ピンク・レディー再結成活動について考える


21世紀も再結成を!2001.1.8

2000年紅白以降の再結成については、いろいろと報道があるようですが・・・「区切り」は限りなく短い方が嬉しいです(^^)。
世紀末紅白の復活PLは、お茶の間で大反響であったようですし・・・
今年はデビュー満25周年・四半世紀ですから・・・


再結成の周期について考える2001.3.11

早いもので、先日21世紀幕開けと思ったら、もう3月ですね。3月と言えば、9日がミーちゃんのお誕生日。ちょっと遅れましたが、ミーちゃんおめでとうございます!今後の益々のご活躍を願っております!!そして、31日が解散の記念日。もうあれから20年なんですね。もうすぐ解散後20周年ということで、今日は再結成の周期(次の再結成までの間隔)について、独断と偏見で考えてみましょう。

何をもって再結成とするかによって、周期も違ってくるのですが・・・
まずは、上記の表で1993年CMを除き「PLとしてテレビ出演し歌う」という意味での再結成について考えてみます。1981年解散から1984年が3年、1984年から89年が5年、以下、1年、6年、1年、1年、1年となります。平均すると何年周期となるのでしょうか。(3+5+1+6+1+1+1)/7=約2.5となります。つまり、「テレビ出演し歌う」という意味での再結成は2年半に1回という計算になります。近年の連続再結成実現により、この意味での周期は短くなったのですね。

次に「テレビ出演に加えて公演(コンサート、ディナーショー)が行われた」という意味での大がかりな再結成の周期です。これは、1981年から84年が3年、1984年から90年が6年、1990年から96年が6年です。3・6・6と全て3の倍数となっているのが特徴?です。(3+6+6)/3=5となります。つまり、大がかりな再結成は5年に1回となります。

さて、ここで問題なのが、1996年から翌年にかけての再結成「再会」です。スタートの時期をどう見るかなのですが、厳密に言えば1996年9月のNHK番組になるのでしょう。ただ、この「再会」には前兆がありました。そうです。1996年1月OAされた物まね番組でのご本人登場です。この番組でお2人は「カルメン’77」を歌われました。そして歌った後、今年は20周年ということが話題となったのです。OAは1月でしたから、録画はおそらく1995年の11月か12月でしょう。このご本人登場を「再会の前兆」として、再会に含めて考えてみましょう。そうすると、おおがかりな再結成の周期について若干の修正が必要となります。仮に「再会」のスタートを1995年11月か12月とすると、(3+6+5)/3=約4.6。つまり、だいたい4年半に1回(修正済の大がかりな再結成周期)となりますね。

以上分析?した周期をもとに今後の再結成について考えてみましょう。「再会」は1997年3月の富士宮公演で終了となりました。上記の「修正済みの大がかりな再結成周期」を当てはめてみます。1997年3月から4年半ということは、2001年の9月頃となりますか。過去の周期から見ると、今年2001年秋以降が、公演の行われる大がかりな再結成の時期になりますね。ちょうどデビュー満25周年を迎えた直後になります。いいタイミングですね。

ミーちゃんケイちゃんいかがでしょうか?是非是非、今年こそPL再結成公演をお願いしたいのです!!

・・・結局これが言いたくて、長々と分析していたのですね(^^;)


再結成活動における2つのターニング・ポイント2002.1.14

2002年最初のテーマは再結成活動です。と言うのも、上の表で明らかなように、PLの本格的再結成(公演が行われ、新曲が披露されるという意味で)は、1984年以来1990年、1996年と6年周期なのですね。今年は1996年「再会」から6年経過ということで、また期待が大きいということです(^^)

さて、表題のターニング・ポイントですが、これは1980年のPLコンサートとは全く関係ありません(^^)1984年以来の再結成活動を振り返ってみて、2つの点で大きなターニング・ポイントがあったのでは・・・という私の例によって勝手な思い込み・独断です。ですから、ミーちゃんケイちゃんの実際の想いとは相違するところがあると思いますが、その点はご容赦下さいね。

