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2005月5月29日(日)
前回に続き、車で深夜の東名高速をひた走り、4:30に東岡崎駅に到着。車をパーキングに入れたものの、まだ名鉄が動いていないので車の中で一眠り。5:36発の各駅停車で3つ先の矢作橋駅に向かいました。
5:45に矢作橋駅(北口)を出発し、北に歩き出し、国道1号を越えてその北を並行する旧東海道に入ります。しばらく歩くと国道1号に合流し、宇頭町の交差点、ちょうど安城市に入るあたりで国道1号と分岐します(6:25)。

さらに20分歩いて6:45、熊野神社がありました。ここは、戦時中に岡崎予科練があったところだそうで、「予科練之碑」があります。ここで、たまたま通りかかった80歳過ぎのおじいさんと立ち話、戦時中は出征していたため予科練そのものはご存じなかったそうですが、どういった建物があってという話や、現在活動している俳句の話などいろいろ伺えました。


6:55に再び歩き出し、7:10に永安寺に到着。ここは、助郷役免除を願い出て処刑された庄屋の柴田助太夫という人の屋敷だったそうですが、その境内には「雲龍の松」という幹が上に伸びずに横に這うように伸びている黒松があります。まさに、雲間に潜む龍を思わせる風情です。
さらに5分ほど歩くと、明治川神社があります。明治用水を開削した人たちの功績をたたえるために作られた神社です。明治用水は矢作川の水を碧海台地などの灌漑のために作られた用水で、地理や歴史の教科書で聞いたことがあるでしょう。現在の明治用水(まだあるんですね…)は地下に埋められた水路を流れていて見えないそうです。
とにかく道なりに歩いて約30分、7:45に今本町4丁目で10分休憩。7:55に出発してさらに約30分道なりに歩くと、来迎寺一里塚があります。
さらに約30分道なりに歩き、衣浦豊田道路の牛田IC近くで国道1号から牛田ICに接続する道路を越えると、久しぶりにコンビニ(ローソン)を見つけたので、Mihoがぐずりはじめたこともあり休憩を12分取りました。
8:52に出発して、国道1号とクロス。交差点脇には「ガーデンPLAZAベルサイユIZUMODEN」というド派手な結婚式場があり、ちょうど結婚式が行われているようでした(賛美歌が聞こえていました)。式場の派手さに「さすが愛知県」と思ったのは偏見でしょうか?

国道1号を渡り、国道1号と分岐して左斜めに伸びる道のさらに左の細い道が旧東海道です。ここから池鯉鮒宿(知立宿)です。道なりに進み、突き当たりを右→左と折れて、大通りを越え、しばらく歩くと総持寺があります。徳川家康の側室の1人で結城秀康の母、お万の方の生地だそうです。
逢妻川では旧東海道は切れていて、そのすぐそばの橋を渡ることになります。渡るとすぐ国道1号に合流します。国道1号を進み、10:10に刈谷市今岡町の工業団地のあたりで右斜めに逸れて、小川に沿って進むと再び国道1号にぶつかります。トヨタ車体の大きな工場が見えているので、道はちょっとわかりにくいですが大丈夫だと思います。
今岡町の交差点を渡り、歩道橋の手前左斜めの道が旧東海道です。そこから道なりに進み、10分歩いて、10:20、「ひもかわうどん発祥の地」という碑がありました。旧芋川が名前の由来なのだそうです。
またまた道なりに進み、10:45に今川町で国道1号と交差し、10:55に尾張と三河の境である境川を渡り、いよいよ尾張国に入りました。境橋を渡ってすぐ、烏丸光廣歌碑があります。「うち渡す 尾張の国の境橋 これやにかわの 継目なるらん」という歌で、江戸初期の境橋が、尾張側は木橋、三河側は土橋の継ぎ橋だったので、三河と膠(にかわ)をかけて詠んだものだそうです。一種の駄洒落といったら言い過ぎでしょうか…。
さらにしばらく歩いて、11:10に豊明駅に到着。ここをGoalとして、名鉄で東岡崎に戻り、車で東京に帰りました。
豊明から熱田神宮は地図によれば10数Km。次回のウォーキングでは、いよいよ熱田神宮に到着予定です。