ピンク・レディ−よもやま話


第7話 作り手からみたPLとは?1999.5.30
第8話 再結成活動再考 1999.6.27
第9話 ネットの中のPL 1999.10.17

第10話 25周年再結成のコンセプトとは?1999.10.24
第11話 PL社会現象論 1999.10.31


第7話 作リ手からみたPLとは?1999.5.30


今日は、PLの曲の作り手(作詞・作曲家)から見たPLについてのお話です。

皆さんは、PLの曲のほとんどが阿久悠先生作詞・都倉俊一先生作曲によることはご存じだと思います。デビュ−曲「ペッパ−警部」から「マンデ−・モナリザ・クラブ」まで(カバ−曲「ピンク・タイフ−ン」を除く)と、ラストシングル「OH!」、それから解散後の復活で「2年目のジンクス」も担当されましたね。
この黄金コンビ、PL以前では、山本リンダ、フィンガ−ファイブという歌手にも曲を提供していますね。都倉先生の言われる「ファンタジ−路線」です。この「ファンタジ−路線」の集大成というか最大の成功がPLであったわけですね。ある方の評論で「山本リンダをソフトにしたものがPLだ」などというものがありましたが(^^)、なかなかおもしろい表現だと思います。

さて、あれだけ大ヒットを飛ばしたPLですから、この黄金コンビにとってもPLは、感慨深い存在であると思います。手元にデ−タがないので、私の記憶なのですが、確か都倉先生の売上ベスト10ではほとんどが、阿久先生の売上ベスト10でもかなりの曲がPLの曲で占められていたと思います。
1996年「再会」の時、あるラジオ番組でケイちゃんが「(PL現役当時)あまり誉められたという印象は全然ないです!」と、ちょっと不満そうに発言してました。ケイちゃん、そんなことないですよ!

以下、最近の阿久先生、都倉先生のPLについてのコメントを紹介します。PLについて最大限の賛辞を贈っていることが、おわかりいただけると思います。
まず、阿久先生。ある書籍で「売行きまで含めて爽快感というのは、ピンク・レディ−がいちばんです。このときは本当におもしろかった。」
次に都倉先生。ケイちゃんが出演されたト−ク番組で、ケイちゃん宛にFAXメッセ−ジを送り、その中で「僕にとって、ピンクとの活動は一生の財産となっています。」とコメントされています。ケイちゃん思わず、涙・・・・

どうですか?スゴイご発言だと思いませんか?これほど、作り手から想われている歌手もなかなかいないと思います。


第8話 再結成活動再考 1999.6.27


皆様はPLの再結成活動について、どのようにお考えですか?PLファンの中でも、様々なご意見があるかと思います。
3年に一度程度がよろしいですか?それとも、もっと継続的な再結成活動がよろしいですか?いずれにしても、ミ−ちゃん、ケイちゃんのお気持ち次第なのでしょうが・・・デビュ−25周年の2001年に期待されている方も多いようですね。
私としては、クッキ−結成から25周年になる今年からでも、是非、継続的・本格的な再結成活動を開始していただけたら・・・と願うものです。

私が、再結成活動にこだわるのは、以下のような理由です。
PLデビュ−当時のはタ−ゲットは、確か「健康的なお色気路線」ということで、中・高生から上の年代だったのでしょう。予想外に子供達に受けたことで、その後タ−ゲットの年代を下げていきましたね。これは、作詞家の阿久先生によると、意図的に路線を転換したようですが・・・1978年の「モンスタ−」「透明人間」あたりが顕著でしたか。
その後、1979年の「マン・モナ」で大人のPL路線に転換か・・・と思いきや、アメリカ進出、1年後の解散発表という展開になるわけです。名曲「うたかた」が出たのもこの頃でしたね。
「子供をタ−ゲットにした時期」と「大人のPL路線」との振幅の大きさを理由に、PL批判を行う方もいらっしゃるようです。
なかなか難しい問題ですね。普通のアイドルなら、徐々に大人の路線へ進んでいくものでしょうから、PLは例外ですね。まあ、PLは「普通のアイドル」ではないですから・・・
このタ−ゲット年代の振幅の大きさの是非については、ここではあえて問題にしません。
私にとって、残念なのは「大人のPL路線」が道半ばで、解散となってしまったことです。「マン・モナ」や「うたかた」のような曲をもっともっと歌ってほしかった・・・というのが本音です。

