〜2〜
kyo
かたっ。
わずかな音をたてて、扉は開いた。
栗色の頭が、ひょこっと飛び出して、周囲を見渡す。
すでに、宿の明かりは落とされ、皆寝静まっている時刻である。
何の気配もないことを確認すると、リナはこっそりと部屋から抜け出した。
足音を殺し、そっと歩き出す。
「どこへ、行く気だ? こんな夜中に」
「ガウリイ………」
リナは飛び上がった。
振り向くと、廊下の隅、ちょうどランプの明かりの影になるあたりに、金髪の
青年がたたずんでいた。夜だというのに、ブレストプレートと剣を身につけ、
腕組みした姿勢で壁に寄りかかっている。
「………おどかさないでよ。ほんっと、気配消すの上手いんだから………。
びっくりして、あやうく呪文唱えるところだったわよ、あたし」
「びっくりして呪文って………おまえ………」
ガウリイがあきれたように深くため息をついた。
「で、こんな夜中にどこへ散歩かな? お嬢さん」
手を胸の前で組んだリナが、ガウリイを見つめて瞳をうるうるとうるわせる。
「やーねー、ガウリイ。乙女が夜中に出かける理由なんて、たったひとつじゃ
ない」
「盗賊いぢめか?」
あきれたようなガウリイの声に、
「勿論」
ウインクしてリナが答える。
「嘘だな」
ガウリイが即座に言葉を返す。
ガウリイは堅い表情で、ゆらり、と身をもたせかけていた壁から離れた。
「なんで?」
「単なる盗賊いじめにしちゃあ、けっこうな重装備じゃないか」
リナの正面、視線を捉える位置で立ち止まったガウリイが言った。
一瞬の間を置いて、リナが答える。
「───そう? あたしが盗賊いぢめに行くっていうと、すごく心配する保護
者がどっかにいるからね。支度ぐらいちゃんとしとかないと」
笑みさえ含んだ答えにも、ガウリイは険しい顔を崩さない。
低い声で、
「───ゼロスの『お願い』の件だな」
リナが2,3度瞬きをした。
「何よ。あたしが、ゼロスの頼みなんか、聞くわけないでしょ?
あたしを利用することしか考えてないようなヤツの頼みを。
───なに考えてんのよ。ガウリイ」
「リナが素直にあいつの『お願い』を聞くような性格じゃないのは、知ってる
が」
「じゃ、どうしてそんな変なこと考えたのよ」
「そういう理由とは別に、行くだろうと思ったんだ。お前さんの性格なら。
ゼロスの頼みは聞けなくても、自分で納得できる理由があれば、それがどんな
に危険なことでも、やるだろう? ───違うか? リナ」
リナは、黙ってガウリイを見た。
うつむき加減に瞳を閉ざし、口元に苦い笑みを掃く。
「全くね………どうして、こういうときにばっかり頭使うのよ。普段はてんで
クラゲなくせに」
小さくため息をついたガウリイが渋い顔で答える。
「あのなあ、一体何年のつきあいだと思ってるんだよ。
お前さんの性格は把握してるって。
………何となくな、さっきの話を聞いてて思ったんだ。
───きっと行くだろうって」
昂然と顔を上げてリナがガウリイを見る。
「あたしを、止めるの?」
「止めたって、行くだろう? リナだし」
ガウリイがにやっと笑った。
「だから、オレも行く」
リナが息を飲む。
「あのねえ、あんたさっきのゼロスの話を聞いてなかったの?
