ちょっと変わった女の子

一般に、LD・ADHD・PDDは圧倒的に男の子に多くみられると言われています。確かに、健常児でも男の子のほうが未熟だし、障害と言うほどではないにしても、注意力や落ち着きがなかったり、何かに夢中になって身の回りのことがお留守になりやすい傾向はあるように思います。そこに異常があれば、積極・奇異な行動を取りやすいだろうとは、容易に想像できるのではないでしょうか?

けれど、限りなくシロに近いグレーゾーンの自閉的な特性を持つのは、むしろ女の子に多いのかもしれません。「受動型」というタイプに属していて、特に「自閉症」らしい行動障害もなく、言葉の遅れもなく、社会性もほどほどにある子どもたちのことです。全部がそうだと言うわけではなく、幼児期には明かに「自閉症」と診断がつく場合も含めて、アトウッド先生は『ガイドブック・アスペルガー症候群』の中で、女児の特性を述べていますので、以下にまとめてみます。

  1. 男児の方が破壊的・攻撃的な行動に流れるような社会的欠陥をもつ傾向があるため、先生や両親に気づかれやすく、相談・受診する可能性が高くなるのではないか。
  2. 一方、女児は、友達と遊ぶ能力が比較的あって、他の子供のやっていることをそっくりそのまま真似るので、集団についていくことができるのではないか。
  3. 興味の対象も、男児ほど特異でも強固でもないため、一人で空想の世界に浸っていても目立たず、無言で苦しんでいることが多い。
  4. 青年期に入ると、実際の体験や対人関係・感情などについての会話が増え、小学校時代にやっていたような遊びが出来なくなるために、友人関係を保つことが難しくなる。さらに、異性を意識した働きかけについていけないことも、問題になる。
  5. 意図的に「仮面」をつけて、仲間とうまくやっているように見えても、内面には不安・恐れ・自己喪失の感情に襲われている。

いつまでも続くと訴えられる問題は、「他人と感じ方が違う」ことです。彼女たちの人との接し方は、表面的には自然に見えますが、自分たちが機械的で、直感的にはできないと思っています。他人はどうやって互いに親密となり、あまり考えなくても友人関係を保てるのかと悩み続けているのです。

第八章よく受ける質問/11、女児には症候群の独特の現れ方があるのか

締めくくりの言葉は、男女を問わずアスペ成人が共通して抱える問題です。普通に近くなり問題を起こさなくなってからもなお、困難は続くのです。その時期が比較的早く訪れると、適応できていると思われて放置され、内面の葛藤をよそに要求ばかりが高くなって行くのです。そして、その要求に応えようと必死に背伸びして、何らかの心身の症状が出るまでになってしまうのではないでしょうか。

その中で最も困ることは、女性には女性らしさ、男性には男性らしさが求められると言うことです。特に、世間から求められる女性像には、しぐさや笑顔の美しさ・愛嬌と愛想の良さ・素直さと可愛さが不可欠とされることが多いようです。一方、女性達の社会は、感情の共感で成り立っているばかりか、他をも押しのけるふてぶてしさも必要です。でも、得てして子どもっぽい幼さを残していて、男性的な思考をしがちなグレーゾーンの女性達にとって、これらの負担は大きく、しかも悩みを打ち明ける相手さえいない孤独に堪え忍び続けていかなければならないのです。

そのまま生きても、なんとかうまくカモフラージュしても、そのギャッブが埋ることは永遠に無いのでしょうか?

そして、客観的な診断基準からは完全に外れてしまうけれど、主観的には十分基準を満たしている彼女あるいは彼たちが、本人たちの書いた体験談を読んで「自分に気づいていく」ために、はたして客観的な承認などというものが必要なのでしょうか? それに、診断がついたからと言って社会の側に受け容れ体制が無い現状では、事態が改善するとも思えないのですが…。それに、診断があっても無くても、自分自身と自分の抱えている問題に変わりは無いはずです。

自分を知って、無理なく生きられるように自分を変えていくのに、何の遠慮も要らないと思うのです…。「一匹オオカミ・ただし、言いたいことだけは主張する型」の私は、やっぱり自分のことは自分でやってしまいます。


ところで、テンプル・グランディテンさんの本を読んで、あの"締めつけ機"を使ってみたいと思っているのは、私一人でしょうか?

テンプルさんがあの機械を開発・製作したのと同じくらいの年の頃、"締めつけられる感覚"を頭の中で想像して過ごしていた時期がありました。今でも、身近にあれば飛んででも行きたいものです。機械で、しかも、自分で調節できると言うのは魅力です。学会で会ったあの時、ベルトの牛のことを言うより、「締めつけ機を使ってみたい」とお願いした方が良かったとは思うけれど、目に入ると黙っていられない性分なので、仕方ありません。

でも、その為には医師の診断が必要だって? そう、私が唯一、医師に頼りたいと思うのは、この過敏な触覚をどうにかしてもらいたいと思う時なのです。気持ち悪くて、時には生きているのさえ面倒に思えてしまうこの触覚を抑える薬を処方してくれるのなら、すぐにでも病院に行くんだけどなぁ。


             

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