林久、黒谷明美 集英社新書)★★

 電波天文学と宇宙生物学という研究のフィールドは同じ宇宙だが、研究対象を全く異にする二人の学者による対談。各章毎に一方が聞き役、一方が話し手という役割分担で交互に自分の専門分野にについて語ってゆく。それぞれ一般にはなじみのない分野であるが、近時のトピックを中心に語られる内容は極めて興味深いものである。両者とも自分の携わっている研究が本当に好きであるという感じが実に良く出ていて好感が持てる。
 本書は、メールを使った対談という珍しい試みである。通常の会話形式に比べて、一つ一つの発言がかっちりした書きぶりになっており特に専門的な説明の部分において理解しやすい反面、対話内容が相乗効果的に膨らんでいくといった対談の妙という面には欠けるように思う。メールの場合、基本的に書き言葉である、対話に比べレスポンスに時間がかかるといった点が影響しているのかもしれない。
 なお、読者の趣味にもよるだろうが、話の脱線や駄洒落はもう少し抑え気味でもよいと思う。

エンディミオン (ダン・シモンズ 早川書房)★★★

 傑作SF「ハイペリオン」及び「ハイペリオンの没落」に続く作品。舞台は、「ハイペリオンの没落」から二百数十年後。宇宙は、カトリック教会を中核とするパスク(平和)という政体が統治している。ハイペリオンに暮らす青年ロール・エンディミオンはふとした争いから死刑になりかかるところを謎の老人に救われ、時間の墓標から出現する少女をパスクの手から保護することを依頼される。一方、パスク側も少女を教会に対する脅威とみなし、教皇の至上命令を受けた神父大佐デ・ソヤが少女の身柄確保を目指す。全編が、エンディミオンと少女の逃避行とデ・ソヤの追跡行が交互に語られる形式で構成される。周辺の物語がない単線的な構成であるが、その分、力強くグイグイ物語に引き込まれる。圧倒的なおもしろさは相変わらずである。
 前作までで提示された謎が一部解き明かされると同時に、新たな謎も提起される。シリーズ最終作にあたる次作「エンディミオンの覚醒」ではこれまでの謎がすべて明かされるとのことであり、読むのが楽しみである。

ブギーポップは笑わない (上遠野浩平 メディアワークス)★

 本書に手を出すについてはやや迷ったのであるが、流行ものはできるだけフォローするという個人的行動原則に従い、原作だけでも読んでみようと思いトライ(さすがにアニメまではフォローする気にならないが)。
 SFジュブナイルものとしては良くできていると思う。高校を舞台とする一連の出来事を、複数の登場人物の視点から並行的に描く構成が特徴。話者の異なる複数の物語を読み進むうちに物語の全体像が明らかになる仕組みであり、全体の構成はよく練れている。また、各々の登場人物の主観的内面、第三者からみた外面がともに描かれることになり、登場人物の立体的な性格づけもある程度できている。表題になっているブギーポップが主人公らしからぬ役回りなのは、あえてそうしているものと思われる。読後感が、ややせつない感じがすることが人気のある秘密かもしれない。
 難点はSF部分の仕立てが粗雑なこと。せめて、「アーシアン」くらいは参考にして欲しい。また、クローンの描写もちょっとおかしいのではないかと思う。物語の厚みという面は決定的に欠けているが、そもそもが良くも悪くもゲーム感覚作品であり、それを求めること自体が無理なのであろう。
 ブギーポップは現時点でシリーズで8作でている。20年前ならもっとはまったかもしれないが、現在の私の感覚ではとりあえず本書を読んで置けば十分というところである。

博物学の巨人 アンリ・ファーブル (奥本大三郎 集英社新書)★

 日本を代表する昆虫愛好家にしてファーブル研究家の著者が記すファーブルの評伝。ファーブルというとイコール「昆虫記」という印象しかなかったが、本書を読むと表題にあるように何よりも自然全般に関心を持つ博物学者であったことがよくわかる。著者はファーブルと南方熊楠を並べて論じているが、なるほどと思わせる点がある。著者がファーブル好きという点もあり、肯定的な面しか記述されていないので評伝としてはやや食い足りない面があるが、誰でも名前は知っているが実像はよく知らないファーブルという人物を再認識できるという意味では手頃な著作である。  

どすこい(仮) (京極夏彦 集英社)★★

 究極のお遊び小説。京極夏彦が書いた連作パロディということをしらなければ、最初の1作を読んだ段階で放り出してしまうかもしれない。もちろん、作者も意図して「なんてくだらない」と評される仕立てにしている。パロディ小説なので、元ネタを読んでいないとこのおもしろさを理解するのはつらいだろう。冒頭の「四十七人の力士」はまだ正当派のパロディっぽい香りはあるが、どんどん馬鹿馬鹿しくなっていく。しかし、よくこんなくだらないことを思いつくものだと感心する。ひょっとして、京極夏彦は隠れデブ専なのでは?

