ビンク・レディーの曲


更新文書は下の方へ書き込みます。


PLマニアが好きな曲は?1999.3.25

「ピンク・レディ−の曲で何が好き?」と聞かれて、「UFO」「サウスポ−」と答えるのは、一般的なファン。
「マンデ−・モナリザ・クラブ」「うたかた」と答えるのは、マニアと言えるのではないでしょうか。

それぞれの曲に、それぞれの良さがありますが、あえて私が好きな曲を選んでみたいと思います。
まず、初期の曲では「SOS」

かわいらしい感じがPLにピッタリで、いまだに何回聞いても飽きません。特に、サビの「SOS、チャチャ」のところと「ダメ、ダメ、ダメダメ、ダ−メダメよ」とミ−ちゃん、ケイちゃんが交互に歌うところが最高です。オリコン1位を初めてとった記念すべき曲でもありますし、PLの代表曲といえるのではないでしょうか。
今、NHK教育番組「アリスSOS」のテ−マ曲として使われているため(ただし、歌っているのはPLではない)、PLの存在を知らない子供たちにも普及しているようです。素晴らしいことです。

中期、ミリオンラ−となった曲については多くの方が解説しているので、詳しいことは述べませんが、私は「渚のシンドバッド」が好きです。

さて後期、PLは大人のファンへのアプロ−チを強めていきます。その代表曲が「マンデ−・モナリザ・クラブ」(マン・モナ)
マニアにとって人気が高い曲で、私も大好きです。ミ−ちゃん、ケイちゃんも大好きな一曲としてあげていますね。また、あのWINKのサッチンもPLの中で好きな曲としてあげています。ただ、1979年の発売当時、PLのスタッフの評判がイマイチだったそうで、数週間でテレビで歌うのをやめてしまいました。私は、未だにこのことが残念でなりません。
大人のPL路線も道半ばで解散となってしまった感じがします。

今度、再結成したときは是非ステ−ジで「マン・モナ」を当時の、衣装、振り付けで歌って下さい。お願いします。


「マン・モナ」回想 2000.1.16 


マン・モナ!マン・モナ!マン・モナ!!
最近、またお2人の「マン・モナ」が見たい!・・・という想いが強くなってきております(^^)。

ここで、「マン・モナ」発表の頃を回想してみたいと思います。当時、PLの新曲発表というのは、一つの事件のように取り上げられていましたね。「テレビ局が新曲発表を奪い合い、調整が大変だった」というようなご発言を現在テイチク社長の飯田様がされています。お2人がスタ誕出身ということで、新曲発表は日テレの番組が多かったと思います。「本日PLが新曲発表!」と新聞のテレビ欄にも大きく見出しが出ていて、歌番組の目玉になっていた気がします。
ところで、私が最初に「マン・モナ」を見たのは、なぜか日テレではなくテレビ東京(当時は東京12チャンネル?)の日曜19時OA「ヤンヤン」だったのです。当時ビデオは持っていなかったのですが、今でも頭に鮮明に焼き付いています。デビュ−満3年の1979年8月下旬だったと思います。歌う前に振り付けの土居先生が出演されて、デビュ−3周年ということでお2人に花束を贈呈。そして、「今度の曲の振り付けは大人っぽくした・・・」というようなご発言をされていた記憶があります。テレビのOAで、土居先生とお2人がご一緒になるというのは、意外と少なかったと思います。私の記憶では、他に1977年5月の「スタ−千一夜」と1980年1月のTBS平日お昼の番組しかありません。その後、数回「ヤンヤン」で「マン・モナ」がOAされたと思います。


さて、その初めて見た「マン・モナ」ですが、曲・振り付けは皆様ご存じの通り、今までのPL(中期PL)とは大きく違って、とても大人っぽい雰囲気で衝撃的でしたね。PLの曲は「モンスタ−」の頃から、タ−ゲットの低年齢化が顕著になっていましたね。それだけに「マン・モナ」はとても新鮮に感じられました。衣装は白のシンプルなミニスカでした。PLには珍しく袖がある!ものでした(^^)。この衣装もなかなか良かったですね。と言うのも中期から後期PLにおいて、メイン衣装でミニスカは意外と少なかったからです。白のミニスカの他に黒のミニスカもありました。

