先日発売されたケイちゃんの自叙伝「あこがれ」(幻冬舎、増田惠子著)について、読み終わっての雑感です。PLファン、とりわけケイちゃん派諸氏には、まさに必読の書と断言できます。
まだお手元に無い方は、立ち読みなどケチなことはしないで、是非書店あるいはネットショップでお求めください。買って読む価値が十二分にあります!以下、いわゆる直接的な「ネタバレ」は避けつつ、いつもの「ですます」調でない文体で記述します。
今「モンスターパニック」ならぬ「頭がパニック」である(笑)ケイちゃんの自叙伝「あこがれ」を読み終えたからだ。ケイちゃん派を自認する私でさえ、その濃密な記述、リアルな描写に、思わず引き込まれてしまい、思わず一気読みである。これを読むと、幼少から今のケイちゃんまで全てがわかる。ケイちゃんの人となりがよく理解できる。
私がケイちゃんの口から「本を書きたい」と初めて聞いたのは、5年前くらいのラジオであった。その頃から自叙伝の構想があったのだろう。その後ずっと出版を心待ちにしていたが、今、本屋に山積みになっている「あこがれ」を見ると、まことに感慨深いものがある。
この本の素晴らしいところ。まず、ファンが知りたかったケイちゃんに関する空白部分(今まで語られなかったところ)が、かなり詳細に記述されている。当時も今も「なぜ、こうなったんだろう?」と思っていたモヤモヤが解消されていく。例えば、アメリカ進出に対する想いや、解散への動き、その後のソロ活動、プライベートの部分など。また、今まで断片的に語られてきたことが、さらに詳細に補充され、しかも、出生から時系列で記述されることで、頭の中が整理され、より深くケイちゃんを理解することが可能である。
テーマとしては、家族関係や、ミーちゃんも含めた交友関係、結婚、はたまた、芸能事務所とタレントの関係など、古くて新しいものがふんだんに入っていて、いろいろと考えさせられることが多い。クッキー結成からPLの結成・活躍・解散についても、濃い内容が語られているので、ケイちゃん自叙伝のみならず「PLの歴史」として読むこともできる。文章表現がうまく、描写がリアルで、場面場面が頭に浮かんでくる。一ファンとしてコンサートやテレビ、記者会見、活字媒体を通してしか知りえなかった部分の裏側がよくわかる。この本は、全て文字のみで写真は1枚も無い。ところが、読み終えると、ケイちゃんの半生が映画のようにつながってくる。4章構成で起承転結ストーリー仕立てで、読者を引き付ける。何より、奇をてらうことなく、ケイちゃんの素直な想いが十二分に出ているので、読んでいて心地よいし、感情移入ができる。
内容的には、非常にシビアで読んでいてつらい場面もある。が、中学・高校時代、ケイちゃんから見たミーちゃん像が微笑ましくユーモラスに語られており、これには思わず苦笑してしまう。他にも、ケイちゃんファンには有名?な小学校時代夏休みの標本事件や、今のご主人との結婚式でのスピーチなど苦笑場面も満載である。話は変わるが、ケイちゃんが髪質やスタイルの良さを維持している要因について、幼少の頃のあることが書かれていて、こちらも興味深い。また、高校時代は、お勉強熱心なケイちゃんでもあったようで、遊びほうけている高校生に「少し見習え」と言いたくもなる(笑)
この種の本が出ると、お決まりの批判が出るが、ファンの責務として反論しておきたい。まず「ありがちなタレント本ではないか。」というもの。確かにケイちゃんというタレント著の本であり、本屋でタレント本コーナーに置いてあることもあるようだ。では「ありがちなタレント本」とは?ポイントは著者タレントの実績・知名度と本の中身のバランスではないかと思う。たいして実績も知名度もなく特定のファンもいないようなタレント、事務所の力だけで生きているようなタレントが出すパターンも多い。出版できるだけでも幸せだが、タレントのパワーがない分、ひたすらセンセーションを狙い、勢い中身は虚実取り混ぜての形となる。歌手あるいは女優としての実績がないだけに、どんなに記述がリアルでも読者の心を打つ説得力がない。反対に、芸能界でそれなりに実績・知名度がありながら、それのみに依存しすぎているためか、中身が薄っぺらであったり奇をてらいすぎたりのパターンもある。同様に共感は得られない。このような本こそ「ありがちなタレント本」として低く見られるべきものではないか。ケイちゃんの著作が、その両者に該当しないのは言うまでもない。トップアイドルとしての実績に裏付けられた奇をてらうことのない記述。大げさでなく素直な感情の吐露。これぞケイちゃんである。