千里眼 (松岡圭祐 小学館文庫)★

 自衛隊出身という異色の経歴を持つ女性心理療法士、岬美由紀が正体不明のカルト教団の陰謀に立ち向かうサスペンス・ミステリー。横須賀基地から総理官邸に向けてのミサイル発射を阻止する冒頭部からラストのシーンに至るまで、たたみかけるような筋運びで読者を引き込み、エンターティンメントとしては前作の「催眠」に比し格段の進歩がみえる。「催眠」は?だったが、本作品は★をつけてもよいだろう。
 ただ、細部が粗いのは相変わらず。メインプロットが荒唐無稽なほど作品のリアリティを確保するためにディテイルに気を配る必要があるはずなのだが、この点については???の描写が頻発するのは何とかしてほしい。特に、政府、自衛隊関係者の行動は、いくらなんでもこんな行動や言動はとらないだろうと思われるものが頻出する。もう少し、取材するなりなんなりして、リアリティを出してもらいたいものである。

グリーンマイル(1−6) (スティーブン・キング 新潮文庫)★

 キングが分冊形式で書いた死刑囚収容棟を舞台にした小説。トム・ハンクス主演の映画のCMにつられて読んでみた。6分冊だが1冊あたりは約100頁で、6冊合わせてもキングの長編としては決して長いものではない。
 物語は、死刑囚房の主任看守、ポール・エッジコムがその晩年老人ホームで、大恐慌さなかのある年にやって来た忘れられない死刑囚ジョン・コーフィを巡る出来事について回想録を書くという設定で語られる。キングらしい達者な語り口であり、伏線のはり方、物語の盛り上げ方なども申し分ない。分冊形式という試みの関係か、キング特有の冗舌なまでの描写も抑え気味で、分量に比して読むのに時間はかからない。
 ただ、一方で何となく予定調和的にこぢんまりまとまった印象も受ける。話がどのように進んでいくかは3巻位でだいたい予想がつき、実際ほぼそのように進んでいく。これも、分冊形式の影響だろうか。

神の子どもたちはみな踊る (村上春樹 新潮社)★★

 神戸の「震災後」を通底するモチーフとした村上春樹の連作短編集。登場人物はいずれも個人的には震災で直接被害を受けているわけではなく、ニュースで見聞きしているだけである。にもかかわらず、震災は、彼らに静かに影響を与える。直接の因果関係があるわけではないが、確実に染み込んでいき、決定的な行動に至らせる。
 村上春樹を読むのは、「ねじまき鳥クロニクル(第三部)」以来5年ぶり。とらえどころのない曖昧な描写の中に、人間の心の深淵をかいまみせるような短篇の有り様は変わっていないように思う。本作品集の中では、特に「蜂蜜パイ」がいい。

日本の公安警察 (青木理 講談社現代新書)★★

 警察の実態、特に「公安警察」の実態については、これまでも警察OBなどによる暴露本的なものや、いわゆる左翼的立場からの批判本などはあったが、講談社現代新書という一般向けの書籍の体裁で出されるのは珍しい。
 本書は、共同通信の記者の手になるものであり、コンパクトな仕立ての中に、公安の歴史、オウム等をめぐる最近の動向、公安的手法の問題点などが要領よく整理されている。警察活動の中でも「公安」については国民の目から見えにくく、ときとして「謀略機関的」に語られることが多いが、本書によりそのいったんなりとも知ることができる。極めて興味深い本である。
 おそらく、本書を読む人間の大半は公安警察に対して批判的な考えを持つことになるのではないかと思うが、一方で、国家という装置を前提として物事を考えるとき、これを維持するための安全装置として公安的機能をもつ組織の必要性は否定できなものがある。その性格上、一般の行政機関のようなトランスペアレンシーやアカウンタビリティーを貫徹することが難しい公安警察のような組織をどのように運営していくべきか、非常に難しい問題である。

冬のオペラ (北村薫 中公文庫)★★

 以前に読んでいる作品であるが、文庫になって本屋に並んでいたので何となく再読。
 高校を卒業し伯父の経営する不動産屋に勤める姫宮あゆみ。この不動産屋のビルの二階に風変わりな探偵 巫(かんなぎ)弓彦が越してくることから物語ははじまる。巫は自称名探偵で「人知を超えた難事件を即解決 身元調査等、一般の探偵業は行いません」との看板を掲げ、普段はアルバイトで生計を立てている。あゆみはなぜか、心惹かれ、押し掛けワトソン役になる。この姫宮あゆみの一人称で物語は進むのだが、あゆみが非常に一生懸命で好感の持てる女性として描かれており、これだけでも読み進めるのが心地よい。
 三編からなる連作短編集であり、最初の二編は北村薫得意の日常の中の謎仕立て。三編目は少し長めで、舞台を京都に移し、殺人事件が起きる仕立て。いずれも人間の心にひそむ、できれば目をそらしていたい面を浮き彫りにする作品。表題作ともなっている三編目はトリック面からいっても本格派らしい趣向をこらした力作。北村薫らしい優しくかつ哀しみを帯びた語り口が心を打つ作品に仕上がっている。

