ピンク・レディー小辞典


やだ

PL時代(今でも?)ケイちゃんお得意のフレーズと言われているが、真相は不明(^^;)
用例「ケイは絶対やだ!」・・・(^^)

ヤマハ

静岡出身という土地柄か、お2人のデビュー前は、ヤマハとのかかわりが大きい、というかヤマハ中心の活動と言える。まず、浜松のボーカルスクールに通うきっかけとなったオーディションがヤマハのもの。ミーちゃんが「アルプスの少女」ケイちゃんが「ジョニーへの伝言」を歌う。ところで、ケイちゃんの「ジョニーへの伝言」は、阿久先生・都倉先生というPL黄金コンビの作なんですよね。ケイちゃんはPL時代を先取りしていたのでしょうか。そして、浜松のヤマハのボーカルスクールに通い、PLの前身クッキーが誕生。クッキーとしてヤマハのポプコン東海大会に出場し「恋のレッスン」を歌う。当初はヤマハからデビューする予定であったが、「なかなかデビューできなくて」(ケイちゃん談)、スタ誕からデビューとなる。ヤマハからデビューならフォークだったんでしょう。お2人の志向は、どちらかと言えばポップス系と思えるので、「災い転じて福となす」の典型と言えるのでは。


UFO

1977年12月に発売されたPL6曲目のシングルで、PLとして最大のセールスを記録した。この曲で1978年のレコード大賞を受賞した。当時女性アイドルのレコ大受賞は珍しかった。スタ誕出身者に限ってみても、レコ大を受賞したのはPLの他に中森明菜さん(2年連続?)だけではなかろうか。お2人が出演した「日清焼きそばUFO」のCMも懐かしい。
ところで、この曲をセールス・レコ大受賞などから、PLの代表曲(PLの「UFO」でなく、「UFO」のPL)とする見方が多いが、大いに疑問である。ファンによって評価は様々だろうが、一連のPL低年齢化路線のきっかけとなったような曲にも思えるからだ。勝手ながら、私にとってPL代表曲は、初期の3曲と「マン・モナ」「うたかた」である。皆様はいかがでしょうか?


予想外

PLのスタッフにとって予想外であったことが2つある。
第一にずばり「売れ方」。デビュー当初、レコード会社の期待度はCランク。「デビューの時お金かけてもらえなかった」とは、1996年再会の時のミーちゃんの弁。記録的なヒットを連発する歌手になるとは、夢にも思われなかったようだ。
第二に「子供にも受けたこと。」当初のターゲットは、中・高生以上であったという。キャンディーズに対抗するためにセクシーさを前面に出したことからも、ターゲットに子供が入っていなかったことが分かる。


夜のヒットスタジオ

PL時代、月曜夜10時からフジテレビ系で生放送されていた歌番組。
PL時代は歌番組の全盛時代でもあったが、PL出演で特に心待ちにしていたのがこの番組。と言うのは、他の歌番組がほとんどワンコーラスの中で、この番組だけはワンハーフかフルコーラスという豪華なものだったから。PLの場合、他の番組では見られない間奏の振り付けが見られることが楽しみの一つ。また、自分の出番でない歌手が、後ろに座っていたのもこの番組の特徴。ミーちゃんケイちゃんが、お互いに何か話をしているのが見られたりして(いつも何を話されているのか気になった)、これも良かった。冒頭に他の歌手の曲をリレー形式?で歌うのも、この番組ならでは。こんな豪華な歌番組今はないですね。
ただ、お2人にとって、レッツヤン(録画)・紅白歌ベスト(生放送)・夜ヒット(生放送)と1日3つの歌番組かけ持ちの「魔の月曜日」の場合は、大変だったことも忘れてはならない。特に1978年から1年間はレッツヤンのレギュラーでしたから・・・お疲れ様でした。


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