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2005月9月18日(日)
8月は都合がつかず1回飛ばしで、9月の最初の三連休の中日に歩きました。夜の東名→東名阪と車を運転し、6:30に近鉄四日市駅前の駐車場に車を入れて、6:55に近鉄四日市駅を出発しました。
まずは近鉄の駅からJR四日市駅に向かう大通りを進み、4本目の横道を右折します。反対側は前回終点としたアーケード街です。旧東海道に入って、ひたすら道なりに進むとしばらくして近鉄内部(うつべ)線の線路。この内部線はいかにもローカル線という良い風情の電車です。

赤堀駅を過ぎると内部線とも離れ、7:23に鹿化川(かばけがわ)にかかる鹿化橋を渡ります。渡りきって右にそれますが、案内板が出ているので間違いはしないでしょう。7:35に日永山興正寺を通過します。この興正寺は、戦国時代に織田信長の家臣である滝川一益が寺領を寄進し、母の菩提寺としたという浄土真宗の寺だそうです。この当時、長島一向一揆など浄土真宗(一向宗)は信長と敵対していたと思っていたので、「へぇ」という感じがしました。
7:50に日永一里塚跡で5分休憩、さらに道なりに進んで8:10に日永追分の手前で国道1号に合流しますが、すぐに日永追分でまた別れて、旧東海道は右手にのびていきます。近鉄内部線の踏切を越えると追分駅、今度は左に逸れていきます。
8:55に内部川にさしかかり、旧東海道の橋は現在はないので国道1号の内部橋を渡って、河岸で10分休憩。

9:05に内部橋を出発し、10分ほど歩くと急坂になります。杖衝坂(つえつきざか)です。この坂は白鳥に化身した日本武尊が降り立ち、この坂を歩いて登ったところ剣を杖代わりにしなければならないほど急坂で、膝が三重に折れるようだといったという伝説があるそうです。ここから三重という地名がついたのだとか…。また、坂の途中には芭蕉の句碑「徒歩ならば杖衝坂を落馬かな」があります。徒歩だったら日本武尊のように杖を衝いて登っていくのに、自分は楽して馬で登ろうとしたばかりに荷物を落としてしまったと悔やんだ句らしいのですがよくわかりません。
杖衝坂を登りきると国道1号に合流します。合流後すぐ見つけたサークルKで9:30〜9:50休憩し、10:05に鈴鹿市に入るとすぐ国道1号と分岐して左に進みます。10分ほど歩くと再び国道1号に合流、すぐ再び右にそれるのですが、ここには横断歩道も歩道橋も地下道もありません。200mくらい先に歩道橋があるのでそちらから渡って戻ってくることになります。
国道1号と分岐するともう石薬師宿です。これまでも旧街道らしい古風な家が散見されましたが、ここのが一番古風じゃないかと古民家ラバーなMihoの弁。
この石薬師宿は歌人・国文学者の佐佐木信綱の生家と資料館があります。俵真智さんの師匠である佐佐木幸綱先生の祖父にあたる方で、理系なAkioは名前を知っている程度ですが、某W大教育学部国語教育学科出身のMihoは資料館にこもってしまいました。ちなみに、佐佐木信綱という人は樋口一葉とは同い年で、10代の頃からその才能を認めていたのだそうです。また、「夏は来ぬ」「水師営の会見」といった唱歌の作詞もされているそうです。
10:40〜11:25を佐佐木信綱資料館見学にあて、11:25に出発。すぐ国道1号を立体交差で越えると弘法大師が石に薬師如来像を彫った石薬師で名高い石薬師寺があります。お参り10分で、11:40に出発、鈴鹿川、関西線の線路と交差して「街道じゃなくて農道だよ、これ」というような道を抜けて再び国道1号に合流。庄野宿に向けて右折してすぐ、庄野宿の入口に12:20に到着して今回の終点としました。