江戸のおしゃべり (渡辺信一郎 平凡社新書)★★

 川柳を通して、江戸時代の風俗、しゃべりことば、男女関係などを解説する一冊。テーマ毎に関連する各種の川柳を取り上げて、著者が一句ごとに解説していく形で全体が構成されている。全体が同じ調子なので少しメリハリにはかけるが、逆にどこからでも読める形になっている。収録されている句は300余。そのうちからいくつかあげると、「「ばからしい、いやよ」と暗いほうへ逃げ」、「気のきかぬ永い日だのと新世帯」、「そちは二世あれは三月四日まで」などなど。著者の解説が学問的でありつつも、固くならずくだけた口調になっておりおもしろい。また「おちゃっぴい」「つんとする」などの言い回しが江戸時代から使われていたということなど意外な知見も得られる。
 本書は、「川柳にみる男と女」という副題にもあるように、男女関係に関わる川柳を中心に取り上げており(著者の趣味であろう)、これはこれでおもしろいのであるが、もう少し幅広く風俗一般についての川柳と解説も呼んでみたい気がする。江戸文化に興味がある人は是非ご一読を。

ハリー・ポッターと賢者の石 (J・K・ローリング 静山社)★★

 極めて正統的な英国ファンタジーである。主人公ハリー・ポッターの両親は優れた魔法使いであったが、ハリーが1歳のとき、邪悪な魔法使いヴォルデモートに殺されてしまう。孤児になったハリーは両親から受け継いだ魔法の高い潜在能力がありながら、自らはそのことを全く知らないまま、人間である伯父夫婦と従兄に虐げられる惨めな生活を送っていたが、11歳の誕生日を期に魔法界の名門校ホグワーツに入学を許され、魔法使いとしての新たな人生を歩みはじめる。(この導入部は、貴種流離譚のバリエーション)
 魔法学校に入ってからの物語も、よき友人、意地悪なライバル、暖かく見守ってくれる先生などに囲まれ、失敗を重ねながら成長していくという学園ものの定番ともいえる設定を踏まえつつ、これに魔法という要素が巧みに組み合わされ、楽しい読み物となっている。
 原作は世界で800万部売れた大ベストセラー。全七巻構成で本書は第一巻にあたる。非常に素直なストーリー展開で、ひねったところが全くないのがやや物足りない思いがしないでもないが、逆に子供から大人まで誰でも楽しめる作品に仕上がっているともいえ、これが国を問わず受け入れられている理由であろう。  

フランスワイン 愉しいライバル物語 (山本博 文春新書)★★

 ワインについては日本で最も詳しい人間の一人である著者による肩の凝らないエッセイ集。異なる産地やブランドをライバルとして対比して論じるスタイルはよく見られるものだが、本書では、定番のボルドー、ブルゴーニュだけではなく、論じられる機会が相対的に少ないロワールやコート・デュ・ローヌについても全17章の三分の一が割かれている。本書で取り上げられているワインは、ワインを嗜む人なら耳にしたことのあるものばかりだが、よく知っているつもりのワインについても、そこかしこに初見の知識が散りばめられており興味深く読むことができる。 

文明の衝突と21世紀の日本 (サミュエル・ハンチントン 集英社新書)★

 評判になった「文明の衝突」のサブテキスト的な性格の著作。ハンチントン理論の要諦を簡潔に把握するのに役立つ。ハンチントン理論は、極めてラフにいえば21世紀の国際秩序は複数の文明(ハンチントンは8つに分類)の衝突を通じて形成されるというものである。冷戦後の国際政治の分析枠組みとしては、同時期にフランシス・フクヤマが唱えた「歴史の終焉」が極めて哲学的であり、国際政治学界よりもむしろ思想界で話題になったのに比し、ハンチントン理論はよりプラグマティックな理論であり、その分国際政治分野に与える影響が大きいものといえる。ハンチントン理論は、イスラムの台頭、中国の影響力の増大など近時の国際政治の趨勢を分析する理論として一定の有効性があるものと考えてよいと思う。

