〜3〜
kyo
ゼロスがリナを連れていったのは、ありふれた海辺だった。
入り江を見下ろすように、空中に浮かんでいる。
リナが呪文を唱えているのではない。
ゼロスの力だ。
風に巻き上げられる髪を押さえながら、リナが尋ねる。
「何よ、ゼロス。何にもないじゃない」
ゼロスは頷いた。
「そうですね。ここには何もありません。
ところで、この場所に見覚えはありませんか?」
リナが周囲を見渡す。
上空から見下ろした光景は、地上からいつも見ている光景とあまりに違ってい
て、すぐには自分のいる場所を把握することができない。だが。
入り江になっているその地形が、妙に不自然だった。
まるで、何か巨大なものが落ちてきたかのような………。
「───まさか、ここって───」
ゼロスが頷いた。
「そうです。かつてリナさんがいらっしゃったことのあるところですよ。
この入り江はあなたがつくられた───『あのお方』の不完全な呪文を使っ
て。
リナさんの目には見えないでしょうが、そのせいでここは空間的に不安定な、
揺るがしやすい場所になっています。今回はこれを利用しましょう。
これとあの呪文を利用すれば、道を開くことは難しくない。
この空間と、異界のもののいる空間は僕がつなぎます。
リナさんは、異界のもののいる空間でラグナブレードを使ってください」
「開くのはいいけど、閉じるのはどうするの?」
「それは、なんとかなります。
もともと、世界そのものにも元に戻ろうとする力復元力がありますしね。
いざとなれば、閉じるぐらいは、僕たちの力でもなんとかなります。
こちらの世界に関することですから」
「………なんだか、アバウトな話ね。
………ま、いいわ。行くわよ、ゼロス」
ゼロスが頷いた。
その空間は、なにやら異様な気配に満ちていた。
それは、あるいは恐怖、悲しみ、と呼ばれる負の気配。
魔族と関わることの多いリナにとっては、ある種、なじみのある気配でもあ
る。
だか、それはあまりに異質だった。
ほとんど物質的な重みをもって、ねっとりと重く体にまとわりつく。
「いつも、あんた達の気配ってヤなもんだと思ってたけど………ゼロス。
あんたたちって、実は結構まだましだったのね」
「………この状況で、いきなり一言目で、そう来ますか………。
生まれる種族、間違ってますよ。リナさん」
「すーだら魔族に言われたくないわ。で、ここはどこ?」
そこはどこかの神殿のようだった。
すでに省みられなくなって久しいのだろう
荒涼とした雰囲気が漂っている。
あたりには高い柱が何本も屹立し、
崩れた建物の残骸が、そこ彼処に横たわっている。
地面とおぼしきところから空までは、境界線というものがほとんどなく、
陽炎のようにゆれて、その色彩を変えている。
「ここは、もう異界のもののいる空間です。
見えますか? リナさん。あそこにいるのが異界のものです」
リナがゼロスの指さす方に視線を向ける。
そこには、何やら得体の知れない『闇』としか形容のしようがないモノがい
た。
「な、なんかヤな形してる………」
「そうですね。あえていうなら大きなナメ………」
「───それ以上言ったら、はっ倒すわよ。ゼロス」
「殴りながら言わないでください」
さして痛くもなさそうな顔で頭を撫でながらゼロスが言う。
「まあ、形はどうあれ、あれを向こうの世界へ返してやればいいのね。
どうするの?
魔王クラスの力なら、空間に干渉できるんでしょ?
ドラグスレイブでも撃てばいいの?」
「いえ、話は、そう簡単じゃないんです。
先ほど、何故リナさんをお呼びしたかということを尋ねられましたよね。
その答えがあれでして………。
ここは、とりあえずということで異界のものをむりやり閉じこめている結界な
んですが、
このかりそめの空間の角になっているものがあるんですよ。
それを壊してやらなきゃならないんですが、
そこに、ちょうどあの異界のものが陣取っちゃいまして。
一応はいろいろ試して見たんですが、どうも動いてはいただけないようなんで
すね………」
「ちょっと待って………確かその異界のものには普通の魔法や剣は効かないん
でしょ?」
「はい」
「でもって………ひよっとしなくても、異界の魔族の王でもある『金色の魔
王』の力なら有効な訳ね?」
「はい」
「じゃあ、あたしを呼んだのは………」
「リナさんにあれに向かってラグナブレードを撃ってもいただくためです」
「………接近戦で………?」
「はい」
「やだなあ………あたし、降りようかなあ………」
「ここまで来て、何を言うんですか、リナさん」
リナがため息をついた。
「どっちかって言うと、あたしよりガウリイ向きの仕事よね」
「じゃあ、ガウリイさんをお呼びしましょうか?
