今さら、ここで言うまでもないことですが、PLの曲について昨今痛感するのは、その「生命力の強さ」です。例えば「S・O・S」はNHK教育番組のテーマ曲に使われたり、確か若手歌手のカバー曲として使われたこともありました。また、今年に入って家電のCMで「カルメン’77」が使われたり、最近ではJALのCMで振り付きの「ペッパー警部」が使われていますね。そして、CD店に行けば、今でも「ピンク・レディー」の仕切板が存在しています。解散20年後のこのような状況は、正直言ってデビュー以来のファンである私でさえ予想できませんでした。最近ある元アイドルの方が、テレビでこんなことを語っていました。「紅白に出たい。カラオケに行っても自分の歌がないんだもん。」やけに実感がこもっていたのですね(^^)PLと比較しても仕方ないですが、デビューしても実際はこういう歌手の方が多いのでしょう。それに比べてPLは、現役時代1回・再結成で3回の紅白出場、そしてカラオケでは、今でもPL曲が満載(勿論ソロ曲も)の状況ですから・・・
PLの曲の生命力の強さ、それは阿久先生・都倉先生などPLプロジェクトの総力と、お2人の力であることは、言うまでもないことですが、最近こんなバカな?心配をすることがあります(^^)と言うのは、今年でデビュー満25周年ですから、当然若い方はPLをリアルタイムでは知らないわけです。そして、そんな若い方が、時たまテレビで流される当時のPL映像を見て「PL=いわゆるセクシーアイドルグループ」(B級?・・・もはや死語)と誤解しないかということです。ここでいう「セクシーアイドルグループ」とは、平成に入ってから流行したグラビアでの活躍を主とし、歌手活動を従・おまけ?とするグループです。PLもセクシー・・・も大胆な衣装で歌うという点では、似ているのですが、両者の大きな違いは、曲の生命力の強さ=ヒット曲の有無、歌手活動へのこだわり方ですね。まあ、PL伝説が世間に流布されている現在では、この心配は杞憂かも知れません。ただ、今でも「PLを元祖セクシーアイドル」的に評する方もいるので、これは誤解を生みやすい表現だと思うのです。「セクシーアイドル」という表現には、売りが「セクシーさのみ」という意味が含まれています
。「PL=セクシー・・・」と短絡的に言えないのは当然ですね。PLの曲は、PLとは切り離されてCMソングとしても使われるほど、生命力の強いものなのですね。
さて、曲の生命力の強さに関連して気になるのは、一時期の低年齢化路線です。「モンスター」「透明人間」あたりを頂点とし、テビュー満3周年の「マンデー」の登場により終止符が打たれた路線です。今でもこの路線だけを切り出して、PLの曲全体について不当に低く評価する論調が見られのは残念なことです。「キャンディーズ=大学生のアイドルで音楽的に優れているが、PLファンはガキ・・・」的に語られることもあります(^^)
当時、多くのアイドル歌手は、歳を重ねるごとに少しずつ大人っぽい曲に挑戦していったものです。例としてPLと年代が近いスタ誕歌手で見てみましょう。山口百恵さんなら「秋桜(コスモス)」、岩崎宏美さんなら「思秋期」、桜田淳子さんなら「しあわせ芝居」などです。(タイトル間違っていたらすいません。)これらは、いずれも1977年後半、PLで言えば「ウォンテッド」「UFO」の頃です。そして、このお三方、いずれもスタ誕ではPLの先輩に当たりながら、実年齢ではPLより少し(1年?)下という微妙な位置にあったのです。当時、歌番組でPLと共演することも多かったこれらの歌手の歌を聞きながら、当時一ファンとして「ミーちゃんケイちゃんにも、もっと大人(歳相応)の曲を」とも思いました。ところが、この時期からPLは大方のアイドル歌手とは逆に低年齢化路線に進んでいったのですね。「お二人のお気持ちは?」と気になったものです。
1996年再会PLの時に発売されたCD「Mie and Kei」の歌詞カードには、曲ごとにお二人の対談形式のコメントがありますね。「モンスター」のところでミーちゃん「途中から子どもにウケ出して、それは嬉しかったんだけど、ちょっと媚び(こび)売りすぎて・・・」そして「マンデー」のところでケイちゃん「今までの曲も勿論好きだったんだけど、もう自分では大人だと思ってたし、大人の曲を歌いたかった時に、阿久先生が私たちのこと、わかってくれてるんだなと思って、すごく嬉しくて」また、「KITD」のところでケイちゃん「アメリカで出した曲って、日本での私たちのイメージじゃなくて、どこか私たちが望んでいたピンク・レディーだった気がする。」
「マンデー」については、数年前のテレビ「驚き・・・」でケイちゃんの「大人の曲を歌いたいという気持ちが伝わっていた。」という趣旨のコメントもありました。以上、ミーちゃんケイちゃんらしい控え目なコメントの中に「低年齢化路線」に対する、お二人の疑問のようなものが、うかがえるように思えるのです。解散後かなりたってから、お二人の本音が語られたのかも知れません。
話が支離滅裂になった感がありますので、ここで無理やり結論!です(^^)「たとえ、低年齢化路線があったとしても、それはアメリカ進出を含めた4年7か月のPL活動、そしてその後の再結成活動の中でごく一部分にすぎない。」ということです。そして、「低年齢化路線をもって、PLの曲全体を低く評価するのは、まさに木を見て森を見ず。たとえ、その時期がレコードセールス的に大きな部分を占めていても。」です。