魔法以外は役に立たないところに、あんたが行ってどうするのよ」
「───じゃあ、待ってろって言うのか。
お前さんが帰ってくるのをただ待ってろって。
そんなことできる訳ないだろう?」
珍しく強い口調でガウリイが言う。
何か言いかけたリナが、ガウリイの表情をみて口を閉ざした。
真剣な表情を浮かべたガウリイの視線が、しっかりとリナの瞳を捉える。
「言ったろう? オレはとことんまでお前さんにはつきあってやるつもりだっ
て。
もし、それで足りないなら………それ以上の理由が欲しいなら、いくらだって
やるから。
だから………」
その表情に、リナが息を飲む。
「………ガウリイ………」
小さくつぶやき立ちつくすリナに、ガウリイが手を差し伸べる。
ためらいがちに延ばされた白い手を、ガウリイの大きな手が掴んで引き寄せ
た。
そのまま腕の中に、包みこむように抱き寄せる。
青年の体に両腕を回したリナが、ゆっくりと瞳を閉ざす。
その耳元に、ガウリイが低くささやきかける。
「───ひとりでなんて、行くな───」
ガウリイの腕の中、リナがあえかな微笑みを浮かべた。
ゆっくりとガウリイの胸から上体だけ離し、顔を上げる。
その表情に誘われるようにガウリイがリナの方に顔を寄せていく。
リナの唇が小さく動いた。
「───スリーピング───」
力ある言葉が効果を発揮する。
ふっと力を失って崩れ落ちるガウリイの体を、リナがしっかりと全身で抱きと
めた。
泣き笑いのような表情をしてつぶやく、
「………ホントに馬鹿ね。ガウリイ。ちょっとは警戒しなさいよ………」
自分よりはるかに大きな体の重みによろめきながら、リナがどうにか青年を自
分の部屋のソファーまで引きずっていく。横たえるというより、座らせたのに
近い形でソファーに寄りかからせ、ベッドからとってきた毛布をそっと掛け
る。
そのまま、ソファーの脇の床に膝をつき、リナはガウリイを見つめた。
穏やかな寝顔を、つんつんつつく。
「ま、風邪なんかはひかないわよね。ガウリイだし」
乱れてしまった髪を掻き上げ、その頬に触れる。
「………お伽話の王女様みたいね」
いたずらっぽい表情でリナがくすっと笑った。
青年の額にそっと口づける。
「ちゃんと、王子様が起こしに来てあげるから………それまで、待ってるの
よ」
ばさり。
リナはマントを翻して立ち上がった。
その表情は、すでに先ほどまでの少女のものではない。
天井を見上げ、りんとした声で呼びかける。
「いるわね? ゼロス」
それまで、何の気配もなかった空間が、不意に裂け、
暗闇の中から神官服をまとった青年が現れる。
「───はい」
リナが、短く告げる。
「行くわ」
ゼロスが無言で頷いた。
自分の纏うマントをふぁさりとリナの方へと振りかざす。
次の瞬間、二人の姿は、そこからかき消えていた。
闇の中、何処とも知れぬ空間をゼロスとリナは移動していた。
「それにしても、よく僕の『お願い』を聞いてくださるつもりになりました
ね」
ため息混じりにリナが答える。
「呼ばれてすぐに飛び出てきたくせに、よく言うわねゼロス」
そこで、リナがはたっと何かに気がついたようにゼロスを見た。
「ちょっと待って。あんた、どっから見てたのよ」
「え? 別の空間からですが」
「誰が場所を聞いてるのよ。
あたしが聞いてるのは、時間よ時間。いつから見てたのよ」
「え? それは当然、最初からでしょう。
いやあ………リナさんもガウリイさんも………若いっていいですねえ………」
「しみじみ遠くをみて、んなこと真面目な顔でいうなっっ!!
