萬屋骨董品店

 


 「私達海の民は、普段は海底宮で暮らしております」
 ルーに叱責され、幾分落ち着きを取り戻した乙女は、丁重な口調で己の身の上を語り始めた。
 「以前は、人の子をはじめとする陸の方々とも親しくさせていただいていたのですが、何度か悲劇的な問題が起きて、無闇に海底宮から出ないよう長が触れを出したのです。ご覧の通り、私達の姿形は陸の方々とはだいぶ違っておりますから…」
 彼女の口ぶりから悲劇的な問題とやらの中身を悟って、サカキが端正な眉を顰める。
 目の前にいる乙女は、上半身こそたおやかな女性の姿をしているものの、腰から下は虹色の輝きを持つ青銀の鱗に覆われたほっそりとした魚以外の何者でもない。
 その美しくも珍しい姿は、人々の好奇と欲望の格好の的となった。
 1度囚われてしまえば、観賞や愛玩目的で飼い慣らされるか、珍獣扱いで見世物にされるか…下手をすれば、魔道の実験用にと売り飛ばされた挙句、解剖されたり標本にされたりすらしかねない。
 他の面々も、たとえ同じ人間であっても相手の生命としての尊厳すら認めずにモノ扱いできる人という生き物の業の深さへの厭わしさを顕にしたが、当の人魚は特に嫌悪を表すでもなく、あくまで丁寧な言葉遣いで話を続けた。
 「ただ、王族に生まれついた者は、見聞を広める為16歳になると外海へと出る許可を与えられます。私も、慣例通り16の誕生日に海底宮を出て、この大陸の近海を漂っておりました」
 「ってコトは、あんたお姫さんなんだ?」
 純粋に思ったままを口にしたサヴァに、海の民の姫君は微かに頬を赤らめる。
 ルーとデューが太陽と月の王族だと気づいている彼女は、同じように王家の出でありながら己が立場を嘆くばかりだった自分を恥じているようだった。
 サカキは、放って置くと脱線しかねない話題を元に戻すべく口を挿む。
 「本来なら、この時期この辺りの海はとても静かですから初めて外海に触れるには丁度良かったのでしょう。それで、港付近まで来た時に、季節外れの長雨に遭遇したわけですか」
 「はい…」
 その時の状況を思い出したのだろう。人魚姫は、再び大きなサファイアの瞳を潤ませる。
 「あの日、雨で水位が上がっていたところに満潮が重なり、波に翻弄されるまま磯に迷い込んだ私は、疲労のあまりその場で気を失ってしまいました。そうして、目が覚めた時には既に潮が引いていて、私は陸に取り残されてしまったのです」
 それでも、今度はそのまま泣き崩れる事はなく、人魚姫は涙を振り払って気を取り直した。
 「海の眷属の者は、陸の上では長時間肉体を維持する事ができません。私は、この竪琴に己の魂を宿らせる事にしました」
 「それじゃ、お姫さんは死んじゃってるって事かい!?」
 思わず素っ頓狂な声を上げたサヴァに、人魚姫は毅然とした表情で首を横に振る。
 「いいえ。私は海に生きる者。魂だけでも海に戻る事が出来れば、再び肉を纏う事も可能なのです」
 それから、やや声のトーンを落としてこう続けた。
 「私は、【誘波の竪琴】の力を借りて助けを呼ぶつもりでした。波が磯を浚ってくれさえすれば、海に帰る事が出来ると思ったのです」
 「それなのに、通りすがりの商人が竪琴を見つけて、家に持ち帰っちまったってワケか。それじゃ、いくら波を呼んだってしょーがないよな」
 彼女の境遇に同情を覚えてぼやくサヴァに、サカキも静かに同調する。
 「せめて、拾ったのが魔法に通じている人間なら、貴方の姿を見る事までは出来なくてもその存在くらいには気づいたかもしれませんが…」
 だが、それに対してはサヴァが笑い混じりに苦言を呈した。
 「おいおい、無理言うなよ、サカキ。普通の魔法使いはあんたみたいに幻獣の類に詳しくないんだから」
 そんな2人のやり取りが耳に入っていないのか、人魚姫は訥々と悔恨の言葉を紡ぐ。
 「私の所為で海が荒れている事は知っていました。私が海に焦がれる気持ちが【誘波の竪琴】と共鳴しているのだと…それでも、私にはこの想いを止める事が出来なかったのです」
 そして、彼女を此処まで連れて来た人物――サヴァにひたと真摯な眼差しを向けて哀願した。
 「どうかお願いです。私を海に帰してください」
 「うーん、そうは言ってもなぁ」
 サヴァは、弱りきった顔でがしがしと髪を掻き揚げる。
 「お姫さんを海に帰すには、【誘波の竪琴】を沖に流さなきゃだろ?その為には船を出さないといけないわけだけど、【誘波の竪琴】を積んで海に出たんじゃいつ嵐に巻き込まれるか解ったもんじゃないからなぁ。素直に首を縦に振る船主がいるかどうか…」
 彼女としても人魚姫の願いを叶えてやりたいのは山々だが、如何せん問題が問題だけに軽はずみに引き受けるわけにはいかないのだ。
 しかし、助け舟は意外なところから差し出された。
 「…連れてってやってよ」
 「ルー?」
 サヴァが怪訝そうに振り返ると、水鏡の術を支える為に水盤に手を翳しているルーが幼さの残る顔立ちに似合わぬほろ苦い表情で口を開く。
 「そうすれば、コイツは一族の元に帰れるんだろう?【誘波の竪琴】の力はオレとデューで封じてやる。必要なら船に守護魔法もかける。だから、サヴァ、コイツを海に帰してやって」
 「ワタシからもお願いします」
 「デュー…」
 同じように、人魚姫の姿を保つ術をかけているデューからも祈るような瞳を向けられて、サヴァは痛々しげに顔を顰めた。
 ふたりが帰る場所も護るべき一族も奪われた事を知っているから、サヴァはそれ以上の逡巡を吹っ切ってはっきりと頷いてみせる。
 「…解った。彼女はアタシが責任持って海に帰すよ」
 

■□■


 その夜。
 【誘波の竪琴】を手に店を出るサヴァを見送って私室に戻ったサカキは、ベッドの上で寄り添うようにして眠る2匹の仔猫に慈愛と哀しみに満ちた視線を注いで溜息を落とした。
 小さな体を掌で包むようにして撫でながら、そっと問いかける。
 「貴方達も、やはり帰りたいと願っているのでしょうね」
 俯き加減の端正な横顔は、何故だかどこか淋しげだった。
 

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