ピンク・レディーの衣装


PL衣装は、なぜ記憶に残るのか2008.12.7

少し前おそらく9月でしたか、テレビで朝の情報番組を見ていたら、こんなシーンがありました。ある女性グループが「ペッパー警部」をカバーしたという報道があり、それを受けて番組のレギュラー解説者(主に政治経済ネタを解説する中年男性)が「当時(現役時代のPLを)近くで見たことがあるんですけど…(スカートが)短すぎて短すぎて、寒そうでかわいそうなくらい…」と発言されていたんですね。それに対して進行役の中年男性アナが「短すぎて…」と繰り返していたんですね。お二人とも年齢からいってPLリアル世代なので話が合ったようです。このシーンには思わずドッキリしましたね(笑)それと同時に「短い」「寒そう」「かわいそうなくらい」というキーワードで三十年近く経過しても記憶に残っているPL衣装について、改めてそのスゴサを実感したわけです。おそらくその解説者の方は、寒い冬の時期にあの衣装で歌い踊るPLを近くで見て、かなりの衝撃を受けたんでしょうね。

当時をご存じの方には今さらですが、冷静に考えると、ミニスカートの流行はPLのデビュー前に終わっていたのですね。ですから、世間一般から見て単に「ミニ」で歌うということだけでは、それほど目新しいことではなかったと思います。それでも、PLの衣装が特にファンでもない一般人の記憶に焼き付いているというのは、どういうことなのでしょうか?

勿論、あの振り付けや歌詞・曲との相乗作用という部分が大きいことは容易に推察できます。
それだけでしょうか?いや、もっとあると思います。あの野口様の衣装デザインそのものの素晴らしさ。これも大きな理由でしょう。ミニの流行が終わっていたあの時代、極限の短さ?に挑戦したPL衣装とも言えます。ミニを見慣れた人たちにも「短ずぎて」と記憶に残るほどインパクトが大きかったということですね。単に短いだけでなく、色・デザインの斬新さ(特に「UFO」以降は曲のイメージに合わせた衣装)は他の歌手をはるかに圧倒していましたね。
もっと言うと、衣装を着ているおPLお二人の素晴らしさ、スタイルの良さ。これは当HPでは繰り返していますが、いくら強調しても強調しすぎることはありません。
ミニ衣装を「着る」ことは誰でもできますが、「着こなす」(つまり、着ていてサマになる)ことができる方はそういません。とりわけPLと同年代の歌手では。それ相応の身長と脚線美がなければサマになりません。サマにならない方がミニ衣装で歌う、70年代はそういう歌手もたくさんいました。

もう一つPL衣装が記憶に残る理由として、先の解説者「寒そう」発言のとおり、冬の寒い時期にもミニ衣装で通したことでしょう。これが先ほどの極限の短さと相まって、強くPLの衣装を印象付けることになったのでしょう。「PLってスゴイ!」と多くの人が当時衝撃を受けたはずです。PL冬の衣装というと、A面曲では「S・O・S」「UFO」「カメレオン」「Do…」「リメンバー」。解散直前の「リメンバー」を例外として、どれも「寒そう」なミニスカかホットパンツでした。こんな歌手はPLだけです。

更にいうと、PL衣装の伝統は再結成時にも、みごとに引き継がれていることですね。極限のミニにしても、冬寒い時期のミニにしても。2003年から2005年までのメモリアルコンサート期間を思い出してください。当時年齢45歳から47歳のお二人でしたが、衣装に関しては妥協無し?で現役時代のママでしたね。コンサート開始直前の記者会見で「ミニスカートあります?」に対して「勿論です。PLがミニスカートはかないで、どうするんですか」と強調していたお二人でしたが、私としては40代という年齢から、「現役時代の衣装より控え目なものになるのかな」とも思っていたんです。ご承知のとおり、それは全くの杞憂でした。極限の短さも健在でした。何より驚いたのは、vol.1と2で披露したセパレートタイプ(ホットパンツとブラ)の衣装です。この衣装、現役PLのコンサートでは定番衣装でした。A面テレビ用衣装では初期「ジパング」や「波乗り…」くらいでしたか。このビキニとブラの衣装、コンサートでは定番なのに、テレビの歌番組での披露は「波乗り」くらいと少なかったことについて、当時不謹慎ながらコンサートに来るファンへのサービスかと思ったものです(笑)まあ当時のテレビ歌番組ではなかなか披露できない衣装ではありますが。

話を戻しますと、このホットパンツとブラの衣装をルモリアルコンサートで披露したこと、これは今もってスゴイことだと思います。デザイン的には現役時代より大胆なくらいですし、40代の女性歌手でこんな衣装を着こなせる人は今後も現れないのではないでしょうか。しかもこの衣装、コンサートが冬にさしかかった時期にも披露していたんですよ。テレビでは2003年12月の「ベストテン特番」で、ミニスカとブラの衣装で「サウスポー」を披露、これも衝撃でしたね。年齢40代、冬の時期に屋内とはいえ、ホットパンツ(ミニスカ)とプラだけの衣装で歌う歌手なんてPL以外に考えられません。