また、口の悪い向きは「暴露本」というが、これは思い違いもはなはだしい。暴露本とは、ある内情を暴露して特定の人物を誹謗中傷するもの。ケイちゃんの著作は全く違う。何人かの人物に対して厳しい見方をしているところも勿論あるが、誹謗中傷することはなく、しっかりフォローしている。他人に対する厳しさだけでなく、今まで語られてない部分で、自分に対する厳しさもしっかり出ている。ゆえに読んだあと、後味の悪さは残らず、気分爽快である。
22日に日テレ「ザ・ワイド」でケイちゃんが、この著作に関してインタビューを受けていた。(ちなみにその日、当HPは過去最高のアクセス数を記録した。テレビの影響力に感嘆。)新聞のテレビ覧にも大きく出ていたので、見逃さず録画しじっくり見ることができた。脚に包帯をしたケイちゃんの映像=チャレンジコンサートの静岡公演の模様もあったし、交際を認める記者会見の映像もあった。この記者会見、当時見てなかったので驚いた。気の進まない記者会見なのにケイちゃんは、けなげに笑顔で答えようとしている。なぜかひたすら高圧的に質問する記者がいて(大手プロの回し者?蹴りを入れたくなった)、ケイちゃんの顔が一瞬曇るが、すぐ笑顔になるところに、「さすがプロだ」と感心した。まだ21歳の若さなのに。この記者会見に到る経緯は著作に詳しい。
それから「日テレさんも、なかなかやるではないか。」と思った。と言うのも、ここ数年の日テレ、PLに関しては冷たく感じていたからである。他局には無い貴重なPL映像をたくさんお持ちのはずだが、NHKやフジ、TBSさんの方が熱心に思えた。
この番組でケイちゃんの「解散の引き金は私」みたいな発言があった。また、解散後ある時期までは、PLに対して複雑な想いもあったようだ。この点、著作の核心部分でもあるので、是非買って読んでいただきたい。一ファンであり当時の内情を知る立場にはないが、「ケイちゃんそこまで背負わなくても」とも思う。客観情勢というか、ファンの動向や歌謡界の体質、事務所の体制という問題もある。権威あるレコード大賞をデビューからわずか2年4か月で獲得したのだから、その後、事務所が方向性で混迷するとしても、ある意味当然だと思う。ヒットを出すのにひたすら苦労するのが普通であり、ぜいたくな悩みとも言える。
この著作を読み終えて、真っ先に思い浮かんだケイちゃん発言がある。確か再会直後の1997年6月、ケイちゃん生出演のNHK「スタシジオパーク」で結婚の話題となり、「(解散後)一回、嫁に行こうとしたんですが、だめでした。...(これから結婚するには)いろいろ整理しないと...」みたいな感じの発言あり。これは、テレビでケイちゃんご自身の口から出たもの。これらについても、整理の意味するところも含めて、著作に詳しい。この著作のある意味核心かも知れない。
私は「らせん階段」を歌うケイちゃんを近い距離で生で見たことがあるのだが、今思うと、その頃ケイちゃんが大変な時期であったようで、胸が痛む。
今、コンサートツアーで何のわだかまりも無く、PLを純粋に楽しむケイちゃんを見ることができる。この著作を読んで、そんなケイちゃんを見ると、ますますファンになり応援したくなるだろう。
「メモリアルコンサート」というタイトルだが、今のPLを「メモリアル」の要素だけで終わらせるのは、あまりにも、もったいないことである。深化しつつある新しいPLも見たいのである。新曲やポスト・コンサートツアーのPLについても、期待しているし、ファンがもっと語ってもいいのでは。新生PLといってもいい。仮にケイちゃんが「PL解散の引き金を引いた。」という意識を今でもお持ちなら、「今度はケイちゃんが新生PLの引き金を引いていただきたい。」というのが、まことに僭越ながら私の願いでもある。
とにかく、ケイちゃんがんばって!ということで、とりあえず、おしまい。
(この記事まだ続くかも?)
