ピンク・レディー小辞典



再会 
1996年から1997年にかけての再結成のキャッチフレーズ。
それまでの再結成「PL復活」とは違った意味合いが込められていた。「PLという形にとらわれないで、ベストパートナー・・・」これが再会冒頭のケイちゃんのメッセージ。つまり、「単にPLを復活させる」のではなく「クッキー時代にまでさかのぼったベストパートナーミーちゃんケイちゃんの復活」だった。
さて、以下この再会の特徴を列挙してみる。
・「ペッパー警部」で始まり「ペッパー警部」で終わる。
始まりは1996年9月のNHK歌番組、そしてラストは1997年3月の富士宮コンサート
・ミーちゃんケイちゃんの「セルフ・プロデュース」の部分が取り入れられていた。
新曲「PES」の作詞など・・・
・活発な活動
PLとしてのテレビ出演、公演(ディナーショー、コンサート)の回数は今までの再結成のなかで最多?
・PLの特徴をとらえた好企画番組あり
これは「ハンマープライス」。番組の中で衣装替え(私服からサウスポー、サウスポーからウォンテッド)があったり、「PL+1」としての振りまねがあったり・・・「衣装」「振り付け」というPLの特徴がうまく出ていた。「UFOマシーン」は傑作でしたね(^^)。  
・マニア好み?の企画もあり
PLの原点「クッキー」が初めて表に出てきた再結成。スタ誕決戦大会の「部屋を出て下さい」をNHKテレビで歌ったり、ポプコン出場曲「恋のレッスン」がTBSテレビで紹介されたり・・・マニアには涙もの?(^^)
だいたい以上ですが、今振り返っても素晴らしい再結成でしたね。次回の再結成はこれを上回る企画を期待してしまいますね(^^)。


再結成

当HPのメインテーマ?PLを特徴づける活動。詳細はこちら。PLの場合4年7か月の現役時代を間にはさんで、「前史=クッキー時代」と「後史=再結成活動」が存在するのが大きな特徴。男性グループの場合再結成が珍しくない(最近また多いですね)が、女性グループでは珍しいのでは?PL以外の女性アイドルで再結成活動を行ったグループが存在するのか、私には分からない。
特筆すべきは、当時の振り付けや衣装(ミニルック)がそのまま継承されていること。しかも、より一層大胆な形で。
当HPが再結成活動にこだわるのは・・・1979年9月「マン・モナ」以降の「大人のPL路線」に期待していたにもかかわらず、それから僅か1年7か月後に解散してしまったから。そして、様々な意味でPLほど素晴らしいデュオは存在しないと思っているから・・・
今でもPL完全復活の夢を見ているのが、当HPの開設者・・・PL再結成狂・教祖?・・・らしい(^^)?
今後の再結成を願いつつ「世界英雄史」のメロディーで皆様も歌って下さい!・・・「Come Back、PL come back、PL come back、I love you so・・・」(^^)


シャワランビューティー

牛乳石鹸のシャンプー&リンス。PLが解散時まで長期間CMをやっていた。ミーちゃん「髪いきいき!」ケイちゃん「つやつや!」のフレーズはあまりにも有名(^^)?「PL雑感」のCM回想も参照。

ジョニーへの伝言
デビュー前、高校時代にヤマハのオーディションでケイちゃんが歌った曲。ちなみにミーちゃんは「アルプスの少女」。このオーディションで合格したことが、浜松のボーカルスクールに通うきっかけとなった。ところで、この曲は都倉先生の作曲でしたか?とすれば、ケイちゃんの選曲はPL時代を暗示するものだったのでしょうか。


末広中学
お2人が出会った静岡市の中学。演劇部で出会ったわけだが、お互い転校生同士ということで話しやすかった面もあるのかな?この時代、ミーちゃんが髪が長くて少女っぽくて、対照的にケイちゃんがショートカットだったという。PL時代と全く逆になっているのが興味深い。

スター誕生 
通称「スタ誕」。PLデビューのきっかけとなったオーディション番組。当時のアイドル歌手の登竜門。どれだけすごい番組であったかは、ここからデビューした歌手を列挙しただけで一目瞭然。森昌子、桜田淳子、山口百恵、片平なぎさ(早期に女優へ転身)、岩崎宏美、PL、岡田由希子(故人)、中森明菜、小泉今日子・・・当時、歌番組でスタ誕出身者は圧倒的な勢力を誇っていた。と言うよりも、スタ誕出身者がいなければ歌番組は成立しなかった。
さて、PLである。このスタ誕決戦大会にたどりつくまでが長い道のりだった。ヤマハからなかなかデビューできなくて、高校三年の頃には「根本と増田、校長室へいらっしゃい!」と進路のことで呼び出されたり・・・フジテレビ系「君こそスターだ」の不合格を経て「スタ誕」へとたどり着く。しかも、既に高校三年生、静岡での予選を待っていては間に合わないということで、東京での予選を受けることに・・・決戦大会OAはぎりぎりの高校三年の3月!ミーちゃんケイちゃん大変でした。

すみや
静岡市で当時(今も?)一番大きなレコード屋(今は何ていうのか・・・)。お2人が高校時代の帰り道にいつも寄っていたという。ここに「あなたもスターになれる」という大きな星が描かれたポスターがあり、ヤマハのオーディションを受けるきっかけとなったという。

