○「ミュージック・マガジン」 1982年1月号(2001年1月8日UP)
ピープルという竹田賢一さんによるインタビュー記事。セーター姿の写真入り。普通の人風です。
いや〜19年ぶりに読み返しました。
いきなり「クビ,はっきりいってクビです。経費の使いすぎが原因です。」とチャクラがナベプロをクビになったところから始まります。凄いですね(笑)。
マネージメントの話,自分の声の話,ケイト・ブッシュにインスパイヤされた話など,深刻そうな内容を明るく語っています。
今歌っているのは,演歌でも歌謡曲でもロックでもなく,こういうは自分の境遇の中でであったものが圧縮されて,だんだんこうなっていると言う感じで,同じような境遇にある人,いませんか? と募集してます。
ワタシそうかも(笑)。
○「季刊・MUSIC・STEADY」,1982年,Spring号
リザードのモモヨとの対談です。
わははのレコーディングの様子から始まって,チャクラの話,
パチンコの話,プラモデルの話,夢の話,お金の話,超合金のオモチャの話,
細野さんの話など,楽しい話題で満載です。
特に「昨日見た夢」というのがぶっ飛んでいて,全文を紹介したいところですが,何かと問題があるようなので,掻い摘んで説明すると・・・・・
馬に乗った人が象をけ飛ばしてしまい(?),何故かそこに居合わせた美潮嬢が,「そんなことしちゃ危ないじゃないか! 象はなかなか一人じゃ起き上がれないんだぞ!」と怒ります。
それでしばらくすると,”やっぱり”という感じで,「象の反乱」が起こります。
地上をもの凄い勢いで,ダダダダダッといろんなものを壊しまくりながら反乱するわけです。
んで,美潮嬢はいつのまにかお墓にいます。たまたま前日友人の2周忌でお墓参りをしたせいだからと思われるそうです。
その後象の和尚さんが出てきて,いらっしゃいよ,と言われるところで目が覚めた,ということでした。
この対談の最後に,美潮嬢が10年位の長さでものを見たい。(チャクラ)
から10年位たって,一段落ついてから,また何か始められたらいいな,と言っております。
事実そうなったのでした。
ともかく若い頃から美潮嬢は不思議な人でした。
○「ミュージック・マガジン」,1984年7月号
これは戸川純ちゃんとの初対面対談です。美潮嬢の方がちょっとだけお姉さんなんですね。
タイトルは「一生懸命やれば,天才よりうまくいくかもしれないね」。
ちょうど最初のソロアルバムを作っていた頃のものです。このアルバムには,ヤプーズでベースを弾いている中原信雄氏が参加していますね。
美潮嬢が純ちゃんに,仙波さんが「はにわオールスターズ」に純ちゃんが参加してくれないかな? と言ってたよと言います。
言ってくれればよかったに,と純ちゃんは答えていますが,これは後に実現しましたね。
ご両人の対談は,そのキャラクターからは想像出来ないほど(?)マトモなことを言い合っていました。
子供が出来たらしばらく一緒にいたい,などと美潮嬢が言っておりました。
○音楽と人,1995年2月号
Love,Peace&Tranceのアルバム・リリース時のもので,4人で出演しています。
タイトルは「ふぞろいの曼陀羅たち」(笑),インタビューは能地祐子さんです。
細野晴臣さんが3人の名前の由来について説明し,小川さんは「ひと目でTRANCEさんではないかと」言っております。
美潮さんは,「こないだまで煮詰まりの日々を過ごしていて,本当に面白いことが何一つないと,感じて生きてきていて,今回のレコーディングは,寝ずにいられることがこんなに楽しかったのは久しぶり」と申しております。