その後、何回かの再結成活動がありましたが、長くても半年で、ちょっと物足りない感じがします。
是非、「大人の魅力のPL」を前面に出した本格的再結成活動を、継続的にお願いしたいのです。
ケイちゃんが、先日のテレビ「素顔が一番」で「ファンの皆さんへ・・・恩返しがしたい」というような有り難い発言をされていました。
ずうずうしいお願い(^^;)で恐縮なのですが、本格的再結成活動も、是非「恩返し」の一つに加えていただければ・・・と思います。


第9話 ネットの中のPL 1999.10.17

 
PLについて語りますと、ついつい熱くなってしまう私ですが、今日は肩のこらないお話(閑話)です。PLの解散は1981年ですが、当時、現在のようなインタ−ネット時代が到来することなど、夢にも思わなかったですよね。解散後18年経過した現在、親衛隊様HPに最新情報が掲載されたり、掲示板でファン同士がPL情報を交換したり・・・PL解散時、「ファンにとって、もう永遠にPLについて語る機会などない」と思っていただけに、感慨深いものがありますね。

さて、PLに関してネットサ−フィンするなら、やはり親衛隊様HPを始めとするPL−NETの各HPを巡回するのが、内容の濃さから言って一番だと思います。・・・しっかり宣伝(^^;)

次に面白いのが、皆さん実行されていると思うのですが、やはりロボット型検索エンジンの活用でしょうか。あまり条件を入れないで検索しますと、カクテルのHPだったり、あやしげなアダルトHPに行き着いたりでビックリです。うまく本当のPLに行き着いても専門HPでなければ、PLについてほんのちょっとだけ触れているものが検索されます。それでも、その手のHPはPLファンでない外野の方から見たPL像みたいなものが出ていて、なかなか興味深いものがありますね。
結構多いのが、個人の日記形式のものです。カラオケでPLメドレ−を歌ったという類のものも多いのですが、テレビでPLを見た感想も結構多いものです。昨年12月の「レコ大40周年」でお2人が「UFO」を歌われましたが、このOAについての感想もかなりありました。大方の感想は、当時と変わらぬスタイル・衣装で歌われたお2人への賞賛というか驚きでした。「肩のラインが・・・脚のラインが・・・」と賞賛しているHPもありました。

それから、1996年「再会」開始時に、NHKの番組や「ハンマ−プライス」などにお2人が出演されて、歌を披露されましたが、これについての感想も結構ありましたね。特に「ハンマ−プライス」は当時の衣装で「サウスポ−」「ウォンテッド」を披露されたので反響も大きかったようです。どこかの掲示板で(OAを見て)「ドキドキした」「リハなし?」とか書かれていました。そして、「あなたは、ミ−ちゃん派?ケイちゃん派?」「私はミ−ちゃん派」「髪が長い女性が好きなので、私はケイちゃん派」のような展開になっていました。
また、マニアックなHP(それはお前のHPだ!という声が聞こえてきそうですが)でPLが取り上げられていることもあります。私が発見して驚いたのは、長髪狂?のHPでしたか、「髪質重視でスタ誕登場時のケイちゃんに注目した」というものがありました。
ミ−ちゃん派、ケイちゃん派について分析されているHPも、いくつかありました。やはり、「ケイちゃん派は男性が多い」というの通説?のようですが、「髪が長い女性にあこがれていたので、ケイちゃん派」という女性のHPもありましたよ(^^)。

皆様も、PLに関してロボット型検索エンジンを活用され、新たなるPL像を発見してみてはいかがでしょうか。

第10話 25周年再結成のコンセプトとは?1999.10.24

このHPでは、繰り返しPL再結成について語られていますので、またか・・・と呆れている方も多いかと思います。PL再結成は、それだけ私にとって思い入れの強いテ−マなのです。今は25周年再結成のことで頭が一杯です。ほとんど病気ですね。

PL解散説が流されたのは、1980年アメリカ進出の頃だったでしょうか。解散に関して私が初めて見たのは週刊誌の見出しです。アメリカのテレビ関係者の発言で「PLは絶対に解散する!」というものだったような記憶があります。当時これを見た時の衝撃といったら・・・とても文字で表せるものではありません。そして、帰国の約1年後に解散は現実のものとなりました。

