「お、噂をすれば」
ブルーシルバーの長い尾をゆらりと優雅に揺らして姿を現したデューを、カウンターにいたサヴァがにこやかに手招きする。
デューは、するりと人型をとると、仔猫のままのしなやかな足取りでサヴァの元に歩み寄った。
「いらっしゃい、サヴァ」
ことりと小首を傾げて僅かに微笑んでみせるデューに、サヴァは嬉しそうに相好を崩す。
そんな2人のやりとりに普段なら面白くなさそうな顔を隠そうともしないルーだが、今日は随分とご機嫌な様子で見守っていた。
それでも、過剰なスキンシップまでは、許すつもりはないらしい。
抱き上げる為に伸ばされたサヴァの腕からデューの身体を掻っ攫ったルーは、つい今しがた手に入れたばかりのバングルを誇らしげに差し出した。
「デュー!これやるよ!」
勢いに気圧されたデューは、しばし無言で鼻先に突き出された宝飾品と瞳を輝かせているルーとを見比べる。
それから、初対面の相手に見せるような表情の読めない顔つきになると、ぽつりと感情の篭らない声で呟いた。
「いらない」
「なんで!?」
喜んでもらえるものとばかり思っていたルーは、予想外の反応に語気を荒げる。
だが、デューの応えは、あくまで素っ気無かった。
「この色の石なら、ルーの方が似合うから」
黄金に映える赤い石の上に落としていた翠の瞳をルーの金の瞳にひたと据えて、デューは淡々と言葉を口にする。
「だから、ルーが身につけてる方が良い」
「でも!」
感情的になるルーとは見事なまでに対照的なデューの静かな態度は、人形のように整った貌立ちの所為で余計冷ややかに感じられた。
笑えば可愛いのに――と、はらはらと成り行きを見守りながらもサヴァは心の中で残念に思う。
彼女よりも冷静さを欠いているルーは、すぐに痺れを切らしてしまった。
「〜っ、デューの解らず屋っ!」
そう叫ぶなり、手にしていたバングルをカウンターに放り出して店を飛び出す。
カランと音を立てて転がるバングルに視線を落としたデューの横顔からは、この期に及んでもやはり感情を読み取る事はできなかった。
■□■
その場に取り残される形になったサヴァが気まずい思いを味わっていると、遅まきながらようやく主のサカキが店舗の方へと顔を出した。
「どうかしましたか?」
一応問いを投げかけては見たものの、一瞥しただけで大体の事情を飲み込んで元凶と思しき見慣れない品に手を伸ばす。
「これが騒ぎの原因ですか」
カウンターに投げ出されたバングルを手に取ったサカキは、おや?と軽く眉を上げた。
次いで、サヴァを見遣って深々と溜息を落とす。
「何だって貴方はこう毎度毎度厄介なモノを拾って来ますかね」
いきなりの失礼な言い草に、サヴァは憮然として問い返した。
「何だよ?この手の宝飾品だったらサカキも扱ってるだろ?」
サカキは、ちょこんと鼻に乗せた丸鼻眼鏡を頭痛を堪えるような億劫げな仕草で左手の人差し指で押さえつつ、その問いに答える。
「確かに、うちではアンティークジュエリーも扱ってますけどね。これは、どちらかというと護符(タリスマン)に分類される品です。魔法屋にでも持って行けば高値で買い取ってくれますよ」
「護符(タリスマン)?」
彼の口から出た意外な単語に、サヴァはそれまでの不機嫌さが嘘のような素直さできょとりと目を瞬かせた。
こういうところは、彼女の美徳のひとつだ。
内心淡い微笑を浮かべつつ、サカキは幼い子供を相手にする保父さんの口調で続ける。
「そうです。この異国の文字は祈祷文ですし、それにほら、ここに紅光石【カーバンクル】を使っているでしょう?」
その形の良い指が指し示す先に視線を向けたサヴァは、んー?と首を捻った。
「【カーバンクル】…って、柘榴石のコトだろ?」
「最近では柘榴石に限らず赤い石全般をそう呼ぶ事もありますけど、紅光石【カーバンクル】と言えば本来は光の魔法を増幅する力を秘めた貴石を指すんですよ」
純粋に疑問に感じた事をそのまま口にするサヴァに、サカキは苦笑混じりに解説する。
「ルーは陽の光を、デューは月の光をそれぞれの力の源にしてますからね。紅光石を身近に置いておけば、ほら」
その途中で、サカキは手の中で玩んでいたバングルを傍にいたデューにぽんと手渡した。
不意を衝かれたデューは、咄嗟にそれを両手で受け止める。
次の瞬間、彼女の姿は銀色の光に包まれた。
「な…に?」
閃光から目を庇う為に翳した手指の隙間からデューの様子を窺おうとしたサヴァは、目の前の光景に思わず言葉を失う。
其処には、艶やかな蒼い髪の少女が掌に件のバングルを乗せて呆然と立ち尽くしていた。
本当の年齢には届かないものの、童女とは言い難いその姿をさして驚いた様子もなく見つめて、サカキはあっさりと種明かしをする。
「こんな風に、完璧とは言わないまでも呪いの発現を弱めるくらいには魔力を高める事が出来るわけです。まぁ、ルーは無意識に惹かれたんでしょうけどね」
それを聞いて、サヴァは俄然色めきだった。
デューやルーにかけられた呪いをほんの少しでも弱める事が出来るなら、それに越した事はない筈だ。
しかし、口を開きかけた彼女の機先を制する形で、サカキがしっかりと釘を刺して遣す。
「ただし、どちらかの力が不自然に強まれば、当然もう一方にも影響が出ます。今頃ルーの方は人型さえ保てなくなってる筈ですよ」
サヴァは、明らかに落胆したようだった。
その一方で、先刻のデューの不可解な態度には得心がいったのだろう。
大柄な身体を僅かに屈める事で視線の高さを揃え、デューの瞳を真直ぐ覗き込んでこう尋ねる。
「それで、ルーにそいつを身につけさせようとしてたのかい?」
デューは、それには答えず、そっと瞼を伏せる事で視線を逸らした。
サヴァは、ふぅと大きく息を吐き出して身体を起こす。
「デューは、どうも言葉が足りないな」
呆れているというのには優しい目をしてそう言ったサヴァは、くしゃりとデューの蒼い髪をかき混ぜると飛び出したルーを追って店を後にした。
大きなその背中を、デューは所在無げに見送る。
それから、不意にはっと息を呑んで掌に視線を落とした。
気配を感じて振り向いたサカキもまた、切れ長の細い目を大きく瞠る。
「これは…!」
驚愕に彩られた彼の白皙を、赤い光が照らし出した。
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