これが、私の生きる

ほら 足元を見てごらん

これがあなたの歩む道

ほら 前を見てごらん

あれがあなたの未来

             kiroro「未来へ」より

最後に「未来へ向かって、ゆっくり歩いていこう」で終わるこの歌が、最近私の頭の中でグルグル回っています。でも、ちょっと前までは、

So you don't have to worry,worry,

守ってあげたい

 あなたを苦しめる全てのことから

'Cause I love you,'Cause I love you.

               ユーミン「守ってあげたい」より

でした。いつも、私のココロは、こんな風に歌詞に支えられてどうやら保たれているのです。

私に限らず、誰にでも"ココロのうた"はあるものでしょう。「歌は世につれ、世は歌につれ」なんて言葉もある通り、好きな歌がそのままうつり行くココロの変遷を現わしていることもあると思います。ともあれ、絶望から希望へという急展開は、この半年の間に起きた大異変を如実に物語っていると言えます。といっても、急にバラ色の道が目の前に開けたというわけでは決してありません。相も変わらず、私の思ったようには人は動かないし、私の企画通りに事が運んだためしもない。私が一生懸命に考えたことはほとんどが「ただの思い過ごし」に終わって来ました。

しかし、現実の人間関係は大きく変わりました。手取り足取り・二人三脚で歩んできた長男が何とか一人でやって行けるようになって、「自分で考え・自分で行動する」ように突き放す時期にさしかかってきたこともあります。でも、一番大きいのは、保育園の役員が回ってきたことです。生身のニンゲンというカベに久々にぶつかって自律神経が完全に参ってしまい、愚痴を言うようになりました。今までずっと心の中に封印していた「本当は言いたかった」自分のことを、口にしたのです。

「なんだそんなこと」と思われるかもしれません。でも、私にとって、こういう個人的なことを人に話すのは一大決心でした。それまでは、固有名詞を出して誰かと喋るなどという大それた事はとってもできませんでした。そういう、いつまた忌まわしい亡霊となって頭の中に浮かんでくるかも判らない出来事や、誰かとの会話といった具体的な過去は、腹の中にしまっては切り捨ててきたのですから。そして、ひとに話を聞いてもらう快感に味をしめて、ついに、こんなホームページを作ってしまったというわけです。

「シマッタ」と思っても、もう、「アトノマツリ」です。でも、始めてしまったからには「言いたいこと・書きたいことは全部はき出してしまおう」と思っています。誰も読んでくれなくても、また、読んだとしてもどこかのバカが「なにか訳のわからないおかしなことを言っている」と思われても、一方的に書きたいことを書くだけでも良いと。

「ペンギンくらぶ通信」でメールをいただいて、少しは世のため人のために役に立っているかな、という感じも最近してきました。本当にありがたい出会いです。でも、また波風を立ててしまって悪いことをしているんじゃないかと後悔しているところもあります。

いつだって、みんなと同じように・楽しく・和気あいあいと出来ない私は、ひとり宙に浮いて・トンチンカンで・うっとおしい嫌われ者で・「出るクギ」で・無視されつづけてきました。「だからといって黙っていなければならないなんてことはない」と開き直ったと言っても良いかもしれません。私はそういう風にしか考えられないし、行動できないのだから。それに引け目を感じる必要もないのではないかって。だって、健常と呼ばれている人の方が、もっとわがままで・傍若無人で、それでも大きな顔をしてまかり通っているじゃありませんか! だったら、「こういうニンゲンもいるんだ」と主張して生きてやろうって。

実は、私を怒らせたのは、無責任で、損・得で動き、徒党を組んで自分の主張を押し通し、大人びた口を利きながらもその言葉の端々に幼稚なズルさ丸出しというニンゲンの存在でした。善悪の勘定よりも快・不快の感情で生きている人達です。今や、そういう人達の時代になってしまったようです。

こんな時代に"ひと"としての成長を求め、善悪を超えた"ゆるし=彼岸"の世界に渡るように訴えたところで、耳を貸す人もいないないでしょう。でも、人間に生まれつかなかった私は、人間としてあり続けるための最大限の努力をしてきました。せっかく人間に生まれついていながら人間を捨てたような振る舞いをする人達を情けなく思います。