 しかし、一方で次のような点については留意する必要があろう。(私は「文明の衝突」自体を読んでいないので必ずしも十分な理解ではないかもしれないが)
(1)文明を類型化する際の境界の曖昧性(この点はハンチントン自身も認識している)
(2)文明内の紛争は文明内で解決すべきとの思想は、ある文明内の紛争に関して、当該文明外からの関与を排除することを正当化する(例えば、他の文明内における人権問題についてどのように対応すべきか?)
(3)ハンチントンの論述は、各文明を対等に扱うのではなく、イスラムの台頭に関して極めて警戒感が強いものとなっている
(4)中国と日本の関係については、我々日本人の感覚とはややずれる点がある。このことは、西欧文明以外の文明の論述にも同様のズレがあることを想定させる
(5)米国内の文化多元主義に対する批判的態度の妥当性 等

 なお、ハンチントン理論では、日本は単独で一つの文明とされている。日本人は日本特殊論を好んで受け入れる傾向があるが、日本が単独文明とされているのは、本来的にそうであるからというよりも、日本が経済面で世界のメジャープレイヤーであることから、現在の国際政治の文脈ではそのようにみなすことが適切であると判断されているからにすぎないことに留意する必要はあろう。(エチオピアやハイチは単独の文明とは位置付けられていないが、文化面では日本と同様他の国と文化を共有しない孤立国であるとされている)
  

オカルトでっかち (松尾貴史 朝日文庫)?

 松尾貴史は芸能界におけるオカルト懐疑派としてよく知られている。本書については、松尾の芸風とあいまって、もう少し軽妙な語り口でオカルト批判をしているものと思って読んだのだが、何となく中途半端な出来である。巻末の解説で夏目房之介は、本書において松尾は完全にオカルト否定派に自らを位置づけているとみなしているが、私にはむしろ境界領域でふれつつも自らを否定派として強く位置付けようと努力しているように思える。私自身はいわゆる否定派に近い懐疑派なので、オカルト関係の書物については、もう少し「と学会」的なのりか、あるいは明確な科学的アプローチの方が好みにあう。

聞く猿 (ナンシー関 朝日文庫)★

 週刊朝日の連載コラム「小耳にはさもう」の文庫版第3弾。文庫化なので週刊誌における実際の論評時点と3年以上の時間格差があるが、ここで取り上げられている人物論評は、今日、昨日論じられたものといってもそのまま通用しそうなものが多い(なかにはちょっとズレてしまっているものもあるが)。ナンシー関は、週刊朝日のほかにも週刊文春や噂の真相などにも連載を持つ超売れっ子だが、コラムの内容は本当に安定しており量産による質の低下がみられない。テレビという限られた範囲ではあるが、信頼できるコラムニストである。

凍える牙 (乃南アサ 新潮文庫)★★

 人体発火殺人事件とそれに続く謎の動物*****による連続咬殺事件に取り組むバツイチの女性刑事、音道貴子の姿を描く作品。この作品の魅力は何といっても*****。特に、物語終盤近く音道がバイクで*****を追跡するシーンがいい。本作品の白眉。また、相棒の中年ベテラン刑事滝沢との関係が最初のギクシャクしたものから少しずつ連帯感のようなものがでてくる描写もGood。
 冒頭の人体発火殺人がやや奇を衒いすぎの感があること、なぜ音道が*****に魅かれるのかよくわからないことなどの粗も目立つが、事件の中心に*****を配置したことがこれらの欠点を十分カバーしている。でも、これが直木賞ということになるとウーンという気がしないでもない。

屍鬼(上・下) (小野不由美 新潮社)★★★

(ネタバレ記述ですので、未読の方はご注意ください)

 上下巻で1300頁はある大作。物語の舞台は、いまだに土葬の風習が残る外部との交流が少ない村「外場村」。ある猛暑の夏、原因不明なまま村人が異常なペースで亡くなっていく。並行して、誰にも知らせないまま忽然と村から転居していく人間も続出するなど奇妙な出来事が続く。一体村に何が起こっているのか。新たな伝染病か?外部から越してきた謎の一家が関係しているのか?
 上巻では、異常な現象が次々と起こる事態が様々な様相で描写されていく。原因不明であるだけに、いわゆる生理的な恐怖とはまた異なる、未知なるものに対する怖ろしさを感じさせる。上巻の後半ではじめて異常現象の原因が、「起きあがり(=吸血鬼)」であることに一部の人間が気づき、人間VS起きあがりという構図が明確になる。冒頭部から上巻後半までは、一歩間違うとダレ気味になりかねないゆったりとした描写が続くが、下巻に入ると徐々に展開スピードがあがり、ラストの怒濤のクライマックスに突入していく。
 この作品では、起きあがりとなって蘇った村人が別人格になるのではなく、生前の人格をそのまま維持している点がポイント。起きあがりは、吸血でしか栄養を補給できず、吸血を行わないことによる飢えは耐えがたいほど苦しいため、否応なく人間を襲わざるを得ないという設定はよくできている。単純に起きあがりを人間に敵対する存在と設定せず、残された家族・知人への親近感を残す哀しみを抱えた存在として描いていることにより、クライマックスの怖ろしさを一層際だたせることに成功している。小野不由美の一方の代表作となる堂々の大作である。(もちろん、もう一方は「十二国記」です)
 ちなみに、起きあがりのリーダー、沙子にはどことなく萩尾望都の名作「ポーの一族」の主人公エドガーを思い起こさせるものがある。

