夢商い 御伽屋 綴


 「えー、っと…?」
 不機嫌さを隠そうともせずに睨みつけてくる緑色の双眸に若干たじろぎつつ、ラズは僅かに首を傾げる仕草で疑問を表してみる。
 そんな彼の様子に、忌々しげな視線の主である胡蝶は深々と溜め息を落とした。
 「…貴方に夢見の才があるのを忘れてたわ」
 斎子として働く蜻蛉を待つ時の常で、ラズは七星に案内された桔梗の間で大人しく眠りに就いた筈だった。
 それなのに、何故か腕には七星が置いていった小箱を抱えていて、目の前には意外そうにラズを見つめるエルマと、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえる胡蝶の姿がある。
 「…やっぱり、エルマの夢の中、だよね?」
 遠慮がちにへらりと笑ってみせるラズにもう1度溜め息を吐いて、胡蝶はびしりと厳命する。
 「仕方ないわ。役に立てとは言わないから、この子の夢に干渉しないようにだけは気をつけて頂戴」
 「って言われても、自分じゃ解んないんだけどな」
 さっさと身を翻す胡蝶には聞こえないようにこっそりと苦笑混じりの呟きを零して、ラズは先を行く2人を追って歩き出した。
 遠く近く鳴り響く鈴の音に誘われるように歩を進めるエルマに従って、一行は桃花源教の本拠地へと続くであろう道を進んで行く。
 ただでさえ幼い子供の事、しかも何らかの術に惑わされているとあって、エルマの足取りは鈍りがちだ。
 追跡に余裕があるラズは、何とはなしに周りの風景を眺めつつのんびりと歩いて行く。
 白塗りの壁に瓦屋根、複雑な紋様を描く装飾的な窓枠や朱塗りの手摺りを巡らせた露台が目立つ町並みは、ラズには馴染みのないものだ。
 だが、何かが彼の心に引っ掛かる。
 「うーん、何でだろ?全然知らない筈の場所なんだけど、何となく覚えがあるようなないような…」
 例えば川に掛かる橋の長さだとか、上り坂の勾配だとか、緩やかなカーブの曲がり具合だとか、目で見えるものではなく身体で感じる部分がしきりに既知感を訴えてくる気がする。
 そんな事を言いながらラズが首を捻っていると、胡蝶が足を止めて振り返った。
 「前言撤回。少しは役に立つかも」
 ラズを見つめる彼女の目には、僅かに感心の色が見て取れる。
 「この夢が魔力を持つ子供達を誘い出す為のものだとしたら、この子の家から桃花源教の隠れ家への道筋を辿ってる筈。たとえ景色が偽装されてても、夢の中の地勢を現実世界と照らし合わせる事が出来れば子供達の居場所も推測できる。蜻蛉の負担が軽くなるわ」
 蜻蛉の役に立てるという胡蝶の発言に、ラズは俄然張り切った。
 注意深く辺りを観察し、記憶にあるラピスヴィナ公国の地理と照らし合わせていく。
 やがて、渓流と竹林に挟まれた小路に差し掛かると、何処からともなく濃い霧と共に甘やかな桃の香りが漂い始めた。
 そのまま進む事暫し、一行は遂に目的地に辿り着く。
 うっすらと霞がかったような景色の中に浮かび上がった重厚な造りの門扉を潜ると、其処は白壁に四方を囲まれた広場だった。
 中央には、たわわに実をつけた桃の古木が威風堂々たる姿を晒している。
 大きく広がった枝の下には、行方を晦ましていた子供達が思い思いの格好で座り込んでいた。
 その中に知った顔を見出したエルマが、声を上げて友人達の下へと駆けて行く。
 「フェラス!アイナ!ファラシャ!」
 エルマは子供達1人1人に呼びかけて廻ったが、誰一人まともに返事をしようとはしなかった。
 「皆、どうしちゃったの?目を覚まして!お家に帰ろう!」
 子供達は皆一様に虚ろな目をしており、茫洋とした表情で宙を眺めやるばかりで、碌な反応を示さない。
 「…これも夢の暗示の所為なのか?」
 歯痒そうに唇を噛むラズが肩を落とした拍子に、彼が抱えていた小箱がことりと小さな音を立てた。
 「それは?」
 「さぁ?七星が枕元に置いて行ったんだけど…」
 怪訝そうに尋ねてくる胡蝶にそう答えつつ、ラズは函を地面に下ろして蓋を開けてみる。
 中に入っていたのは、回り灯篭と呼ばれるからくり細工だった。
 建物や風景を描いた背景部分と人や動物を象った人形とが自鳴琴の音色に合わせて回転し、それらの影が外枠に張られた白紙に投影される仕組みの照明器具だ。
 明らかに異国のものと思しき工芸品に単純に興味を抱くラズとは違い、胡蝶は一目でその正体を看破した。
 「夢幻燈だわ」
 「夢幻燈?」
 「夢を映す幻燈機よ」
 不思議そうな顔で鸚鵡返しにするラズに短く答えて、胡蝶は灯篭の中の蝋燭に火を点す。
 炎の熱で歯車が廻り、愛らしい音色と共に影絵が描き出されると、子供達の様子に変化が現れた。
 それまで何に対しても興味を示さなかった彼等が、燈火に惹かれる羽虫のように夢幻燈の傍へと寄って来る。
 「子供達に掛けられた暗示を解く為に七星が誂えたのね。空蝉の祓魔の力と蜻蛉の解呪の法が込められてるもの」
 胡蝶の言葉通り、自鳴琴が止まる頃には、子供達の眸に活き活きとした光が戻っていた。
 急に夢から醒めたような面持ちで辺りを見回していた子供達は、彼等の様子を固唾を呑んで見守るラズに気付くと我先にと駆け寄って来る。
 「ラズ様?」
 「ラズ様だ!」
 「公子様、どうしたの?」
 あっという間に周りを取り囲まれてしまったラズは、困惑した様子で胡蝶を見遣った。
 「エルマの夢に干渉するな」という言い置きを律儀に守ろうとしているらしい彼に苦笑して、胡蝶は促すように小さく頷いてみせる。
 ラズは、安心した様子で破顔すると、子供達1人1人の顔を覗き込みながらこう応えた。
 「もうすぐ迎えが来るって伝えに来たんだよ。皆が心配して待ってるから、早く家に帰るんだぞ?」