そんな人達に遭ってしまってココロが汚された気持ちになった時、私はひたすら心の中でこの言葉を唱えます。

「徳あるは誉むべし、徳なきは憐れむべし」

曹洞宗経典「修証義」より

もし、アスペルガー症候群といわれる人々が市民権を得たとして、これから育っていく子供たちをなんとか≪社会≫につなぎ止めてあげることは出来ても、≪本人≫にとって「この世の住みにくいこと」は変わるはずもないでしょう。ニンゲンの心の醜さは、私達の「いつ崩れるかわからない」ココロを直撃しつづけます。

私は自分のアスペを「自覚」し、一生その十字架を背負って生きていくことを引き受けました。同時に、私のように≪社会性≫の欠陥を抱えながら社会の中に生きる道を選択した者が絶望の淵に追い込まれないために、現実でない世界・具体的なニンゲンがいないところに常に片足を突っ込んでおく必要があることも知りました。私がここに・こうしているのは同じでも、天と地ほどに全てが変わっています。

自分がアスペだと知ったことで「世の中に違和感があって当たり前」だったと判り、とっても楽になりました。けれど、「自分が正しい」と思っていた時の方が今よりずっと幸せだったような気がします。でも、「幸せなのに苦しい」より、「不幸でも楽しい」方を選んで良かったと思います。アスペだと判ったからと言って、アスペがアスペでなくなるわけでも、アスペが世間に認められるわけでもありません。ただ、同じ状況をとっても楽な気持ちでいられるようになったというだけです。ほんのちょっとだけれどこの違いは大きいのです。それは、幼児期に診断されて育っていく後輩たちにも言えることです。二次的な障害や他の精神障害に発展させない為に。

正しく理解され・正しく対処されて過ごせるのは、楽なことは間違いないでしょう。でも、それだからといって何事も無く平穏無事に過ごせるわけではありません。「診断」されたからといって≪社会≫に受け入れられたわけでもないし、親子関係が精算されるわけでもありません。そこのところを誤解しないで欲しいのです。そして、その客観的な「診断」と主観的な本人の「自覚」はまた別のものだということも。自分の人生を歩むのは≪本人≫ということを忘れないで下さい。

≪社会≫にとって一人の人間は「一労力」でしかない面があって、体が弱いのは、この世では無に等しいことになってしまいます。同様に、≪社会≫に存在するココロの基盤が弱いというのもまた、≪社会≫にとって無になってしまう。心身ともに脆弱な私は、日々この絶望を生きています。正に、「右へ行くか左へ行くか」ではなく、「生きるべきか死ぬべきか」を選択して生きるスリルを味わっています。

何をするにも、そして、何をしても、これだけの精神的エネルギーを費やしてしまうなんて、馬鹿げていると自分でも思います。けれど、これしかできないのだから、逃げも隠れもしません。それに、どんなに的外れでも、言うべきことは言い・出来る限りのことができたのなら、私は自分がこの世に生まれたことに「満点」をつけて死んでいけると思っています。「これが、私の生きる道」なんていうタイトルがついているけれど、実は、このHP全体が私の存在証明であると同時に、「遺書」でもあるのです。

歌の歌詞で始まったこのページですが、最後に、私の尊敬する山田太一氏の言葉で終わりたいと思います。

親にできるのは、ほんの少しばかりのこと

生まれてきた子どもが白紙だなんてとんでもない話で、いろんな意味でぎっしりと宿命を背負って生まれてきていますよね。顔の形も、健康も、障害も、親の手に負えないことをいっぱい持って、子どもは生まれてきます。その限界の中での可能性を伸ばすために、何をしてあげるかということでしょ。そして、これ以上はできないというところでは身を引く。限界を知るというか、ある時点で断念するということがとても大事なことだと、僕には思えますね。

季刊「未来」1998年秋号より

≪本人≫のことは≪本人≫以外、誰にも判るはずもないのです。どんな人でも、≪他人≫は未知の大宇宙です。結局、自分のことは自分でしなけれはなりません。自分の人生の責任もまた自分で負うしかないのです。アスペがアスペを「自覚」する時というのは、自分の親との長い戦いに終止符を打って一人立ちする時でもあるのです。


         

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