奇跡の人  (真保裕一 新潮文庫)★

(ネタバレ記述ですので、未読の方はご注意ください)

 脳死寸前の瀕死の重傷から回復し、「奇跡の人」と呼ばれる31歳の主人公、相馬克己。事故を起こした8年前以前の記憶をすべてなくした克己が過去の自分探しの旅にでる物語。
 克己はすべての記憶が8年前でリセットされている状態であり、新たに一から勉強をはじめているため、現時点の知能程度は中学生程度。31歳の体に中学生の知能を持つ主人公が、周囲の善意の人たち(本当に皆いい人たちばかり)に支えられながら、偏見にめげず社会復帰していく前半部分は心温まる感じでよい。
 そうこうするうちに、克己は、献身的に自分を看病してくれた母(既に亡くなっている)や病院の人たちが、自分の過去を隠していることに疑念をいだき、過去の自分探しの行動に出るのだが、後半、東京へでてきて昔の友人と出会った後の展開が?。まず主人公の過去の秘密が陳腐。前半で結構引っ張っているだけに、例え刑事事件を起こしているとしても、単に不良青年だったというのはチョットネという感じ。次に、克己の昔の恋聡子の行動も?。現在既に結婚し、子供がいるにしても、克己をそこまで避けるかという感じ。聡子が克己を異常に避けるため、克己の行動が単なるストーカーになってしまっている。また、克己の凶暴性が徐々にでてくるような記述はうまいのだが、最後の部分のまとめかたがあまりにもバタバタしている。ちんぴらと喧嘩をして相手を半殺しにするという行為と、その直後に、火災現場に飛び込み子供を助けるという行為との関係を、一応克己の心理描写で説明しているのであるがあまり説得力があるとは思えない。
 ラストで、再度植物状態になってしまった克己の世話を聡子が引き受けるというのも都合がよすぎるのではないか。そもそも、事態をここまでややこしくしたのはおまえのせいだろうという感じを受ける。
 文句ばかりつけたが、全体としてよくできた物語だとは思う。ただ、真保裕一にはもっとハイレベルを期待するので、あえて★。

遺伝子組み換え食品を検証する  (中村靖彦 NHKブックス)★★

 社会的関心を集めている遺伝子組み換え食品に関する手頃な入門書。過度に専門的にならず、問題のポイントと現時点の世界の動向を要領よく伝えている。いたずらに不安を煽り立てるような類の書とは一線を画している。例えば、昨年農林省が定めた遺伝子組み換え食品に関する表示基準について、大方のマスコミがEU基準より緩いとして消費者サイドから批判的な論調であったのに対し、本書ではEUが厳しい基準を採用しようとするあまり動きがとれなくなっていることや米国の動向とWTO戦略も視野に入れて農水省基準に一定の評価を与えている。より幅広い丁寧な取材により、ありがちな「欧米に比べて日本では....」といった批判に与しない冷静な論評といえる。
 おりしも、1月29日、遺伝子組み換え生物の国際取引に関する初めての規制である「バイオセーフティー議定書(カルタヘナ議定書)」がモントリオールで開かれていた生物多様性条約に基づく特別締約国会議で採択されたところであり、遺伝子組み換えに関する問題は、今後のWTOの動向も含めて目のはなせないところである。
 本問題に関心はあるが、むずかしそうでよくわからないと思っている人には、本書は最適の入門書といえるだろう。



女たちのジハード  (篠田節子 集英社文庫)★★

 直木賞受賞作。中堅の損害保険会社で働くOL達の物語。私には、ここに描かれるOL像にどの程度のリアリティがあるのかわからないが、とにかくもうまいし、どの話も読後感がよい。ただ、あまりにもサラッと読めてしまい、何かよくできたテレビドラマのノベライゼーションのような作品という印象を受ける。 