「モン・モナ」を歌っていた期間はとても短くて、1か月にも満たなかった記憶がありますが、結構いろいろな番組で歌われていました。「マン・モナ」への想いが強いせいか、私はなぜかそれらの番組を今でも鮮明に覚えているのです。他の曲ではそんなことはないので、不思議なものです。日テレでは「紅白歌のベストテン」・・・この映像はちょっとですが、1994年テレ朝「驚きももの木・・・」のPL特集でも使われたので、ご覧になった方も多いと思います。ステ−ジバックの大きな女性の顔のような飾りが印象的でした。その他日テレではお2人の出身番組「スタ誕」のゲストでも歌われました。番組の余興のコ−ナ−?で、お2人が黒のステ−ジ衣装のままで鍋のようなものを使ったゲ−ムをされていた記憶があります。それから、PLのレギュラ−番組「百発百中」でも何回か歌われました。確かこの年の9月頃で番組は終了でしたか。

次にTBSですが、日曜お昼にOAされていた「ロッテ歌のアルバム」で歌われた記憶があります。フジテレビでは「夜のヒットスタジオ」です。この番組は皆様ご存じの通り、生放送でフルコ−ラスという今の歌番組では考えられない豪華なものでしたよね。PLも頻繁に出演されていました。お2人の出番は真ん中当たりが多かったような気がしますが、確か「マン・モナ」は最初の方であった思います。さて、この「夜ヒット」では確かお2人の「ウ−ロン茶発言」があったような・・・司会の芳村さんが「お2人はスタイルがいいですが、なにか秘訣は?」という趣旨の質問をされて、「ウ−ロン茶を飲んでいます」と答えられたのでした。当時、ウ−ロン茶は今のように普及していませんでしたので、お2人の発言によりウ−ロン茶の売上げが伸びたというようなことを耳にした記憶があります。つまりウ−ロン茶普及はPLのおかげ・・・ということになりますか。フジでは他に「クイズ・ドレミファドン」でも歌われました。確かお2人も解答者として私服でゲ−ムに参加されていました。テレビOAでの私服は珍しいものでしたね。そして、歌は黒のミニスカで歌われました。
最後にテレ朝・・・番組名は忘れてしまいましたが、日曜のお昼13:45頃スタ−トの番組に出演されました。この番組も黒のミニスカで歌われました。蕎麦屋?のコントみたいなコ−ナ−があって、お2人がステ−ジ衣装のまま参加されていました。

以上、私が当時見た「マン・モナ」の回想でした。回想ですから一部記憶違いがあるかも知れませんね。長々とどうでもいいような話を失礼しました。要は何が言いたいか・・・20年以上経過した今でもこれだけ鮮明に記憶している・・・とうことは、私にとっていかに「マン・モナ」への思い入れが強いかを改めて実感したということなのです。ところで、解散後のテレビで「マン・モナ」がOAされたのは、上記の「驚きももの木・・・」くらいしか記憶がありません。そうそう、1996年「再会」の時にTBSの山田邦子さんの番組で、お2人が私服でちょっとだけ披露されたこともありましたね。久々の「生マン・モナ」!に大感動でした。何回目かの再結成のステ−ジで披露されたこともあるようですが、私は見ていないのです。
さて、今年2000年はPL25周年目突入の年です。この記念すべき年に是非また「マン・モナ」を披露していただきたいな・・・と切に思うこの頃です。


