その後は罠に出くわす事もなく模型の中の道筋通り順調に迷路を進んで来たサカキ達は、最後の曲がり角に差し掛かる辺りでふと足を緩めた。
「…何て言うか、そこはかとなく嫌〜な予感がしますね」
そう呟いて立ち止まったサカキを、デューが思わしげな面持ちで振り仰ぐ。
「サカキも?」
サカキは、目顔でデューに頷き返すと、小難しい顔で口元に手をやって何やら考え込む素振りでこう続けた。
「あのアトラがこの程度のトラップについてわざわざ忠告して遣すとは思えないんですよねぇ」
とは言え、此処で躊躇していても仕方がないのも事実なので、一行は再び重い足を動かして歩き出す。
先頭を行くルーは、何があっても驚かないように身構えた上で、気合を入れて次の部屋に続く通路に飛び出した。
だが、そんな彼の覚悟さえ、其処に在るモノの前にあっさりと吹き飛ばされてしまう。
「う…っそだろ!?」
悲鳴じみたルーの声に慌てて後を追ったデューとサカキも、角を曲がった所で思わずその場に立ち尽くした。
ぱちぱちと目を瞬かせたサカキの口から、驚愕というよりは完全に呆れきった感の声が漏れる。
「…確かに、財宝の守人と言えばドラゴンですけど…」
彼の言葉通り、彼等と扉とを隔てる広めの廊下を塞ぐ形で一頭のドラゴンが蹲っていた。
どんな鎧をも貫き通す2本の角も、剣も魔法も受け付けない頑強な鱗に覆われた身体も漆黒のドラゴンは、サカキ達を一瞥して縦長の虹彩を持つ瞳を細める。
「ほう、私の姿が見えるのか」
ドラゴンが鋭い牙の並ぶ顎を動かした様子はない。
重厚なその声は、直接サカキ達の頭の中に届いているのだ。
「さすがに当代の大神官は面白い友人を持っている」
どこか愉快そうな響きの声でひとりごちるドラゴンに、サカキは畏敬の念を込めて丁重に尋ねた。
「アトラハシスをご存知なのですか?」
ドラゴンは、王者の風格を漂わせる尊大な口調でそれに答える。
「面識はない。だが、大神官の地位についた時点で寺院の施設はすべてその者の影響下に置かれる。この宝物庫も例外ではない。それ故、私と大神官との間には霊的な繋がりが生じるのだ」
つまり、アトラハシスは宝物庫の最後の守人としてドラゴンが控えている事を知っていたわけだ。
幻獣の姿を目にする事の出来る魔力を持つ者でなければ、たとえ此処まで辿り着けたとしてもこの先へと進む事は出来ないだろう。
わけも解らずドラゴンの放つ圧倒的な存在感に気圧されるか、魔力に中てられて消耗するか…下手な行動を取れば、それこそドラゴンの逆鱗に触れてその場で抹殺される破目になる。
「これで、我々に白羽の矢が立てられた理由が解りましたね」
サカキは、アトラハシスの罪のなさそうな――その実一癖も二癖もある笑顔を思い浮かべつつやれやれと肩を竦めた。
その脇から、驚愕から立ち直ったルーがぞんざいに口を挿む。
「で、オレ達、ここのお宝に用があるんだけど?」
誇り高きドラゴンは、ルーの無礼を咎める事もなくあっさりと彼の要望を飲んだ。
「おまえ達は当代からその資格を与えられている。好きにするが良い」
「あんな口約束が有効だとは思いませんでした」
密かにドラゴンからの攻撃に備えて身構えていたサカキは、意外な呆気なさに正直な感想を述べる。
「たとえどんな形であれ、大神官である彼が口にした以上魔道契約としての効力を持つ。当代もそのつもりで言ったのだろう」
人間と違って嘘をつかないドラゴンは、当たり前のような素っ気無さでそう言いきった。
■□■
最後の扉を開けて特別宝物庫の中に入った途端、サカキ達は渦巻く妖気に圧倒されて顔を顰めた。
さすがにアトラハシスをして「禁断の函」と言わしめるだけの事はあって、室内には怪しげな品が目白押しだった。
