孤独

どうにかしたい、けれど、どうにもならない。

どうにもならない、けれど、どうにかなっちゃう。

 

ひとと違う、ひとが解らない、ひとに頼れない、

ひとが恐い、ひとに自分をさらけ出せない。

どれが「孤独」の原因なのだろう?

私は、まるっきり同じひとを探そうとしているのだろうか?

それとも、理解してもらいさえすれば、それでいいのだろうか?

 

今日もまた、どこの誰だか判らないひとに会釈された。

知っているひとは、目も合わせてくれない人か、

目を合わせたくない人のどちらかだ。

話しのできる人は、なんらかの形で「自閉」に係わっている人、

子供たち、そして、この時代に疑問を持っているひとたち。

少なくとも、今を謳歌している大人たちじゃない。

 

普通なら、誰もができてあたりまえの、

時間とか空間というような物理的な「間」が分からなくて、

「人」と「人」との「間」が解らないひとは、

「人間」ではないのだろうか?

ひとに係われない私が、ひととの係わり方のおかしい私が

ひとと係われる子供に育てられるのだろうか?

 

ところで、

「普通」って何だろう?

完璧なニンゲン、それは神だ。

みんな、どこかが欠けていて、それであたりまえなのに。

自分で気にして、人目を気にして、

自分で自分を窮屈にしている。

もともと自分に無いモノを、必死になって身に付けてきて、

まわりを見たら、そのまんまの人ばっかりになっていた。

ならば、私の努力は無駄だったのだろうか?

人と同じように出来ないと、"わがまま"と言われるのに、

普通のはずの人達の"わがまま"が許されているのは、何故?

私はまた、自分では変えようもない「自分」を訴えながら、

自分を変えずに、他人を変えようとしているのではないだろうか?

 

自分で原因を作っておいて、

ほら、やっぱり、ひとりになった。

なんでまた、勝手にそう思うんだろう。

 

本当に、厄介な「私」


        

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