「あぁ、もちろん貴方が鍵を盗んだなんて疑ってるわけじゃないよ」
おとなしく腕に抱かれているデューの喉許を指先でくすぐりながら、アトラハシスは邪気も他意もなくこう言ってのける。
「貴方なら鍵なんてなくてもあれくらいの扉を開けるなんて造作もないだろうからね」
それはそれでどうかと余人なら顔を顰めるところだが、不本意ながら「普通」とか「常識的」とかいう言葉とは縁遠い日々を送っているサカキは生憎とさしたる感銘は受けなかった。
アトラハシスの方も端からサカキの反応に期待はしていなかったらしく、あっさりと本題に移る。
「問題は、特別宝物庫に【夢路の笛】が納められていたって事なんだ」
【夢路の笛】の名前に、アトラハシスの腕の中でデューがぴくりと耳を動かした。
机の上では、ルーが尻尾をピンと立て、毛を逆立てている。
アトラハシスは、独特の人懐こい笑みをその顔から消すと、真摯な瞳に危険な光を宿してサカキに問いかけた。
「確か、太陽と月の王族は魔法の眠りによって封じられたとか。【夢路の笛】は、聴く者を醒める事のない眠りへと誘う魔性の笛。興味深い一致だとは思わないかな?」
「…鍵を盗んだ犯人が、太陽と月の王族が襲われた例の事件に関係があると?」
興奮するルーを一瞥する事で制し、サカキは慎重にそう問い返す。
だが、返って来たのは拍子抜けするほど呆気ない一言だった。
「さぁ?」
大きく肩を竦めてみせたアトラハシスは、直前に見せた緊張感が嘘のようにのんびりと続ける。
「特別宝物庫なんて言えば聞こえが良いけど、とどのつまりが寺院でも手に余る危険物を封印してる禁断の函みたいなものだからね。僕の前の大神官は先代も先々代も1度も中に入った事さえないんじゃないかな。何しろ鍵が失くなっている事にさえ今まで気づかなかったくらいだもの」
「僕だって、サカキと知り合わなければ敢えて触れようとは思わなかったろうし」と笑ったアトラハシスは、それからやや改まった表情でサカキを見つめて彼が達した結論を告げた。
「鍵が盗まれたのが何時かは解らないし、実際に賊が特別宝物庫に入ったのかどうかも解らない。でも、【夢路の笛】が今もあそこに在るのかだけでも確かめる価値はあると思う」
サカキは、その言葉の真意を余すところなく汲み取った上で深々と溜息を落とす。
「つまり、私達に宝物庫の中身の安否を確認して来い、と?」
何やらどっと疲労を感じた様子の彼に、アトラハシスは悪びれもせずに頷いた。
「うん、まぁ、そういう事になるかな」
まったく否定する素振りを見せない辺り、ここまでの言動が確信犯だった事が窺える。
「特別宝物庫には、侵入者避けに様々な仕掛けが施されてる。それだけ厄介なお宝が眠ってるんだから仕方ないといえば仕方ないけど、面倒事を厭う余り寺院の内部の人間が誰もまともに特別宝物庫について学んで来なかったのが痛いね。鍵を使わずに入れば不正侵入と見做されるのはまず間違いないけど、僕達には対処する術がない」
「寺院の方々にも対処できないような仕掛けを私達素人が何とかできるんですかね」
せめてもの意趣返しとばかりにサカキが投げかけた皮肉な問いにも、アトラハシスは引き下がらなかった。
それどころか、サカキの発言を逆手にとって、こう訊き返す。
「罠の大半は魔法を用いたものだと思う。そういう意味では貴方達の魔力の高さは有利に働くだろう。それに、こういう事には理論ばかりで実践に慣れていない神官や神兵より実際に呪法具の扱いに長けている貴方の方がよっぽど向いていると思うんだけど、どうかな?」
サカキは、一瞬この手の仕事が得意でお宝の好きな人物を呼びつけてやろうかと考えたが、彼女のトラブルメーカーぶりを思い出したところで思い留まった。
再び溜息を吐いた彼が何か言うより早く、子供特有の高い声が割って入る。
「上等じゃん!」
いつの間にか橙色の髪の童子の姿をとっていたルーは、毅い意志を秘めた金色の瞳でアトラハシスを見据えて決然と宣言した。
「その仕事、引き受けるぜ」
同じように蒼い髪の童女の姿を現したデューが静かに言い添える。
「ワタシ達には真相を知る権利と義務があるから」
「と、いう事です」
2人の発言を受けて、サカキも腹を決めたようだった。
冷たく整った貌に柔らかな微苦笑を浮かべると、悪戯っぽい瞳でアトラハシスを睨みつける。
「ひとつ貸しですよ、アトラ」
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