長い年月を経るうちに精気が凝って憑喪神《ツクモガミ》化した古道具などは可愛い方で、以前萬屋骨董品店に持ち込まれた【誘波の竪琴】や【神凪の扇】のように使い方を誤ると危険な呪法具の類や、持ち主を次々と不幸に陥れるといったいわくつきの宝飾品や美術品の数々、果ては生贄として捧げられた初児の血で染めた糸で織られたタペストリーだの一身入魂の気迫で鍛えていた刀鍛冶の魂を本当に宿してしまった魔剣だのといった物騒な品まであるはあるは。
これでは報酬として貰っても売り物にはなりそうにないな、などとついつい職業意識を働かせているサカキを余所に、ルーとデューは乱雑に放置された宝物の中から真直ぐ目当ての品を探し当てる。
「あった!【夢路の笛】だ!」
ルーが手にしたそれは、何の変哲もない素朴な細工の横笛だった。
一見すると、特に怪しげなところはない。むしろ、妖精族の手になるような優美でどこか温かみのある繊細な彫刻が見る者の心に懐かしさを抱かせ、思わず手に取りたくなるような、そんな不思議な魅力を感じさせる。
それこそがこの魔笛が人を呼ぶ為の罠だとは、極一般的な感覚の持ち主では気づかないだろう。
だが、太陽と月の王族であるルーとデューやこの手の呪法具を見慣れているサカキには、それも通用しなかった。
それが本物の【夢路の笛】である事を見定めたサカキは、冷静に事実を確認する。
「ここ数年の間に、私達以外にこの宝物庫に足を踏み入れた者はいますか?」
宝物庫の守りを任されたドラゴンは、彼の問いかけに端的に答えた。
「いいや。かれこれ数十年来、此処を訪れた者はない」
「…それじゃ、【夢路の笛】はあの件とは関係ないのね」
張り詰めた糸が切れたように、デューが力の抜けた表情でぽつりと呟く。
その様子にそっと瞼を伏せたサカキは、再び目を上げると敢えて事務的に口を開いた。
「それが解れば長居は無用です。アトラには、早急に新たな封印の手段を講じるように伝えましょう」
ルーとデューは、黙って彼の言葉に従って【夢路の笛】を元に戻す。
そのまま部屋の出口の方へと向き直りかけたルーが、ふっと視界を過ぎった光景に目を留めて首を傾げた。
「あれ?」
つられてそちらを振り返ったデューも、大きく目を瞠って立ち竦む。
2人の視線の先には、壁際に何気なく立てかけられた鏡の中に映る豪奢な橙色の髪をした長身の青年と艶やかな蒼い髪のたおやかな乙女の姿があった。
「これって…?」
半ば言葉を失った2人に、ドラゴンがあっさりと告げる。
「あぁ、それは見る者の真実の姿を映し出す鏡だ。確か【真名の鏡】と呼ばれている」
その時点で、サカキはアトラハシスの忠告を忘れていたわけではなかった。
ただ、単純に好奇心が警戒心を上回っただけだ。
見る者の真実の姿を映し出すというその効力が特別危険なものだとは思えなかったし、「本当の自分」に対する興味は誰しも持ち合わせているものだろう。
しかし、軽い気持ちで【真名の鏡】を覗いたサカキは、それを悔やむ事になった。
鏡の中、サカキがいるべき場所には、何も映っていなかったのだ。
「…え…?」
呆然となったサカキが【真名の鏡】に近寄ろうとした時、それまで動く気配を見せなかったドラゴンが不意に彼の前に降り立った。
サカキの視界を遮るように翼を広げたドラゴンは、やや厳しさを増した声で退去を促す。
「さぁ、もう行くが良い」
そうして、ドラゴンに追い立てられるようにして、サカキ達はそれぞれに複雑な思いを抱えたまま特別宝物庫を後にした。
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