今なら、まだ間に合いますよ」
一瞬口を開きかけ、リナが静かに首を振った。
「………呼んだって、『金色の魔王』の魔法しか通じないんじゃ、意味ないわ
よ。
それに、あんた達が動かそうとして動かせなかったってことは………見た目は
どうあれ、結構力があるんじゃない?」
「そうですね。向こうの魔王の腹心とまでいかなくても、相当上級のようです
ね」
「じゃ、やっぱり呼ぶわけにはいかないわ。
ゼロス。あんたのフォロー、当てにしていいんでしょうね」
「ええ、リナさんに呪文を使っていただく前に倒れられるわけにはいきません
からね。
ガウリイさんほどうまくはいかないでしょうが、フォローさせていただきま
す」
「じゃあ、ちょっと小手調べってことで」
リナが力ある言葉と共にエルメキアランスを解き放つ。
異界のものへと向かった力は、あっさりとそれに突きささった。
「え?」
見守るリナの前で、エルメキアランスは異界のものに食い込み………そのまま
方向を変えて排出された。
「何? 跳ね返したの?」
「いいえ」
リナの背後にいるゼロスが首を振った。
「あれは、跳ね返しているんじゃありません。
あえて言うなら、屈折させた、というところでしょうか。
正確な表現じゃありませんがね」
「魔法が効かないって、こういう意味だったの?」
「ええ。あいつに魔法を当てることはできる。
ただし、全く被害を与えることができない………。
存在の次元がずれているとでもいうんでしょうか。
ファイヤーボールなどの普通の魔法が、僕たちアストラルサイドに身を置くも
の達に効果がないように、こちらの力では、相手に影響をあたえることができ
ない」
「じゃ、もう一つ試しに………」
リナが腰からショートソードを抜き放ち、それに向かって投げつけた。
やはり、そのソードも異界のものの中を突き抜け、全く別の方向へととばされ
た。
ゼロスが何気なく手を伸ばし、虚空を掴む仕草をする。
呼び寄せられた短剣がゼロスの手の中で実体化した。
リナがその手から短剣を受け取り、腰にもどす。
「………ご覧のとおりです」
ゼロスが言った。
「………なんか、当たってんのに、相手にダメージ行ってないってのは、結構
ストレスたまるわね」
「リナさんっっ」
声と共にゼロスがとんっ、とリナの肩を押す。
リナは押された勢いのまま、横の方へと体を倒した。
リナとゼロスの間の空間を、強い風が薙いでいく。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だけど、女の子はもっとやさしく扱いなさいよ」
リナがばさっと髪を掻き上げる。
頬に触れたその手が、赤い色に染まる。
襲いかかってきた風は、リナの皮膚を切りさいていた。
「………向こうの攻撃がこっちに無効って訳じゃないのね」
「残念ながら、そのようです。
それでも、強力な魔法でなら、対抗するくらいは………」
「風の結界張ったら、効くと思う?」
「気休め程度には」
「じゃ、動きが阻害される分、張るだけ無駄ね。
相手の攻撃を避けてるしかないんじゃ、長引かせるとあたしたちが不利にな
る。
ゼロス、あんた、おとりになる度胸ある?