2つの点とは、「衣装」と「曲」ということです。そして、私の仮説は「初期の再結成活動では、忠実な形のPL再結成を微妙に避けていたが、ある時点からPL的なものを前面に出してきたのでは。そして、それはPLに対するお2人の考え(とりわけケイちゃん?)が変化してきたからではないか。『時が経てば経つほどPLの偉大さを』という親衛隊様HPのケイちゃんメッセージが象徴的である。」というものです。

まず、衣装のターニグ・ポイントは1990年の再結成です。この時の衣装はPL時代並のミニでした。
PL時代を基準とすると、これより前の1984年(タイツ姿)・1989年(ロング・ミニの折衷衣装)は「より控え目」、これより後(特に1998年以降)は「より大胆」と言えるでしょう。詳細は衣装のぺージ「ミニルックでの一貫性とは?」も参照下さい。アイドル時代、ミニの衣装で一世を風靡した歌手は数多いですが、大方は歳を重ねるごとに、控え目な衣装になっていくものですよね。最近のPLは全く逆で「歳を重ねるごとに現役時代より大胆になっていく」のですから、すごいことですよね。2000年紅白の衣装も大きな反響があったようです。特にスリット??
さて、1990年をターニング・ポイントとして、衣装の点で再結成PLは新たな段階に入りました。そして、この事実を裏書きするものとして、翌1991年「ごきげんよう」出演時のケイちゃんご発言があるのです。「最近、やっといい気持ちでミニスカートがはけるようになりました。」どうですか?見事に衣装のターニング・ポイントと合っているのですね。と言うことで、衣装のターニング・ポイントに関しては、ケイちゃんが鍵を握っていたのでは・・・と思うのです。確か1989年紅白の「ロング・ミニの折衷衣装」は、「ミーちゃんがミニ、ケイちゃんがロングを主張した」とあるスポーツ新聞では報じられました。そのロングを主張した?ケイちゃんが、1990年ミニを容認?そして、今では「50になってミニでペッパー警部を歌って踊れたら・・・」ですから、この間のケイちゃんのご心境の変化(PLに対する考え方の変化と言える)は大きいものがありますね(^^)

再結成PL第二のターニング・ポイントは、曲についてです。簡単に言うと、「新曲を先行させるか」、「PL時代の曲を先行させるか」の違いです。この点でのターニング・ポイントは、1996年「再会」とその前兆「物まね番組でのご本人登場」です。
それ以前の1984年・1990年は新曲先行。1996年はPL時代の曲先行です。これは、単に後先の問題ではありません。解散後、PLに対するお2人の想いが反映されているのでは、と思うのです。
分かりやすく言うと、紅白や公演という特別な場を除いてテレビでPL時代の曲を再結成PLとして披露するのは、(記憶では)1996年以降のことではないかと思うのです。初期の再結成では、PL時代の曲が前面に出るのを微妙に避けていたのでは、と思うのです。1984年は「不思議LOVE」がテレビで先行、PL時代の曲は9月のコンサートでした。1990年は「2年目のジンクス」をNHKで毎月披露後、PL曲は年末の紅白で。
ところが、1996年「再会」では、いきなり!「ペッパー警部」「部屋を出て下さい」「PLメドレー」ときて、新曲「PES」は11月の発売でした。その前兆?「ものまね番組」では「カルメン’77」披露でした。
1996年、PL時代の曲が前面に出るようになったのは、お2人に何らかの心境の変化があったのかも知れません。それは、「PLをやっていたという自信」が、お2人の中でより深まった結果と言えるのかも知れません。

以上、長々と失礼しました。事実誤認等ありましたら、ご容赦くださいね。
皆様にとって、今後の再結成に期待することは?「忠実なPLの再現」ですか?それとも「大人のPL路線」でしょうか?
私としては、「忠実にPLを再現しつつ、大人のPL路線に重点を置く」という欲張り路線が理想ですね。



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