*1999-2000年冬*



2月
加藤いづみ 「Spring-a-ring-a-ring」(特薦!)
実は、ぼくはたった1年ほどですが、加藤いづみさんのファンクラブに入っていたことがあります。ちょうど、アルバム「Skinny」を発表し、彼女の「好きになって、よかった」がテレビの主題歌になったり、コマーシャルに起用されたりして静かな盛り上がりをみせていたころです。しかし、その後、アルバム「French Kiss」を最後に、不覚にもしばらく彼女の歌から遠ざかってしまうのでした。
このアルバムは1999年3月にリリースされた、今のところ彼女の最新作になります。ぼくは、このアルバムが発売された時の記憶がないのですが、ひとことでいうと、「なぜこんなすごいアルバムがもっと話題にならないの?」という素晴らしいアルバムです。
音の感触はとても繊細で緻密(それは激しくヘビーな曲においても)、ジャケットのように、およそ日常の泥臭い喧騒からひどくかけ離れた−例えば、映画の中のシャンゼリゼであったり、アイルランドの労働者で賑わうパブであったり、オールドタイムなジャズが流れるバーであったり、無音の宇宙空間であったり−そんなさまざまなシーンが目に浮かぶ、アルバムです。
音の感触はそのように繊細でクールでありながら、凄腕ミュージシャンの技と感性が炸裂する、熱いアルバムであったりもします。
彼女が、かくも感性豊かなボーカリストであったとは。
アルバムは全12曲、うち5曲、彼女自身が書き下ろしています。
1曲目「gentle wing」の冒頭の趣味の良過ぎるピアノのアタック音一発でもう、心はクラクラ(笑)。Pat Methenyばりの間奏も聞き物!
2曲目「迷路のなかで」は一変、「オットーの動物園」をさらにヘビーにしたようなダークでトリッキーな雰囲気と、それとは対照的なウィスパー・ボイスがクール。
3曲目「元気でねバイバイ」はアコースティック・ギターで始まる清楚なポップ・ソング。しかし、後ろのほうで鳴る深いエコーの掛かったファズ・ギターが4ADのような深淵な世界に連れて行きます。
圧巻は、本人曰く「つくってみたら、5拍子になった」という7曲目「Luna」。ものすごく複雑な構成のアイリッシュ・ジグのような曲で、炸裂するFiddleが凄過ぎ。
全編で、ストリングス隊がかなりフィーチャーされていて、アルバムの雰囲気を印象付けているのですが、8曲目「風のカレンダー」も、ゴージャスな弦楽隊、ピアノの音、アコーディオンかと思ってしまうピアニカの音が芳醇な音世界を作り出しています。
続く「True Heart」もポップでありながらジャジーな隠し味、冒頭のバスクラリネットの音もいい感じです。まさに、大人の贅沢といった感じ。この辺りプロデューサーに名を連ねる中西俊博の技が光ります。
白日夢のようにたゆたうボーカルとバックの荒いギターの音の対比が感動的な3拍子の「涙も枯れて」、7thコードとルーズな歌い方が異色な「7thヘブン」と、最後の最後まで、すごいです。
作詞作曲、ドラム、ローズピアノ、メロディカを自ら手がけ、編曲が友人達という、限りなくプライベート録音に近い「雨上がりのRegret」という裏技入り(笑)。
余談ですが、彼女の名前の英語表記はデビューから一貫してKato Izumi。Izumi Katoではなくて。この辺りにも彼女のこだわりが感じられる気がします。

1月
ACO 「Absolute Ego」(推薦!)
ACO、最高。今、日本で一番ソウルのこもった歌を歌えるのは彼女なんじゃないかと思う。もちろん、音楽の意匠としてではなく。