さて、ケイちゃんの著作を読んで改めて考えさせられたこと。やはり、ミーちゃんとの親友関係の素晴らしさである。この点、当HPでは、しつこいくらい何度も強調している。と言うのも、PLを語るうえで無視できない部分であるからだ。「あこがれ」にも随所で触れられているが、アメリカ進出をめぐってのお二人の微妙な関係は興味深い。
当時の状況を簡単に言うと、ミーちゃんは「アメリカ進出というチャンスをつかもう」、ケイちゃんは「もっと実力をつけてから」という感じで、お二人の間には若干の温度差(考え方の違い)があった。(もっとも、今現在のケイちゃんの考え方は、少しミーちゃん側に引き寄せられた感もする。)この点については、解散直前のテレビ特番でも発言しているし、ファンにはある程度周知のこと。どちらの考え方が正しいとか間違ってるということでなく、どちらも、もっともなことである。
そして、アメリカから帰国後、解散への道を進んでいく。では、アメリカ進出から解散の過程において、お二人の間で、突っ込んだ話し合いがあったか?というと、あまりなかったようだ。先日のテレビ・インタビューでも、ケイちゃんがそのように発言していた。それは、なぜか?このへんの経緯は著作を読んでほしい。ヒントを書くと、PLとして一緒に活動していようとも、仕事を離れての関係になっても、親友関係が土台であり、優先するということ。これは素晴らしいことだと思うし、正直うらやましい関係でもある。皆さんは、そういった中学以来の親友をたくさんお持ちでしょうか?先日SMAPの特番にお二人そろって出演した時、お二人の関係が「中学以来・・・」であると、テロップにも出ていたようで、この点マスコミの認識も深まっているようだ。うれしいことである。
PL解散以後、何組もの女性デュオが登場しており、大ヒットを飛ばした組もある。が、PLのように、元々親友関係にあって、デビューした例は少ない。少数派というか例外である。ほとんどが、事務所の都合で組成されたデュオ。なぜか?とも思うのだが、それだけ女性同士の友人関係を維持しつつ、芸能界を生きていくということが難しいのかも知れない。
ここで、シュミレーションというか、想像力をめぐらしてほしい。例えば、そのような、つまりミーちゃんケイちゃんのように親友関係でないデュオが、当時のPLのように、アメリカ進出の話が持ち上がり、二人の間で意見の相違があったらどうなるか?おそらく、二つのパターンになるのでは。一つは、徹底的に自己の主張をぶつけ合い、相手を傷つけてボロボロになる。もう一つは、徹底的に無視である。そうなると、解散しない限り仕事上の関係は続くであろうが、プライベートで付き合うことはないだろう。ミーちゃんケイちゃんの場合は、そうならない(なり得ない)特殊な関係である。
既に「あこがれ」をお読みの方は、お気づきであろうが、この本には、お二人が中学時代に出会ってから、PLデビュー前までのことが、実に克明に描かれている。これだけ、お二人の共通体験があれば、親友関係がきわめて確固たるものであることが理解できると思う。
私も含めて一般ファンが見ている部分は、氷山の一角にすぎない。水面下に隠れたお二人の関係こそ、PLのPLたるゆえんである。
一時期、溝ができたとケイちゃんが感じたこともあるようだが、あくまで小さな溝であり、けっして断層ではなかった。今現在も親友関係を続けているお二人を、コンサート・テレビ・DVD等で見ることができる。他のグループに無い「さわやかさ」を感じることができるのも、PLのそんな一面が背後にあるからだと、最近つくづく思うのである。
おしまい。