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2004年4月3日(日)
青春18切符の有効期限が4/10までだったので、今月は第1週のウォーキングになりました。
東京駅5:20の始発列車、もうすっかりおなじみのテーブル付ボックス席に陣取って、原駅へ。途中、三島駅の人身事故の影響で5分遅れで7:46に到着しました。
準備を整えて、7:55に出発。所々に見える桜と富士をながめつつ、ずっと旧東海道を歩いていくとだんだん東海道線が近くなってきます。このあたりは東海地震要注意なのにブロック塀が多いなと思ったら、Mihoが「市が垣根への変更に補助を出したけど普及しなかった」と言っていました。
8:43に東海道線の踏切を渡って海側へ。このあたりは東田子の浦駅の手前です。こちら側はブロック塀じゃなくて垣根。塀か垣根かの違いだけなのに風景はガラリと変わっていました。
8:55に旧国道1号線と合流し、10分ほどで六王子神社があります。400年くらい前に、旅の巫女の一団が神への生け贄をクジで選ばされ、あたった「おあじ」が生け贄にされて、残った6人が沼に身投げしたのでこの6人の巫女を祭ったのだそうです。
さらに5分ほどのところにある立圓寺には、望嶽の碑があり、並んで30年くらい前に田子の浦で座礁した船で亡くなった2人の乗組員を弔う記念碑があります。Mihoも小さかったものの事故の記憶はあると言っていました。
9:20に昭和放水路を越えます。ここからは桜並木と富士山が重なって見えてきれいでした。
さらに、40分ほど歩くと、山部赤人の「田子の浦ゆうちいでて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪はふりける」ではなく、百人一首の方の「田子の浦にうちいでてみれば白妙の富士の高嶺に雪はふりつつ」の方からとったのでしょう『白妙橋』があります。ここから国道139号線ですが、ここも富士山と桜が重なって見えて本当にきれいでした。


白妙橋で5分休憩、再び歩き出すと東海道線をまたいでいきます。後から調べたら本当は東海道線をまたぐ跨線橋ではなく、下に降りて踏切を行くのが本来の旧東海道だったようです。
10:23に国道1号(バイパス)とクロスします。ここから国道139号線に別れをつげて右斜め方向の細い道に向かいます。
10:30に左富士神社に到着して5分休憩、すぐのところに左富士の碑があります。東海道を西へ行くのでずっと富士山は右手に見えているのですが、ここだけ街道の曲がり方のせいで、富士山が左手の方に見えます。それが左富士の由来ですが、本当にここだけ(せいぜい100mくらい?)が左富士でした。

さらに街道を進んでいくと、平家越の碑があります。源平時代、源頼朝討伐のための平家の軍勢がこのあたりに陣をしいていて、水鳥の群れが一斉に飛び立ったのを源氏の軍と勘違いして逃げ帰ったという富士川の合戦の場所です。富士川まではかなりあるので、「え、こんなところ?」と思いましたが、碑の説明によると平家が陣をしいたのは富士沼という湿地帯で、水鳥も多かったようです。
平家越の碑から20分ほど歩くと、岳南鉄道の吉原本町駅。ここから商店街を通って10分ほどで吉原宿の跡に着きました。さらに少し行くと、普通の細い道の角に「旧東海道こちら」といった感じで標識があります。京都まで354kmとなっていました。思えば遠くにきたもんです。
標識のとおりに左に曲がり、突き当たりを右に曲がってしばらく行くと国道139号に出ます。100mほど歩いて右に曲がり、すぐ左に曲がって(国道139号のすぐ裏)を進み、五叉路に出ます。標識がないのでわかりにくく、道を間違えてしまいましたが、なんとか正しい道に出ました。五叉路の角にカッパ寿司があるのですが、まっすぐ横断歩道を越えていく道が正しいです。県道396号線です。


ずっと道なりに歩き、橋の手前に標識があって細い道の方に逸れていきます(11:50)。3分ほど歩くと富安橋があり、右手には富士市立中央病院のどでかい建物が見えています。ここで12:00まで休憩しました。
再び、歩き出して12:40に札の辻を過ぎ、12:50に身延線の柚木駅に到着しました。