生きる場所がない苦しさ、知っていますか?

 今回はいつになく地味に始まりました。というのも私、実は坊さんなんです。(もうやめたから、正確には「だった」だけど。)といっても、家がお寺だったわけではなく自分からなったのです。

はたからは私はひとづきあいのできない変な人という意外、何の不安もなく何でもこなしていると見られているのかもしれない。実際、どちらかというと人に教わるより教える立場になることが多いし、仕事だけならバリバリに出来る方に入る。今なら、職場に接客やら親睦を深めるための行事やレクリエーションなどというものがなければ就職してもいいと思っている。(なんて、そんな職種探すのが大変だ。それでというか、子供たちの勉強があるので時間も無いし、自宅で自営する工場の事務なんかやっている。)けれど、大学を卒業した頃は一匹狼の奇人・変人だったばかりか、自分をいっぱしの思想家だと思い込んでいる本当におかしな人間だった。自分が「自閉」という特殊な人種だっただけなのに、「自分の中にいる"真理"を語る自分」を追いかけるのに忙しくて"ひとづきあい"などという次元の低いことをするヒマなどない、と本気で考えていました。

大学の卒業式の日、そのハナモチならない哲学者モドキがいた所は、とある山中のお寺でした。くれぐれも言っておきますが、新興宗教じゃなくてちゃんとした曹洞宗(開祖は道元禅師)の修行道場です。「世界中のあらゆる思想を研究した結果、究極の哲学との結論を下した」禅の道を極めるなんて言っていたけれど、本当のところは世間になじめない腹いせに過ぎなかったんでしょうね。確かに修行は肉体的なものだけど、それを含めてあくまでも観念的な哲学としての禅のことしか頭にはなかった。日常的な文脈の中に位置するお寺というものの現状なんか一切無視です。

ここは天国でした。たまに来る参禅者に坐禅の仕方を教え、禅という共通の土俵の上で会話すれば良いし、そもそも感情と欲望を捨てに来るところだから世俗のわずらわしさがない。私が普通の人間で無いのは外見だけで一目瞭然だし、皮膚を覆う化粧なんていう気持ちの悪いことはしなくて良い、服装や髪型を気にしなくて良い。何よりも素晴らしいのは(禅に詳しい人ならご存知でしょう)、曹洞禅の教えは「威儀即仏法」で、日常の所作がすべて決められていることです。ふとんをたたむ作法・歯磨き・洗顔・戸のどちら側から入り出るか・その時どちらの足を出すか・廊下を歩く道筋・角の曲がり方、ありとあらゆることが決められていて、私はそれを教えればいいのです。そして、何よりも、人と人が出会ったらどんな場合でも、合掌して深深とおじぎをする、これが最高。挨拶なんてしなくていいし、相手が誰だったかわからなくても、全然いいのです。もっとも、来るメンバーはだいたい決まっているから、覚えるのに苦労しない。

でも、民衆がこぞってお坊さんを崇めている「小乗仏教」の国じゃああるまいし、ましてや、高度経済成長真っ只中の日本です、そうそういつまでも山にこもっていられる訳も無い。その現実に直面する時はすぐにやって来ました。それに、もう一つ大きな盲点は、お経が覚えられなかったこと、そして、日常でない「儀式」の作法を覚えられなかったことでした。記憶力のなさと動作模倣が出来ないことが大きな足かせになってしまいました。それに、体が弱かったのを忘れていたのも誤算でした。結局、私はへんてこりんな頭と貧弱な体で構成されていたこの忌まわしい゛自分"というバケモノを捨てに行って捨てられなかったんです。それでも、自殺しようと思わないところが精神病じゃない証拠なんでしょうね。それで、のこのことまた家に戻りました。

いや、そうじゃない、そうやってものすご〜い遠回りをして、私はやっと「人間になりたい」という気力を持てるようになったのです。今までずっと、「われ思う、ゆえにわれあり」という主観としての自分だけを探して、その自分と異なるものをすべて排除し続けてきた自分が「この現実の社会で生きてみようと思った事が無かった」のに気がつかせてもらったのです。言いかえれば、お寺を出たその日に、私は始めてこの世に生まれたのです。ずっと前から生を受けてもうポンコツになりかけていた体にやっと《他者》を、「実在するモノのなかで自分と同じ構造を持つものとして特別に注目すべき存在であり・その行動を模倣し・その言葉の意味を学び・交流する者である」とみなす《心》が宿ったのでした。

それから、就職もしてみました。事務や経理という現実的な・自分が生きるために必要な知識を身につけたおかげで、なんとか「われ思う」以外の「われ生活する」自我は命を永らえました。でも皮肉なことに、生まれた子供が障害児で、「自閉症」というとりえのおかげで自分の存在意義を見出すことになるとは。まさに。輪廻ですね。

自閉症者が一度は通るといわれている「普通らしく演技する」苦しみの前に、「自分探しに明け暮れて」生きる場所を見失う苦しみを、私はずいぶんと長い間味わってきました。だからこそ、今の私があるのです。

こんなバカげた生き方をする人が他にいるとも思えないし、どうせ、私の言い分なんか聞いてくれる人などいないと思いながらも、こんなホームページを作ってしまいました。私は、また恥の上塗りをしているのかもしれない。ただ、言葉に遅れがないから・学習上の大きな障害が無いから・どんなに軽かったからといって、「自閉」に気づかずに野放しにしたばかりか、「可愛げがない」とか「人の気持ちがわからない」とか「どうしてこういう風にできないの」なんていう言葉を浴びせられて育ってしまった本人の辛さをここに書き記しておくことにしす。それで救われる人が一人でもあれば、私にとっても幸せなことに違いないのですから。

それから、学力に遅れが無い方がかえって治療の機会を失わせる原因になるということを付け加えておきます。普通だって、学校での成績はほどほどで社会性(ましてや社交性まであれば言うこと無し)のある人の方が世の中で成功するじぁありませんか。真剣に考えなければいけないのは「学習障害」よりも「社会性の障害」ですよ。つまり、人間が"生きていくために大切なことは何か"ということです。


     

「自閉症からの逆襲」へ   「ペンギン日記」へ   「禅と自閉症」へ