Top >> Akio's Room >> 東海道五十三次 >>豊明〜鳴海〜宮


豊明〜鳴海〜宮(約13km)

2005月6月25日(日)

桑名〜四日市岡崎〜豊明

豊明駅前(スタート)阿野一里塚前々回、前回に続き、車で深夜の東名高速をひた走り、5:30に豊明駅に到着。車をパーキングに入れて歩き始めます。まずは駅から東海道(国道1号)に出て、15分ほど歩いて国道1号から左に逸れて5:47に阿野一里塚、街道の両側に一里塚が原型を残しています。

そのまま国道1号に並行する旧東海道をすすみ、6:20に中京競馬場の手前で再び国道1号に合流しました。名鉄のガードをくぐってすぐのところに、「桶狭間古戦場」があります。言わずとしれた、1560年織田信長が迫り来る今川義元を急襲して討ち取った桶狭間の戦いのあった場所です。国道1号から左に曲がってすぐのところに公園がありますが、実は桶狭間の正確な場所は特定されておらず、このあたりだろうという伝説にもとづくのだそうです。

桶狭間古戦場跡今川義元の墓?樹と戯れるたぬき織田信長が急襲してきた斜面かも?

6:35に桶狭間古戦場を出発、国道1号と離れたり合流したりしつつ、6:45に大将ヶ根で国道1号から大きくそれて間の宿・有松に入っていきます。古い街並みが残っていて、特に「うだつ」が屋根にある家もあります。この屋根に「うだつ」を飾れない人のことを指していったのが「うだつが上がらない」という言い回しだそうです。

有松絞り有松宿の街並みと、うだつ

有松はまた尾張藩に保護された、有松絞りの産地として有名です。店の軒先などにも有松絞りののれんなどがありましたが、さすがにまだ朝早かったため、絞りを売っている店は開いておらず、Mihoがみぃみぃ後ろ髪をひかれていました。

7:33、平部町の常夜灯で5分休憩、7:45に鳴海宿の資料館前を過ぎ、7:50に瑞泉寺を通過、7:57に作町で突き当たりにぶつかって右に折れていきます。8:10に丹下町常夜灯を通過し、このあたりからMihoの腹がケロケロ鳴き始めたので、8:15に三王山交差点にあるマクドナルドで朝食をとりました。

笠寺一里塚笠寺観音9:15にマクドナルドを出発し、9:20に天白川を渡り、さらに道なりに進んで9:40に笠覆寺(笠寺観音)に到着しました。笠寺観音は、天平年間に開基された由緒ある寺ですが、その後荒れ果てていたところ、鳴海長者の侍女が観音様に笠を被せ、その後、侍女が藤原兼平の妻・玉照姫となって再興、その後荒廃と中興を繰り返して、明治の廃仏毀釈の頃には完全に荒れ果てていたのを昭和になって再建されるという波瀾万丈の歴史があるそうです。

笠寺観音を過ぎてすぐのところでY字路を左に抜け、大通り、名鉄踏切を越えると道なりに右へと折れていきます。さらに歩き続けて、10:15に鎌倉街道と交差し、国道1号に合流していよいよ宮宿に入っていきます。

裁断橋跡裁断橋跡の隣、都々逸発祥の地碑JRのガードを越えて、名鉄常滑線のガードのところで国道1号と分かれて1本左の道に入るとすぐ、裁断橋跡があります。天正18年(1590年)小田原征伐で息子を亡くした母親が供養のために裁断橋を修繕し、擬宝珠に銘文を残しています。

ほうろく地蔵裁断橋から10分強歩くと突き当たり、ほうろく地蔵の祠があります。さらに「ひつまぶし」の商標を持つという「蓬莱屋」(開店直前でしたが10名以上並んでいました)の脇を過ぎて、11:15に宮の渡しに到着しました。


ここで、本日はGoal!ですが、宮の渡しまで来るとなんか一区切り着いたような気がします。

宮の渡し宮の渡し船着き場跡

現在は宮の渡しから桑名の七里の渡しまでの渡し船はないので、舟で渡ったつもりとして、次回は桑名の七里の渡しからのスタートになります。いよいよ、東海道も関西編です。

宮の渡しから熱田神宮に参拝して、昼食後に豊明に戻り、帰宅しました。


戻る