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関〜坂下〜土山〜水口(25km)

2005月11月12日(土)

桑名〜四日市水口〜石部

2005年11月11日(金)、品川バスターミナル22:30発の夜行バスで東京を出発、途中横浜で乗った客をあわせるとほぼ満席のバスでぐぅぐぅ寝る2匹のたぬきは、翌朝5:40に関バスセンターに放り出されました。

日の出まだ夜明け前のバスセンターで歩く準備を整えていると、東の空がだんだん赤く染まってきます。6:10に関バスセンターを出発し、ほの白んできた空をみながら国道1号線に向かって道をてくてく。国道1号線にぶつかり、近くのサークルKで朝食のお弁当を食べて6:50に出発しました。

関宿・西の追分どうせならと国道1号と垂直に旧街道に向かいます。旧街道にぶつかるところは、伊勢神宮から式年遷宮で古くなって関宿に移築された鳥居のところでした。ここから旧街道を西の追分に向かって歩きます。30分ほど歩いて7:20に西の追分を通過し、国道1号に合流しました。

途中、一時的に鈴鹿川に沿って国道1号から離れますが、またすぐ合流して45分、市瀬一里塚を越え、筆捨山の案内のあるあたりで国道1号から分岐します。さらに25分ほど歩いて8:30に坂下宿入口に到着。ここには五十三次の宿場の名前の書かれた柱がほぼ等間隔で立てられています。その真ん中あたりに『鈴鹿馬子唄会館』があります。

まだ会館は開館前でしたが、館員さんが入れてくださり、鈴鹿峠の説明をしてくださりました。普通、峠といえば頂点があって両側に下る構造ですが、鈴鹿峠の場合は土山側はほとんど下らず、坂下側に急勾配で下る構造だそうです。どういうことかというと、鈴鹿峠は活断層で、坂下側が沈んでいるんだとか…。

鈴鹿馬子唄の説明もしていただきました。

鈴鹿馬子唄
坂は照る照る鈴鹿はくもる あいの土山雨が降る
馬がもの云うた鈴鹿の坂で おさん上揩ネら乗しょと言うた
坂の下では大竹小竹 宿がとりたや小竹屋に
与作思えば照る日も曇る 関の小万の涙雨
   (以下、略)
(1)
(2)
(3)
(4)

(1)の後半の「あいの土山」。東海道には間の宿(有松など)がいくつかあるので、一般に「間の土山」と解釈されるそうですが、土山宿はれっきとした宿場であり、間の宿ではありません。この解釈の1つとして「相の土山」、すなわち鈴鹿峠をはさんで坂下と相対する土山で「あいの土山」というそうです。
 (2)の後半部分「おさん上掾vですが「おさん女郎」とも言われ、俚謡では「むすめ女郎」とも言われます。これだと遊女の意味になるのですが、「おさん上掾vはそうではなく、伊勢神宮へ参宮する女性の尊称ではないかということです。京から伊勢へいく女性という意味では、斎宮が伊勢に派遣されるときに行列で鈴鹿峠を越えたらしいのでこの意味合いもあるのかなと思いました。
 (3)は文字通りで、坂下宿には、大竹屋(本陣)と小竹屋(脇本陣)があり、本陣には一般客は泊まれないので、せめて小竹屋に泊まりたいという意味だそうです。
 (4)の「関の小万」ですが、関宿では仇討ちの主人公として「関の小万」がいますが、これとは無関係だそうです。関の小万の仇討ちは1783年、18歳のときのことです。一方、近松門左衛門の話で丹波の与作と関の小万の悲恋があります。これと仇討ち話がいっしょくたにされることがあるのですが、この近松話は1708年初演なので、まったく仇討ちとは関係ありません。(4)の小万はもちろん近松話の方です。この後、正調鈴鹿馬子唄では関の小万の仇討ちの唄が続きます。並べてみると、時代順に増えていったと考えられるのだそうです。

サンショウウオさて、9:15に鈴鹿馬子唄会館を出発、坂下宿を進みます。江戸時代は150軒くらいの家があり、そのうち48軒が宿場と、東海道でも2番目に宿場率が高かったそうですが、今は宿はもちろん、家も35軒とさびれてしまっています。鉄道が通らないうえに、国道1号開通時に、宿場の中を通したために家が撤去されてしまったのだとか…。ところで、道端でサンショウウオをMihoが見つけて捕まえてました。