双頭の悪魔  (有栖川有栖 創元推理文庫)★

 有栖川有栖は初読。本書は本格派で知られる作者の代表作ともいわれる作品。大雨で橋が流され川向こうに孤立した芸術村と川のこちら側の村で並行的におきる殺人事件はいかになされたか。読者への挑戦が途中3度にわたって行われる本格中の本格といってよい仕立てである。
 犯人が誰かということについて、論理的には見事な説明がなされ、確かにその人間にしか犯行ができなかったということはわかるのであるが、どうも実際にその人間が犯行を行ったんだろうなということがリアリティを持って伝わってこない。もっともそのような類の描写は本格派が目指すものではないと行ってしまえばそれまでだが...。中学生ぐらいのときエラリークインが大好きで、X、Y、Zや国名シリーズなど貪り読んだものだが当時であれば感想がまた違ったかもしれない。要は自分の読書の好みが変わったということだろう。
 なお、私はいきなり本作品を読んでしまったが、探偵を演じる大学のミステリクラブの面々はシリーズの前2作「月光ゲーム」、「孤島パズル」と共通なので、キャラクターに親しむという点では順番に読んだ方がよかったかもしれない。


古文書返却の旅  (網野善彦 中公新書)★

 本書は戦後の混乱期に研究のため地方の旧家から借用した古文書が返却されないままになっているのを、当時の借用に一部責任がある著者がもとの持ち主に返却していく過程を描いているものだが、著者に代表される海の民、山の民に着目する新しい視点からの歴史研究が地方の旧家に保存されている膨大な古文書に負っていることがよくわかる。戦後の歴史研究の舞台裏作業をみる趣がある。
 文書借用当時の戦後間もないころの風景と返却する時点での二、三十年を経た風景の激しい変貌が本書の何カ所かで触れられているが、このような風景の変貌は、同時に貴重な古文書を保有しているはずの地方の旧家が消滅していく過程でもある。まだまだ残されているはずの未発見の古文書の収集、研究が少しでも進むように望まずにはいられない。


傭兵ピエール(上・下)  (佐藤賢一 集英社文庫)★★

 名門貴族の私生児という出自を持つ傭兵隊長ピエールと救世主ジャンヌ・ダルクの波乱万丈の物語。時代は英仏百年戦争も後半に入った15世紀前半。フランス北部はイングランドとブルゴーニュ公国の連合により支配され、フランス王国の王太子(後のシャルル7世)はいまだ即位の見込みもたっていない。民衆はあいつぐ戦乱と傭兵達の略奪にさらされ疲弊しきっている。そんな時代にあって、自らも傭兵隊長として荒々しい生活を送っているピエールは、フランスを救うべく神のお告げを受けたと主張する少女ジャンヌ・ダルクと出会うことで、その運命は大きく変わっていく。
 上巻はオルレアンの攻防が中心。下巻では南仏に隠遁していたピエールがイギリス軍に捕らえられ魔女裁判にかけられようとしているジャンヌ・ダルクを救うべく単身ルーアンに乗り込む。史実では、ジャンヌ・ダルクは火刑に処せられるのだが、さて本編では? 佐藤賢一の他の作品と同様、筋運びにやや荒っぽい面はあるものの、畳み込むようなストーリー展開が読むものをアキさせない。ピエール、ジャンヌ以外のキャラクターもよく描かれており魅力的。過去の悪行を背負いつつ生きていくピエールと神の啓示を失い一人の女性に変化していくジャンヌ・ダルクとの恋の変遷も興味深い。宗教の力が強い時代背景の中で、人間のたくましさを描く人間賛歌の物語にもなっている。


邪馬台国はどこですか  (鯨統一郎 創元推理文庫)★

 連作短編の歴史検証ミステリ。場所はとあるバー。登場人物は、カクテルが5種類しかつくれないバーテンダー松永と正体不詳の男宮田六郎、日本古代史専攻の大学教授三谷、三谷の弟子でマスコミにももてはやされている天才肌で美貌の世界史研究家早乙女静香という常連客3人の計4人のみ。毎回、宮田が従来の歴史的常識からは異端としかいえない説を唱え、これに対し静香が反論していくが最後にはやりこめられてしまうという構成で進む。
 展開されるストーリーは、(1)ブッダに関する「悟りを開いたのはいつですか?」、(2)邪馬台国論争に関する「邪馬台国はどこですか?」、(3)聖徳太子の正体に関する「聖徳太子はだれですか?」、(4)本能寺の変の真相に関する「謀反の動機はなんですか?」、(5)明治維新の黒幕に関する「維新が起きたのなぜですか?」、(6)イエスの復活に関する「奇蹟はどのようになされたのですか?」の6つ(謎の設定形式が5W1Hの順になるよう工夫してある)。この分野に不案内なので、個々の説について是非を論じることはできないが、素人目にも論理が冴えていると思われるのは表題の「邪馬台国」と「聖徳太子」。聖徳太子については他にも非実在説を唱えている人はいるが、邪馬台国東北説は全くの新説ではないだろうか。他の4編は結論へのもっていき方ががやや強引だが、部分部分では、例えば織田信長については一般に流布している常識が歴史書ではなく講談本に基づくものであることなど、「目から鱗」的な箇所がそこかしこにあり軽い知的興奮を味わうことができる。新機軸のミステリとして評価されてよいと思う。
 内容的には★★か★★★でもよいかとも思うのだが、残念なことに小説としてはお世辞にもうまいとはいえない。まず人物造形がうすっぺら。特に静香は天才肌の若手研究者という設定だがとてもそうはみえないのが最大の難。また、三谷は何のために登場しているかわからないぐらい影がうすい。さらに、会話の運び方も下手。静香のキャラをもっと魅力的に描き、宮田と静香のバトルをうまく書けば、数層倍おもしろい作品になったはず。ということでここではあえて★にした。  