上記の解散後語られたお二人のお気持ち、「マンデー」以降の後期の曲、「KITD」他アメリカ進出の曲、「PES」他再結成時の新曲等を総合的に見れば、私の結論!も納得していただけると思うのです。そして、私個人的に言うと、PLの曲の「生命力の強さ」は、「低年齢化路線」時代の曲よりも、むしろ「マンデー」「KITD」といった後期の曲、あるいは「カルメン’77」までの比較的初期の曲により強く感じられるのです。
最後に、ケイちゃんが言われる「私たちが望んでいたピンク・レディー」は、今後も是非再結成活動で実現されることを切に望みます。長々と失礼しました。
前回はPLの曲の低年齢化路線(この表現が適当か問題もありますが)について、私なりの疑問のようなものを書きました。今日はこの路線についての補足・再考です。
この路線は、時期的にみると1978年あたりがピークであったと思います。当時の新聞で「サウスポー」か「モンスター」の批評で、「もう、はっきり言ってターゲットが小学生」と批判的に書かれいてたのを覚えています。また、年末の「UFO」レコ大受賞時には、あの名司会者・高橋様が「チビッコ達が先頭に立って『わぁー』と拍手しているの聞こえませんか?」と言われているのが象徴的です。
この路線について当時から思っていた疑問のようなものを前回あえて書いたのは、そのように感じている方をネット上で複数見つけたからです。なかには、「PLはスタ誕出身で本来歌のうまいグループである。」として、「(低年齢化路線は)痛恨のできごと」と批評しているものもありました。私は、そこまで割り切れないのですが。
さて、今日の本題です。「PL曲の低年齢化路線に対する疑問」のようなことを書くと、当然次のような批判があると思うのです。「PLの曲がミリオンセラーを連発したのは、低年齢化路線のおかげではなかったのか。そして、その路線があったからこそ、PLは一世を風靡し伝説のアイドルとして、後世語り継がれることになったのではないか。」というものです。この批判に反論するのは、なかなか難しそうです。
でも、考えてみてください。PLデビュー当初は、けっして子供ではなく中高生以上がターゲットであったはずです。そして、スタッフの意図せざる結果として、子供に受けたのですね。阿久先生によると「子供たちがレコードを買っていると聞いて・・・意味も分からずに子供たちが歌っているのを見て、これはまずいと(途中からターゲットを低年齢化していった)」そうです。つまり、現状追認の結果としての低年齢化路線なのですね。また、前回も書きましたが、ミーちゃんケイちゃんにとっても、この路線は全面的に賛成ではなかったように思えるのです。「驚きももの木」のPL特集では「マンデー」誕生の経緯が紹介されました。作家陣から「お二人が歌いたいであろう曲」のプレゼントということでした。同番組でケイちゃんは「大人の曲を歌いたい歌いたいと思っていた。」と発言されています。「言っていた」でなく「思っていた」というところがケイちゃんらしいですね。
さて、無理やり結論です(^^)要は、PLの作家陣にとっても、お二人にとっても、この路線は現状追認の結果であり、けっして本来望んでいたPL路線ではなかったと、私には思えるのです。したがって、いかにレコードセールスで子供が大きな部分を占めていたとしても、「PL=低年齢化路線で成功」的な割り切り方には、疑問があるのですね。
問題は、「この路線がPLにとって、あるいはファンにとってどうだったのか?」ですが、簡単に結論を出すのは困難です。低年齢化路線によって、さらに大きなファン層を獲得し、そのファン層が今もソロ活動のお二人のファンの中核をなしている。・・・ということであれば、「結果として良し」ということでしょう。ただ、こういう意見も、ネット上にありました。「(低年齢化路線によって)大人のファン層を逃がしてしまった。」・・・皆様は、どう思われますか?
当時、PLの亜流グループの筆頭?としてキャッツ・アイなるデュオが存在しました。キャッツ・アイは「PLをよりセクシーにいやらしくしたもの」「PLの捨てたセクシー路線を拾ったもの」と評されますし、PLファンからは蔑視?されているようです。ただ、曲的にみると、PLの「UFO」が発売された頃に「めっきり冷たくなりました」というのがあり、PLより大人っぽい曲も歌っていたようです。PLファンを自認する私が、こんなこと知っているのも恥ずかしいのですが(^^)
また、「やさしい悪魔」など一時期PLを非常に意識した振り付け、衣装になっていた先輩格のキャンディーズさんですが、解散発表後に発売された「アン・ドゥ・トロワ」「わな」など(PLでは「ウォンテッド」「UFO」の頃)、なかなか大人っぽくて名曲ですね。私としては、キャンディーズさん唯一の1位獲得曲「微笑がえし」よりも好みですね。あるテレビ番組で、「わな」を歌っていた頃のキャンディーズさんが、ラジオに出演している模様がOAされました。「(「わな」は)もう少しで一位なんですけどね・・・」と残念そうに語っていました。アナの方が「一位は何?」と聞くと、「UFO!」と声をそろえていました(^^)確か「わな」と「UFO」は1977年12月5日の発売日が同じです。
話が脱線しました。PLファンの私が何を書いているのでしょう(^^)要は、PLと同時期の女性グループとして気になる存在の2組なのですが、当時PLより大人っぽい曲を歌っていたということです。
最後に、誤解を受けるといけないので、補足しますが、低年齢化路線に関して、PL曲の作家陣を批判するつもりは、毛頭ありません。