萬屋骨董品店

 


 その夜、夕食の後かたづけが終わるのを待って、サカキは【静の香炉】を使ってみる事にした。
 昼間の内に慮外者を2組退治したから、今日はもう招かざる客も来ないだろう。
 「【静の香炉】は、一角獣の角から作られたものなんですよ」
 左腕にブルーの仔猫を抱き、右肩にソレルの仔猫を乗せたサカキは、2匹の仔猫にその謂れを話して聞かせながら器用に香炉に火を点す。
 「彼は、誇り高く束縛を厭う反面、気に入った相手には自らの身体の一部を誓約の証として与える情の深さを持っているんです」
 3対の瞳が見守る中、白く小さな香炉から何とも言えず甘く清々しい薄煙が立ち上った。
 ゆらゆらとたなびくそれは、やがて額に円錐形の角を持つ白馬の形を取る。
 人の子から聖獣とも呼ばれる一角獣は、纏わりつく煙を払うように煌めく鬣を翻した。
 「…この私が可愛げのない男なぞに呼び出されるとは」
 「イヤなら出て来なければ良いでしょうに」
 あからさまに不機嫌な声音にサカキが苦笑混じりに応じれば、剣呑な光を宿す金リ眼を向けられる。
 「おまえのような強力な魔力を持つ人間の召喚に抗う事のできる幻獣などいるものか。しかも、太陽と月の王族まで共にいるとあっては逃れる術などないだろう」
 ふん、と鼻を鳴らした一角獣は、尊大な態度を幾分和らげると敬意を込めた口調で2匹の仔猫に語りかけた。
 「暁皇子に宵闇姫…このようなところでお会いするとは思わなかった」
 「その呼び名はやめてくれない?」
 呼びかけに応えて、床に下りた太陽の色をした仔猫が橙色の髪の童子へと姿を変える。
 同時に、月光色の仔猫は蒼い髪の童女に変わった。
 「一族を封じられ、あまつさえ呪いによってこのような姿にされている身にその名は過ぎるというもの」
 感情の動きを感じさせない声で自らの身に降りかかった不幸な過去を語るデューを、サカキは痛ましげに見遣る。
 一方、一角獣は敢えてそれ以上その話題には触れずに至極真っ当な疑問を口にした。
 「では、何とお呼びすれば宜しいかな?」
 それには、行儀悪くテーブルに腰かけたルーが答える。
 「今の名前はルーとデューだよ。サカキがくれた名前だ」
 「ほう。神代語でルー【光】にデュー【闇】とは、また解り易い名だ」
 一角獣は、そう言って小馬鹿にしたような視線をサカキに投げかけた。
 どうやら、サカキは彼のお気に召さなかったらしい。
 人の好みに煩いというのは伊達ではないようだ。
 「それで、その名によってこの男に縛られているというわけか?」
 悪意さえ感じられる物言いに半ば呆れたように肩を竦めたルーは、それでも一応誤解を解くべく訂正する。
 「オレ達が此処にいるのは自分の意志。サカキの魔力が届く範囲なら太陽の時間や月の時間に関わらず人の姿になれるからね」
 「それに、この店には古今東西の異物が集う。此処にいればワタシ達にかけられた呪いを解く鍵が見つかるかもしれない」
 デューまで淡々とした調子で言葉を重ねた事で己の不利を覆したサカキは、意趣返しとばかりに誇らしげにこう言いきった。
 「そういう事です。貴方のようなロリコンと一緒にしないでいただきましょう」
 「何?」
 地を這うような低い声と共にぴしぃっと目に見えない稲妻が走る。
 サカキは、殊更にこやかに微笑んで続けた。
 「純潔の乙女の前にのみ姿を現し庇護を与える、なんて、立派なロリコンでしょう」
 苛立たしげに蹄で床を掻く一角獣と一見穏やかにすら見える全開の笑顔のサカキとの間に漂う険悪この上ない空気に、ルーは怯えたように首を竦めて縮こまる。
 ややあって、一角獣の方が疲れきった溜息をひとつ落として不毛な睨み合いに見切りをつけた。
 相変わらず機嫌の悪さは否めないものの、まともな会話を構築しようと素直な心情を吐露する。