死の記憶  (トマス・H・クック 文春文庫)★★

 9歳の時に、父親が母、兄、姉を殺して逃亡し、一人残された経験を持つ男が主人公。事件から35年後、すべてを忘れ平和理に生きる主人公の前に、家族殺しをテーマにしたドキュメンタリー作品を書く女性作家があらわれる。この女性作家の取材に協力するうちに、主人公の記憶のベールが1枚ずつ剥がれていき、やがて事件の隠された真相が明らかにされていく。
 主人公が過去を思い起こしながら、なぜ父親がそのような殺人を犯したのか推測していくのだが、推測上の父親の心理はそのまま現在の主人公に反映していき、主人公の実生活の崩壊につながっていくところが怖い。家庭を持っている男性なら多かれ少なかれこの主人公に感情移入してしまうのではないか。怖いものみたさで引き込まれるように読んでしまう作品。 そもそも果たして35年も前の記憶がこのようにあざやかによみがえってくるのか、主人公の家庭崩壊の結末の付け方の後味が悪い、主人公の父親が執着をみせる自転車の意味合いが今ひとつはっきりしないなど、文句はいろいろつけ得るのであるが、それらを割り引いても秀作といってよい。


ウィーン愛憎  (中島義道 角川文庫)★★

「うるさい日本の私」の著者の若き日(といってもすでに33歳になっているのだが)のウィーン留学記。著者の実質的デビュー作。遠いアジアの異文化に対する偏見と高慢に満ちた西欧的精神との戦闘記録である。大学の事務員、アパートの大家、アルバイトの日本語学校の同僚英人教師などと著者はつぎつぎと闘っていく。とにかく、徹底的に論理的かつ実践の人である。「うるさい...」でもそうであるが、著者のものの考え方には首肯できるものが多いものの、自分でも実践できるかと問われれば躊躇せざるをえないという人が大半だろう。
著者はウィーン留学中に結婚するのであるが、本書中に著者が「妻の強い反対を押し切って...」行動に出る場面が何カ所かでてくる。著者のような人の奥さんをやっていくのは結構大変だろうと思う。


ユダヤ陰謀説の正体  (松浦寛 ちくま新書)★★

少し大きな本屋に行くと「ユダヤの陰謀」という類の本を数種類程度すぐにみつけることができる。一読してわかる妄想本については「トンデモ本」として笑い飛ばしておけばよいのであるが、95年のマルコポーロ事件で有名になった「アウシュビッツのガス室はなかった」などと主張するいわゆるリビョジニスト達については注意が必要である。彼らは、一見、客観的資料や証言を積み重ねているという体裁で自分達の主張を飾っており、そこで用いられているウソや文脈を無視した文献引用などは事実を知らなければ反論できないこともある。そういう意味で本書は、巷間流布しているリビョジニスト達の主張に騙されないための基本的事実を押さえておくには格好の書といえる。
なお、マルコポーロ事件については、雑誌を廃刊にまで追い込んだユダヤ人団体による抗議行動の在り方及びこれに対する出版社の対応の在り方についての議論は別途ありうるところである。本書ではその点については何の言及もない。主題とはずれるため言及がないのは当然かも知れないが、できれば著者の見解を聞きたいところではある。

(4/2補足)
 著者の松浦氏からメールを頂戴した。調べものをされていたところ偶然このサイトがヒットしたとのこと。上記の著者の見解を知りたいと書いた点については、「マルコポーロ事件に関するユダヤ諸団体の対応にはやはり問題があるが、そうしたことを書くと右翼やネオ・ナチに利用されるおそれがあるので、枚数の関係上、問題点の整理と指摘にとどめた。私(松浦)の立場は「ジャーナリズムと歴史認識」(凱風社)とほぼ同じである」との趣旨であった。偶然目にとまったサイトの感想に丁寧に答えていただいて恐縮。紹介いただいた「ジャーナリズムと歴史認識」(凱風社)については、機会があれば是非読んでみたい。