あたしが呪文の詠唱終わるまで、なんとかあいつの気を引いて」
ゼロスの方を振り向きもせずに、リナが言い放つ。
「仮にも上級魔族に言う台詞じゃありませんよ、リナさん」
ゼロスが低く笑った。
「でも、まあ、妥当な役割分担だと認めます。
では、そういうことで始めましょうか」
「うわわわわっっ」
リナは飛んでくる火球のようなものを、右に、左に動いてかわす。
それでも全てを避けきることはできない。
リナに火球が襲いかかる。
火球はリナに触れる寸前、その姿を消した。
ゼロスがひらひらとリナに向かって手を振って見せている。
攻撃を無効化するかわりに、空間ごとねじ曲げて、火球をどこかに消したらし
い。
「フォローが遅いっっ」
リナが怒鳴る。
再び異界のものへと向き直る。
異界のものの前に、ゼロスが現れ、攻撃をしかけ始める。
神殿の祭壇とおぼしきあたりに陣取ったそれは、アメーバのようにその形を変
え、
何処ともしれないところから攻撃を放つ。
その本体から伸びた触手のようなものを、軽々とゼロスがかわす。
それを横目で見ながら、リナは崩れた柱の影を静かに移動していった。
かたん。
リナのブーツが、足下にあった柱のかけらを踏み砕いた。
「───!」
リナの耳にゼロスの警告の声が響く。
次の瞬間、リナの体は空中に投げ出されていた。
地面に叩きつけられる衝撃に、息が詰まる。
「………ちゃんとこっちも見てたってわけね」
リナの口の中に、鉄の味が広がる。
どうやら今の衝撃で唇を切ったらしい。
「乙女の体に傷をつけるなんて、紳士のやることじゃないのよ。こっちの世界
ではね」
リナは、ふと何かの気配を感じた。
ほとんどカンを頼りに、転がってそれを避ける。
リナの背後にあった柱が、すっぱりと鮮やかな切り口を見せて、崩れ落ちる。
「………全く、ンなのにどうやって魔法をあてろっていうのよ」
どうにか立ち上がり、異界のものの死角になりそうな場所に転がり込む
「どうせなら、ゼロスにあれの近くまで転移してもらえばよかったわ」
離れた場所にいるはずのゼロスの声は、リナの耳元でした。
『試してみるのはかまいませんが………。あのへんの空間はちょっと妙なこと
になってましてね。二度とこの世界に戻ってこられなくてもかまわない、とい
うのであれば、送って差し上げますが』
「………やっぱ、やめとく………」
リナはため息をついた。
幾度かゼロスの援護を受けながら、リナは、どうにかその異界のものの近くに
転がりこむ。
リナは、そろそろと柱の影から異界のものをのぞき込んだ。
幸い、ゼロスの攻撃は、そこそこ効果があるらしい。
リナの方に回ってくる攻撃はなかった。
まず、はじめは増幅の呪文を唱える。
体につけたタリスマンが、輝きを発し、リナの呪文の詠唱に応じた。
そのまま、ラグナブレードの呪文を口に乗せようとしたとき、
異界のものが妙な動きを見せた。
遠くにいるはずのゼロスの声だけが妙にはっきりとリナの耳に届く。
「まずい。結界が………」
その瞬間、爆発が起こった。
リナは重い瞼を引き上げた。
どのくらい気を失っていたのかわからない。
体のあちこちが痛んで、悲鳴をあげている。
リナは抜き身のまま手に握りしめていたショートソードを地面に突き立て、
それに縋るようにして、体を起こした。
怪我自体は、リカバリイでなんとかなる程度のものだが、痛みがひどい。
痛みは集中力を削ぐ。
特に大きな魔法を使う場合、集中力が落ちるというのは───。
「あーあ。こーんなうら若い乙女がこんなところではかなくなるなんて冗談
じゃないわよ、全く………。心残り大ありだってーの」
リナが苦笑し、栗色の髪を掻き上げた。
ゼロスの姿は見えない。
先ほどの爆発のようなものは、異界のものの力なのか、もしくは………ゼロス
の叫びからすると………それまでの閉鎖された空間そのものが、崩れかけたの
だろうか。
ゼロスからのフォローは期待できないのかもしれない。
リナはそっと異界のもののいるあたりをのぞき込んだ。
思い切り吹きとばされたが、異界のものとの距離は、リナが思ったほど離れて
はいない。
ラグナブレードは、短時間しか持たない呪文だが、唱えきることさえできれ
ば、なんとか魔力がつきる前に、異界のもののそばにたどりつく事ができるだ
ろう。
相手の攻撃を避けていくという条件つきだが。
「よいしょっと」
小さな声をかけてリナが立ち上がった。
くらりと傾いだ体を、近くの柱に寄りかからせる。
「とりあえず、ラグナブレードを当てさえすればいいのよね。
それができなかったら………あの呪文を使うしかないけど………」
くすっとリナが笑った。
「………せめて、あんなクラゲ相手でも、キスくらいしてから来ればよかった
かな………?」