 「そのような言われ様は心外だな。私は愚かな欲望に溺れる人間が嫌いだというだけだ。それを人間共が勝手に穢れを知らぬ心の持ち主でなければならぬだの身も心も清らかな巫女でなければならぬなどと言い出したに過ぎん」
 実はその辺りの事情をきちんと理解しているサカキは、それ以上嫌がらせをする事はしなかった。
 それに気を良くした一角獣は、サカキの隣でおとなしく話を聞いていたデューに向き直って親しげに語りかける。
 「それに、私は理想のある野望は拒まぬ。姫が望むなら力になるぞ」
 そう言って甘えるように首筋を擦りつけようとした一角獣の鼻先から間一髪腕の中にデューを攫ったサカキは、今度こそ遠慮なく胡乱な眼差しを投げかけた。
 「その調子で依頼人の叔母とやらも毒牙にかけたわけですか」
 「本当に失礼な男だな」
 心底呆れ返った様子のサカキをその一言であしらって、一角獣はどこか遠くを見つめるような優しい表情を浮かべる。
 「確かに、私は彼女の事が気に入っていた。だからこそいつでも逢えるようにこうして香炉を託しもした。彼女は、真に高潔な魂の持ち主だったのだ」
 「はいはい、失礼しました」
 放っておくとどこまでも自分の世界に浸りきってしまいそうな一角獣の追憶をあっさりと遮って、サカキは肝腎の用件を口にした。
 「それで、新しい持ち主はお気に召しましたか?」
 ふむ、と一瞬考え込むような様子を見せて、一角獣はこう答える。
 「そうだな。あの娘はなかなか気立ても良い。私の力を誤った方向に使う事もないだろう。彼女の遺志でもある事だし、このまま守護についても良いな」
 「それは良かった」
 サカキは、その返答に初めて含みのない笑顔を見せた。
 その上で、用は済んだとばかりに立ち去りかけていた一角獣にこんな言葉をかける。
 「それでは、彼女と【静の香炉】を狙う連中をしっかり退治してくださいね」
 「…どういう事だ?」
 何やら非常に嫌な予感を覚えつつ躊躇いがちに訊き返す一角獣の金リ眼に、サカキのにこやかな微笑みは限りなく不吉なものと映った。
 そして、その予感は外れる事なく現実となる。
 「世の中には、【静の香炉】を手に入れれば伝説の一角獣を呼び出せるとか不老不死になれるとかいった迷信を真に受ける輩が大勢いるんです。今日のところはうちのお客様という事で追い払っておきましたけど、ずっと面倒を見続けるわけにはいきませんからねぇ」
 のほほんと告げるサカキに、せいぜい今まで通り香炉に守護の魔法でもかけておけば良いだろうと高を括っていた一角獣が慌ててくってかかった。
 「ちょっと待て!私はそれほど頻繁にこちらに来るつもりはないぞ!」
 どちらかといえば人嫌いの気のある一角獣にとって、人の世はけして長居したい場所ではない。
 だが、サカキは有無を言わせぬ調子で容赦なく切り返す。
 「守護についても良いと言ったのは貴方ですよ。貴方ほどの方が都合が悪いからといって前言を翻すおつもりじゃあないですよね?それに、そもそもの元凶は貴方の遺した香炉にあるんですから、貴方が何とかするのは当然でしょう」
 いっそのこと人型を取ってしばらく彼女の傍に留まる方が良いかもしれませんね、などと楽しそうに思案するサカキに、一角獣は本気で蹴り飛ばしてやろうかと物騒な事を考えた。
 しかし、サカキの高い魔力を楯に言質を取られた形となった彼に、誓約を違える術はない。
 少なくとも、香炉の今の持ち主が死ぬまでは守護の任に縛られる事になるだろう。
 己の迂闊さを呪う一角獣の姿が、香炉の効力が弱まるのに従って薄れゆく。
 「頑張ってくださいね〜」
 ひらひらと手を振って一角獣を見送るサカキの背後で、ルーとデューは憐れみを込めた視線を机上の香炉に落とした。

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