話が脱線したついでにもっと脱線しましょう(笑)最近はわりと容易にネット上で当時のPL動画を見ることができますが、それらを見ての感想…
当HP衣装のコーナートップに「一番短いミニスカ衣装は?」として「マンモナ」の白と黒の衣装をあげています。最近動画を見ると白の「マンモナ」衣装の方が黒のものより更に短く見えるんですが(笑)つまり白の「マンモナ」衣装がPLの歴史上一番短い?白の衣装の方が上半身の衣装にボリューム感があって、それとの対比でミニスカを見るから?目の錯覚かも知れません。皆様はどう見えますか。

最近思ったのは「モン・モナ」衣装と甲乙つけがたい短さのPL衣装が存在すること。1976年「ペッパー警部」の黒の長そで衣装、頭に羽とひざ下のロングブーツ。この衣装も極限の短さ。近代映画のPL特集号で「PLのトレードマーク。このポーズがくせもの。太ももをむき出し…悩殺ポーズ」と紹介された衣装ですね。ブーツは「UFO」以降、羽は「渚…」以降と思っていたのですが、初期からあったのですね。

以下極限に短い衣装をあげると、「とべ孫悟空」で「カルメン」の替え歌「私の名前は孫悟空でっす。勿論お猿に決まってまっす」(笑)を歌う時の衣装。ラスベガス公演時の白の長そで衣装など。再結成時では1998年のレコ大40周年?で「UFO」を披露した衣装。
メモリアルコンサートではvol.2で「ペッパー警部」を披露した衣装?、vol.3で「世界英雄史」や「Do…」を披露した時の衣装が極限の短さだったのでは。

いずれにしろ、現役時代のみならず再結成時にまで、ミニ衣装で極限の短さと冬の寒さに挑戦するPLのお二人は、本当に素晴らしいと思うし、これがPL衣装の伝説化にもつながっているんだろうとも感じる今日この頃であります。終わり。


子供にとってPL衣装は2008.5.18

先週OAのあるテレビ番組で「PLの超お宝映像」の文字が躍っていました。期待して見たファンが多かったと思いますが、いかがだったでしょうか。
映像は確か4種類で、1976年のS・O・Sお披露目、1978年の後楽園、ラスベガス出発記者会見?、関係者向けパーティーなど。私的にお宝は最後の1978年パーティーのみで他は以前に見た記憶があり、お宝度は低かったのですが、1つでも初めてがあっただけでも良しとしましょう(笑)この1978年パーティー映像、スポーツ新聞のニュース映像のようで、PL衣装はおなじみのミニスカですが、あまりテレビでは見たことのないもので新鮮でした。

衣装的にみると、最初のS・O・Sお披露目は皆さんご存じの白のスリップドレス(ミニスカ)、ラスベガス出発は私服、後楽園は冒頭のPLには珍しいロング衣装です。
S・O・Sお披露目、これはおそらく1976年秋頃だと思いますが、まだデビュー間もないこともあり、お二人の雰囲気が今とは随分違って見えますね。白のスリップドレス、これは赤のものと同様、初期のPLというかPLそのものを印象づける衣装になったと思うのですが。何度も見ている衣装ですが、今さらながらスカート丈が絶妙だなと感心してしまうのですね。「脚線美をギリギリまで惜しみなく見せながら、いやらしさを感じさせない」そうしたPL衣装の特徴が、すでにこの時期に確立していたのですね。PLスカート丈のマジックとでもいうべきでしょうか。

ケイちゃんの高校時代の担任をして「(スカートが)あんまり短いので大丈夫か?と思った」と言わしめた衣装です。結論は大丈夫でした。PL衣装は当時言われた「健康的・健全なお色気」の代名詞となったのです。仮にあれより短ければ「いやらしさ」が前面に出てしまうでしょうし、反対にあれより長ければ期待している?男子学生諸君?にとっては「物足りなさ」を感じさせてしまうかも知れません。そうした意味で絶妙なスカート丈なんですね。
PL衣装は、たとえてみるとテニス選手の衣装みたいなものでしうか。あれも相当短いですが「いやらしさ」を感じる方は少ないと思いますし、激しい動きができるという機能的な意味でもPL衣装に共通しています。

さて、私が思うにPL衣装の魅力「ミニと脚線美」というのは、男子学生や成年男子向けと思い込んでいたのですが、3月末にケイちゃんもインタビュー出演した番組を見て、少し見方が変わったのですね。というのは、この番組で当時の小学生におそらく「PLのどこが好き?」と聞いた答えが流れていたのです。男子小学生が顔を赤らめながら「スラーッとしてきれいじゃん」女子小学生が「ミニスカートをはいたところ」と答えていたのですね。これには驚きました。男子学生が言うようなセリフですから。子供だからと侮れません。当時小学生の方には失礼!

当時の小学生は単にPLの振り付けのみに魅了されただけでなく、衣装の魅力もしっかり届いていたんですね。「スラーッとして…」と言う男子小学生には既にPLのセクシーな部分に気づいていたのかも?また、女子小学生が言う「ミニスカートをはいたところ」と言うのは、おそらく男性から見た感じとは違うのでしょう。「あこがれ」「かっこいい」「私もPLみたいになりたい」そうした印象を受けます。皆様はいかが思いますか?