全編スロー。熱を帯びたような独特のグルーヴ。表面上は至ってシンプルな構成の楽曲は内省的でひどく心を刺激します。
アルバムは小鳥の鳴き声とストリングス、SEによる00'39"の「Prologue」で始まります。突然白日夢の世界に迷い込んだような危うい雰囲気のまま、曲はシングルカット曲「悦びに咲く花」へと流れていきます。シタールのなまめかしい音、くぐもったエレピの音、たゆたうストリングの音に導かれ、ACOの微熱を帯びたようなボーカルがかぶさります。
「悦びに咲く花が/枯れてしまったなら/簡単よ・・。/私は女で/とても心が弱い。」
体の力が抜けていくようなゆるやかなリズムに身を任せていると、6'30"という一見長い時間があっという間に過ぎていきます。
アルバムの中では最もコンテンポラリーでリズムが明確な4曲目「愛したあなたは強いひと」は、ミディアム・スローのナンバー。最も前作のイメージに近いかもしれません。
圧巻は、シングルカットされていない曲がたてつづけに続く中盤6曲目から8曲目の楽曲群。今にも停止してしまいそうな超スロー・グルーブの「今日までの憂鬱」、分厚い雲のようなキーボードの音が不穏な「夏の陽」、ダメ押しのスロー・ナンバー「雨の日の為に」と続き、深淵な世界にずっぽり。
10曲目は再びシングルカットされた「哀愁とバラード」、短いことばとシンプルな演奏で切々と歌われ、詩人の才能が炸裂する「ひとつのくもり」でいったんアルバムはクライマックスを迎えます。
最後は00'46"の「Absolute Ego」に続き、スキャットだけで歌われる異色作「太陽」で幕を閉じます。
ダンスナンバーを声量を駆使して歌う歌(ソウル)が好きな人にはまったく向かないこのアルバム。でも、一度はまると抜け出せない魅惑的なアルバムです。

坂本真綾 「Dive」
その方面にはぼくはまったく疎いのですが、彼女は声優さんです。
話はちとそれますが、声優にしろ女優にしろ外に対して表現する仕事。そういう人たちがやはり同じように歌という形で表現することはごく自然なことだと思います。また、芝居というのは脚本があっていかにそこへ入っていけるかが鍵になりますが、歌はもっと自由に自分の意志を投入できるため、女優(または声優)といった人たちが歌うということはとても刺激になるそうです。
日本の音楽界、アニメ界で絶大な才能を発揮している菅野よう子さんが全曲の作・編曲を手がけており、作詞は彼女自身と岩里祐穂、英語詞はTim Jensenという人が当たっています。
彼女の声は素直で媚びず、決して強くはなりませんが、弱々しくもありません。菅野よう子お得意のロック、ブリティッシュ・ポップ、ジャズ、ファンク、近未来的映像音楽といったあらゆる色に彩られたミラクルな楽曲をさりげなく歌っており、不思議な聴後感の残るアルバムです。帯の「坂本真綾だけが歌える、ありふれない恋のうた。」という文句もなるほどうなづけます。
ジョン・レノンのようなピアノの音が印象的な「I.D.」、小粋なジャズ・ポップ「Baby Face」、下降するベースがラインカッコ良すぎるファンク・ナンバー「ピース」、アコースティック・ギターのカッティングが素敵な落ち着いたブリティシュ・ポップナンバー「ユッカ」が特に気に入りました。
余談ですが、歌詞を読んでもタイトルの意味がわからない曲が多いのは何故でしょう。
1998年12月リリース。

松たか子 「アイノトビラ」
ということで、続いてこのアルバムですが、余りにも有名な方なので、自分なんかが紹介するのはちょっと気が引けます。ここではとても気に入った曲について紹介させて頂きます。
6曲目「Stay With Me」は落ち着いたコンテンポラリーな曲で、くせのない真っ直ぐな彼女の声によくマッチしています。「今をみつめて。」というサビのところでかすれ気味になるところが、いい感じ。
7曲目「On the Way Home」はギターのストロークも爽やかなノリのいい曲。エレクトリック・ギターのオブリガートもいい味出しています。
10曲目「恋するギョーザ」はラグタイム・ブルースっぽい、とってもかわいい曲。親友篠原ともえが抜群のコーラス&アドリブ・ボーカルを聴かせてくれます。
最も感動したのが13曲目「Just a Flow」。6/8拍子のロッカバラードでじわじわと盛り上がる演奏とボーカルが感動的。特に間奏のアクセントの後の盛り上りはすごいです。
ちなみに、新年最初に買ったのがこれです。1998年9月リリース。

