夢商い 御伽屋 綴


 「神隠し、ですか」
 夢商いという店柄には一見場違いともとれる単語を、綴は感情を窺わせない声音で口の端に乗せる。
 それに促されるように、エカルラートは憂いを帯びた声で事情を語り始めた。
 「年端も行かぬ童ばかり、既に20人近く行方を晦ませております。しかも、決まって真夜中過ぎ、皆が寝静まってからの事だとか」
 「目撃者がおありですか」
 「偶々通り掛かった夜勤帰りの役人や夜更かしをしていた近所の住人が、幾度か一人歩きの子供を見かけております。付近に保護者らしき姿が見当たらぬ為不審に思って声をかけたものの、呼びかけても返答はなく、何かに心奪われた様子でひたむきに歩を進めていたそうです。その様子がどうにも近づき難く、不思議とそれ以上制止する事が出来なかったと…」
 「夢遊病の類といった事はございませぬか?殊に、感受性の強い子供等の場合、1人の失踪をきっかけに連鎖反応を起こして発症するような事も間々有るように聞いておりますが」
 現実的な綴の指摘に、エカルラートは首を横に振った。
 「私共も、その可能性は考えました。しかし、先の目撃者達の証言といい、添い寝をしていた母御の腕を気付かれる事なくすり抜けているという事実といい、腑に落ちぬ点が多い。更に、消えた子等が魔力や法力に優れていたという事も気に掛かっておりました。そこに、このエルマのケースが齎されたのです」
 そう言って、斜め後ろに大人しく控えていた童子を振り返る。
 年の頃は7つか8つ程と思しき幼い少年は、エカルラートの視線に促されるまま慎ましやかに頭を垂れた。
 「エルマの父は我が国一の法術士。それ故、息子の異変を見抜き、寝室を抜け出したところで保護する事が出来ました。そこで、朝になって、いつも通り目を覚ました我が子によくよく話を聞いてみると、どうも夢に惑わされていた節が見られると…立場上、他の子等の件についても聞き及んでいた父親が報せに来たのが今朝の事でして」
 「なるほど」
 思慮深げに頷く綴の目配せを受けて、蜻蛉が少年の方にそっと身を乗り出す。
 「エルマ、貴方の見た夢の話を聞かせて」
 エルマと呼ばれた少年は、吸い寄せられるように蜻蛉を見つめて口を開いた。
 「最初に聞こえたのは、鈴の音です」
 「鈴?」
 「はい。小さな鈴がたくさん集まって、しゃん、しゃん、と鳴っているみたいでした」
 年の割りにしっかりとした言葉で、エルマは夢の記憶を辿っていく。
 「それで、何かに呼ばれているような気がして、音のする方に歩き始めたのです。どうしても行かなければいけないという気持ちになって…それで暫く歩いて行くと、甘い桃の香りがして来ました」
 蜻蛉は、秘密を透かす眼差しでエルマを見つめつつ、夢に織り込まれた謎を解く問いを続けた。
 「桃の香り?周りに桃の木があって花の香りがしたのかしら?それとも、実が生っていた?」
 「桃の実です」
 はっきりと答えたエルマが、続いてふと思い出したといった調子でこう言い添える。
 「そう言えば、何日か前に学院の前で店を開いていた行商人が、試食品だと言って子供達に水蜜桃を配っていました」
 それを聞いた途端、七星の口から舌足らずな呟きが零れた。
 「…桃花源教」
 「とうかげんきょう?それは一体…?」
 聞き慣れぬ言葉を耳聡く聞き取ったエカルラートが、怪訝そうな面持ちで七星を見つめる。
 彼女の問いに答えたのは、七星ではなく綴だった。
 「力在る幼子を清浄な環境に隔離し、潔斎と儀式を通じて神を生まんとする狂信的な信仰集団です。桃の実を無垢の標として仙果と見做し、また桃源郷と呼ばれる異国の楽園思想を持って自ら桃花源教を名乗っていた彼等が、子供等を拐すのに怪しげな果実を用いて集団催眠を行っていたとの噂が、当時実しやかに囁かれておりました」
 「神創り?そんな莫迦げた事を本気で行う者があったと?」
 信じられないとばかりに声を上げたエカルラートを宥めるように、綴は敢えて淡々と応える。
 「そういった集団が実在したのは紛れもない事実です」
 綴の冷静さに感化されて気を鎮めたエカルラートは、それでも不快感の滲む声で続きを促した。
 「それで、其奴らはどうなったのです?」
 綴は、遣りきれぬといった溜め息と共に事の後先を語る。
 「非道を知ったソフィア寺院の大神官様が神兵を遣わした結果、教祖を始めとする首謀者等は捉えられ、教団は解散に追い込まれたと聞いております。ただ、その時には攫われて来た子供達の姿はなく、何やら得体の知れない儀式の跡ばかりが残されていたとか…」
 「では、此度の仕儀はその桃花源教とやらの残党の仕業だと?」
 「或いは、過去の事例を知った者の模倣やもしれませぬが」
 眉を寄せて不安を表すエカルラートに、綴もまた思わし気に言葉を濁した。
 束の間、重苦しい沈黙が桂の間を支配する。
 だが、ややあって、気を取り直すように艶やかな笑みを纏った綴が、明るい調子で口を開いた。
 「とまれ、夢を媒介として子供達を集めているのなら、その夢を辿れば消えた子供の居場所を割り出す事も出来ましょう。胡蝶、蜻蛉」
 「解ってるわ。あたしがその子の夢に入る。その夢を、蜻蛉が読み解けば良いのね」
 綴の意を汲んだ胡蝶が、エルマの前に膝をついて手を差し伸べる。
 「おいで、エルマ。お姉さんと一緒にお友達に会いに行こう?」
 胡蝶と蜻蛉がエルマを連れて桂の間を後にすると、エカルラートも凛とした所作で席を立った。
 「私は一足先に国に戻ります。至急、子供達の救出と犯人の捕縛の手配をせねば。ラザワード、エルマの事は頼みます」
 もう1度綴に向かって優雅に一礼すると、案内を請うでもなく店先へと向かう。
 「それでは、我々もこれ以上被害者が出ぬよう、早急に手を打つ事といたしましょう」
 そう言って、空蝉を伴った綴も何処かへと消え、桂の間には七星とラズが残された。