「DO YOUR BEST」回想 2000.6.18 

梅雨の鬱陶しい季節となってまいりましたが、PLファンの皆様いかがお過ごしでしょうか。こんな時には、2枚組CD「TWIN BEST」でも聞いて気分転換を図りましょう!さて、その「TWIN・・・」ですが、やはりお勧めは「マン・モナ」以降の後期の曲でしょうか。「UFO」などと違って、解散後テレビでOAされたり、再結成でもほとんど歌われることのないこれらの曲がじっくり聞けるのが、このCDの最大の魅力でしょう。当時、何気なく聞き逃していた後期の曲の良さを改めて実感することもできますね。そんな後期の一曲として、今日はドゥドゥ・・・の「DO YOUR BEST」にまつわる(一部不確かな)回想です。

PLで初めて振り付けの(ほとんど?)無い曲
私が最初にテレビOAで見たのは「紅白歌のベストテン」でした。確か徳光アナの紹介で「PLで初めて振り付けの(ほとんど?)無い曲」というコメントが印象に残っています。振り付けが皆無になったわけではないのですが、それまでの振り付けと比較すると極めておとなしいものでした。スタンドマイクを使う曲なのですが、「渚・・・」や「カルメン」のように大きな動きはなく、立ち位置の移動もエンディングを除くとほとんど無かった気がします。衣装はいかにもPLらしい白のホットパンツにブ−ツでした。白のホットというと、「渚・・・」の初期、ラスベガス公演、最近では「再会」のテレビ・公演の衣装などが連想されますね。作詞はこの曲からおなじみの阿久先生が離れています。歌詞に「ジャンヌ・ダルク」から「キリスト」まで歴史上の人物が登場し「世界英雄史」が思い出されますが、「世界英雄史」との違いは中国・日本の人物が登場しないところでしょうか・・・などと、ちょっとマニアック(^^)?

「週刊朝日」?での紹介

「DO・・・」の発売直後だったと思うのですが、確かあのお固い「週刊朝日」?の巻頭グラビアにお2人の写真が数ペ−ジ掲載された記憶があります。最初のペ−ジがトレ−ニングウェアのお2人で、「新曲DO・・・はモスクワ五輪のキャンペ−ンソングにもなっている」というようなコメントがあったと思います。その他にも、土居先生との振り付けレッスン、アメリカ進出を控えて英語のレッスンの光景が掲載されていました。さて、1980年のモスクワ五輪ですが、旧ソ連のアフガニスタン侵攻(進出?)がきっかけで、日本など西側諸国はボイコットになってしまったんですね。当時はまだ厳しい冷戦の時代でした。そんな時代背景も思い出させてくれるのが、この「DO・・・」です。
NHK・FM?での紹介

発売から1か月くらい後だと思うのですが、休日のNHK・FM番組で「DO・・・」が紹介された記憶があります。その時のアナの方のコメントに特に印象深いものがありました。「今は曲の好みが多様化しているので、(新曲を)出せば大ヒットとはなかなかいかないけれども、あれだけ踊って歌えるのはPLを置いて他にない(ので、頑張ってほしい?)」・・・細部は忘れましたが、だいたいこういう趣旨だったと思います。当時これには、正直大変びっくりしました。と言うのも、例の紅白辞退から約1年で「NHKとPLとの雪解けはまだ遠い」という感じを抱いていたものですから、NHKでのPL評価の発言に驚いたのでした。ちょっと、おおげさですか?

「週刊朝日」「NHK・FM」・・・どちらかと言うとお固い部類のメディアで「DO・・・」が紹介されたのは、モスクワ五輪のキャンペ−ンソングになっていたことと関係があるのでしょうか?まあ、そういう難しい?話はこれくらいにして、皆様何の先入観も持たずに(これだけコメントしながら無責任ですが)是非「DO・・・」を聞いてみて下さい。なかなかいいですよ。私は特に「ドゥ・ドゥ・ドゥ・ドゥ・・・」のところや最後の「蝶の優雅さ・豹の激しさ」なんて韻を踏むところがお気に入りですね(^^)。


ピンク・レディーの曲トップ

トップペ−ジへ戻る