西村由紀江 「自分への手紙」(推薦!)
皆さんは西村由紀江さんというアーティストにどんなイメージがあるでしょうか。
クラシックとかジャズといった明確な意匠をまとっていない分、ヒーリング・ミュージックとか、イージー・リスニングとかに入れられてしまっているのではないでしょうか。
しかしジャンルなどと言うのは後でついてくるもの、狭いジャンルで語られ、ひとつ間違うと例えばロック・ファンなどから軽視されることがあるとすると、それは悲しいことと言わざるをえません。
これは、完全なピアノ・ソロによる芳醇なインストルメンタル・アルバムです。
時には優しく、時には力強く、時には悲しげに。メローとリズミック。13篇のピアノ詞は、自分に宛てた手紙というひとつの組曲。
聴き終わると、久しぶりにいいものに触れた幸福感に浸れます。1999年5月リリース。

Maire Brennan 「whisper to the wild water」
モイヤ・ブレナン、アイルランドを代表するグループ、Clannadのボーカリストです。
初期のClannadはケルト・フォークの色合いの濃いグループでしたが、歴史的名盤「Magical Ring」以降は程よいポップ感覚のアルバムを発表しています。しかし1989年、映像にもなったベスト盤「Past Present」(今思うと、意味深なタイトルです)を最後に重要コンポーザーであったPol Brennanが脱退、全体的に翳りのある歌が増えました。
さて、モイヤのソロは、これで早4作目。今までの彼女のソロ作は後期Clannadに通じる音楽性ながら、ケルト色は希薄で、アフリカン・リズムを控えめに取り入れたりして独自の音楽を追求していました。
まず、この4作目を聴いて気付くのは、ソロ作としては初めてユーリアン・パイプなどのケルト民族楽器がフィーチャーされていることでしょう。それゆえ、ぼくなどにしてみると、すこし懐かしく、また今までよりポップで聴き易く明るいのが印象的です。ぼくは今回のソロ作が一番気に入りました。Clannadでは余り曲を書くことがない彼女ですが、ソロでは今回も1曲を除いてすべて彼女のペンあるいは共作となっています。その1曲とはトラディショナルの「Be thou my vision(Bi thusa mo shuile)」。Van Morrisonも歌っていましたが、彼女のバージョンはゲール語で華麗なこぶしをきかせて実に美しく歌っています(ほとんどソロ・アカペラに近いアレンジ)。
日本盤はボーナストラック付でなんとPeter gabrielの「Don't Give Up」を取り上げています。なぜかPeter Gabrielのパートをモイヤが歌って、Kate BushのパートをMicheal McDonald(!?)が歌っています。

12月
鈴木祥子 「あたらしい愛の詩」
鈴木祥子さんが帰ってきた!別にどこかに行っていた訳ではないのだけど。
彼女のデビュー当時からのファンには堪えられない、James Taylor, Carole King, Jackson Browneから脈々と続く70年代、80年代のアメリカ音楽の良心がここにはたくさん詰まっています。
鈴木祥子さんはシンガーであり、ソングライターであり、ドラマー、キーボーディストで、今のリズム主流のJ Popsとはまた違う方向性で、日本のポップスになくてはならない存在の人。提供した曲も多く、ぼくの知る限りでは小泉今日子、ともさかりえ、PUFFY、渡辺満里奈らに曲を提供しています。また、王菲がアルバム「Di-Dar」で取り上げた「享受」は彼女の曲「あの空に帰ろう」のカバーだ。
とにかく4曲目「いつかまた逢う日まで」が素晴らしい。
穏やかなアコーステック・ギターのカッティングが印象的なミディアム・テンポの落ち着いた曲で、彼女の少し湿った女性的なハイトーン・ボイスの歌いだしに、本気で涙が出ました。どこまでも柔らかいメロディーと雲の上を漂うようなボーカルが素晴らしく、サビの一人多重コーラスが美しい。この1曲だけでも、このアルバムはぜひ聴いて欲しいと思います。
続く「愛は甘くない」ではフランジャーのかかったギターのストロークがどこか懐かしいポップ・ロック・チューン。
ヘビーでタイトなロックン・ロール「25歳の女は」はノリノリのかっこいい曲だが、破滅的な女性の性を歌った詩の世界は深刻だ。
ホンキー・トンク/ニューオリンズ・ジャズ色の濃厚な「臨時雇いのフィッツジェラルド」は異色のナンバーだ。
全曲彼女の作詞・作曲(共作含む)、海外セッション以外はドラムスも彼女自身だ。