世界英雄史
1980年、アメリカ帰国後から解散宣言(9月)の間に歌われた曲。解散説が流れるという時期が時期だけに、お2人の歌う姿を複雑な思いで見ていたファンも多かったのでは?ミーちゃんの髪型も話題に。衣装はお2人で微妙に違っていて、ケイちゃんがミニスカでミーちゃんがタイツ姿?
ところで、この曲、阿久先生・都倉先生のいわゆるゴールデンコンビの作ではないが、なかなか印象深いもの。「世界・・・」ということで、歌詞に登場する歴史上の人物の幅広さは「DO YOUR BEST」以上に圧巻である。西洋から東洋、アメリカ大陸、日本まで網羅されている!そして、歌詞以上にすごいのがこの曲の振り付け。と言うよりも、ダンスの域に達していて「アメリカ帰り!」を実感させられる素晴らしいものだった。PLの振り付けは無理矢理(^^)大きく分けると、「かわいい系」と「かっこいい系」になると思う。(勿論どの振り付けもかわいくて、かっこいいのだが・・・)「かわいい系」の代表は「S・O・S」。そして「かっこいい系」はこの「世界英雄史」の他「マン・モナ」「リメンバー」最近では「PINK EYED SOUL」など。
そして、次に印象深いのがこの曲の終わり方。音楽の知識がない(専門用語を知らない)ので、うまく表現できないのだが・・・PLの曲はわりと「ピシャッ!」と言う感じで終わるものが多いなか、この曲はサビ?のメロディーの繰り返しで終わっている。これがなかなか心地良い。そう言えばあの名曲「マン・モナ」も「マンデー・モナリザ・・・」(こちらはメロディーのみでなく歌詞付き)と繰り返しで終わっている!勿論、これは原曲に限ったお話で、お2人がテレビで歌われる時は、それこそ「ピシャッ!」と(^^)かっこ良いエンディングだった。

セクシー
ある雑誌・書籍のPL評より。「キャンディーズよりセクシーさを全面(開設者注:「前面」の方が適切か?)に押し出したスーパーアイドル」「このグループはセクシーさをウリにしながらも支持層が成年男子だけでなく、子供、それも小学生女子に異様な人気があった」共に「セクシーさ」という点からのPL評である。PLはヒットチャートで様々な記録を残したが、「お肌の露出度」という点でも歌手として記録を残したのでは?特に「波乗りパイレーツ」の水着みたいな衣装は圧巻。今でもあんな衣装で歌える歌手はいないのでは?昨年ケイちゃんがラジオで、この点に関した質問を受けて「真冬でも肩とか出して寒いですから、冷やさないようにしてました!」とご発言。
さて、「セクシーさを売りにしたPL」ではあるが、ポイントは「セクシーではあるが、いやらしくはなかった」ことと「単なるセクシーアイドルではなく曲がヒットしたこと」につきると思われる。まず「いやらしくなかったこと」これは、ミーちゃんケイちゃんの素朴な人間性によるところが大きいと思われる。PL衣装そっくりな亜流グループ・・・典型がキャッツ・アイ・・・が、なぜ「いやらしく感じられ」売れなかったか、そして、なぜPLが「健全派」と言われ国民的アイドルになったかを考えてみるといい。そして「曲がヒットしたこと」これはPLが「セクシーさのみ」を売りにしたものではないということ。昨今流行のセクシーアイドルグループとの大きな違いと言える。

葬式
いきなり物騒なタイトルで失礼!作詞家・阿久先生が、ある書籍でこんな趣旨のことを書かれている。「1978年頃PLとして葬式をあげたらと、事務所に提案したが、当時事務所はレコード大賞をとらせることに必死で聞く耳を持たなかった」ここでいう「葬式」とは「PLのイメチェン」のこと。PLが予想以上に子供に受けたことから、阿久先生は「途中から明確にターゲットを低年齢化していった」と回想されている。その低年齢化を進めた阿久先生自身が、1978年というかなり早い時期から、PLのイメチェンについて提案していたのには驚かされる。ある意味、先生は「事務所より真剣にPLの将来を考えていた」と言えるのかも知れない。結局のところ「PLのイメチェン=大人のPL路線」は翌1979年の「マン・モナ」まで延期されたことになるのかな?

操縦不能
最近ミーちゃんが多用されるPL解散の要因。なかなか意味シンなフレーズである。PLがあまりに大きくなりすぎて、「操縦不能=方向感を失った」ということ。
デビュー当時、PLは周囲からあまり期待されていなかった。これは、最近お2人自身も語られている。新人としては少ない「ペッパー警部」のレコードプレス数。「カルメン’77」までレコードジャケットの衣装が自前のものだという事実・・・とにかく大ブレイク後のPLしか知らない方には信じられないのが、デビュー当時の状況である。そんなPLが国民的アイドルになってしまったのだから、事務所もレコード会社もびっくりしたのでは?今までのアイドルという範疇をはるかに越える存在になってしまって、操縦不能というのも理解できる。「(PLの方向性について)事務所の人も悩んでいたのでは・・・」ケイちゃんご発言も妙に納得できる。

ソロ

PLは比較的初期からソロがあった。ミーちゃん派ケイちゃん派それぞれ楽しみにしていたのでは?レコードでは初LP「ペッパー警部」のミーちゃん「ゆううつ日」ケイちゃん「インスピレーション」。公演では1977年最初のチャレンジコンサートから、ソロのコーナーが存在した。後期の公演ほどソロ曲が多くなった気がする。最近では1996年から1997年の「再会」でも披露。富士宮公演でのケイちゃんの「雪国」!!また聞きたいです(^^)。
突発的ソロ?としては、1977年春ケイちゃんが足にケガをされてお休みした時に、ミーちゃんソロでテレビ出演もあった。

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