萬屋骨董品店

 


 「【真逆の時象儀】というと、太陽と月の王族に伝わる幻の魔導器ですね」
 滅多にないデューの粗相を咎めるでもなく、サカキは床に散らばった陶器の欠片を拾い集める。
 「一族が魔法の眠りに囚われたのと時を同じくして失われたと言われているようですが」
 デューは、元から白い肌を更に蒼白にして【時の翁の時計】を――【真逆の時象儀】を見つめていた。
 上向きにした掌に砂時計を乗せ、大きな三日月形の鎌を抱えた老人という「時の翁」の典型的な姿を模した雪花石膏製の像は、精巧な仕掛け時計になっていた。
 老人の足下には日時計を象った60分計が置かれ、砂時計の周囲を円形の軌道で巡る24時計、月齢計、黄道計と合わせて1年を通じて時を刻み続ける。
 時刻の見易さや使い勝手を考えれば実用性にはやや欠けるものの、神話を記した書物の挿絵がそのまま立体化したかのような神秘的な存在感と言い彫像自体の造りの丁寧さと言い、芸術作品としての完成度は申し分のない代物だった。
 「太陽の位置を報せる24時計に月の満ち欠けを表す月齢計、星の在り処を示す黄道計。なるほど時象儀の名は伊達じゃない訳だ」
 アトラハシスは、歌うようにその細工の見事さを褒めそやす。
 それから、未だ衝撃から立ち直れずにいるルー達に向き直ると、明日の天気について話すような気軽さで口を開いた。
 「で?」
 我に返ったルーがぴりぴりと緊張した様子を見せるのも何処吹く風とばかりに、マイペースに問いを投げかける。
 「聞いたところによると、太陽と月の王族の秘宝である【真逆の時象儀】は、その名の通り誰もが「まさか」と思うような奇跡を起こす力を秘めているとか。時として噂は真実を語る…と考えて良いのかな?」
 それに答えたのは、デューの憂いに満ちた静かな声だった。
 「【真逆の時象儀】は文字通り時象に作用する魔導器。時を操り、事象に干渉する力を持つ」
 「って言ったって、万能じゃないからな!効果は一定の空間なり事物なりに限定される。無限の力がある訳じゃない。これを狙う連中が考えるみたいに世界の歴史を変えるなんて出来やしないんだ」
 「そうかな?」
 過去に余程痛い目にあっているのか些か感情的に言い募るルーに、アトラハシスは疑問を呈する。
 「例えば史上に名を残した人々を、彼等が偉業を成し遂げる前に暗殺してしまったら?逆に、今は亡き国々を滅びから救えるとしたら?」
 ルーは、きりっと唇を噛んで押し黙った。
 そんな彼を宥めるように、サカキが穏やかに口を挿む。
 「そうでなくとも、親しい人の死や自らの過ちをなかった事にしたいと願う気持ちは誰でも持ち得るものです。人の願いは良きにつけ悪しきにつけ思わぬ力を生み出しますからね」
 「だからこそ、【真逆の時象儀】は太陽と月の王族に護られてきた。番人である「時の翁」に認められた者でなければ、その力を正しく振るう事は叶わない」
 ルーとは対照的に抑揚に乏しい口調で語るデューの言葉は、その透徹した響き故にかえって彼女の憂慮を強く印象付けた。
 「なるほど」
 ほっそりとした指で口許を覆って、アトラハシスは独り得心した様子で呟く。
 「やっぱり、ただの時計や置物じゃないわけだ」
 「やっぱり?」
 その一言を聞き咎めたサカキは、胡乱かつ剣呑な眼差しで訊き返した。
 だが、アトラハシスは悪びれもせずに飄々とこう続ける。
 「だから、難しい品だって言ったじゃないか。僕の知らない魔法の痕跡があったのが気になったし、売られてた場所も場所だったしで、1度きちんと鑑定してもらった方が良いと思ったんだよ」
 彼の言い分を呆れ半分で聞き流していたルーは、弾かれたようにアトラハシスに詰め寄った。
 「何処でこいつを手に入れた!?」
 「禁呪の魔法市」
 掴み掛からんばかりに勢い込んで尋ねてくるルーに、アトラハシスは端的にそう答える。
 「でも、この間寺院の名前で大々的に査察を入れたばっかりだから、しばらくは鳴りを潜めてるんじゃないかな。貴方達の捜し求めている手がかりが得られるかもしれないと解っていたら隠密裏に探らせたんだけど」
 後半はすまなそうに告げるアトラハシスに、サカキが軽く肩を竦めてみせた。
 「どの道、ああいった場所で売られてる品の大半は盗品流れですからね。出品者を問い質したところで入手先を探るのは困難でしょう」
 束の間、重苦しい沈黙が店内を支配する。
 ややあって、アトラハシスが気を取り直すように切り出した。
 「ところで、もうひとつ気になってる事があるんだけど」
 今度は何だ?と身構える一同に、謎解きを楽しむ少年の笑顔で問いかける。
 「これは、一体何なんだろうね?」
 彼の指差す先、「時の翁」の像が手にした砂時計の中に、一匹のルリタテハが閉じ込められていた。
 

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