砂漠の旅
Jan.1, 2001
カイロからの走行距離を積算すると、約1360キロメートル程になる。
そのうち540キロが、砂漠。砂漠と言っても、砂山(Sand
Dune)はほんの少し。
後は、礫や岩が一面に広がる悪路の連続だ。忍者の撒き菱のような礫の上を、
4、5時間も走っていることもある。良くぞタイヤが持つものだ、と何度も感心した。
車の中は、揺れるなどと言うものではなく、ガブラレル!、状態が連続する。
首の筋肉が相当に強化されてくる。hi
2泊野営したが、夜の寒さも格別だ。昼間の4倍位は着込んだ上で、
らくだの原毛を編んだ厚くて硬い毛布2枚に包まり、テントの中で寝るのだが、
それでも、隙間から遠慮なく忍び込んでくる容赦ない寒さに、何度も目が醒める。
二晩目は、あまりの足先の寒さに靴を履いたまま寝たが、それでも朝まで、
痺れるような寒さが取れなかった。
西部砂漠の夕陽は、つるべ落し。空が赤く染まることも殆どない。
空気が澄んでいて、水蒸気も埃もないからだ。
太陽が地平線に隠れた後のまだ青さの残る中天に、ビーナスが明るい輝きを大きくする。

砂漠を走破するためのランドクルーザーとベドウィンの運転手、マグディ。
20年以上前のもので、「余計な」電子装置は一切付いていないから、
故障しても経験と勘で直せてしまう。
朝の始業運転には慎重に各部分から来る音に耳を済ませていた。
清浄な砂、砂、砂。
優しい表情を見せているが、これは西部砂漠でも例外的な顔なのだ。
後は、礫か岩か、それらも交じり合ったものが延々と続く。

手前の砂の上は、ランドクルーザーが滑るように走る。
その先の礫が浮き上がって黒く見えるところでは、がぶられ続ける。
昼食。左手前に見えるアエーシュは、エジプト人達の常食。
食べ飽きることがない美味さがある。
きゅうりやトマトや玉葱を使ったサラダが真中にあるが、
砂漠の民にとっては、贅沢なピクニックだ。
バハレーヤから南東180キロほどのところにある鍾乳洞。
砂漠の中に、ぽっかりと口をあけていて、そうだと知らなければ、見落としてしまう。

中には、何万年もの間に水が作り出した見事な列柱の並ぶ広間がある。
広間の床は砂。静かに人間のはからいを拒んで、その奥を見せない。
10年前に再発見された。
それ以来のゲストブックが洞内にぶら下げられていて、訪問者の署名が並んでいる。
私は、日本男児としては、一番初めに中に入ったことが、それを見れば確かめられる。
この一年ほどの間に、既に大和撫子が二人、名を残していたが・…。

これを見付けた時は、一瞬、凝然とし、厳粛な気持ちに包まれた。
今回の旅のガイド兼運転手であった三人のベドウィンたちの一人が、岩陰に残したものだ。
左が東であることは、影からも判るだろう。メッカの方向だ。
両手をついた間に額の残した跡がある。
彼らは、砂漠のこうした清浄な砂を見つけては、手足を清め、祈りを捧げる。
灰色の砂と黒い礫が延々と続く。礫の角は、何れも鋭く尖っている。
タイヤの破裂が起こる危険性も少なくない。
スペアのタイヤは各車に一本づつ。
中央から左に流れる砂煙は、先を疾走するもう一台のランドクルーザーのものだ。
岩山からいきなりこの礫漠に出た時は、
轍が延々と織り成す幾筋もの縞模様の美しさに息を飲んだものだった。
これは、時速60キロ程の車内から、手ブレもなく撮ることの出来た貴重な一枚だ。

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