いじめ

≪障害者≫がいじめられやすいのは、何も自閉症やアスペルガー症候群に限ったことではありません。身体的な障害者だって、まだ肩身の狭い思いをしているというのに、発達障害や精神障害者に至ってはやっと声をあげ始めたといったところです。いや、今まで「性格」や「欠点」と言われていたものが実は≪障害≫であり、対処も治療もできることが発見されたばかりで、こうしたすべての人が理解されるにはまだまだ時間がかかりそうです。

もとになる障害が何であれ、外見上は何ら変わったことがなくて≪社会性≫が無いというのは格好のいじめの標的になりやすいものです。これは、悲しいけれど事実です。本人が傷つきやすいだけでなく、傷つくようなことを言われやすいのです。

「自分で自分のことを言っているのだ」と断らなければ、悪意を持って書き連ねていると思われてしまうような内容です。何年も人に揉まれているうちに、これらのことはだいぶ目立たなくなりました。というより、うまくごまかせるようになっていくものです。まさに、社会勉強のタマモノです。

こういう≪社会性≫の欠陥の為にしてしまうことは、客観的に見て「悪い」ことと区別がつきにくいことです。問題は、「しつけがなってない」わけでも「悪意がある」わけでもないのに、≪悪≫のレッテルを貼られてしまうことなのです。

「わかってやっている」のと「わからずにやってしまう」のとでは大違いなのに一緒にされてしまう。わけもわからず本人は不当に評価されたと思いこむ。叱られるばかりで教えてくれないから、また繰り返す。しまいには無視され、いじめられる。この悪循環から、悪い方へ悪い方へと向かって行く。

それでも、どこかで転機が訪れて、心機一転、新たな決意とともに何度も何度も生まれ変わってここまで来ました。その都度、過去を切り捨てて。脱皮というより「進化」と言うべきでしょうか。


      

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