普通になるということ

だが診察室は、わたしの葛藤の象徴でもあった。明るい小さな部屋に入れられている、わたし。部屋のまわりには輝くようなまぶしい世界が広がっていて、こっちへいらっしゃいと手招きしているのに、そこに行くためには、闇を通って、何キロも恐ろしい旅をしなければならない。(P141)

わたしのまわりで起こったことも、実際に本当のわたし自身にまで入りこんでくるようなことはめったになかったからだ。自分の体に起こったことでさえ、体を、自分とは切り離されて「世の中」に存在している物体としてしか感じなかったり、内側の「わたしの世界」と外側の「世の中」の間の、壁のようなものとしてしか感じていなかったりしたのだ。(P143)

人は「世の中」との相互作用の中で、「わたし」としての自覚を深めてゆく。だがドナ自身は、その相互作用を知らなかった。「世の中」とかかわり合っていたのは、もっぱらキャロルやウィリーといった仮面の人物たちだったからだ。(同)

しかし、わたしの問題はそういった恐怖(注:人に拒絶され・見捨てられることへの恐怖)に根ざしているのではなく、「世の中」に手を差し伸べ、そこに入っていこうとする努力の結果のゆがみにあった。自分で思い出す限り、メアリー(注:精神科医)の挙げるような恐怖のために、自分が殻に閉じこもったり、精神的に引きこもったりしたことは一度もなかったのだ。・・(中略)・・わたしが殻に閉じこもってしまうのは、わたしの、もっとやさしく柔らかな感情に触れてこようとするものへの反応である方が、多かった。粗野で冷たいものに対しては、むしろわたしは平気なのだ。(144)

結局、わたしが折れることにした。彼女(注:精神科医のメアリー)がわたしをつかむことがてきるように、「わたしの世界」のもととなっている秘密のいくつかを、打ち明けることにした。わたしはまるで、首脳会談に出かけていって、軍備削減を提案する首相のような気分だった。(P145)

『自閉症だったわたしへ』より

他人に対して「自己開示」したことの無かった宇宙人が、「治療」という形で、始めて地球人に対して故郷の星の由来と自分の素姓を明かすのは、一種の闘いのようなものだ。今までずっと、カッコに入れて「保留」し続けて来た本当の「ワタシ」が、故郷の言葉で自分のことを語って良い状況に直面するのだ。まず最初に、本当の「ワタシ」を閉じ込めて来た、牢獄のようなこの「身体」の遍歴(いわゆる、生育歴)を聞かれる。でも、「身体」なんてものはどうせ「他人」のようなものだから、どうでもいいことなのだ。

しかし、そこに閉じ込められていた「ワタシ」が、本当の「気持ち」を話せるようになるには、それこそ、深い深い「闇」を通るという恐ろしい旅をしなければならない。「言ってはならない」「見せてはいけない」ものとして封印していた秘密を白日の元にさらすなんて、とんでもないことだ。「自閉症」のありのままでいられた極楽の日々は、正に「普通でない」ことに全く気が付かず何の疑問も持たず、何故か周囲の人と衝突した記憶だけが残っている、地獄と隣り合わせの時間だったのだから。

その頃の自分の行状というのは、ズバリ、「いかにひどいことを、やっていたか」か「いかにひどいことを、言っていたか」のどちらだから、怒られたり・笑われたり・否定されたりした体験なのだ。それを話すには、「これを言ったら叱られる〜!」というブレーキがかけられて当然。いや、その前に、「こんな話を聞いてくれるはずがない!」というところでスターター・キーを回すのもためらってしまう。それほど、今まで「どうでもいい・つまらないもの」と言われ続けて来たことでもあるのだ。

なのに、相手(精神科医)は、話しても話しても、何も批難されずに聞いてくれる。だから、尚更、恐くなる。「何故、こんな話を聞いてくれて、しかも同調して相槌まで打ってくれて、耳当たりの良いことばっかり言うのか!?」と疑問に思わないはずがない。・・・さしあたって問いただしたら、確かに仕事でやっているのには違いはないが、「治療構造の中で治療関係にある時間」は「ワタシの時間」なのだという返事が返って来た。

で、どうやら本当に大丈夫そうだとなると、今度は封印していた「ワタシの世界」を知ってもらいたくて、毎回毎回、戦略を立てては「今日は、これを教えてあげよう」と臨戦体制で臨むようになる。しかし、私の記憶は、いつもいつも「前回のつづき」から始まっている。それで、まず第一に気が付くのは、時計の位置や鉢植えの観葉植物の向きといった、前回と違う情景なのだ。そして、いきなり用意して来た作戦を実行しようとする。なのに、「調子はどうでしたか?」なんて聞かれたって、何を・どう答えていいかわからない。だから、「始めの挨拶は、"こんにちわ"だけにしてくれ」と注文したくらいだ。

どうして、まず自分の「こだわっている」ことを披露したり、自分の感覚世界とか、子どもの頃から現在に至るまで引き込まれるように魅入ってしまったモノの話をするかというと、それこそが、と言うよりも、それ"だけ"が本当の自分の居場所で、後は全て浮世の義理で付き合ってあげているどうでもいいことだったからだ。それを清々と話せて、しかも「共感」してもらえる体験なんて、今まで一度もしたことがなかった。それが無ければ始まることができなかったはずなのに、それもないまま生きて来てしまったなんて!


