「それ、【静の香炉】?」
テーブルの上をかたづけていたデューが、サカキが手にしていた香炉を目にして僅かに首を傾げる。
その背後から、衣擦れほどの微かな呟きを耳聡く聞きつけた童子が身を乗り出して来た。
「えっ?【静の香炉】って、清らかな乙女が使うと一角獣を呼び出せるってアレ?」
年齢はデューと同じくらい、顔立ちもどこか彼女と似通っているその子供は、だが、ふわふわと遊ぶ橙色の癖のある髪と金色の眼という色彩の為かデューとは正反対の印象を見る者に抱かせる。
もっとも、そのうちの半分は落ち着きのない言動の所為かもしれない。
デューの年不相応に静かな物腰が淑やかな少女を思わせるように、溢れる好奇心に瞳を輝かせる彼の表情は明らかに少年のものだった。
髪に似せた色合いの服のデザインも細く編んだ襟足の髪も揃いの対の人形のような子供達の問いに、サカキは紅茶のカップを傾けながらのんびりと応える。
「確かにそれは本物の【静の香炉】ですけど、必ず一角獣が呼び出せるわけじゃありませんよ。何しろ彼は人の好みには煩いですから」
「まぁ、あながち間違ってもいませんけどね」と言い添えるサカキを他所に、金の瞳の童子は未だ興味津々といった様子だ。
「ふぅん。でも、この香炉の灰を煎じて飲めば不老不死になれる、なんて伝説もあるよな」
サカキは、香炉に触れたくてうずうずしている童子に呆れたように苦笑する。
「何言ってるんですか、ルー。それこそ、まったく信憑性のない噂でしょう。前の主が亡くなってる事からして、そのくらい解りそうなものですよ」
「そうだけどさぁ」
むぅ、と不満げに頬を膨らませた童子は尚も何か言いかけたが、デューの冷やかな声がそれを遮った。
「それでも、欲に目が眩む愚かな人間は幾らでもいる」
「…そのようですね」
その言葉に何を思ったのか、サカキはあらぬ方向を眺め遣る。
そして、視線を童子の方に戻すとにっこりと微笑んでこう言った。
「ルー、すみませんがさっきの彼女を無事に家まで送り届けて来てくれますか」
「えーっ!?そんなのデューに任せりゃ良いじゃん」
ルーという名の童子はすかさず反抗するが、サカキのにこやかな笑顔に封じられてしまう。
「デューにはこちらの「お客様」のお相手をしてもらいます」
「解ったよ」
ちぇっとひとつ舌打ちしつつ、ルーは先に店を出た少女を追って身を翻した。
■□■
サカキが言っていた「お客様」は、店の入口ではなく裏口から訪れた。
物音を立てないように細心の注意を払いながら侵入してきた男は、店主の私室と思しき部屋で目的の品を見つけてほくそえむ。
高価な骨董品を扱う店だけに厳重な警備を予想していたが、此処まで取り立てて目立った罠は見当たらなかった。
この部屋にも、ブルーシルバーの仔猫が一匹出窓のところにいるきりで、扉の鍵さえかけられていない。
いささか拍子抜けの感はあるものの、仕事がすんなり運ぶのはありがたいとばかりに机の上の香炉に手を伸ばす。
だが、男の指が香炉に触れる直前、見えない刃が彼の腕を斬りつけた。
「!?」
驚いて視線を上げると、一瞬前まで仔猫が蹲っていた筈の窓辺に蒼い髪の童女が腰かけている。
童女は――デューは、侵入者を見据えたまま抑揚のない声で宣告した。
「主の許しもなく他人の家に入り込むような無礼者には相応のもてなしを」
すっと細い腕が持ち上がり、その指先がまっすぐ男を指し示す。
と、同時に、無数の氷を孕む風が凍てつく刃となって男に斬りかかった。
「うわぁっ」とも「ぎゃあっ」ともつかぬ何とも耳障りな悲鳴が上がり、全身に裂傷を負った男の身体が床に転がる。
やがて、目的を果たした吹雪が止むと、室内は何事もなかったかのように静まり返った。
頃合いを見計らって現れたサカキは、ショックで気を失った男を見下ろしてのほほんと呟く。
「うちに盗みに入るなんて、怖いもの知らずですねぇ」
■□■
同じ頃、夕暮れ近い街角に、萬屋骨董品店からの家路を辿る少女の後をつける不審な3人組の男の姿があった。
3人が3人とも岩山のような筋肉と体のあちこちに残る古傷を歴戦の兵の証と勘違いしてひけらかすような、明らかな荒くれ者だ。
彼等は、少女がサカキに香炉を預けた事を知らなかった。
以前家捜ししても見つからなかったので、直接持ち主に問い質した方が早いと安直に考えたに過ぎない。
それまでずっと機会を窺っていた男達は、少女が人通りの少ない路地に差し掛かったところで行動に出ようとした。
その背中に、くすくすという笑い声と共にこんな言葉が投げかけられる。
「おじさん達、なっさけないなぁ」
「何ぃっ!」
かっとなった男達が振り返った先には、塀の上で優雅に尻尾を揺らす太陽の色の仔猫がいた。
思わず顔を見合わせる男達の前で、その仔猫がとんっと塀を蹴って飛び降りる。
くるりと綺麗に宙返りして地面に降り立った時、その姿は仔猫と同じ色の髪をした童子に変わっていた。
「なっ何だ貴様っ!?」
目の前の出来事が理解できずに混乱する男達に対して、童子――ルーは相手を小馬鹿にした口調でこう応える。
「3人がかりでイタイケな少女を襲うようなフラチモノに名乗る名前なんてないね」
その態度が、ただでさえ気の短い男達から冷静な判断力を奪った。
1番手前にいた男が、腰の蛮刀を抜いてルーに斬りかかる。
振り下ろされた一閃を軽く飛び上がる事で躱したルーは、そのまま空中で身を捻って男の顔面に回し蹴りを叩き込んだ。
華奢と言っても良い身体のどこからそれほどの力が生じたのか、男の巨体はそのまま壁際まで弾き飛ばされる。
呆気に取られてそれを見ていた2人のうち先に我に返った男が、ルーの着地の瞬間を狙って横薙ぎに剣を払った。
だが、その攻撃を予測していたルーは身を沈めて刃を潜り抜ける。
そうして、膝のバネを使って勢い良く前に飛び出すと、両手を地面につき、倒立の要領で揃えた両足で相手の顎を蹴り上げた。
これもまた見事にヒットして、ふたり目の男もその場に崩れ落ちる。
残った1人は恐怖と驚愕に目を瞠っていたが、ルーと目が合った途端背を向けて駆け出した。
が、それも幾らも進まないうちに彼の頭上を飛び越したルーに阻まれる。
ルーは、男の懐に飛び込むと鳩尾に思いっきり掌底を叩きつけた。
堪らずに腹を押さえて前屈みになった男の後頭部に、とどめとばかりに振りぬいた踵を落とす。
「うちのお客さんに手ぇ出すなんて100年早いね」
最後の1人が地に這うのを見届けて、ルーはふふんと胸をそらせてそう言い放った。
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