しかし、ここからがPLのすごいところで、数回にわたる再結成が実現されているのは、皆様ご承知の通りです。大きな再結成としては、1984年・1990年・1996年の三回と言えるでしょう。再結成のコンセプトとしては、1984・1990年が「復活」、1996年が「再会」ということになりましょうか。「復活」からは、現役当時のPLを忠実に再現するといったイメ−ジが浮かびます。1990年再結成では記者会見がありまして、「ウルトラマンのように、地球から要望があった時に戻ってくる」という確かミ−ちゃん?のコメントがあったようです。まさに「復活」ですね。これに対して「再会」は、ちょっと意味合いが違います。お2人がPLを結成する前の「クッキ−という原点に戻って、やりたいことをやってしまおう!」というイメ−ジでしたか。お2人とも「今までの復活とは違う」ということを強調されていましたね。今までにない「セルフ・プロデュ−ス」の再結成であると。新曲「PINK EYED SOUL」も今までのPLにはない斬新なものであったと思います。初めてこの曲をNHKテレビの生放送で見た時の衝撃・・・これもとても文字では表現できませんね。

さて、来たるべき25周年に、もし再結成していただけるならば・・・今までの再結成にはないコンセプトで、今までの再結成を越える大きな盛り上がりで実現していただきたいものです。「復活」「再会」の次に来るものは「新生」?でしょうか。
「私たちはデビュ−25周年(目)を迎えました。ここに新生PLのスタ−トを宣言いたします」のようなご発言があり、再びPLとしての活動を継続的にしていただけたら・・・と本気で思っています。「新生」・・・新しく生まれること・・・1981年に解散したPLの生まれ変わり・・・ということなのでしょうか。なにか宗教がかってきましたね。そうです。私がPL再結成教(狂)の教祖です。ここまで読んでいただいたあなたは、完全に洗脳されPL再結成を願う信心深い信徒となっているでしょう(^^)。


第11話 PL社会現象論 1999.10.31


マスコミでは好んで「PLは単なるアイドルでなく社会現象」というコメントを書きますが、今日はこのPL社会現象論について少し考えてみましょう。

社会現象とは一体何でしょうか?PLが広く社会に認知されていることに起因する様々な現象でしょうか。例えば、多くの子供たちが振り付けの真似をする。できないと、仲間はずれになるとか・・・「ミ−ちゃん、ケイちゃんどっちが好き?」が挨拶代わりになるとか、そんな現象が思い出されます。ただ、お2人にとっては、「あまりに忙しすぎて、社会現象になったと意識することもなかった」(確かケイちゃんのコメント)ようですが・・・

ここで私が取り上げたいのは、様々な現象そのものでなく、その前提となっている「PLの認知度」についてです。PL現役当時、テレビを見ている日本人なら、PLの名前を知らない方はいなかったと思います。つまり、認知度が高いということですね。認知度が高いということは、ファンでない一般の方にも知られている・・・ということになります。PL以後のアイドル歌手で、セ−ルス的にPLより高い実績を作った歌手は、少なからず存在するようですが、「認知度」という点でPLを越えたアイドルは存在しないと思うのです。セ−ルス的に売れていても「ファンには知られているが、社会一般にはほとんど知られていない」という歌手が多くなった気がします。歌の好みが多様化したためでしょうか、PLのような国民的アイドルも存在しないようです。
勿論、PL現役当時と時代背景が違うという見方もあります。PL現役当時は、いわゆるアイドル歌手の全盛期でもありました。今と違って歌番組もたくさんありました。PLがよく出演していた歌番組をOAの曜日で思い出してみます。まず、日曜日では「スタ誕」「レッツゴ−ヤング」「ヤンヤン」、月曜日「紅白歌のベストテン」「夜のヒットスタジオ」、木曜日「ベストテン」などですか。その他にもバラェティ−番組では、ほとんど歌のコ−ナ−があったような気がします。つまり、今よりアイドル歌手がテレビで歌を披露する機会が多かったと言えるでしょう。そんな状況で、PLのお2人が今までに無い斬新な振り付けと衣裳で歌を披露したら・・・必然的に認知度は高まる・・・とも言えるでしょうか。私としては、振り付けと衣裳だけでPLをとらえることには抵抗がありますが・・・

PL解散後、何組か女性アイドルデュオが登場しましたが、PLの認知度を越えて社会現象とまではいかないようです。女性アイドルデュオの認知度を確認するには、ファンでない方に「どっちがxxちゃん?」と聞いてみて、答えられるか試してみるのが一番だと思います。PLならば「どっちがミ−ちゃん?どっちがケイちゃん?」となります。たぶんPLならば、ファンでない方でもかなり答えられると思うのですが、PL以後の女性デュオではどうでしょう。かなり正答率は落ちる結果となるでしょう。
今後もPLを越えた認知度、そして社会現象と言われるアイドル歌手は登場しないと思うのです。



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