私が度々引用しているドナさんの場合は、非常に重度の「自閉症」だ。母親が施設に入れたいと思うほどのかなりの異常行動をしていた。実際に、養護学校に在籍していたこともあった。言葉は、4歳までオウム返しだった。学校に入っても、校庭では倒れるまでグルグル回り続けるし、一番高い木の枝にぶらさがって歌を歌ったり、授業中にも独り言を言い続け、パニック発作を起こして暴れた。就職した時も、作業の指示の意味が分からず、縫製会社にかなりの損害を与えてしまった。

だから、下の記述の内容は、全く世の中に適応していなかった「自閉症」者が、自分が完全にカヤの外に置かれていたことに気づいた時の驚きなのだ。

だがわたしはもう、死ぬほどいやになっていた。自分の意識が、あらゆる光と色に、形と模様に、反響する音の振動に、魅きつけられて、ふらふらとさまよい出していくことが。昔はそれを、愛していたのだが。昔はいつも、それこそがわたしを助けに来てくれて、わけのわからない世界から、わたしを連れ出してくれたのだが。・・(中略)・・だが物たちに囲まれたそのわたしの世界は、もはやすっかり色あせて、足元にころがっている。そして「人の世界」がわたしに新たな世界を示している。けれどそれは、わたしには持つことのできない世界なのだ。(P144)

かつて世の中と闘っていた時、わたしは、自分が「世の中」を拒絶しているのだとずっと思い込んでいた。だが実際には、わたしに「世の中」をつかんでおく力がまったくなかった、ということだったのである。「わたしの世界」と「世の中」を区別して考えていた頃、わたしは、「世の中」に入るのも入らないのも自分で選び取ることができるのだと思っていた。やがて、自閉症というものが選び取ることを不可能にしているのだと悟り、わたしはふたつの世界の間に、最終的な休戦協定を結んだ。(P145)

『こころという名の贈り物』より

しかし、私にはこういう行動障害も学習障害もない。いや、言葉の遅れさえもなかった。だから、私自身は、ドナさんと同じ次元で、「人の世界」に改めて出遭うこともなかったし、「世の中」全体を敵にまわしたこともない。

私の振る舞いは、最初から「普通」だった。集団行動もとれていた。けれど、決してその集団に帰属していたことがなかった。確かに、自閉症の感覚世界をファンタジーとして持っていた。でも、そこに往ってしまっていい「場」とそうでない「場」を明確に区別していた。部屋の中に他人がいても、誰にもその「ワタシの世界」を披露せずに、一人黙々とそこに浸かっていた。つまり、私は初めからアスペルガー症候群で、人に係わる時には積極奇異的だったけれど人に係わられると受動的で、結果的に「一匹オオカミ型」だった。だから、本当の「ワタシの世界」を卵胞のように腹に抱えたまま、ものの見事に「世の中」に収まっていた。

しかし、「世の中」で生きていたことは一度も無かった。

私は、小5で「人と人とが言葉を交わして、ネットワークを形成している」ことを知り、他人が私について言っていることにも注意を向けるようになった。中2で「自分が他人に見られている」ことに気づき、人前で独り言と手を振ったり首を振ったりするのをやめた。高2で「他人から見て恥ずかしい恰好をしている」ことに驚愕し、服装に気を使うようになった。こうして、「心の理論」はだんだんに獲得され、深まっていった。

大学入学と同時に、必要に迫られて「私」という主語が使えるようになった。感覚的なファンタジーの「ワタシの世界」を捨てなければいけないと思ったのは、ちょうどその頃だった。それで、「ニンゲン」の研究を開始した。それ以来、「ワタシの世界」は悪しきものとして、無意識の奥底に生き埋めにしたつもりだった。でも、時々、意識の表面に浮上してくるのを抑える事はできなかったし、実は、そうしていても尚、気づかないうちにしっかりと私の意識を占領していたのだった。


それから二度死んだ後に、私はまた自分の「こだわり」の世界を取り戻すこととなった。今度こそ、「自閉症」をそのまま丸抱えした、本当の自分自身に戻ったのだ。(それを保持するために、SSRIと抗不安薬が必要だけれど…。)

「自閉症」を「アスペルガー障害」/「アスペルガー障害」は「広汎性発達障害」に、孤立型や積極奇異型を受動型に、という具合に症状を軽くすることが「療育」の目標に設定されている。しかし、私のように初めから「アスペルガー症候群」の「一匹オオカミ型」であった場合、ほとんど介入の余地が無い。そういう人たちは、精神的に破綻して、始めて「診断」されるのも無理はないと思う。

更に、上のように症状を変えて行くための手段となる「愛着形成」も、非常にしづらい。何故かというと、人といられないことはないし人を模倣できないわけでもないのに、集団の中にいるのが不安なので母親に依存しがちになり、初めから「弱い愛着」はできているから。

しかも、どう見ても「普通」で、やってることと言ってることが「ちょっとヘン」なぐらいなので、「できるのに、やらない」とか「性格がひねくれている」ようにしか思われない。この状態でも「自閉症」だと判って対応すれば、まだ教えることはたくさんある。しかし、知らなければ、ちょっとしたモノの言い方や発想がいちいち叱責の的になる。本人は、何が・どうおかしくて・どうすればいいのか全然わからないのに、「気をつけてしゃべりなさい」とか「他人に気を遣いなさい」と言われて、必死に頭で考える。でも、やっぱりどこか違っている。

自分の声と引き換えに人間の容姿を手に入れた人魚姫は、声なき声を発しながら、元々人間だった人々とのズレをビシビシ感じて、日々トラウマを踏んで歩かなければならなくなる。

せめて、故郷の海とも言うべき「こだわり」だけでも、捨てなくてもいいようにコンパクトにパックして、キーホルダーにぶら下げておきたいものだ。


        

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