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今年6月から本格的PL再結成が始まり、HP開設以来それを望んできた開設者としては、嬉しい限りのこの頃です。再結成は当HP開設のきっかけでもあったのです。さて、今回の再結成に当たって、5月に新曲「テレビが来た日」が発売されたわけですが、今日のテーマは、「『テレビが来た日』に続く次の新曲を出してほしい」という願いです。
今回の再結成のきっかけともなった「テレビが来た日」は、NHK「みんなの歌」で4月から5月にかけてOAされました。CDは5月に発売されましたが、「みんなの歌」では、お2人そっくりのCGが踊るというもの。PLの新曲としては、生身のお2人がテレビ披露することのない(今のところ)珍しいパターンになったわけです。コンサートでは、振り無しで披露されているようですね。お2人が、テレビで披露したことのない新曲というのは、おそらくPL時代ラストシングル「OH!」の前に出た「ラスト・プリテンダー」以来のことではないでしょうか。よくファンで勘違いされる方も多いのですが、1980年アメリカ進出時に発売された「愛・GIRI GIRI」は、テレビで披露されたことがあるのです。再結成PLの新曲を振り返っても、全てテレビで歌ったことがあるのですね。私が記憶しているものだけでも、1984年「不思議LOVE」は「ザ・ベストテン」で、1990年「2年目のジンクス」と1996年「PINK EYED SOUL」はNHKの歌番組で。ですから、今回の再結成、今のところツアー中心の展開ですが、新曲のテレビでの披露にも期待が高まるわけ
です。今回の再結成は、2年にもわたるわけですから、是非複数出してほしいのです。
では、どんな新曲を?
以前「こんな新曲を」ということで、PL雑感2「21世紀のミーちゃんケイちゃんに期待します!是非お2人で新曲を!」にも書いたことがあり、基本的には変わっていないのですが。改めて今思うところを。
まず、再結成PLというと、従来の「懐かしいPL路線」か、歳相応の「大人のPL路線」か、という選択があると思うのです。
できれば、両方出してほしいのですが、両者を融合?して「基本的には大人のPL路線でありながら、懐かしのPLも見え隠れする」そんな新曲があってもいいかも知れません。そんな曲できるのでしょうか?
今私的には、PL時代の曲では「マンモナ」や「世界英雄史」みたいな感じが好みなのです。どちらも後期の曲で、セールス的には今一歩でしたが、PLならではの曲ですよね。「マンモナ」では、セクシーで初めて見せた大人のPLにドッキリ。「世界英雄史」のこれでもか、これでもか、というアメリカ帰りを思わせる派手なダンス、どちらの曲も印象深いものがあります。
そして、「あのPL」が新曲を出すからには、このHPをご覧になるような熱烈なファンだけでなく、世間一般も巻き込んで話題になるような曲が願いです。特に「PL時代の低年齢化路線=PLの全て」みたいに一面的にとらえている多くの方々に、「PLを見直すきっかけ」となって、「思わずメモリアルコンサートに行きたくなる」ような、そんなインパクトのある新曲、是非出してください。
衣装的には、勿論ミニが希望ですが(^^)、私的には「S・O・S」の白のスリップドレスや「マンモナ」の黒みたいな、シンプルなミニスカが一番PLにはお似合いだと思います。是非この線でお願いしたいですね(^^;)
何ごともチームというかグループで成果をあげるには、個々人の力量は勿論、お互いの信頼関係が何よりも大切なことは改めて言うまでも無いこと。ミーちゃんとケイちゃんの親友関係=信頼関係は「PL理解のイロハのイ」であり、PLプロジェクト成功の基盤と言えるでしょう。そして、PLプロジェクトの成功要因として、ミーちゃんケイちゃんの間のみならず、それぞれの構成員相互の信頼関係があったからこそ、とも言えるのでしょう。ミーちゃん・ケイちゃん・T&C・飯田ディレクター・阿久先生・都倉先生・振り付けの土居先生・衣装の野口様など。