「ピンク・レディーはスカートだけだよ」2008.2.11

1月から2月というと年間で一番寒い時期ですけど、この時期のPLで鮮明に思い出すのは、やはり「S・O・S」を例の白や赤のスリップドレスで元気一杯歌い踊る姿ですね。デビュー後、初めて迎えた冬の季節。その時期をあの衣装で見せる(魅せる)ということに、ミニルックへの強いこだわりを当時感じたものでした。また、同時期に「S・O・S」がオリコン1位を獲得、その後の連続1位のスタートとなたっわけで、衣装でも曲でも「PLのすごさ」を実感したのもこの頃です。この年1977年正月に「夜のヒットスタジオ」にPLが出演し「S・O・S」を披露したことがあったのですが、その時出演者全員が着物姿で登場するという趣向でした。他の出演者は歌う時も着物姿?のようでしたが、PLは冒頭のメドレーこそ着物姿でしたが、いざ歌の出番になると白のスリップドレスに着替えてのご登場でした。他の出演者が着物姿(バックには着物姿のキャンディーズもいました)の中、ひときわ目立つ存在だったのですね。まあ、PLの場合、あの激しい振付を着物姿では不可能ですから、「ミニで魅せる」という以外にも「踊れる衣装」という機能的な?意味合いもあったわけです。メモリアルコンサート発表の記者会見でも「ミニじゃなきゃ踊れない」と強調していたお二人でした。

さて、冒頭のタイトルについて。これはPL世代の母親とPLをリアルタイムで知らないが、親の影響でPLにはまった?女の子の会話をネット上で見つけてご紹介するものです。おおよそこんな感じ。
親「(寒いから?)タイツをはきなさい」
子「ピンク・レディーはスカートだけだよ」
親「(PLがいるところは)暖かいところだからいいの」
ご理解できますでしょうか。子が言った「PLはスカートだけだよ」とは、つまり「PLは生脚だよ」という意味です。私は何よりもPLをリアルで知らない子供が、PL衣装の特徴を見抜いていたことに驚きました。

当HPで以前PL衣装の特徴として「最初から出し惜しみなし(限界GIRIGIRI)のミニ」「再結成時期も含めてミニを継続している」ことをあげました。この「限界性」と「継続性」につけ加えるとすれば、「生脚主義」(と名づけます)もPL衣装の大きな特徴です。
例外は「世界英雄史」の衣装、「サウスポー」のほんの初期くらいがタイツ姿。再結成では1984年のコンサートや1989年のNHK紅白のタイツ姿など数えるくらいしかありません。対照的なのは何かと比較されるキャンディーズです。「やさしい悪魔」の黒タイツ、「微笑み返し」の白タイツなど、結構タイツ姿があったのですね。PLとキャンディーズ当時テレビでの共演も結構ありましたから、生脚主義のPLとタイツ姿のキャンディーズひときわ対照的に見えたものでした。

ところで、親の会話「暖かいところだから」にはちょっと注釈が必要です。確かにスタジオやホールでは冬でもそれなりの暖かさだったんでしょうけど。PLが大変だったのは、テレビをいくつも掛け持ちしていて、冬でもあの衣装のまま移動しなければならないことが多かったのですね。
また、最初の冬は「十日町雪まつり」?などで、雪の中あのスリップドレスで歌い踊ったこともあったようで、このシーンは当時見た方が今でも衝撃的なシーンとしてネットで語っているくらいです。「舞台袖で震えていたPLが曲が始まると躍動的に歌い踊る姿に感動した」と。新人として売り出し中とは言え、今では考えられないことかも知れません。このシーンは今でもお二人の記憶にあるようです。

そんな冬は、テレビ局からテレビ局への移動時に防寒対策?として例の肩から脚まですっぽり隠れるマントというかコートを羽織ることになるのですが。ケイちゃんも雑誌で語っていましたが、やはり大変だったようです。
メモリアルコンサートで言えばVOL1.冒頭の黒マントですね。昨年10月にケイちゃん出演のある番組では、当時の再現映像として「ウォンテッド」の衣装に肩というか上半身だけ羽織った形で次のテレビ局へ移動でしたが、実際には脚までしっかり隠したマントが多かったのではと思います。
ただ、例外として上半身だけで脚を見せた防寒?マントも存在したのですね。例えば1978年レコ大金賞獲得者の記念写真。「UFO」衣装に上半身だけの赤マントで、おみ脚バッチリ見せる(魅せる)タイプ。最近では1998年「レコ大何周年」で「UFO」を歌い終わった後、トークやかつての司会者高橋さんをエスコートする場面では、上半身だけの黒マントで、こちらもおみ脚バッチリのタイプ。
防寒としての機能を追及しながらも、撮影・テレビ向けにはバッチリおみ脚を見せる(魅せる)マント、これにPLの真髄を見た気がしたものでした。脚を見せての防寒?


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