法安寺の庫裡(松屋の門)9:30に法安寺に到着、ここの庫裡の玄関は、本陣の1つ「松屋」の門を移築したものだそうです。

さらに歩いて岩屋十一面観世音菩薩(見てません…)を過ぎると、国道1号の上りルートに合流、少し行くと片山神社の方に分岐していきます。10:00に片山神社に到着。参道っぽい坂道をぐいぐい上っていくと、国道1号の上りルートの高架線をくぐり、階段を登って下りルートに出ます。道を渡ってちょっと左にいくと、「東海自然歩道」があるのでここから階段を登っていきます。

15分ほど階段と峠道を上っていき、10:26に鈴鹿峠に到達しました。ここには標識があり、


左 三重県 伊勢の国|近江の国 滋賀県 右

鏡岩より眼下を臨むとなっていました。いよいよ、滋賀県、という前に、垂直に折れる方向に鏡岩があるので寄ってみました。何でも山賊が鏡がわりに岩を覗き込んで、峠を行く旅人のうち誰を襲うか決めていたという伝説があるそうです。実際に見てみましたがあんまり鏡のイメージはなく、むしろ見張り台的な岩に感じました。

万人講大石灯籠10:40、いよいよ本当に滋賀県に突入。いきなり茶畑がひろがり、坂下とは全く雰囲気が違います。ちょっと歩いたところには、金刀比羅宮参りの万人講が立てた大きな石灯籠がそびえています。

山中一里塚跡すぐに国道1号に合流して、ひたすら進みます。1時間ほど歩き、山中川を渡ったところで国道1号と分岐して第二名阪(建設中)の高架をくぐって、11:40に山中一里塚です。この第二名阪ですが、この地から建設が始まったとかで記念碑もありました。

猪鼻をすぎ、蟹ヶ坂で再び分岐して田村神社の方に向かいます。しかし、手前で左に曲がり国道1号に戻されてしまいました。先には広重の東海道五十三次にも書かれた田村橋があります。2005年7月11日に再建されたばかりのはずですが、工事中のようで通行禁止でした。

田村神社は、坂上田村麻呂を祀った平安時代創建の神社ですが、既に歩き始めて6時間、疲れ切っていたので寄らずに、「道の駅あいの土山」へ。10分ほどMihoが新鮮野菜を見つめて「日の菜の桜漬け」で我慢した後、土山宿の中に入っていきました。

13:00〜13:30 土山宿の中程にある「うかいや」に入り、名物の鴨南蛮を昼食にいただきました。

土山宿本陣跡13:30に出発し、5分ほどで本陣跡を通過、街道を道なりに土山宿を抜け、国道1号に合流して、14:00頃、垂水斎宮頓宮跡のあたりで左に街道が分岐していきます。14:25に垂水斎宮御殿跡、14:30には大野市場一里塚を通過しました。

今在家一里塚跡途中、野生?の柿の木に実が成っているのを見つけて、Mihoがぴょんぴょん飛んでも届かずうらめしそうにあきらめたりしながら、15:10に大野の交差点で国道1号と交差、今宿を過ぎて再び国道1号を渡り、しばらく行くと15:45に今在家一里塚に到着しました。

水口宿もうこのあたりに来ると惰性で歩いているような感じですが、ときどき見かけるバス停でバスの時刻を確認しても、「待ちバス来たらず」状態なので歩き続けます。16:00〜16:20、新岩上橋北のローソンで肉まん休憩をとり、ひたすら30分道なりに歩いて、16:50に水口宿東見附を通過しました。元町からの水口宿は街道風情がありますが、二股に別れる道が2つ連続であります。左、右が正解でした。

日暮れの水口宿水口石橋駅(Goal)もう、日が暮れ始め、西の空が赤く、その他は紺色に染まるなか、水口石橋の商店街を抜け、17:20に近江鉄道水口石橋駅に到着、Goalとしました。

実に、11時間10分、25kmを一気に歩き通し、足は棒になって立っているのもつらい状態になりましたが、水口宿まで来られたので、京都までの先が見えてきました。

水口石橋からは、貴生川→草津→大阪と乗り継ぎ、大阪でたこ焼きネギ焼きお好み焼きツアーを挙行し、1泊して翌日は奈良国立博物館で正倉院展を見て、東京に帰りました。


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