不実な美女か貞淑な醜女か  (米原万里 新潮文庫)★★

米原万里のデビューエッセイ。先日読んだ第二作の「魔女の1ダース」と比べるとデビュー作のせいか書きぶりはやや肩に力が入った感じがするものの、豊富なエピソードを交えながら一般人からは異能者とも思える通訳の世界をわかりやすく示してくれる。読み物としておもしろいことはもちろん、仕事で通訳のお世話になることが多い人には賢い通訳利用の手引きにもなっている。
なお、最近の我が国に見られる行きすぎた幼児期の英語教育に警鐘を鳴らす著者の主張には全く同感。コミュニケーションツールとしての外国語修得の有用性を否定するものではないが、語るべき内容を身につける方がさらに重要。外国人とのコミュニケーションについて「いかにして」という問いには「通訳を活用」という解もあるが、「なにを」という問いに「他者に頼る」という解はない。


誰か「戦前」を知らないか  (山本夏彦 文春新書)★★

辛口エッセイスト山本夏彦が、自ら主宰する雑誌「室内」の「日常茶飯事」と題するコーナーで毎号若手女性編集者を相手に昔を縦横に語る回顧録的エッセイをまとめたもの。以前、評判になった「「室内」40年」の続編的性格のものである。「「室内」40年」では、これまでの雑誌の歩みを振り返りながらの編集論が中心であったが、本書では世に流布されている「戦前真っ暗史観」を打破することに主眼がおかれている。著者のものの考え方に全面的に賛同できないまでも、歴史観について自分なりのバランスをとるための一つの材料として有用。女性編集者とのやりとりの軽妙なズレ具合も相変わらずでおもしろい。この女性編集者のファンが多いそうだが、納得できる気がする。なお、「日常茶飯事」は現在も「室内」で連載中。


広辞苑を読む  (柳瀬尚紀 文春新書)★★

著者はあの「フィネガンズ・フェイク」を全訳した「人の5倍は辞書をひき、人の2倍は辞書が好き」という翻訳家。辞書の代表といえばやはり「広辞苑」ということで、著者が最もお世話になっている辞書「広辞苑」をひもときながら様々な角度から論評していく。もっとも、本書は広辞苑礼讃の書というわけではない。広辞苑、大辞林、大辞泉の三種の辞書を比べつつ、著者にとって望ましい辞書の在り方を探っていく体裁になっており、広辞苑にはむしろ注文をつけている場面の方が目に付く。著者は、三省堂の広報誌の米原万里との対談で「ぼくはある大辞典について、新書を一冊書いているとこですが、これがなかなかほめるところがない」などということも言っているぐらいだ。もちろん、愛着があるからこその注文でもあろう。ともかく辞書を引くのが楽しくなる一冊である。


人生の棋譜この一局  (河口俊彦 新潮文庫)★★

将棋界も3年前の羽生七冠の誕生時に比べれば世の中の注目度は落ちているものの、羽生、佐藤、谷川、藤井でタイトルを分け合いつつ、これに次ぐ者も肉薄している状況で目がはなせない。そんな将棋界のスポークスマン的役割を果たしているのが本書の著者。将棋のプロ6段だが、自ら4流棋士と称するように本業の成績は今ひとつ。しかし、その文才をもって、外界からはなかなかうかがい知れない天才達の世界を凡人の我々にもかいま見せてくれる。こういう人が業界内にいるのは将棋界にとって幸い。将棋にあまり関心がない読者でも楽しめる。同じ新潮文庫からでている前著の「一局の将棋一回の人生」もお薦め。
ところで、将棋界には他にも先崎学、島郎など好著をものしている棋士がいるが、囲碁の方面ではあまり文章の達者な人がいるとは聞かない。なぜなんだろう。


うるさい日本の私  (中島義道 新潮文庫)★★

怪著である。著者は哲学専攻の大学教授。駅構内、列車内、デパート、公共施設など日本国中いたるところにあふれるアナウンスについて、これを無意味な騒音とみなして闘いを挑む。著者の主張は極めて理にかなっている。公的な音は許されるが、私的な音は許されないとの考察は鋭い。単に口で批判するだけでなく、実際にあらゆるところに文句をつけにいくのがすごい。思ってもなかなか実践に移す人はいない。文句を言われた方もさぞかしめんくらったことだろう。自らをドン・キホーテと称するだけのことはある。
最初は騒音撲滅の社会運動の啓蒙書かと思って読み出したら実は違った。このような状況を許容している我が国の社会に蔓延している自立精神の欠如を批判する哲学書であった。痛快な中にも考えさせられる書である。


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