最初から覗いてたのっっ?」
「いえ、これも仕事ですから………って、頼むからここで呪文はやめてくださ
いっっ。
ヘンな空間に出たら、リナさんだって困るんですよ」
あわてふためいたゼロスが話題を変える。
「し、しかし、よく僕がいるとわかりましたね。気配は完璧消してたはずなの
に」
「あんたこそ、あたしのことを待ってた訳よね」
「それは、リナさんが受けると思ったからですよ」
「あたしは、あんたの『お願い』を聞いたんじゃないけど」
「じゃあ、世界を救うためですか?」
「あのねえ、ゼロス。
あたしはそーいうかったるいの、嫌いなのよ。
そういうのは、故郷の姉ちゃんにでも任せるわ。
あたしは、ただ、自分のものを守るだけ」
「ご自分の───好きなものを、ね」
「そうよ、悪い?」
リナが昂然とゼロスを見る。
「いいえ」
ゼロスが笑った。
「義務感であれ、正義感であれ………もしくはご自分の好きな方を守るためで
あれ………。
あなたがここにいるという結果は同じですからね」
と、ゼロスがリナの方を振り向いた。
「───でも、よかったんですか? リナさん。ガウリイさんを置いてきたり
して」
「光の剣を持ってた頃ならともかくね、今のあいつの剣じゃ役に立たないで
しょ?」
「でも、ガウリイさんがいまお持ちの剣も、そこそこの魔力剣なんでしょう
?」
「そうね、まあ、あれでもふつーの魔族相手なら不足はないだろうけど、両手
剣じゃあ………動きはどうしても制限されるわ。
長さの問題もあるしね。
あんた、あの剣持ったガウリイと戦って、負ける気する?」
「実を言えば………全然そんな気はしませんねえ」
「だから、今回のことにあいつをつれてくのは、むざむざ死にに行かせるよう
なもんよ」
「………いえ、僕としては、ガウリイさんが死のうが生きようがどうってこと
はないんですけどね」
リナがあきれたようなつぶやきを漏らした。
「………やっぱり、あんたって魔族よね。ゼロス」
「リナさんの志気に関わる問題ですからね。リナさんも一応人間の女性です
し、やっぱり、愛する人にはそばにいて欲しいなんて思うもんなんじゃないん
ですか?」
リナがむせる。
「………悪かったわね、一応女性で」
ゼロスは、小首を傾げて。
「あれ? 僕は一応人間って言いたかったんですが」
ゼロスの首根っこを押さえたリナが妙に静かな口調で問いかける。
「………ゼロス。あんたそんなにラグナブレード食らいたいの?」
「まあまあ、リナさん。ほんのちょっとしたお茶目じゃないですか」
ぱたぱたとゼロスが手を振る
リナは、ため息をついて、
「あのねえ、ゼロス。あたしは負ける戦いなんて、する気はないわ。
当然、死ぬつもりもないし、誰かを死なせるつもりもない。
あたしは、ちゃんと生きて帰る。
今回のことは、これがベストなのよ」
「リナさんらしいお返事ですね。なら、いいでしょう。
あなた方人間の『力』は、その意志にあります。
例え僕たち魔族から比べれば、微々たる物とは言え、
決して無視できる量でもない。
今回のことは、リナさんのその意志にかかっているんですから」
「でも、どうしてあたしなの?」
「リナさんじゃなきゃできないからです。
僕たち魔族は、確かに空間を渡ったりすることはできますがね。
異世界へ扉を開くほど揺らがせることはできないんですよ。
………それこそ、『管轄』というものがありまして、
自分たちの管轄外の世界へのアクセス権というのは、僕たちにはないんです。
魔王様クラスの方でないと」
「………本っっ気で、お役所仕事やってない? なんか、あたしが言ってあげ
る義理はぜんっぜんないんだけど………魔族って、そんなんで、本当に世界を
滅ぼすつもりなの?」
「ええ、まあ、一応」
「───理解できないわね」
「まあ、僕たち魔族としては、世界を滅ぼすっていうのが、最終的な目標なん
ですが、管轄外の世界のものの力で、というのは許せない。
異世界のものに出ばってこられた
結果なんてのは困るんです。
それで黒魔術の得意なリナさんに『お願い』したということで」
「でも、それだけじゃ、わざわざあたしを指名してくる理由としては弱くない
?」
ゼロスが頷いた。
「それについては、後ほど現場で説明します。実際に見て確認していただいた
方が、てっとりばやいので………」