トラウマ

 

長男が、次男の耳にをさした。このところ警報が鳴りっぱなしの次男だった。生まれたときからずっと、長男という"台風"の嵐にもまれて育ったせいか、それとも、もともと"台風"だった自分が開眼したからなのか、今は追求しないことにする。とにかく、それが長男の怒りを爆発させ、暴走してしまった。

世間的な価値を超越して、おかしなものに夢中になるところ。頭がひとつのことに占領されて、他は一切見えなくなってしまうところ。思考内語を一方的に喋りつづけて、しかも、常にまわりにいる人に確認を求めるところ。すぐにムキになって、声をひっくり返して怒鳴るところ。言葉尻をつかまえて、意味を拡大解釈するところ。人に自分の思い通りの反応をするように求めて、満足な答えを得られないとすぐヒガムところ。そして、ちょっとでも気に入らないと全部イヤになってしまうところ…。何事も、その場の状況にふさわしい・ほどほどのところで止められない。

それらを私から学んだのか、生来のものなのか、それもまた、ここでは問わないことにして欲しい。ともかく、二人ともそっくりなのは確かだ。「注意欠陥・多動障害」という共通項はあるけれど、一人には「自閉」的な症状がないし、知能差もある。けれど、二人きりになるとどんどんエスカレートしてしまうのだ。この時も、次男は、ムキになって怒る兄の反応を面白がって、「イヤだから、やめてくれ!」と言われていることをワザとした。

最近、[人のイヤがることをすると、人に嫌われること]が解るようになった兄にしてみれば、[止めさせなければ!]という使命感に燃えていた。だから、弟に、「どうしてそんなことをするのか」聞いて、「自分は楽しいかもしれないけど、そんなことをするとみんなに嫌われるぞ」という決まり文句で説教するつもりだった。ところが、「兄ちゃんが嫌いだから!」という予想外の答えが返ってきて、事件は起きた。

呼んでも来ない、かたづけをしない、わざとふさぜけている…、と、人から非難されるような行動をけっこうしている次男には、その自覚はまるでない。逆に「自分は嫌われていないし、いつも問題を起こして嫌われているのはOOちゃんだ」と減らず口をたたいているくらいなのだ。その次男にすれば、「いつもイヤなことをされている兄にイヤなことをして嫌われたって痛くも痒くもない」というわけだ。なにしろ、服を引っ張ったら首を締められて息が苦しくなることすら、教えなければ解らないような兄だから。

イヤなことをされて、止めさせ方がわからなかった兄と、人のイヤがることをすると自分の身に災難が降りかかることを知らなかった弟。普段は決して仲が悪いわけではない。むしろ、同じ穴のムジナ同士で、唯一の自然にいられる遊び相手なのに。兄は、自分のやったことが判らなかった。弟は「どちらが悪いか」をしきりに気にしていた。

そういえば、私がボールを投げて弟の友達を泣かせてしまったのは、ただ、壁にボールをぶつける時と人に向かって投げる時の、力の入れ具合が判らなかっただけだった。それに、料理を作ってくれた母の知人に正直に「まずい」と言い、職員室で他の先生を指差して「こっちの先生のほうがいい」と冗談のつもりで言った時、本人の前で言って良いことと悪いことがあるのを知らなかっただけだった。

でも、とにかく、と言うか、今にして思えば当たり前だけど、親や先生にこっぴどく叱られた。特に、大好きで「この人なら何を言っても大丈夫」と信用していた先生が怒ったのはショックだった。私は、常識的に許される範囲を超えた取り返しのつかないことをしたわけではなかったけれど、ずいぶんと失礼なことを言ったものだ。そう、私は、思っていることをただ口にしてしまう。社会的な意味や効果や意図などまるでない。なのに、私の考えも及ばないことの方に人は反応する。それが何故だか解らなかった。

善悪が解るようになり、良いことをしたいと思い始めた長男。面白いかつまらないかを選択して衝動的に行動してしまう次男。どちらのとった行動も、悪いことには違いない。けれど、どちらも、その原因を責めることはできない。二人とも、行動したり喋ったりする前に、「判断」という課程が必要だと教えられても戸惑うばかり。たとえ多動が治まって、「判断」する時間ができるようになったとしても(その基準に《是非・善悪》を選ぶにせよ、《有利不利》を選ぶにせよ)、どちらの前途も多難であろう。

それを学ぶのに払った代償の大きさに比べて、学習効果は「?」である。どちらもちっとも変わっていない。今日も二人は、脳天気であっけらかんだ。興奮してわめき・飛び回り、トラブルを起こしたかと思えば、ニコニコで遊んでいる、いつものままの二人。頭の中は、ブロックとデジモンでいっぱいだ。私にできることといえば、この乏しい学習能力に望みをつないで、ただただ「成長」を見守ること。しかも、心理的負担を最低限に押さえながら。

そして、適切な対応ができさえすればトラウマにならないのか、それとも、どちらかにトラウマとして残るのだろうか?

でも、その前に、トラウマのない人なんているんだろうか?


         

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