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水口〜石部(13.7km)

2006月2月11日(土)

関〜坂下〜土山〜水口石部〜瀬田

3ヶ月ぶりの東海道でした。2005年12月は予定していた日が東海〜近畿の大雪で断念、2006年1月は車の故障で足がなく断念、でした。

近江鉄道・水口石橋駅車で東名〜名神高速を徹夜でひた走り、朝8時すぎに水口に到着。朝食をとって前回の終点である近江鉄道の水口石橋駅からスタートしました。

水口城天王口跡水口石橋駅の北側、近江鉄道を横切る道が旧東海道です。駅から進み、左折(北西方向)して5分ほど、湖東信用金庫の角を右折します。この場所が水口城天王口跡です。このあたり、右折→左折→左折→右折とクランク状に東海道は折れながら進みます。ちょうど、水口城を迂回しているのですが、このようなつくりはこれまでの東海道でも城下町にあったかたちと同様です。

琵琶湖爆砕碁苦楽院水口城天王口跡を右折し、左折すると格子窓のある風情に富んだ家並みが並んでいます。その一方で火薬屋(琵琶湖爆砕という勇ましい名前)、日本棋院水口支部『碁苦楽院(ごくらくいん)』など妙なものも見つけ、Mihoはご満悦でした。



水口石さらに左折し、右折するところに『水口石』があります。力石というもので、江戸時代から水口宿にあるものだそうです(歌川国芳の浮世絵にも描かれているとか)。

五十鈴神社水口石から10分ほど歩くと五十鈴神社、すぐT字路に突き当たって左折すると、水口石橋駅の北側を通っている元の道に戻ります。この道をひたすら道なりにあるくこと45分、10:10に泉口に到着しました。ここには、国宝の延命地蔵尊がある福祐山安楽寺があります。この延命地蔵尊は、平安時代の作とされる木造の地蔵菩薩像だそうです。ここで25分休憩、10:35に出発しました。

泉一里塚跡10分ほど歩き、Y字路を左手に進むと泉一里塚跡。そして、野洲川にぶつかるところには横田渡跡があります。横田渡には文政5年(1822年)に建立された、高さ9.7m、笠石2.7m四方という日本一大きな大常夜灯が残っています。旧東海道は本来ならばこの横田渡を渡し船でわたるのですが、現代には渡し船はないので、川に沿って進み国道1号に合流します。横田渡・大常夜灯

国道1号沿いに進み、横田橋を渡って車道のガード下をくぐると、すぐにJR草津線の三雲駅前に出ます(11:10)。駅前通りを左に行くと天保義民之碑(過酷な検地に抗議した農民4万人の指導者たちの霊を弔ったもの)があるそうですが、時間の都合で右にのびる旧東海道をひたすら進みました。


大砂川(天井川)三雲駅から旧東海道を道なりに30分ほど歩くと、大砂川(大沙川?)という天井川があります。天井より高い堤の上を川(というよりは水道)が通っているのですが、この大砂川は堤を上ってみましたが水はまったく流れていませんでした。残念…。

弘法杉大砂川のトンネルをくぐると左手に樹齢約750年の弘法杉がそびえています。弘法大師がここで昼食をとり、そのとき使った杉箸を堤に指したら杉の木が生えてきたという伝説がありますが、樹齢750年ならば西暦1250年、鎌倉時代なので弘法大師はいくらなんでも…です。

北島酒造さらに道なりに45分歩いて、これまた天井川の由良谷川をくぐると、地酒の造り酒屋「北島酒造」があります。今回の東海道行ではMihoの最大の立ち寄りポイントに指定されていたのですが、あいにくと

「定休日」

でした…。それを知ったときのMihoの落胆ぶりはそれは壮絶なものでした(お見せできないのが残念)。

さらに道なりに進み、家棟川、落合川と渡ると石部宿に入ります。13:10に宿駅にある休憩所で10分休憩。この石部宿は芭蕉が「つつじいけて その陰に干鱈さく女」の句を詠んだところです。13:20に宿駅を出て、茶店みたいなところを右折、さらに左折してしばらく歩き、13:36に石部駅に到着しました。

今回は若干短い旅程でしたが、ここまでとしました。


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