今回注目したいのは曲づくりの信頼関係。つまり、阿久先生と都倉先生の信頼関係。この黄金コンビ(と言わせて下さい)はPLデビュー以前から、フィンガー5や山本リンダさんの一連のヒット曲を世に出していました。そうそう、ケイちゃんが静岡の「すみや」で行われたヤマハのオーディションで歌ったのが、この黄金コンビによる「ジョニーへの伝言」なんですね。デビュー前から、このコンビの曲を歌うなんて、何となく運命的なものを感じてしまいます。
ヒット曲を多数出した実績から、阿久先生・都倉先生のお二人、仕事上のコンビネーションは抜群であったこと、容易に想像がつくところですが、それに加えて私が「なるほど」と思ったことがあります。阿久先生の著作か何かで読んだのですが、都倉先生とは仕事上の付き合いの他に、(お二人の他にも)プライベートで数人で泊り込んで、夜通し語り合ったこともあるそうです。話題は音楽の他にも様々な方面へ・・・そんなこともあり、お互いの信頼関係というか「あうんの呼吸」ができていったらしいのですね。PLの曲づくりの頃には、既にそんな関係になっていた両先生ですから、3か月サイクルであれだけの曲を世に送り出すことができたのでしょう。象徴的なのは例の「サウスポー」の曲変更事件。最初に出来た曲のインパクトが弱いということで、ビクター飯田ディレクターの指示により、作詞・作曲のやり直しとなったのです。これが本当に短時間で出来た(数日?)のも、そんなお互いの信頼関係あればこそ、というのが阿久先生の回想するところです。
2年にわたるメモリアルコンサートで改めて感じたのは、PLの曲の生命力の強さ。30年もたって、老若男女あれだけ多くの人々が曲を覚えていて一緒に踊れる、こんな現象はPLを置いてまず無いでしょう。今ベストテンにランクされている曲の30年後を考えてみてください。どれだけの人の記憶に残っているでしょうか。
4年7か月のPLシングル確か22曲中14曲は、阿久・都倉先生コンビによるもの。これだけ特定の作家に集中しているのもPLならでは、というか珍しいことでしょう。であればこそ、1979年秋以降、PLで言うと「マンモナ」を出してからの「阿久先生の休筆宣言は痛かった」と、解散時T&Cの社長?が嘆いた?・・・なんて話もあるようです。(真偽は不明)
さて、PLの曲について語る場合、どちらかと言うと阿久先生の「単純なようで奥深い歌詞」にスポットが当たるようですが、私はもっと都倉先生について語られてもいいのではと思うのです。コンサートの大音響やCDなどでPLの曲を聞くと、「メロディーラインのみならず、やっぱり都倉先生の編曲はスゴイ」と感激するものです。音楽には全くの門外漢なので、うまく表現できないのですが、サビの盛り上げ方とか、いろんな楽器の組み合わせ(今風に言うとコラボ?)なんか、月並みな言葉ですが本当に才能ある方なんだな・・・と感心することしきりです。
私はPL自身のみならず都倉サウンドのファンでもあるのですね。コンサートMCのケイちゃんじゃないですが、当時あまり好きでなかった曲でも改めて聞くと「いいな」と思うものもあります。例えば「カメレオン」。当時中くらいのイメージでしたが、改めて聞くと上位になりますね。都倉サウンドのマジックでしょうか。
都倉先生・・・音楽家には珍しく都内某私立大学法学部ご卒業ですが、ご幼少の頃から海外生活が長く、音楽の本場ドイツなどでバイオリンに親しまれるなど、クラシック音楽の基礎は充分に確立されていたようです。であればこそ・・・あの編曲なんでしょうね。作曲家・編曲家の養成課程はよく知りませんが、ポップスをやるにしろ、ロックをやるにしろ、クラシックの基礎は必要不可欠なんでしょう。逆を言えば近年、印象に残る曲が少ないと感じるのは、単に私が歳を取っただけでなく、そんな養成課程に何らかの異変が生じているのでしょうか。