ピンク・レディー小辞典


増田啓子PL基礎用語]

ケイちゃんの本名(旧姓)。ケイちゃんのイメージぴったりの「大和撫子おしとやかー」なお名前ですね(^^)


マンデー・モナリザ・クラブ

略称「マン・モナ」。デビューから約3年後、1979年9月9日発売の曲。それまでターゲットの低年齢化路線が続いていたPLにとって、「大人のPL路線」への転換となった記念すべき曲である。したがって、濃いPLファンには、非常に人気のある曲とも言える反面、「PL=UFO・サウスポー」という方には、なじみの薄い曲と言える。
この曲をマスコミで初めてクローズアップしたのは、1994年にOAされた「驚きももの木20世紀」のPL特集だろう。「歌いたかった本当の歌」というコーナーまで作って、この曲が出た経緯を紹介している。これがなかなか印象深いので再現してみる。

都倉先生「人間ミーケイというこの2人の歌手にね、何か作曲家としても作詞家としても貢献してやりたい・・・PLということを離れたね・・・」
阿久先生「彼女たちが思っている大人っぽくて、何となく危なくて、考えようによってはカッコ良く思える歌作ってやりたいね・・・」
ナレーション「頑張り続けた2人へのプレゼントだった・・・2人はつい最近初めてそのことを聞かされた。」

ミーちゃん「暖かい思いみたいなものが、今更ながらにしてすごく感じますよね。」

ケイちゃん「もう少し大人の歌、それからコーラスのできる歌を歌いたい歌いたいと、思っていた私たちのなんか気持ちが、ずっと届いていたんだなって・・・」
都倉先生の「人間ミーケイ」「貢献」という言葉が特に印象的。そして、ケイちゃんの「大人の歌」ご発言も、いろいろと考えさせられるものがある。私としては「大人のPL路線」をもっと継続してほしかった。その思いは今も続いている。是非再結成活動で。
私の「マン・モナ」への思いはこちらも参照。



見せるタレント
「聞かせるタレントより見せるタレントが目標です。」これは、1976年スタ誕決戦大会で、お2人が階段を駆け降りる時のナレーション。この決戦大会では、ケイちゃんの「歌って、踊れて、ビートのきいた曲を得意としたいと思います。」というご発言もある。
いずれも、半年後のPLデビューを暗示するもので、大変興味深いものである。

ミーちゃん[PL基礎用語]

本名、根本美鶴代。現在の芸名、未唯mie。
今は「ミーさん」が定着したように思えるが、やっぱりミーちゃんが一番!

ミーちゃん派
ミーちゃんを愛する者の集団。同世代(あるいは以上)の男性にファン層が集中していると言われるケイちゃん派に対し、性別・年代ともにファン層が分散しているように思われる。「集中のケイちゃん派」「分散のミーちゃん派」と言えるのかも?



無敵
かなう相手がいないこと。当時、女性アイドルグループの世界で、PLは無敵の存在であった。
デビューから1978年の春までは、キャンディーズという先輩格のグループが活躍しており、本人達の意識とは別に、マスコミ的にはPLとキャンディーズとはライバルであった。「ピンク・レディーVSキャンディーズ」と銘打った歌番組のコーナーも多かった。ところが、キャンディーズはPLデビューの翌年1977年夏に解散宣言。そして、1978年春に解散。この時からPLは、女性アイドルグループとして文字通り無敵(二人勝ち?)となった。ファンとしては嬉しいながらも、一抹の寂しさを感じたのも事実である。はなはだ不謹慎ながら、やはり、トップグループ同士の競争というか切磋琢磨というか緊張感が懐かしく感じられた。この頃には、とてもかなわないということで、PL亜流グループの登場も皆無になっていた。PLが「モンスター」と言われたのもこの頃である。

名曲
PLの名曲(A面)とは?特にPLファンでも無い方も含めて、意外?と評価の高いのは2枚目のシングル「S・O・S」のようだ。アイドル歌謡の最高峰のように賞賛している記事を読んだ記憶がある。近年になっても、NHK番組のテーマ曲になるなど、生命力の強い曲と言える。私も大好き!次に評価の高いのは「うたかた」か。こちらも、ファンならずとも絶賛する声が多いようだ。
そして、PLファンにとっての名曲とは、やはり「マンデー・モナリザ・クラブ」でしょう。結局これが言いたかったようだ(^^;)


恵まれ過ぎ
恵まれ過ぎる幸せに慣れっこにならないように、新鮮さを失わないように励ましあって歌い続けていきます。」
これは、デビューから約7か月後に出版されたPL写真集のあるページの文章から。デビューからまだ日の浅いPLが(日が浅いからこそ?)、この時点で既に恵まれ過ぎと表現されているのに驚く。その後の大旋風を暗示するものとして興味深い。

巡り合わせ

歴史にIFは禁物と言うが、伝説のアイドルPLのミーちゃんとケイちゃんの巡り合わせならば、一考の余地?があるのではなかろうか。もしも、お2人が転校生同士でなかったら・・・もしも、ケイちゃんがバスケットでケガをしなかったら・・・もしも、お2人が演劇部で姉妹の役をしなかったら・・・PLは誕生しなかったかも知れない。考えただけでぞっとする。お2人の巡り合わせに大感謝!


盲腸

1977年12月ケイちゃん盲腸で入院。
退院直後、傷口がまだふさがらない段階での武道館コンサート、紅白歌合戦でのケイちゃんの奮闘ぶりは、まさにPL伝説と言っていいだろう。昨今のアイドルには、ちょっと無理な話。これぞプロ根性。脱帽です。

燃えつきます
ミーちゃん「この会場で燃えつきます!」ケイちゃん「皆さん一緒に燃えてください!」
1981年3月31日の後楽園ファイナルより。

モータウン系

お2人の好きな洋楽のジャンルとして、当時(今も?)よく語られていたのがモータウン系。1977年夏のコンサートSF’77では、曲目として「モータウンストーリー」があがっている。テレビで持ち歌以外を披露する場合(NHKレッツゴーヤングなんか多かったですね)、PLは多忙でレッスン時間が取れないためか、コンサートの曲=モータウン系を歌うパターンが多かったような記憶がある。

モンスター
PL8枚目のシングルにして、当時「やっとPL自身の曲が出た」と言われた曲。つまり、「PL=歌謡界のモンスター」ということか。PL時代を振り返って、よくお2人が「PLがモンスターになりすぎて・・・」と表現されることがある。ファンとしては、ちょっと複雑な想いのある曲でもある。


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