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本宿〜藤川〜岡崎〜矢作橋(約14km)

2005月4月30日(日)

矢作橋(岡崎)〜池鯉鮒(知立)〜豊明吉田〜本宿

スタート(本宿駅前)本宿一里塚跡青春18切符など安い切符の使えない4月末。電車をあきらめて、車で東名高速をひた走り、朝7:30に本宿駅に到着。駅前のパーキングに車を置いて歩き出しました。

7:50に本宿駅を出発。国道1号より1本南を延びる旧街道を進むと、すぐ本宿一里塚跡があります。

10分ほど歩いて8:08に国道1号に合流、さらに8:20には国道1号と分岐(右手歩道下る)して、8:35には舞木町西交差点で再合流と、国道1号と絡み合うように旧街道を進みます。

8:45に藤川宿の入口(東棒鼻跡)に到着。ここで国道1号と分かれて左に街道は延びていきます。ここで、10分休憩をとりました。

十王堂・芭蕉句碑東棒鼻跡から街道を進むとすぐ曲尺手(かねんて)のようなクランクを右、左と折れて、藤川宿の中心へと向かいます。9:10に藤川宿本陣跡、9:22に藤川一里塚を通過しました。一里塚の向かいあたりにある十王堂には芭蕉の句碑「爰も三河 むらさき麦の かきつばた」があります。

9:30、名鉄の踏切手前に「吉良道道標」があります。左が吉良道、右が東海道です。資料によると1814年建立とのことなので、200年前のものになります。名鉄の踏切を越えて、松並木を過ぎると国道1号と再合流します。

9:50、街道は国道1号から再び分岐します。愛知産業大学の留学生会館美合寮があるところなので目印にするといいでしょう。左斜めに延びる街道を進み、10:20に乙川にかかる大平橋を渡ります。旧街道の橋はないので、国道1号の橋です。渡ってすぐ左に折れ、さらに右に折れて街道に復帰します。

大平一里塚10:30に大平町東交差点で国道1号と交差し、10:40に大平一里塚に到着。5分休憩しました。

再び歩き出し、国道1号に合流。すぐに東名岡崎ICがあり、その下をくぐる歩道を抜けて国道1号とつかず離れずといった体で進みます。

岡崎二十七曲スタートの碑何だっけ?11:10に岡崎宿に入ります。岡崎城下二十七曲りのスタート地点で5分休憩。二十七曲りは天正18年(1590年)に田中吉政が入城した際に防御上の理由からくねくねと曲げて道をつけたためにできたそうです。

二十七曲りをくねくねと進みます。何ヶ所か道標がありますが、地図を見ながら歩くことをおすすめします。11:35に創業天明2年の老舗、備前屋で柏餅休憩をとり、岡崎公園をかすめるように歩いていきます。

まるやの味噌樽味噌アイス12:45に八丁味噌の郷に到着。八丁味噌の由来は、味噌蔵が岡崎城から八丁のところにあったからだそうです。てっきり名古屋名物と思っていたのでびっくりでした。八丁味噌の郷にある老舗の味噌蔵「まるや」では工場見学もさせてもらえます。味噌造りの手順とその途中段階での味噌、赤味噌と白味噌の違い、八丁味噌は足かけ3年も寝かせる味噌であること、など知らないことばかりで大変ためになりました。

工場見学をして、試食の味噌や味噌アイスなどをいただき、果ては社長さんに八丁味噌を使った美味しい料理が食べられる店など伺ってしまいました。

株式会社まるや八丁味噌ホームページ

14:00にまるやを出発。すぐに矢作川にかかる矢作橋を渡ります。豊臣秀吉(日吉丸)と蜂須賀小六が出会った場所として知られる矢作橋ですが、なんと…この話はまったくの作り話だそうです。その証拠が当時矢作川には橋はなかったことです。橋がないのに橋で出会うことなんてできませんよね…。ちなみに、矢作橋をわたった橋のたもとには、蜂須賀小六と日吉丸の出会いの像があります。もちろん、この話が作り話であるという説明もありました。

矢作橋日吉丸と蜂須賀小六出会いの像

誓願寺14:20に誓願寺に到着。源義経に恋をした浄瑠璃姫の墓があります。ここで今回はゴールとしてすぐ近くの矢作橋駅(名鉄)に向かいました。その後、岡崎公園に行き、まるやの社長さんに紹介された八丁味噌料理の美味しい店「休み処いちかわ」で味噌田楽など八丁味噌を堪能しました。東岡崎駅から名鉄で本宿に戻り、車を転がして東京へ。長時間ドライブは疲れます…。


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